19.年越し前に

♦︎


[12月29日]


 「外出てくる」

 「行ってらっしゃ〜い」

 「気を付けてね」

 「かなり寒かったから気をつけるんだぞ」


 両親と杏香に見送られて、靴を履き直しつつ外に出る。


 「うわっ、さっぶ……!」


 確かに言われた通り、寒風がコートやマフラーを貫通して肌に突き刺さってくる。首を窄め、顔の下半分をマフラーにうずもれつつ歩き出す。ポケットに両手を突っ込んでから手に当たる感触にハッとして、手袋もつける。


 「理和」

 「ごめん。待たせて」


 最寄りのバス停で詩能さんと会う。勉強で大変なのに、僕の我儘を聞いてもらったのだ。


 「んーん。待つのは私も好きだから大丈夫」

 「そっか」

 「今日は珍しいな。お前から誘ってくれるなんて」

 「あー……イベントの後、会えなかったから、さ」

 「もしかして……寂しかった、とかか?」


 にぃ〜とニヤけながら聞かれる。こうなることはなんとなく分かってた。僕は目を逸らしながら頷く。


 「ふふっ。そうか〜。あの理和がなぁ〜」

 「に、ニヤニヤしないでよ。僕だって分かってるよ。自分らしくないって」

 「もーっと私に甘えても良いんだがなー」

 「さ、流石に時期的にもしちゃダメかなって」

 「私は良いぞ。少し落ち着いたしな。っと、バス来たな」


 バスに乗ってボックス席に隣り合って座る。バスの中は外と反対にあったかく、マフラーに沈めていた顔を上げる。


 「マフラー使ってくれてるんだな」

 「せっかく貰ったからね。とってもあったかくて使い心地もよくてもうすっかり愛用者だよ」

 「ぷふっ。そうか」


 くつくつと嬉しそうに喉を鳴らしながら僕の右側のポケットにこっそりと左手を入れてくる。詩能さんはそうすることにハマったようだ。ポケットの中で手を握る。やっぱり詩能さんの手は冷たかった。


 「な、なんだ?」

 「んーん。手、とっても冷たいなって。きっとだいぶ待ったんだ詩能は」

 「私は歩くのが遅いからな。待っていたのはそれこそ数分くらいだ」

 「わ、わざわざ歩いてきたの?」

 「そうだぞ。こうしてお前と一緒に乗りたかったしな」


 詩能さんはこうしていつも好意を隠さないでいてくれる。それがとても嬉しいし心地いい。


 「それで」

 「うん?」

 「どこに向かうんだ?」

 「あー。実はやってみたいなっていうとこがあってさ」

 「ほう?」


♦︎


[教会前]


 バスに少し揺られた後、僕たちは教会に来た。


 「とても綺麗な造りだな」

 「んね。一回来てみたかったんだ」


 教会の大きな扉を軽く開ける。中は暖房が効いているのか外よりも暖かった。


 「静かで落ち着くな」

 「人もいないしね」

 「そういえばどうして教会に?」

 「適当にぶらつくことあったんだけど、その時に遠くからは見えてたんだここ。だから詩能と来てみたかったんだ」


 はにかみながら僕は先を歩く。大聖堂は長椅子が左右均等に置かれ、正面のステンドグラスから陽射しが差し込み、荘厳でありながらも静謐さがあり、神聖な場所なのだと思わせる。

 僕はゆっくりと左右に首を振り視線を彷徨わせると高い天井に届くほどのステンドグラス。とても精巧で目を奪われる。


 「お前は見るの初めてか?」

 「ぅおぁ……へっ? あ、うん」


 急に声をかけられてびっくりする。詩能さんはそんな僕を見てからおかしそうに笑った。


 「も、もう……そんな笑わなくても」

 「ぷふふ。いや、何。どうも新鮮でな。すまないな理和」


 未だにクスクスしながら謝罪する詩能さんに軽くデコピンする。


 「ぁたっ!」

 「もーしないでよね」

 「ふふっ。善処しよう」


 額をおさえながらチロッと舌を出す姿もまた愛らしい。そんな彼女を僕もまたすぐに許してしまう。


 「あ、なぁ理和。あのステンドグラスって天使じゃないか?」

 「うん? あっ、本当だ。すごい再現度だね」

 「良くお分かりですねぇ〜」


 斜め後ろから声をかけられてこれまた驚きつつ2人して声の方を見る。声の本人はシスターさんだった。けれど、顔を見て既視感を覚えた。優しい雰囲気でありながらも妖しくて、ついつい話し込んでしまうくらいの……あ。この人は。


