17.団欒と悪戯の日

♦︎


[金曜夜。リビング]


 「ご飯出来たよ〜」

 「も〜、お兄ちゃんおそーいっ」

 「手がかかってたんだよ。ごめんって」

 「理和、何を作ったの?」

 「あぁ、鶏胸肉の唐揚げ丼だよ。サラダは塩味のポテチを砕いたのをプリーツレタスと千切りキャベツにまぶして、そこにシーザードレッシングを掛けて、スープは手抜きだけど溶き卵で作った。運ぶの手伝ってよ母さん」

 「たくさん作ったのね。あら? このタルタル、もしかしてお手製?」

 「あ、気付いた? 詩能さんから教わって作ってみたんだ」


 テーブルに運びながら教える。


 「タルタルを作れることに驚いたわ」

 「ふはっ。僕も」

 「んっ! タルタル美味しい〜!」

 「あっこらっ! つまみ食いダメでしょ杏香」

 「うへへ、つい」


 その時玄関の辺りから慌ただしい音がした。僕たち全員顔を見合わせて笑う。


 「た、ただいま〜。おっ、今からか?」

 「おかえり父さん。ちょうど出来たばかりだから手洗って」

 「おう。すまん荷物、ソファに置いていいか?」

 「全然いいよ」

 「おかえり〜お父さん」

 「おかえりなさいあなた」


 夢みたいだ。昔みたいに……ううん。昔よりも温かな感じの夕食。


 「理和ももう高校3年になるのかぁ」

 「そうだよ、父さん。卒業したら入りたい大学あるって前に言ってたよね」

 「そういえば言ってたわね。詩能ちゃんの行くところに行くんだったわよね?」

 「ほぇー。そうだったの?」

 「うん。その大学、設備だとかサポート面が良かったんだ」

 「良かったってもう行ったのか?」


 ご飯を食べながら頷く。


 「付き添いだったけどね。行く予定は無かったんだけど、詩能さんが後学になるだろう? ってそれで行ったんだ。とても広くて迷子になりかけたよ」


 オープンキャンパスと呼ばれるものだ。僕はその時のことを思い出す。


♦︎


[時を遡り、オープンキャンパス]


 「本当に僕も行っていいのかな?」

 「問題ないだろう。早いうちに見て、候補に入れておいてもいいと思うぞ。なぁ、玲音」

 「そうね。あんた、どこ行くとか二年生だからまだ考えなくていいとか思ってるわよね」

 「……まぁなくはない、かな?」

 「そのためよ」

 「もしかしてその認識変えるために?」


 私服で詩能さん、玲音さん、僕は私立大学のオープンキャンパスに来た。


 「にしても、とても広いな」

 「迷いそうね」

 「確かに迷いそうだね。この広さ」


 僕たち3人はキャンパス内の広さ、校舎の大きさに度肝を抜かされていた。


 「あら? もしかしてオーキャン希望の子たち?」

 「……へ?」


 そんな時、いきなり声をかけられて詩能さんと玲音さんは肩をびくつかせて、僕は変な声が出た。そちらへ目を向けると、前髪が緩やかに巻いていて、後ろ髪をふわりとさせていて、髪色がとても明るく、金髪に近い茶髪を揺らしていた。雰囲気がとてもお姉さんで目が何故か何度か僕にあっていた。それに気づいた詩能さんはこっそりと袖を掴んでいた。


 「あ……僕はただの付き添いでこっちの2人がオープンキャンパスに」

 「そうだったのね。てっきり君もだと思ってたわ〜」

 「僕はまだ高校2年生なので……今は付き添いでも参考程度に」


 少し話してよく分かってないけれどするすると話ができる感覚にどことなくこれ以上話をしたら危ないかもしれないと思った。


 「……ところで。詩能さん、玲音さん。2人はどこの学部に行きたいとかこちらの人に話してみたらどう?」


 明らかな話題転換に3人は目を見開いた。けれど詩能さんと玲音さんは察したようで頷いた。


 「私は経済学部を見たいと思っているな」

 「あたしもそうね。ね、どこが教室なのか教えてくれる?」

 「えぇ、良いわよ〜。こっちへ来て」


♦︎


[時を戻し、リビング]


 「って感じで大学を見て回ったんだけど、学部も多くて僕もあの大学に通いたいなって思ったよ」


 話をしながら晩ご飯を食べ終えて、まったりとソファに寛ぐ。


 「杏香、くっつきすぎ」

 「ちぇー。バレたか」

 「膝の上に座らないなら良いから」

 「にはは。やったねっ」


 やはり僕は杏香に甘い。


 「理和。その大学とても良いぞ。悠希は講師だしな」

 「えっ!? そうなの?」

 「その日は休みだったのよねぇ。そうじゃなかったら案内したかったわ」

 「じゃあ、もし僕が入学したら授業甘くしてくれると助かるかも」

 「それはしてあげたいけどだーめ」

 「あはは、残念」


♦︎


[日曜日。14:40 散歩中]


