7.離れないで

♦︎


[理和の部屋]


 「出せるものがこれくらいしかなくてごめん」

 「ははっ、何。構わないさ。コレはお前が淹れてくれたのか?」

 「うん。豆からやったんだ。いつも深めにやるから濃いと思ったらこれ使って」

 「ありがとう理和」


 阿佐上さんを家に呼んだ。話をするためにはここが一番いいと思ったから。


 「ん、ちょっと苦いが……これはこれでアリだな」

 「そう? 口に合って良かった」

 「理和の部屋はなんというか……」

 「味気ないでしょ? 強いていうなら本があるだけだけど、上のは僕の本で下は杏香のなんだ」


 言葉を選んでいる阿佐上さんにバッサリ言う。


 「き、共同で使っていると?」


 僕の様子に少し驚きつつ言葉を続けた。けれど首を横に振る。


 「杏香の部屋には入りきらないから使わせてるだけ。……にはお似合いの部屋だよ」

 「それはちが……」

 「違わないよ。詩能さん。こうして呼んだのはきみに僕の過去を話すためだ。話し終わったあとはきみの好きにしていいよ」


 僕は一度だけ阿佐上さんに目を向けてからPCに顔を向ける。真っ暗な画面に生気の感じられない顔が映る。正直まだ怖い。両方の肘掛けに肘をおいて両手を強く握る。重苦しく口を開く。


♦︎


[理和の独白]


 僕の両親は頭のいいひとたちだった。父はその頭を利用して海外で弁護士をして、母はどこかの学校の教師をしているらしい。2人とも、良く分からない。知りたくもない。2人は……から。


 理由は多々あると思う。一つは年齢も一桁のころには数学を理解していたから。一つは人を観察してその人が何を考えているのか理解していたから。一つは少しやるだけでも結果を残せたから。まぁどれが正解かなんて今じゃ分からない。父さんたちは僕がやりたいと行ったことをやらせてくれた。それには感謝してる。とってもね。


 だけど小学生の6年。急に2人は僕から距離を置いた。理由は聞いてない。でも、距離を感じた。それに気付いたのは割と早かった。態度がよそよそしかったから。その頃から父さんたちは家に帰って来ることが少なくなった。最初は仕事が長引いて帰りが遅いだけなんだなんて思ってたよ。不思議だよね。捨てられたなんて分かってたのに、それを信じたくなかったんだ。


 それが決定的になったのは6年の秋の終わり。冬に差し掛かる頃かな。手紙を貰ったんだ。え? その手紙はどうしたのかって? うん。ここにあるよ。一度見て、なんて思ったからすぐしまったんだ。今のところ、こうして住めてるのは2人がお金を払ってくれてるんだろうね。それなら連絡の一つくらい寄越しても良かったのにね。自分からは探したりは……しなかったよ。


 距離を置かれたから僕から行くなんて避けられるに決まってる。けれど分かってる。分かってるんだ。帰る気配は二度と無いのは。この家は嫌いになりかけた。けれどそうならずに済んだのは杏香のおかげだ。もうその頃から笑えなくなった。笑うのをんだ。


 ねぇ、詩能さん。僕は何が出来ただろう。何をしないほうが良かっただろう。僕はどうして捨てられてしまったんだろう。

 

 けれどね、こんなふうに何度も思って何度も忘れようとした。気付けばその思考をしても見ないフリをし始めた。人と距離を作った。ひとりでいようとした。けれどひとりでいるなんてのは現実的に考えて杏香もいるんだから出来ない。こうなった僕の反対に杏香はあんなふうに明るくなったんだ。社交性はあっちの方が上だね。さすが僕の妹だ。

 っと、話が逸れたね。え、もっとそういうのも聞きたい? そうだなぁ……杏香って昔は今ほど天真爛漫じゃなかったんだ。中学の頃なんて若干大人しかったからね。あーうん。そうそう。玲音さんみたいな感じ。え、アレ仕事モードでオフは違うの? あー……うん。待って、確かになんかフランクな感じあったね。へぇ、そっちがオフなんだ。どっちも良いけど僕はそっちの方が良いな。あぁ、詩能さんも? 一緒だね。