 「あら、やーっぱりあの時のオーキャンの子たちね」

 「え、ど……な、え?」


 詩能さんの困惑は大いにわかる。僕だって同じだから。けれど同時に納得した。確かにこの人はこういうのに向いているだろうことが。


 「あたし、ここでバイトしているのよ。あ、そうそう。ここでは郡根ぐんね李愛りあって名前じゃなくて、リアお姉さんって呼んでね」

 「え……っと?」

 「…………間に受けたらダメな気がする」


 ぽそっと詩能さんに耳打ちする。


 「あー釣れないわねぇもう。でもそういう警戒心は大事よ〜理和くんっ」

 「つまり冗談、ってことですか?」

 「あら、そう……。私には敬語、なのね」


 訳知り顔で頷く郡根さんにどうにも調子が崩れる。


 「あ、勿論好きに呼んでくれて構わないわ。それこそお姉さんとかお姉ちゃんって呼んでも」

 「そこは遠慮する」

 「同じく、やめておきます」

 「うふふっ、2人して釣れな〜い」


 今の会話のどこに面白さを感じたのか分からない。けれど分かるのは、この人の笑顔はじゃないということ。ずっとそれが気掛かりで他ならなかった。


 「……あの、聞きたいことあるんですが」

 「どぉぞ〜。なぁーんでも聞いて」

 「その……今のところあなたしか他の人を見ないんですがもしかしてひとりでここを?」

 「あー……。忙しい時は他の子たちも手伝ってはくれるわよ。でも今はほら……人、いないじゃない?」


 確かにそうだ。僕と詩能さん以外に来客はいない。


 「あ、そうそう。今、2人がいるとこは熾天使にミカエル様よ」

 「…………なぁ、それって」

 「……そうだね。ミカエルはソロモンに指輪を渡した天使って前に説明したね。けどこれが……」

 「あら、理和くんは物知りなのね」

 「え? まぁ……。前に暇で聖書を軽く読んでたので」


 コッコッコッと軽やかに靴底の音を立てて僕の左隣から少し間隔を開けて立つ郡根さん。


 「じゃあ理和くんはどれだけ知っているのかしら?」

 「どれだけって言われても……ソロモンの指輪、知恵の林檎、バベルの塔、ノアの方舟……モーゼの十戒……カインとアベル……有名な部分程度、ですね。天使や悪魔もそこまでは知らないんじゃないかと」

 「だいぶ知ってるのね。詩能さんは?」

 「私はそこまで知らないな。キリスト教徒というわけでもないからな。ん、もしや一般常識だったりするか?」

 「さぁ……? そこまでは僕も。なんとなくしか覚えてないから」

 「だいたいはそうよね。ゲームや映画、創作に関わるもので出てくるものくらいだもの」


 そう。ゲームは『SBO』が初だが、それ以外は杏香から勧められるまま見たり、読んだりしていた。


 「あぁ、そういえば……」

 「どうしたんだ?」

 「いや……前に読んだ『神曲』を今薄らと思い出してさ。確かキリストを裏切った人が地獄の底にいたとか色々」

 「そんな作品があるのか。後で読んでみようかな」

 「帰ったら貸すよ」

 「ふふっ。ありがとう」


 何故それを今思い出したのか。十字架に架かるキリストが目についたからだ。


 「理和くんは本当に物知りね」

 「物事を覚えるのは得意ですからね。それに……そういう伝説とかって人を好きにさせるものだって友達に言われました」


 きっと僕はそんなロマンのあるものが好きなんだろう。だから『SBO』も楽しく出来る。そう思っている。


 「そう。理和くん、詩能さん。またいらして良いわ。あなたたちみたいに話してても見てても面白いもの。もっとお話ししたいわ」



[2人がいなくなった後]


 理和くんと詩能さんと久しぶりに会話ができて良かった。それと彼の賢さ、為人ひととなりも少しは知れた。私は疑問だった。理和くんみたいな人は初めて会ったけれど理和くんのような賢い人は何人も見てきた。なのに私はとても新鮮だった。それもきっと……。


