███の日記⑤「縺ゅ>縺励※」

「起きて、お兄ちゃん」

「あーそーぼ」


 声がする。子供の声。


「はーやく、起きないと教えてあげないよ」


 うっすらまぶたを開けると、そこには子供が二人いた。一人は布団に包まれている僕の体に跨っていて、もう一人は、布団の周りをぐるぐる回っている。


「お前達は誰だ……?」


 体が動かない。

 唇だけが震える。

 いわゆる金縛りというヤツだ。


「ウチはサエコ。隣にいるのはチハヤ」


「おにぃさん、遊ぼう。もしあそんでくれたら教えてあげる」


 跨っている女の子ががサエコで、走り回っている男の子がチハヤという名前らしい。二人共、奇妙な服装をしている。漆黒の長着には赤い糸で彼岸花が刺繍されており、その上に紅蓮の袴が重なっている。狐面をしているせいで、二人共、表情は見えなかった。

 チハヤとサエコ、二人とも背丈は同じ。


(この二人を見ていると、何だか幸福な気持ちが胸の奥から溢れてくる……)


「教えてあげるよ。お兄ちゃんが探している人が何処にいるか。だから、はやくいらっしゃい」


「教えてあげるよ。この村が何を隠しているのか。だから、はやくいらっしゃい」


 子どもたちのケタケタとした笑い声が響く。喉の奥から、声にならない悲鳴が漏れそうになる。されども、部屋に響くのは虫の音と、子どもの笑い声だけ。

 

「はやく遊ぼうよ」

「遊ぼう、レイお兄ちゃん」

「水鏡様が待ってるよ」

「ずっと、ずっと、待ってるよ」


 水鏡という言葉を聞いた途端、どこか懐かしいような感覚に襲われた。同時に、親の愛を求める子どものような虚しさも。

 山間部特有の寒さに覆われた室内で、僕の体だけが熱を帯びてゆく。いつの間にか陶酔に近い状態になっていた。


「わかった。いかないと」


 掛け布団を跳ね除け立ち上がる。


 立ち上がろうとした時、跨っていたサエコが左側に、倒れそうになってしまったので、慌てて受け止める。サエコには自身の体を、受け止める左腕がない。


「わぁー、レイ兄ちゃん大好き」


 まるで糸で操られているように、自然と体が部屋の外へ向かった。


「こっちだよ」

「うん、こっち」


 サエコに手を引っ張られる。

 よくよく、見てみるとサエコには片腕が無かった。二人に導かれ、たどり着いた先はカウンター……いや、カウンターの隣にある扉だ。


 扉を開けようとドアノブを捻ったが、ビクともしない。


 邪魔だなぁ。


 そう呟こうとした、その時。


 ガチャ。


 扉がひとりでに開いた。扉の先には地下へと続く、階段が続いている。


「いかないと、いかないと、まっている」


 僕の足は迷わず、階段を下り始めた。

 もう自分の意思では動かせない。


 一歩踏み出すごとに、床がきしむ。

 電気のスイッチが見当たらないので、スマホのライトを懐中電灯代わりにして、先に進んだ。


 降りた先で待っていたのは――座敷牢だった。むかし、本で読んだことがある。明治時代、精神異常者とされた者が、狐憑きとして座敷牢に閉じ込められていたと。

 でも、違う。この牢は違う。

 だって中は綺麗に飾られていて――まるで姫君の部屋みたいだったから。

 御簾みす、丸い鏡が乗った化粧台、壁に掛けられた単――この部屋にいると、源氏物語の絵巻に入り込んだような感覚に襲われる。床を照らしてみると、絵本や積み木が錯乱していた。


 子ども部屋か?


 部屋の内装を見ているうちに、段々手が震えてくる。頭に焼けるような痛みが走る。


 この場所を知ってる。


 でも、どうして……?


 目尻が熱くなり涙が流れてくる。


 中に入り、壁を懐中電灯で照らす。

 その途端、視界が飴のように歪んで、代わりに赤色の文字が浮かび上がってきた。


『怖い』

『寂しい』

『いつまで耐えればいいの?』

『みんな嘘つき』

『大人は嫌い』

『嘘つき、嘘つき、嘘つき』

『……が教えてくれた』

『水鏡神に言いつけてやる』

『出して、ここから出して』

『友達に会いたい』

『あの人嫌い』

『大人は嘘つき』

『嘘つき、嘘つき、嘘つき、嘘つき、嘘つき、嘘つき、嘘つき、嘘つき、うそ……』

 

 足を震わせながら部屋の奥を見る。

 そこには、巨大な、くぼみがあって神棚らしきものと、大量の三宝が並べられている。

 神棚の前には居た。



――真っ黒な女。



 こちらを見ている。

 まとっている長衣と袴は朽ち果てていて、顔と肌は茶色に変色し、虫が湧いていた。まるで全身が腐りきった果実のようである。

 髪の下にある顔は狐の面で隠れていて、視認することはできなかった。


 そういえば風呂で亡くなった方の遺体も、こんな状態だったな。どこで見たのかは覚えていないけど。


 それにしても、この女はなんだ?

 水鏡神なのか?

 

 だんだん自我が侵食される感覚に耐えかねて、来た道を引き返す。無我夢中にギシギシ鳴る階段を駆け上がって、客室へと戻る。





 道中、女の声が聞こえてきた。




 逃げなぁ……で。


 怖がらなぁ……で。


 拒絶しなぁ……で。


 もう一人にしなぁ……で。


 寂しいのぉ。


 怖いのぉ。


 苦しいのぉ。


 悲しいのぉ。


 私を見て。


 受け入れて。


 どこにもいかないで。


 そっちをみないで。





 ねぇ、どこにいくの?


 



 そんな声が頭に直接響き、脳を掻き乱していった。

 




*



「――ッ!」


 布団をはねのけて飛び起きる。

 全身が汗で濡れ、息が乱れる。口の中が乾燥していて、呼吸をする度に咳が出る。


 最悪の目覚めだ。


 昨夜ゆうべは、たしか……地下室を見に行って……逃げで、客室に戻って……、


 冷え切った部屋の中で静かに呟く。朝日だけが不安げに、こちらを照らしていた。

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