 とても久しぶりに息抜きに散歩をしてみた。天気は秋晴れでそれなりの気温で過ごしやすいと思う。


 「あぁ、そういえば」


 街中の広告はハロウィンでいっぱいだった。もうそんな時期なのかというのと今までそういった機会なんてなかったからどうしようかと思案しているとスマホが震えた。ポケットからスマホを取り出して耳にあてがう。


 「どうしたの?」

 『……理和の声、聞きたくて』


 電話をかけてきたのは詩能さんだった。僕は笑いつつ、場所を移す。


 「そっか。詩能さ……う、詩能は何をしてたの?」


 いつまでもさん呼びはなんとなく僕の中で距離を感じるのではないかと思い、の呼び捨てを試みる。けれど声が上擦ってしまった。


 「……? 詩能さ、詩能?」


 反応がなかった。そっちに気を割きながら、公園を見つけて、そこのベンチに腰掛ける。しばらくすると電話口から「きゅぅ……」といった変な声? 音? が聞こえた。


 「どうしたの?」

 『……き、急に呼び捨てなんてずるい』


 そう言いながらぼふっと音が聞こえた。恐らくベッドに沈んだのだろう。


 『────────────……会いたい』

 「……へ?」


 くぐもって聞こえて何を言ったのか聞き取れなかった。


 『理和。どこにいるんだ?』

 「いま? いまはねー……公園にいるかな。割と大きいとこ」

 『あぁ、あそこか。分かった。……まってて』

 「へ? う、うん。分かった」


 頷くと通話が切れた。いったい何を待ってれば良いんだろう? そして待つこと30分。ぼーっと空を仰ぎ見ていると走ってくる音が聞こえた。そしてそれが僕の方に近づいてくる。そちらに目を向ければ、急いでいるのだろう。駆け足気味で頬が上気した詩能さんだった。


 「え、う、詩能さん?」

 「っは、はっ、理っ、はっ……和。まっ、たせ、っく……はぁ、ごめん……っはぁ〜」


 だいぶ息が荒かった。僕は立ち上がって背中に手を当てる。


 「だ、大丈夫? 水買ってくるよ」

 「だ、大丈、夫……少し、休めば……はぁ、問題、ない……ぞ」

 「そう? じゃあ取り敢えず座ろ?」


 詩能さんは深呼吸しながら頷いて、座らせる。僕も隣に座って詩能さんを落ち着かせる。落ち着かせることしばらく。


 「んく……ありがとう。落ち着いた」

 「そっか。ねぇ、詩能さん。どうしてこ」

 「名前」

 「へ?」


 いじらしそうな目を向けられる。


 「……呼び捨てがいい」

 「…………分かった。……詩能」

 「ん。もういっかい」

 「詩能」

 「んっ。もっと」


 割と強めに胸に飛び込まれ、額をぐりぐりと胸板に押し付けられる。少し痛い。


 「詩能……?」

 「……へへ」


 両手が手持ち無沙汰になる。さて、どうしたものか。


 「……ぎゅってしてほしい」

 「こ、こう……?」


 人の目が少し気にはなるけれど今は詩能さんのお願いをきこう。


 「…………はふぅ」

 「落ち着いた?」

 「ん。補給出来た。割と行き詰まってたんだ。だから声が聞きたかったし……会いたかった」


 上目遣いで見たかと思えば目を逸らされる。詩能さんは恥ずかしくなるとそうやって普段合わせてくる目を合わせないのだ。それが愛おしく思う。


 「あ、ねぇ。詩能さ……詩能」

 「ふん? どうしたんだ?」

 「月末、空いてる?」


♦︎


[10月31日 詩能の家]


 詩能さんからは仮装した状態で家に来て欲しいとのことで家からこのままドラキュラの格好で来た。軽い仮装にしようと思ったけれど、詩能さんだけじゃなく、杏香や母さんたちが乗り気になって本格的なコスプレになった。メイクは杏香がやってくれて、服装は母さんが手ずから作った。久しぶりに僕からのお願いに舞い上がったんだろう。僕もまた心做しかわくわくしている。


