黒宮家に宛てられた手紙
黒宮様、お久しぶりです。
……です。
急にお手紙を送ってしまい申し訳ございません。本日、手紙を送った理由は、お祓いをして頂きたいからです。
現在、恐らく私は憑かれています。ですから一刻も早く払って頂きたいのです。
今から憑かれるまでの経緯を説明します。
黒宮様はご存知だと思いますが、私は長年[某有限会社]で土木業を営んでおります。最近は不景気ながらも、それなりにいい生活が遅れるようになってきましたが、代わりに休む暇もありませんでした。
そこで、何とか休暇を取り、どこかに出かけることにしました。どうせなら、普段行かない場所にしようと思い、選んだ行先は○○美術館です。
そこは〇〇市が建てた美術館で、それなりの広さがありました。ただでさえ広い美術館の中に、とりわけ大きな空間が一つ中央にありました。
そこは吹き抜けになっていて、数々の彫刻が並べられています。その中で、たった一つ絵画がありました。油絵です。
白い服を着たショートヘアーの女の子を描いた作品でした。女の子は、白いドレスを着ていて、髪は金色。エメラルドのような緑色の目からは生気を感じられず、いつも憂鬱そうな顔で、こちらを見つめていました。
最初、その瞳と視線が交差した時、私は彼女の美しさに魅入られてしまいました。
おかしな話ですよね?
でも、本当なんです。
魅入られるあまり、呼吸をすることすら忘れてしまいましたから。
それから私は絵の少女に会うために、定期的に美術館を訪れるようになりました。他の作品を見ても大した感情は湧きません。しかし、なぜが少女の肖像画を見た時だけ、胸の奧が幸福で満たされるような心地がするんです。
少しでもいいから笑って欲しい。
彼女の髪に触れたい。
彼女の頬に触れたい。
彼女の首に、……に、腰に、……に、足にに、少しでもいいから触れたい。ほんの少しだけでもいいから。
そんな邪な感情が私を支配するんです。
正直、自分でも『イカれている』と自覚しています。
そして、美術館に通い初めてから一ヶ月後、私は幻覚を見ました。
彼女が私の頬に触れて「ありがとう」と言ってくれる……という幻覚です。しかも、美術館の中で……。あぁ、私は本格的に、おかしくなってきたのだと考えつつも、彼女の髪に触れようとした、その時でした。
誰かに首元を掴まれたんです。
後ろを向くと、そこにはお婆さんがいました。黒い服を着ていて、顔はフードで見えません。匂いは……土と草のような匂いがしました。そう、まるで牧場のような匂い。
「アンタ、自分が何をしているのか分かっているのか?」
周りを見渡してみると、隅で椅子に座っていた筈の学芸員が姿を消していました。その場にいるのは、私と、お婆さんの二人だけです。
「アンタは、その子に御執心みたいだが、相手のことを考えたことがあるかい?」
「はぁ?」
何を言っているんだろう。この人は。
そう感じて、私は「相手は絵画だろう?」返答しました。
「そうだ、絵画だ。絵は何も言わないし、動けない。だから、アンタが彼女を神として崇めようが、彼女は何も言い返せない」
状況が全く理解できず、思わず目を閉じ、再び瞼を開くと、そこには私の腕を掴んだお婆さんがいました。
お婆さんは顔を上げ、私を見上げます。
そして、私も悲鳴を挙げました。
お婆さんの顔は……あまりにも人間離れしていました。まず肌は黒く、浮き出た血管が波打ってます。表面には口以外の部位がなく、口の中にある歯も鋭く尖っていて、歯というより牙と呼んだ方が良いかもしれません。
その時――混乱していた頭の中に、一つの考えが浮かびました。『お婆さん』と『何も言わない』『神』という言葉から私は、一つ昔話を思い出したのです。
■■■■村に伝わる『くだん』の話です。
気まぐれで「もうすぐ飢饉が来るよ」と言ったお婆さんが他の村人によって、勝手に予言者として扱われたり、疫病神として扱われるアレです。
何を思ったのか私は「もしかして貴方は『くだん』なのか?」と問いかけました。
すると、お婆さんは何も言い返さず「今からなら引き返せる」とだけ言って、姿を消しました。辺りを見渡すと消えていたはずの学芸員と他の客が、戻っていました。
タヌキにでも化かされたような気分です。
そして、夜。
脱衣所にある洗面台で歯を磨いていると、風呂場の方から、おかしな音がしました。
――ずる、ずる、ずる。
何かが這いずりながら、こちらに近づいてくる音です。私は恐ろしくなって、鏡越しに風呂場を見ましたが何もいません。どくり、どくりと、心臓が嫌な音を立て、不安が体をめぐる。
きっと気のせいだ。
自分にそう言い聞かせながら、コップに溜まった水で口をゆすぐと、私の首に小さな手が触れました。
小さくて、冷たい手です。手は、少し私の首筋を撫でてから、離れていきました。振り返ってみましたが、そこには誰もいません。
きっと疲れているんだ。
そうに決まっている。
私は自分に、そう言い聞かせながら睡眠薬を飲んで眠ろうとしました。そうすると、手に触れられた首筋が段々痛くなってきたんです。まるで、大きな刃物で首を切られるような痛み。
そのままベッドに倒れ込み、痛みに耐えていましたが、眠気が強くなるにつれ痛みは引いていきました。
きっと、疲れていたのではなく、憑かれていたのですね。私が美術館に訪れた、あの日から。
学芸員の方から聞いた話ですが、あの絵は断頭台に送られる直前の少女を描いたものだそうです。
近頃、鎮めの儀式でお忙しいこたとは重々承知しております。それでも、どうか祓いの儀式をお願いいたします。
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