 「私とそう変わらないのね彼」


 オーキャンで会った時から目を惹かれた。理和くんは他の人ならすぐなくなる警戒心をずっと持ってた。多分本能で理解しているんだろう。私の異質さに。


 「はぁー。私だって彼と仲良くしたいわ〜」


 出来るならより親密になりたいとさえ思う。


 「まっ、良いわ。今日会えただけ良しとしましょう。また今度会えるもの」


 私はそう独り言ち、走らせるペンを止める。書きやめた日記を見つめながらさっきの出来事を思い浮かべる。それは2人が帰る時だった。


 『郡根さんは、なんでシスターになったんです?』

 『なんで……ってどうしてそう思ったの?』

 『……なんというか、────』


 たった2回。それだけで彼は私の歪さに気付いてた。パタっと日記帳を閉じ、机に置いたままの鏡に目を向ける。いつもと変わらないはずの笑顔。


 「仕事に戻りましょ」


 ふにふにと口の両端を左右の人差し指で弄る。部屋を出る時も彼の言葉が頭の中で反芻しながら。


 『郡根さんは神様を信仰してるふうには見えないんです』


♦︎


[帰宅後]


 「あら〜! いらっしゃい詩能ちゃん」

 「お邪魔します」


 詩能さんを連れて家に帰ると母さんは詩能さんに嬉しそうに手を振った。そんな母さんの様子に父さんと杏香も気付き、リビングから顔を出した。


 「杏香、詩能に本を貸したいんだけど良いかな?」

 「ほえ? 全然おっけーだけど何貸すの〜?」

 「あぁ、詩能はリビングで待ってて」

 「分かった」


 詩能さんをリビングに置いて杏香を連れて部屋に行く。


 「さっき教会に行ってきてさ。その時にこれ読んでたなって思い出して」

 「えっ、お兄ちゃん目覚めちゃった?」

 「いや、別に教徒になるとかそんなんじゃないよ」

 「ふへへ、じょーだんだよ〜」


 杏香とそう戯けりながら本棚から『神曲』を取り出す。


 「あ、それー?」

 「うん。貸してもいい?」

 「いーよー。あ、ちょっと待ってて」


 ぱたぱたと杏香は隣の部屋に引っ込み、すぐに戻ってきた。


 「はいこれ」

 「これは栞か?」

 「うんっ。かわいいでしょ〜」


 渡されたのは小さなハートを枠組みに星空を中心にして作られた栞だった。


 「じゃあこれ挟んで渡すよ」


 栞を受け取り、リビングに向かう。


 「お待たせ、詩能」

 「全然待ってないぞ。2人と話をしていたからな」

 「楽しんでて良かった。はい、これがさっき言ってたやつ」

 「ほう。これが……しばらく借りてしまうが構わないか?」

 「大丈夫だよ。僕も杏香もすでに読み終わってるからいつでも良いよ」

 「そうか。ありがとう」


 詩能さんは受け取った後両腕を交差して本を抱えた。


 「送ってくよ」

 「ん。いつもありがとう理和」

 「気をつけて帰るのよ〜詩能ちゃん」

 「また話をさせてくれ詩能ちゃん」

 「は、はい。お邪魔しました」


 まるで借りた猫状態の詩能さんは新鮮だな。


♦︎


[見送り中]


 右腕で僕が貸した本を抱えていて袋を用意すれば良かったなと今更ながらに思った。人に貸すということ自体初めてなことで気が回らなかったな。今度は気をつけよう。


 「理和は課題は終わったか?」

 「冬休み始まってから3日位で終わらせたかな」

 「だいぶ早いな!? ……むぅ。勉強、教えてやりたかった」

 「っはは。そうだったの? じゃあ今度からは溜めておこうかな」


 そうか。恋人同士というのはそんなふうに教え合うこと出来るのか。まぁ、僕から教えることはないだろうけど。


 「一緒に年を越したかったな」


 街中を見て詩能さんはそんなふうに呟いた。


 「理和は……したくなかった?」


 上目遣いをする顔を見つめて僕は左右に振る。


 「僕も一緒に越したかったよ。けどきっと……父さんたちも分かってるんだろうね。僕たちがそう言わないだけで」

 「…………?」

 「父さんたちはさ、ちゃんと家族でいようと頑張っててそれでも口下手なとこがあって……今だって家族と一緒に年を越すことが当たり前みたいな感じだけど、僕の方からも甘えるべきなんだなって」


