20.一緒に年を明けて

♦︎


[12月31日 13:48 詩能宅]


 あの後一度家に戻って着替えを持って再度お邪魔した。


 「連日泊まってすみません」

 「あら〜別に良いのよ〜」

 「まるでもう一人子供が出来たみたいだしな」


 能美さんと詩織さんは朗らかに笑ってクッキーを一枚頬張った。


 「お世話になるのでキッチンお借りして良かったです。口に合いますか?」

 「とっても美味しいわ」

 「おかげで手が止まらん」

 「もう、あなた。先生からほどほどにするよう言われているじゃない」

 「今日くらいは良いじゃないか。なぁ、理和くん」

 「え? えーっと……よく分かりませんけど、まぁ、お口に合ったなら良かったです」

 「理和を困らせたら駄目じゃないか父上」


 帯で裾をたくし上げていたのを直しながら詩能さんはそう毒つく。


 「おかえり詩能。食器洗い任せてごめん」

 「なに。これくらいどうってことないぞ。私も貰ってもいいか?」

 「うん、いいよ。はい」


 ジンジャークッキー1枚をお皿から手に取り、炬燵毛布を上げながら隣に座る詩能さんに向ける。詩能さんは横髪をおさえながら一口頬張る。


 「ん〜! やっぱり美味しいな!」

 「良かった」

 「そうだわ。2人は初詣は行くのかしら?」

 「初詣か……。起きられるだろうか?」

 「もし起きていたら行こっか」

 「ふふっ。そう。じゃあ、理和くんは夫の着なくなった着物着てみてくれる?」


 パンと手を合わせて提案してくる詩織さんに僕は驚いた。


 「えっ、い、いやっ。悪いですよそんな」

 「馬子にも衣装と言うだろう。私は構わんぞ」

 「ほら、この人もそう言ってるから着てみましょう?」


 詩織さん、能美さん、詩能さんを順繰りに見る。詩能さんは肩を竦めて、「頷くしかない」といった反応だった。なんというか……2人が本当に僕を自分たちの子供のような甘い対応で困惑しかなかった。


 「……わ、分かりました。き、着てみます」


 そこからはひたすら詩織さんの着せ替え人形だった。終わる頃には普段感じる疲労とは違うまた別の経験したことのない疲労に見舞われた。


♦︎


[23:50]