 えーっと話を戻すとして、どこまで話したっけ。そう、人と距離を置いたってとこだね。ほら、僕の顔はこうでしょ? 喋らなくなったら途端に話しかけてくる人もいなくなったんだ。すごいよね人って。でもそんな中で唯一と言っていいのが斉藤くん。まぁ先に杏香が斉藤くんと話をしてたみたいだけどね。斉藤くんとの初会話なんて背中叩かれたんだよ。さすがにびっくりした。あれが杏香の言う、ってやつなんだろうね。


 どうしたの? あぁ、斉藤くん? うん、うん。あー、僕がストッパー役なんじゃないかって? それは……否定出来ないかな。だけど、基本僕はノーは言わないから斉藤くんは自制するね。そうだね。斉藤くんは先生に叱られてたりするね。あまり、それ以外の生活は楽しくはなかったけれど斉藤くんといる時はいつも新鮮で飽きなかったね。杏香も混ぜたら、それがより強く感じたよ。


 ざっくりと話したけれどこれが僕の過去だよ。僕は分かってるんだ。自分から目を背けたの。身近な人から距離を取られてそれ以来怖かったんだ僕。そこまで深い過去じゃないけど、これが真実。子供じみたことで何年も殻に籠った馬鹿な人間が、僕なのですよ。


×


[理和の過去を聞いた後]


 実は彼の過去はもしかしたらなんて考えていた。だって今も家に上がった時、靴が少なかった。どれもティーンズものしかなかったから。


 「理和は、それで良いの?」

 「…………そう、だねぇ。……分からないや」

 「どうして?」

 「今更会って何を言えば良いのか分からない。理由は……怖いから知りたくない」


 理和は椅子の上で両脚を軽く抱え始めた。確かに少しだけ幼い子供のように見えた。私はそんな理和のそばに向かう。


 「詩能さん?」


 テーブルにカップを起きつつ、彼を抱き締める。


 「理和。聞かせてくれてありがとう」

 「──────────、……うん」

 「さっき言ったな。好きにしていいと」

 「…………」


 理和は目を閉じていた。その表情からは薄らと諦観のようなものが見えた。


 「大丈夫。私はよ」

 「……ぇ?」

 「私はお前といるのが好きなんだ。だから離れない。私はお前の味方だ。どれだけ自分を嫌ったとしてもその代わりに私がお前を好きになる。全部を愛す。お前の苦しみを私にも背負わせてくれないだろうか」

 「────ぁ………………ん。ありがとう詩能さん」


 こうして間近で見て初めて気付いた。まっくろな目の奥に確かにある炎が。とても怖かっただろう。何よりも一歩踏み出すことがどれだけ怖いことだろう。きっと彼は、私が離れてしまってもいいと思っただろう。彼の反応から鑑みれば容易なことだ。


 「詩能さん。もう少し、こうしても?」

 「あぁ。好きなだけぎゅっとしよう」

 「……怖かった」

 「そうか」

 「それと同時にきみに離れられるのがとても辛かった。昨日はそんな悪夢を見てしまったんだ。僕のことを嫌いだって。詩能さん」

 「嫌いにならないよ。私がどれだけお前を想ってるか分かってるだろう?」

 「……とても大事にされてるな、くらいは」

 「むぅ、お前が聡いのか鈍感なのか良く分からん」

 「っ、はは。ごめんね。嘘だよ。ちゃんと分かってる」


 理和の方から体を擦り合わせてきた。その変化に内心とても嬉しかった。


 「分かってるんだ。この胸が温かくなる感覚。こうしていても焦がれていること。これをというんだよね? 詩能さんがもっと一緒にいたいって思う気持ちがようやく分かったよ」