 スマホを取り出して父さんに電話をする。


 『んぉ? 理和どうしたー?』

 「ごめん父さん。少しお願い事言ってもいい?」


 電話口で嬉しげに息をするのが分かった。


 『あぁ。良いぞ』


 チラッと詩能さんを見る。きょとんとした顔の詩能さんはそんな顔ですら可愛い。僕はそれを見てくすりと微笑う。


 「詩能と年を一緒に越したいんだ」

 「……へっ?」

 『そうか。良いぞ。一緒にいてやりなさい』

 「良いの?」

 『あぁ。母さんも首を縦に振ってるしな』


 年明けを前に僕は親にちゃんと甘えることの大切さを覚えたと思う。少し恥ずかしいけど。


 「……ありがとう父さん、母さん」


 僕は2人に礼を言って、通話を落とす。スマホをしまう時にぽすっと右胸に何か当たる。


 「どうしたの?」

 「……どうして私の我儘を聞いてくれるんだ? 今のは……その……思ったことが口に出ただけなのに」

 「どうしてって……そりゃあきみの彼氏だからだよ詩能」

 「……むぅ。お前にいつも調子を狂わされてばかりだな」

 「ふふっ。そうなの? てっきり僕だけに見せてくれてると思ってたよ」


 ぷくっと頬を膨らませてぽすぽすと胸に何度か頭をぶつけにくるのは少し痛いよ。


 「いじわる」

 「きみが可愛いのがいけない」

 「か、かわ……そうやって私をすぐにダメにするのがいけないぞ……ばか」

 「それならきみもそうだよ詩能。僕だってきみがいないとダメになったんだから。お互い様ってやつだね」


 冗談混じりに笑ってみせると詩能さんは「ひ・きょ・う・だ・ぞ」と睨まれた。あぁ、僕の方が一枚上手らしい。そんななんでもない今の幸せを噛み締めながら可笑しいように笑う。詩能さんもそれに釣られてクスクス笑った。


 「31日そっちに泊まりに行っても良い?」

 「うん。きっと喜んでくれるよ」

 「詩能は?」

 「私も嬉しい」

 「じゃあ、菓子折りを探して……いや? 作るのもアリか」

 「父上と母上に聞いておくよ」

 「うん。はぁ〜。なんだか目まぐるしい一年だったなぁ」


 いつの間にか歩くのをやめていたのを再開しながら僕は言う。頭の中では今までのことが思い浮かんでは消えていくのを繰り返していた。


 「楽しかったか?」

 「そりゃあもう。見たこともない景色ばかりで初めてのことばかりやって楽しかった。あーだけど来年は……詩能は大学生かぁ」

 「離れるの寂しい?」

 「うん。学校でも一緒だったからちょっと」

 「ほんとにちょっとなのか?」


 詩能さんもだいぶ僕のことを理解してる。僕は首を振る。


 「言葉の綾だよ。ほんとは結構寂しい」

 「くふふ。一緒だな」

 「詩能も?」

 「あぁ。学校でも甘えられないってなると大学上手く行くかわからん」

 「ぷっはは! じゃあ放課後の時間帯に待ち合わせとかする?」

 「おぉ……。妙案だ」

 「もしそれなら半日くらいは一緒にいれるね」


 いつもよりも浮ついた感覚で話し、笑って、歩く。


 「理和と話して歩くとあっという間だな」

 「そうだね」


 詩能さんの家はもうすぐそこまでだった。それを見て詩能さんはいつも物悲しげだった。それは今もそうだった。


 「詩能はいつもそんな顔するよね」

 「へっ? な、何か変な顔してたか?」

 「変な顔というより悲しいというか寂しいって顔してたよ」

 「む……。そ、うか? そんな顔……いや、確かにそうかもしれないな」

 「それってつまり……」

 「あぁ。お前の察してる通り、ずーっとお前と話していたいんだ。だからこんなふうにわかれるのが嫌なんだ」


 やっぱり詩能さんは寂しがり屋なのかもしれない。


 「それこそ今日から泊まっていって欲しいくらいだ」

 「それは……詩織さんたちが認めてくれるのかな?」

 「認めさせる」

 「まぁ……きみに甘々だものねぇ」

 「だから……ダメ、か?」

 「んぐっ……!」


 正直詩能さんは甘え上手もあるかもしれない。僕は拒否出来そうになかったから。長考の末に、僕は絞り出すように答える。


 「────────────、詩織さん……たちが許可してくれたら、ね」

 「言ったなっ! その言葉忘れるなよっ!?」


 詩能さんの我儘には結局折れるしかなかった。

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