 居間の隅に斜めに置かれたテレビの左上と、壁に立て掛けられた時計の時間に目を向ける。


 「もうそろそろだな」

 「うん。初めてだなこんな感覚」


 詩能さんと2人して炬燵に入りながらテレビを見る。たったそれだけの時間も楽しい。キッチンの方から香りのいいお出汁のような匂いがしてくる。


 「来年はどんな一年にしたいんだ?」

 「来年かぁ……」


 特にこれといったことは思い浮かばない。けれど。


 「……楽しく過ごされたらそれで良いかな」


 なんとも曖昧で大雑把なものだろう。これでは詩能さんはと隣を見ると笑い飛ばすことはなく、優しく微笑んでいた。


 「楽しく、か。確かにそれが一番良いな」


 詩能さんは話を笑い飛ばすことをせず、真面目に返答してくれる。僕はそんな優しさに惚れたんだ。


 「お、もう後5分まで来たか」

 「おかえり父上。キッチンの方はもういいのか?」

 「あぁ。もう詩織ひとりで出来るみたいだからってこっちに飛ばされたよ」

 「あら。心外ねぇ。別に飛ばしてはいないでしょう? もう」


 お盆を両手に居間へ戻ってきた詩織さん。僕たちの目の前に丼を置いていく。


 「かき揚げ年越しそば出来たの。食べましょ」

 「はい。いただきます」

 「理和くんは七味は?」

 「あ、じゃあそちらも」


 手を合わせてから七味の小瓶を受け取り、蓋を開けて2、3振りする。


 「詩能は?」

 「2回お願いできるか?」

 「どーぞ」

 「ありがとう」


 七味を置いて箸でそばを掬う。何度かふぅーとしてから掬った分を一息で啜る。


 「んっ!? 美味しい……っ!」

 「ふふっ。口にあって良かったわ」


 そばと出汁の美味しさに詩能さんと一緒に破顔する。そうして何度かそばを啜っているうちに。


 『ハッピーニューイヤー!』


 テレビからクラッカーの音を響かせながら番組に出演している人たちが口々にそう声を上げたのを耳にする。


 「あけましておめでとう理和」


 隣で落ち着いた優しい声で詩能さんは言った。僕も居住まいを正してお辞儀する。


 「あけましておめでとう詩能」


 互いに視線が合う。そして互いに口にする。


 「「今年もよろしくお願いします」」


 ハモった。2人、それが分かって笑い合う。年を越えて初笑い、というものだろう。そんな時に互いのスマホが震えた。


 「あ、杏香たちからあけましておめでとうって」

 「あぁ。私もだ」


 みんな起きてたんだと嬉しくなる。グループLIMEではこう続いていた。


 『初詣いつ行く〜?』


 そのメッセージを見て考える。


 「いつにしよっか初詣」

 「そばを食べ終えたらで良いんじゃないか?」

 「そっか。じゃあそう返そっか」


 タタッとキーボードをタップして返答する。画面を閉じ、スマホを置いてそばをちるちる啜る。その時に詩織さんと能美さんの優しい微笑みを目にする。


 「んごっほ! え、ど、な……なんでそんな顔……あっ。あけましておめでとうございます」

 「あけましておめでとう理和くん。急がなくても大丈夫よ〜」

 「ははっ。あけましておめでとう。何。詩能と理和くんが十二分に幸せそうだから嬉しいだけだよ。なぁ、詩織」

 「えぇ。詩能のそんな顔も初めてだし、理和くんの顔はもっと柔らかくなったし、嫌ねぇ。歳かしら」


 歳って詩織さんの見た目だいぶ若く見えるけど!? と思ったけど僕は黙って咽せた息を整えて、そばを啜り直した。


♦︎


[1月1日 0:49 詩能宅玄関]


 そばを食べ終えた後、詩能さんは自室に戻り、僕は能美さんと詩織さんの協力で着物に着替えた。


 「動きずらいとかはないかい?」

 「いえ、大丈夫……ですね」

 「防寒もしっかり出来てるみたいで良かったわ」

 「詩能は大丈夫?」

 「あぁ。私も大丈夫だ!」

 「それじゃあ初詣行ってきます。それと着物お借りします」

 「気をつけて行ってきなさい」

 「行ってらっしゃい」


 着物にコートとはコーデがチグハグだが、それでも寒さとかは無かった。インナーは保温性のあるインナーを着用しているのもあるからだろう。


 「わっ、理和見てくれ。はぁ〜〜〜〜〜。ふふっ。真っ白だな」

 「あ、ほんとだ。気温低いんだねぇ。寒くない?」

 「私は大丈夫だぞ。理和は?」

 「ん。僕も」


 そう口々に言うけれど、距離感は変わらない。いや、いつもより少し近いだろう。


 「玲音たちは後から合流だったな」

 「うん。僕たちの格好見て驚くかな?」

 「理和の格好は驚くかもな」

 「はははっ。確かにそうかも」


 気付けばちらほらと雪が降ってきた。詩能さんも気付いたようで「ほぅ……」と息を吐きながら夜空を見上げた。


 「どうかした?」

 「空、綺麗だなと思ってな」

 「あー確かに。雪降ってるのに雲少ないね。やっぱり冷たい空気だから空も綺麗に見えるのかな」

 「お前と眺めれて良かった」

 「一緒だね」

 「ふふっ。あぁ。おっ? 人も多くなってきたな」

 「やっぱりこの時間から初詣来る人いるんだねぇ」

 「逸れないようにしないとだな」

 「そうだね」


 ぎゅっと握る手を強め、より距離を近める。


 「あ〜! お兄ちゃんと詩能ちゃんだ〜!」


 少し離れたところでぶんぶんと右手を振る杏香を僕たちは目に収め、笑う。


 「相変わらず元気だな。お前の妹は」

 「それが取り柄だからね。行こっか」


 杏香は明るめのモコモコでシャカシャカしたジャンパーを羽織っていて、とても暖かそうだ。創は多分僕と同じようなインナーを着てるんだろう。杏香に比べ軽装で玲音さんはその中間といった出で立ちだった。創も玲音さんも寒さに強いんだろう。羨ましい限りだ。