 「そっか。じゃあ期間限定は終わりだな」

 「そうだね。終わりにしよう」

 「理和……」

 「待って」


 理和はサッと顔を上げて声を遮った。


 「僕から言わせて欲しい」

 「あ、あぁ」

 「……っすぅ、はぁ〜〜〜。ん、良し。詩能さん。付き合って欲しい。僕の隣にいてほしい」


 真っ直ぐな目だった。数多くの人から言い寄られたが、こんなにも嬉しいと思ったのは初めてだ。


 「うん。不束者だが、理和の彼女にして欲しい」


 理和のために理和に尽くしていきたい。覚悟しているんだぞ理和。私はしつこいからな。


♦︎


 初めて告白をした。かなり緊張したけれどそれを上回る幸福感があった。阿佐上さんとなら……僕は変われるだろう。


 「思えば、期間限定のカップルでも変わらずこんな距離だったな」

 「確かにそうだね」

 「嫌ではなかったか?」

 「全然。ねぇ詩能さん。付き合ったらすることって何?」

 「む、そういえばそうだったな。……あ」

 「?」


 何か思いついたのだろうか。阿佐上さんは思いついたとはいえ悩んでいた。


 「め、目。目を、閉じてくれるか?」

 「分かった。こうだね?」

 「あ、あぁ。それじゃあ、行くぞ」


 何をされるんだろう。今はそれだけが知りたい。


 ──────コンコンッ。


 「……っぅ!?」

 『ごめ〜んっ。開けていい〜?』


 部屋の外から杏香が声をかけてきた。ノックの音で阿佐上さんは肩をびくつかせてバッと離れた。


 「あー……? もしかしてお邪魔だった〜?」

 「ぃ、〜ぃいやっ。だ、大丈夫だ。な、なっ? 理和」

 「え……まぁ、うん。そういうことみたい。それでどうしたの?」

 「あっ! そうそう。かいちょーお借りしていい?」


 杏香はそう言って阿佐上さんの腕を抱いて部屋を出てった。


 「…………っはぁ〜。……良かった」


 ただ部屋の中で安堵の息を吐いた。



[杏香の部屋]


 「ここがわたしの部屋だよーかいちょー」

 「だいぶ……おとなしい部屋なんだな……?」

 「えっへへ〜。これでもまじめちゃんなのですよわたし」


 かいちょーとお兄ちゃん、雰囲気変わったかもな〜。特にお兄ちゃん。とっても柔らかくなって顔つきもだいぶ戻ってきた。


 「ねね、かいちょー。かいちょーのこと詩能さんって呼べばいい? それとも詩能ちゃん?」

 「ふーむ……私はそこら辺気にしないからなぁ……。お前の馴染む言い方でいいと思うぞ深神狩」

 「そっか。じゃあ詩能ちゃんで! それとわたしのことは杏香って呼んでよ」

 「そうか。ならそう呼ばせてもらおう」

 「うんうんっ」


 ベッド脇に畳んでいたローテーブルを取り出して床に置く。


 「ささ、お座りくだされー」

 「お言葉に甘えよう」


 対面で座り合う。かいちょー……詩能ちゃんは探るような目をした。分かってるよぅ。本題はこれからだよ。


 「お兄ちゃんから聞いたんだよね」

 「あぁ、聞いた。杏香。お前は」

 「なんとかしたかったんだよねー。あんなふうになってるとさ、見てられないんだ。だからなんとか自力で調べたんだ〜。まぁ、お母さんだけしか繋がってないけど。あ、これはお兄ちゃんにはオフレコね?」

 「それは、何故……」


 膝の上できゅっと握り拳を作りながら態度を崩さないようにしつつ答える。


 「お兄ちゃんってね、甘えん坊さんなの。自由研究とかでもね褒められたくてすごーいことしたりー。あ、あとあと、お兄ちゃんが小4のから辺りからかなー? 手料理を頑張り始めたの。お兄ちゃんの手料理とっても美味しいんだよ〜? いつか食べれるといいね」


 詩能ちゃんはわたしの態度に面食らってる感じだった。ま、しょーがないよね。わざとだもん。


 「だからねー……、」

 「……っ!?」




 「あの人たちはもっと苦しむべきだよ。お兄ちゃんを悲しませたんだもん。苦しめさせたんだもん。いつまでも子供に追い越されて絶対に乗り越えれない壁に四苦八苦すればいーんだよ。お兄ちゃんのこと嫌いになった人なんて、この世に要らないよね」


×


[同時刻、杏香の部屋]


