黒宮怜の日記②「■■■■村」

 ■■■■駅は昔ながらレトロな建物だった。栗色の壁に緑色の瓦屋根が乗っている。


 夕日をバッグに撮影すれば、SNS映えしそうだ。


 ついでに駅の時刻表も確認してみる。


「ダイヤの間隔が……」


 電車が一日に二本しかねぇ……。

 ほう、これが田舎か。

 いや、一日に二本あるだけマシか?


「アンタ見ない顔だね、観光客かい?」


 女性の声がする。

 声がした方を見てみれば、スーパーの袋を手に下げた。さびれた駅には女性以外の人は見当たらない。


「はい、そうです」


「へぇー、もしかしてアンタも、お化けを探す為に■■■■村へ?」


「いえ、別に心霊動画を撮りにきたわけではありませんよ。実は僕の両親が、この村出身でして、両親の故郷がどんな場所なのか確認するために……」


「あぁ、そうだったのね。貴方の苗字は?」


「苗字ですか……」


「そう、ここは人口が少ない村だから、みんな知り合いみたいなもんよ」


 正直に答えようか迷う。

 女性は善意で僕に苗字を、尋ねているのだろう。それに、実家の人なら父さんの過去について知っているはずだ。少なくとも、引っ越すまでの経緯なら分かるはず。


 僕が村で暮らしていた時は小さな一軒家に住んでいた。

 墓参りの際に実家には何回か行ったが、今では、もう詳しい記憶は朝露のように少しずつ消え失せてしまっていた。


「黒宮です」


 女性は目を見開く。


「あらまぁ、黒宮様の血筋なの。ということは……貴方の、お父様は黒宮真喜くろみやなおきという方かしら?」


「そうです。父をご存知で?」


「えぇ、よく知っているわ。私は昔、黒宮家で使用人として働いていたからね。現在、■■■■神社の宮司をしておられる誠人まこと様の弟だろ。突然、いなくなるものだから、家中大騒ぎになっていたんだよ」


 どうやら父の兄――つまり、伯父は宮司をしているらしい。しかも黒宮家は■■■■村の中では有名な一族であるらしい。


「そうだったんですね……。あのぉー、両親の実家がどこにあるのか分かりますか?」


「分かるわよ。黒宮様の御屋敷なら、みんな知っているわ。そうだ、ついでに送ってあげる」


 女性は鞄から車のキーを取り出し、手招きした。駅の外に出ると山と田んぼに囲まれた、のどかな風景が視界に広がる。

 女性のものだと思われる軽自動車に乗っていた白猫は、何かを察したらしく、にゃあと鳴いてから立ち去った。


「……いいんですか?」


「えぇ、家に帰るついでだから気にしないで。遠慮しなくていいわ」


「では、お言葉に甘えさせていただきます」


 導かれるがままに女性の軽自動車に乗り込む。車内に入ると、上品な花の香りが鼻腔をくすぐった。


 ここまで事が上手く運ぶと、次は不運が来るような気がしてきた……。



*



 のどかな田園風景の中を軽自動車が走り抜けてゆく。道の脇では虫取り網を持った子どもたちが、田んぼの中を除きこんでいた。

 子どもたちは皆、男子用の服を着ているが中には女の子も混ざっているだろう。


 彼女たちは、親に無理やり男子の服を着せられているのだ。


 これは■■■■村に昔から伝わる風習である。この村には『七歳未満の女子は鬼に連れていかれる』という言い伝えがある。だから子どもが七歳になるまでは、女子も男子のフリをしなくては、ならないのだ。


「アンタ、今夜泊まる宿はあるの?」


 女性に話しかけられる。


「はい、『みかがみ屋』という旅館に泊まろうかと」


雅登まさと様が経営している旅館だね」


「雅登様……?」


「真喜様の兄で、誠人様の弟に当たる人だよ」


「父は三人兄弟なんですか?」


「そうよ。上から誠人様、雅登様、真喜様ね」


「なるほど……」


 僕に伯父がいたなんて知らなかった。

 なぜならば、両親が僕を連れて■■■■村から引っ越してからというものの、彼等が故郷はおろか、親戚について教えてくれることはなくなったからだ。

 もしかすると覚えていないだけで、伯父と顔を合わせたことはあったかもしれないが、今では記憶の闇に葬られてしまっている。


「着いたわよ。ここが黒宮様の御屋敷ね」


 車が少しずつスピードを落とし、やがて停止する。


 ドアガラスの向こう側に現れたのは、木造の大門であった。建物の周りを同じく木造の高い塀が囲んでいる。


 塀が高いせいで中身は見えないが、その姿は、まさに『御屋敷』という言葉にふさわしかった。


(間違いなく火事の現場となった建物だ。あの後、建て直したのか?)