 「よっす理和。詩能さんもあけおめ〜」

 「あけましておめでとう創。杏香も。それと玲音も」

 「あけおめ理和。詩能様も」

 「あけましておめでとう〜!」


 口々に新年を祝ういつものメンツ。


 「珍しいな。お前が着物着てるなんてよ」

 「あ〜、やっぱり? 実は詩能のご両親から着させられてさ。似合う?」

 「めっちゃ。な?」

 「そうね。アレね。馬子にも衣装ってこういうこと言うのね」

 「玲音ちゃんどこ目線なの〜?」

 「着てきて良かったな」


 ワイワイといつもよりふざけながら境内に入る。


 「3人は年越しそばは食べた?」

 「あたしはまだ」

 「わたしも〜」

 「俺は食ったな」

 「お兄ちゃんたちは美味しく食べれたの?」

 「そうだな。理和がいたからいつもよりも楽しくてとても美味しかったな」


 少しずつ列が進むと屋台が並んでいた。


 「御参りしたら寄るか?」


 どうやら僕の目線に気付いていたんだろう。詩能さんがこっそり耳打ちしてきた。


 「……そう、だね。見て回ってみよう」

 「ん、分かった」


 そうこうして並んでるうちに僕たちの番になった。それぞれ小銭を取り出して賽銭箱へ投入する。


 ──────ガラガラガランッ。


 音にびっくりしたが、杏香が両手で鈴を鳴らしたのだ。後々調べたけどこの鈴は本坪鈴ほんつすずと言うらしい。

 杏香は僕たちを見てはにへっと笑ったのを見て、釣られて笑う。その後、柏手をして感謝とお祈りをした。


 「なにお願いした〜?」

 「僕はまず、感謝してからこれからもこんなふうに続いてほしいってお願いしたよ」

 「私も理和と同じだな」


 どうやら全員思うことは一緒のようだった。


 「あっ! ねねっ、甘酒飲んでみよ〜?」

 「おっ、良いねぇ。飲んでみようぜ」


 2人に手を引かれ甘酒の屋台に向かう。


 「いらっしゃい!」

 「おじさん、甘酒ちょーだい!」

 「あいよ! おぉ! 兄ちゃんたちえれぇべっぴんさんたち連れてんなぁ! はいよ! 甘酒!」


 杏香は人数分の甘酒の値段を払ってそれぞれ甘酒を手にする。


 「払わせてすまないな」

 「全然いーよー。いただきまーす」


 空きスペースに移動して思い思い甘酒を呷る。香りからなんというか甘い感じなのにツンとくる感覚に眉根を寄せつつ飲み込むとふわっと鼻からなんとも言えない味が突き抜けた。それと同時に体がじんわりと温かくなってきた。


 「うまっ」

 「ん〜、よく分かんないかも〜?」

 「でも体あったかくなってきたわね」

 「そうだな。ん、理和?」


 体がぽかぽかしてきたのと同時にお腹の奥あたりがぐるぐるしだしたのと、視界がぐにゃっとなりだして平衡感覚が定まらない。少しふらふらして詩能さんの肩によりかかる。


 「あっ、まっずいな。理和の様子これ酔ったんじゃないか?」

 「水、買ってくるわね」

 「ベンチ探してくるね」

 「理和、こっちだ」

 「……ん、? んん……」


×


[理和をベンチに座らせたあと]