 コロコロと表情が切り替わり、これでもかとマシンガンの如く言葉を発したのちに急に冷たい顔になった。そのあまりの豹変ぶりに息を呑む。


 「……お、お前は理和のことがそんなにも大好きなんだな」

 「あったりまえでしょ〜? 今じゃあたったひとりの家族なんだもん。わたしまで嫌いになったら正真正銘のひとりぼっちになっちゃうし」


 杏香は……恐らくどこまでいっても。


 「斉藤はどうなんだ?」

 「あ、創くん? だから好きだよ」


 ケロッとなんでもないようにさらりと言う杏香に薄寒さを覚えた。


 「……もし。もし、理和が親と話したいと言ったら?」

 「会わせるよ。向き合うって決めたんだもんねお兄ちゃん。お兄ちゃんの邪魔は絶対にしないよ。お兄ちゃんが幸せになるならどんなことだってするよ。もちろん、その逆でも」


 杏香は理和という存在に固執しているのだ。優先度が他の何物よりも優先されるほどに。


 「そうは言うが、自分の出来ない範囲も」

 「あははっ。わたしのこーゆーかんけー知ってるくせに〜」


 ハイライトの消えた目で笑われても怖いだけなのだが……。


 「今初めて敵に回したくないと思ったよ」

 「へへへ〜、これでもあの天才のお兄ちゃんの妹だからね〜。持てる武器は使いますとも〜」

 「良く、保たれるんだな。理和から聞いたぞ、前はここまで明るくなかったって」

 「あの時は練習中だったからさー。すーぐヘラっちゃうことあったしさ。でも今だとこんなふうにきゃぴきゃぴ出来るようになったの! すごいでしょ」

 「それは好かれるためにやったっていうことで良いのか?」

 「それもあるけどー。一番はお兄ちゃんのこと嫌いになりそうな人を見極めるためだねー。お兄ちゃんは自分からは行かないからさ。わたしが門番をしてるんです。その点から見れば創くんは絶対に嫌いにならないよ」


 安心だねなどと朗らかに笑う顔も声も嘘みたいに見える。


 「それとね〜。創くんはさ、良い人なんだよね。空気読んでくれるとことかちゃんとしててさ〜。だからこんなわたしのこと好きにならなくても良くない? だってわたしこんなんだよ? もっともっと良い女子いるでしょって」

 「そう、だろうか? 斉藤はお前だから惚れたのではないのか?」

 「んー、それあるだろうけど、普段見せてるのあれだよ? 多分、創くんが好きなのそっちじゃないかなーって思うなわたし。ま、どっちでもいいけどね〜。あ、別にわたしがキープしてるとかじゃないからね? ふつーに接して、ふつーにあっちが堕ちて、それからはずーっと片想いしてるかわいそうな先輩っ。それが創くん。わたしははやく諦めて欲しいんだけどね〜。いやはや、恋心は難解だね」


 杏香の本当の顔はどれなんだろうか。こうもコロコロと変わるとなるともはやそれが自然体に思えてくる。


 「……なぜその話を私にするんだ?」

 「んー、カンだけどぉ、これからもお兄ちゃんの隣にいてくれそーだから、かなっ? きっとわたしたちでも変えられるかもしれないけど、いちばんいいのは愛情を好きだって思える人から与えられたほうがいいだろーし。安心してよ詩能ちゃん。詩能ちゃんの恋も応援してるよーちゃんと。その代わり〜……お兄ちゃんを悲しませたら詩能ちゃんの人生狂わせてあげるから」


 脅迫だ。それも立派な。けれどとても言葉が重いものだ。きっと杏香は自分のすべてを賭けて理和を守ろうとしてるのだ。だからこんなふうに狂人でいようとする。私は唇をきゅっと引き結ぶ。


 「分かった。覚悟はすでにしているつもりだ」

 「あはっ、詩能ちゃんってばかっこい〜! その調子でお兄ちゃんと付き合ってってよ。あ、だけどあまり破廉恥なのはだめだからね〜? 多分お兄ちゃん耐性無いだろうし」


 もとよりするつもり無いのだが。


 「気をつけておこう」

 「んっ、それが聞けたから良しとしますかねー」


 改めて杏香は危うい子だ。こうも自ら性格を歪ませているとなるといつしか壊れそうだ。


 「あー、いまわたしのこと心配したでしょー」

 「なっ……!」

 「それくらい分かるよ〜。一体どれだけの人と仲良くなったと思ってるの〜? 心配しなくてもからさ。ほんとーは明るい性格だったのはお兄ちゃんの方。こんなふうになったのも、ぜーんぶあの人たちのせい。お兄ちゃんが赦したいならわたしは赦すけどー、まぁどーでもいいけどね。勝手に後悔して勝手に苦しんで勝手にしてればいいんだよあんな人たちは。それじゃ、はやくお兄ちゃんのとこに向かったほういいよー。にひひ、きっとこれからがたのしみになるねっ。詩能ちゃん」

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