 女性に礼を言ってから車を降りる。


 門に近づくと、古い屋敷には似つかわぬカメラつきインターホンが設置されていた。


「はい、どなたでしょう?」


 インターホンの向こうから男性の声が響く。


「黒宮様の、お宅でしょうか?」


「そうですが……」


「突然お伺いしてすみません。黒宮怜と申し上げます」


「真喜に息子ぉ?」


 男性の声が荒くなる。


「真喜は……一族の面汚しは、もう黒宮とは関係ないんだ。お前も、さっさと帰れ!」


 父さんは一体何をやらかしたんだ……?

 せっかく、ここまでたどり着いたのに。

 今更、追い返されても困る。

 だからといって、説得する手段は、まったく思いつかない。困り果てていると、今度は女性の声が響く。


「ちょっと、あなた。そこまで言わなくても良いでしょ。ねぇ、怜君と言ったかしら?」


「はい、黒宮怜です」


「待ってて、今門まで迎えに行くから」


 どうやら女性は、インターホンから出た男性の妻らしい。なにはともあれ追い返されずに済みそうだ。


 にゃあ。


 猫の鳴き声が響く。

 足元を見てみると、白猫がごろごろと喉を鳴らしながら僕の足首に頬をなすり付けていた。


 さっきの白猫?

 そんな、まさか。



*



「ごめんなさいね、あの人と真喜さんは仲が悪かったのよ」


「それで、あのようなことを……」


 門を開けて出迎えてくれたのは、橘柄の着物を纏った女性だ。長い黒髪を赤い紐でまとめて、お下げにしている。


 黒宮八重子くろみややえこと名乗ったその女性は、僕を屋敷の客間へと案内してくれた。


 屋敷自体は、かなり古そうに見えるが、エアコンやテレビといった家電は最新式だ。経済的な面で見れば、裕福な生活をしているらしい。羨ましいことである。


「ほら座って。使用人に菓子と、お茶を持ってこさせるように頼んだから、ちょっと待っていてね」


 八重子に用意された座布団に腰を下ろす。

 座った途端、体が鉛のように重くなるような感覚におちいった。長旅で蓄積した疲労が、一気に襲いかかった。


 外の景色は、すっかり夕方。

 真っ青だった空にオレンジが混じり、マーブル模様を描いている。

 子どもたちの姿は消え、ヒグラシの鳴き声だけが響いていた。


「ご丁寧に、ありがとうございます」


「いいの、気にしないで。それよりも怜君はどこから来たの?」


「東京です」


「あらぁ、それは長旅だったわね。真喜さんは今東京にいらっしゃるの?」


「いえ、そうではなく僕の通う大学が神奈川にあるので……」


「つまり今は一人暮らしなのね。偉いわぁ」


 八重子は口元を袖で隠しながら笑った。


「あの……八重子さん」

「どうしたの?」

「父はどうして、突然、黒宮家から離れたのでしょう?」

「そうねぇ……」


 首を傾げた八重子が目背を、庭へ移す。


「ハッキリとした理由は私にも分からない。だから、これは予想になるんだけど、多分真喜さんは■■■■村の閉鎖的な環境が嫌だったのだと思うわ。だって私の妹も同じような理由で、村から立ち去ってしまったもの」


「この村が極端に閉鎖的であることは、薄々気づいていました」


 未だに囚われている古くからの風習、言い伝え。そして、黒宮家への態度や、人口の少なさ……。まるで絵に描いたような閉鎖的な村社会に見える。


「これでも昔よりずっと良くなったんだけどね。最近では移住者も歓迎しているし……。でも真喜さんは、昔から『いつかこんな村出て行ってやる』と繰り返し言っていたものよ」


「とっ、父さん……」


 そんな理由で一家全員引っ越しをすることになっていたのか……?



「そうだったんですね……。あのー、あと二つ伺いたいことがあるのですが……」


「いいわよ。何でも聞いて」


「滝沢凪という名前に覚えはありませんか?」


 八重子の表情が僅かに固まる。


「……いやぁ、知らないね」


 何かを隠してる?


「そうですか。突然おかしなことを聞いてしまい申し訳ありません。では……ミカガミ神とは何でしょう?」


「ミカガミ神……あぁ、水鏡神みかがみのかみのことね。黒宮家が代々宮司を務めている■■■■神社の祭神よ。ご利益は豊穣と商売繁盛ね」


「ではタマヨリというのは?」


御霊みたまが依ると書いて『霊依たまより』。『霊依』はミカガミ神に連れていかれちゃった子供のことよ」


「ミカガミ神は人攫いをするんですね。ちなみに、ミカガミ神の正体は鬼なんですか?」


「そうね、確かにミカガミ神は鬼だけど、絵本に出てくるような角が生えて金棒を持った鬼じゃないよ」


「鬼とは別の怪異ということでしょうか?」


「それも違うわよ。ここで言う『鬼』は人間のことだからね」


「え……?」


 八重子の顔に夕日が指す。

 オレンジ色の光に包まれた八重子は、美しくも、どこか怪しげだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る