 理和の顔はとてもぼーっとしていた。目線は定まっておらず、今は私の肩に頭を預けていた。


 「理和はもしかしたらお酒に弱いかもしれんな」

 「だな。もし成人しても酒飲ませない方いいな」


 創と頷き合う。2人の間で結束がさらに固まった気がした。


 「お待たせ〜! も〜! 玲音ちゃんがナンパされてて大変だったよぉ〜!」

 「はぁ!? あんただって絡まれてたじゃないのよ!」

 「え〜、わたしはちゃーんと断ったもん」

 「そっ、れはあたしだってねぇ……!」

 「あーはいはい。お二人さん。水ありがとな。理和、水飲めるか?」

 「……んー」


 創が渡した水のペットボトルを両手で持ち、ゆっくりとした動きで嚥下した。


 「お兄ちゃんお酒弱そうだねぇ」

 「こりゃあ理和には飲ませらんないわね」


 全員の意見は一致した。


 「詩能ちゃん。お兄ちゃんをそのまま送っていける?」

 「そう……だな。……手伝ってくれるか?」

 「もちっ!」

 「理和、立てるか?」


 遅れた反応で理和は私に体を預けてくる。理和の体は抱き締めたこともあってか分かったのだが、結構細い。しかし幾らか筋肉質で男の子らしい体つきだ。理和のその細い腰に手を回し抱き起こす。杏香も立ち上がらせるのに手伝ってくれた。


 「それじゃあ私の家まで行くから手伝ってくれ」

 「あいあいさ〜!」

 「あれ、俺たちもか?」

 「む? そうだが?」

 「諦めなさい創。あたしたちも乗りかかった船だもの」

 「ははっ、だな」


♦︎


[翌13:05]


 うっぐ、頭がぐわんぐわんする。


 「あ、おはよう理和」

 「ん……うん? あ、おはよう……? ってここは」

 「あぁ。私の家だ。気分は……まだ悪そうだな」

 「うぅ、ん。なんか頭が重いや」


 僕は顳顬をおさえつつ身体を起こす。詩能さんは水が入ったコップを向けてきたのでそれを受け取って一気に飲み干す。


 「ぅぐ……ぅ。なんだろうこの感覚。すごい気持ち悪いや……」

 「父上から聞いたがその状態を『二日酔い』と言うらしいぞ」

 「うへぇ……二日酔いぃ〜? 最悪な気分だよ。今、何時?」

 「お昼だぞ」


 スマホの時間を見せてもらった。昼の1時を過ぎたばかりだ。


 「あれ、着替え……」

 「創と父上がしてくれたぞ」

 「あ、そうなんだ。お礼言わな……ん? 創? え、なんで創?」

 「お前を介抱したんだぞ〜?」


 頭を抱えた。そんな迷惑をかけてしまったのかと。


 「ほんとにお礼言わな……おわっ!?」

 「あぶなっ……っ!?」


 立ち上がった拍子にバランスを崩す。


 「ったたたた……。大丈……ぅあ」


 背中が絶妙にじわじわと鈍痛がある。けれどそれよりも僕の頬に掛かる髪の感触と詩能さんの息遣いにハッとした。


 「……ふっふふ。前にもこんなことあったな」

 「えっ? あーまぁ、確かにそうだね。詩能は怪我とかは?」

 「大丈夫。おはようのちゅー、する?」

 「……それでこの具合の悪さが治るならしたいよ」


 額が合わさったときに自分の眉根が寄っていることに気付いて苦笑気味にはにかむ。


 「あ、あらあら。お邪魔、だったかしら?」

 「〜〜〜〜〜っ!?」

 「……ぁ」


 逆さまの視界に映ったのは詩織さんの生温かな微笑みだった。詩能さんはバッと顔を上げて声を上げた。


 「んなっ、こっ……っあ様! こっ、れは違くてぇ!」


 詩能さんはどたどたと慌ただしげに部屋を出ていった。


 「────……っぷ、っはは……! あー、新年早々賑やかだなぁ」

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