 「とても似合ってるわね理和くん」

 「ありがとうございます詩織さん。でもその……付け牙がまだ慣れてなくて」


 少し喋りにくい。少しでも気を抜くとカチカチ歯が打ち合うのだ。


 「理和」


 そんな時、居間に詩能さんが入ってくる。


 「ど、どう……だろうか?」


 詩能さんは着物を着て恐らく髪の毛は付けているだろう。その見た目はまるで……。


 「……雪女?」

 「! そ、そう! そうなんだ! よく分かったな」

 「とてもよく似合ってる。なんというか服に着られてない……って言えばいいのかな。まるでずっと昔から着てるって感じで」

 「そうなんだ。この着物は私のでな。理和に見せるのは初めてだったな。でもそうか。似合ってる、か」


 嬉しげに破顔して袖で口許を隠す素振りをした。


 「これは反物から織ってもらったものなんだ。せっかくあるんだから使わねばと思ってな。雪女といえばこの白い着物だろう?」

 「うん。それと水色の帯がとても良いね」

 「ふふっ。ありがとう。理和もよく似合っているぞ。吸血鬼だろう?」

 「うん。そうなんだけど、この牙まだ慣れなくてさ」

 「おぉ……随分本格的だな」


 いーっと口を横にして付け牙を見せる。詩能さんは触っても良いかと見てくるので頷くと爪先でコツコツと牙に触れた。


 「仮装したいって言ったら母さんと杏香が盛り上がってさ。初めてこんなふうにコスプレっていうのしたよ」

 「…………吸われたいな」

 「へっ?」

 「あっ、いやなんでもない」


 いまなんか呟かれたようなと思ったけど気のせいだろう。


 「理和くんと詩能はこれからどこかに向かうの?」

 「あぁ、ただこの格好でぶらつこうって」

 「そうなのね。気をつけて行ってらっしゃい」

 『行ってきます』


 詩能さんはいつもより歩幅が小さめだった。それもそのはずで着物で制限されているから自然と歩幅も半分ほど少なかった。


 「合わせてもらってすまないな」

 「全然良いよ。僕は一緒にいれて良いから」

 「……そ、そういうとこだぞ」


 ぽすっと脇腹を小突かれる。ちょっと痛い。


 「そういえばお菓子はどうする?」

 「あるのかっ!?」

 「あるよ。はい」


 胸ポケットから小袋に入ったマシュマロを取り出す。


 「でも渡すのは良いけど何か言うことあるんじゃないかなー、なんて」

 「む。いじわるだぞー」


 ジト目で睨まれ、僕は笑いながら冗談だよと返してマシュマロの封を開ける。


 「口開けて」

 「あー」


 雛鳥のように口を開ける詩能さんの口の中にマシュマロをいれる。


 「ん、美味しい」

 「それはよかった」

 「私もお返ししなければな」

 「後でで良いよ」

 「なぁ。理和の家に行ったらダメ、か?」

 「えっ……う、うーん。どうだろ……えぇ」


 スマホが震え、見てみると杏香からのLIMEで母さんたちと今お出かけ中だから詩能さん連れ込んでも良いみたいな文言だった。待て。タイミングが良すぎないか? どこかで見てるなさては。と思いつつも、杏香の作ってくれた現状に僕は苦笑する。


 「どうかしたのか?」

 「杏香からLIME。詩能。お家、来る?」


 パァッと顔を輝かせる詩能さんは強く頷いた。


♦︎


[理和の家。自室]


 「そのままの格好でいいの? 着替えとか……」

 「私はこのままでも大丈夫。理和は着替えるのか?」

 「んー……今はいいかな。ネクタイ緩めるくらい、いや、この歯も取るかぁ。あーやっぱり無いほうがスッキリだね」


 付け牙を外してテーブルに置く。そんな時に呟きが聞こえた。


 「────────────……噛まれたかったな」

 「へっ? な、なんか言った?」

 「あっ! い、いやっ。な、なんでもないっ」


 気のせい、だろう。なるべく考えないようにしつつマントも背凭れにかけてから椅子に座る。


 「そういえば、あの時の答え言ってなかったよね」


 目に入ったヘッドセット。すでに決めていた答えを思い出す。詩能さんはなんのことか分かっていないのかきょとんとした目だった。僕は笑って見返す。


 「僕をきみのギルドに入れさせて欲しい」

 「──────っ!!!!!」


 詩能さんは驚きで体を固めた。数秒の沈黙の後、椅子に座った僕に飛び込んでくるのをあわてて支える。


 「う、詩」

 「よかった……! てっきり忘れられてると思ってた。でも、そうか……ふふっ。入ってくれるのか!?」

 「うん。もう今更だけどね。もっと一緒にいたい」

 「私もだ。な、なぁ。玲音に伝えていいか?」

 「良いよ。だけど取り敢えず……このままだときみが辛いと思うから一旦そっちに座ってくれると」

 「分かっ……!?」

 「あぶなっ!?」


 慌てて退いたからか、着物の裾を踏んでしまい、よろめく詩能さんの手を掴んで支えようとするが、身を乗り出しながら掴んだからかそのまま床に押し倒すような体勢になる。


 「大丈夫?」

 「ん、あ、あぁ。だいじょ……!」

 「ぁ……」


 真下に詩能さんの整った鼻梁があった。鼻先が重なる。すぐ目の前には大きく揺れる瞳。その目が柔らかく歪んだ。


 「実は、な。あの日お前からもらったリップをつけていたんだぞ」

 「………………」


 一瞬だけぷっくりとした唇に目が行った。この時気づいた。確かに詩能さんの唇は。


 「……今は、んだったか?」

 「ぇ? あ、……うん」


 優しい声音と笑みのまま頬に手を添えられる。そして目をゆっくりと閉じて呟いた。


 「────トリックオアトリート、理和」

 「……………っ!」


 その意味を僕は知っているから。けれど咄嗟のことで答えなんか出せるわけもなく、僕はまた詩能さんに唇を奪われた。詩能さんの唇の味はお菓子のように甘かった。

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