晴男14歳 鈴10歳
「またこんな廃寺にいるー。」
静寂の中、少女の声が薄暗い寺の中に響き渡る。
放置されたままの仏像の前、一人の少年が目を閉じ手を合わせ続けている。
声が耳に入らないほど集中しているらしい。
「わっ!」
少女は近づき、少年の耳元で声をあげた。
「…。」
少年はゆっくりと目を開き、少女に目を向ける。
「鈴ちゃん。」
鈴と呼ばれた少女はニッコリと微笑む。
「晴ちゃん、毎日お参りしとるね。何がそんなに楽しいん?」
少年の名は、小田晴男。
高等小学校を卒業したばかりの14歳。
鈴は妹の同級生であり、小さな頃から近所に住んでいて幼馴染のように育ったもう一人の妹のような存在だ。
「鈴ちゃんのお父さんが安らかにお休みになられるように、毎日お祈りしてるんだよ。鈴ちゃんもどうぞ。」
晴男は隣に座るように促した。
廃寺となってはいるが掃除は行き届いていた。
毎日学校終わりに、晴男は一人でここを掃除していたからだ。
ここの和尚さんに小さな頃よく可愛がってもらっていた。
和尚さんが病で床に伏せってしまってからというもの、ここは誰の手も入らず荒れ果ててしまったが、晴男だけはここを大切に思い続けてきた。
「父ちゃんか…。」
鈴が晴男の隣にゆっくり座り込む。
「父ちゃん、どうかはやくお母さんを迎えに来てください。」
「鈴ちゃん!」
その言葉はさすがに晴男も聞き流せなかった。
バッと鈴を睨みつけるような形になってしまった。
「……。またおばさんにやられたの…?」
隣で手を合わせる鈴の左頬が腫れ上がっていることに気づく。
鈴は頷いた。
原田鈴。
晴男とは歳が4つ離れている。
いつも元気いっぱいでよく笑っているが、母親からよく暴力を振るわれていた。
父親の戦死がわかってから余計にひどくなっていた。
鈴が母親の迎えを望む理由はここにある。
「外で見せて。口切ったりしてない?」
晴男は立ち上がり、鈴の手を引く。
冷たい手。
ずっと水仕事をさせられていたのだろう。
鈴は優しい晴男のことがずっと大好きだった。
いや、優しい晴男になったのは鈴の父親の死亡が発覚してからだ。
それまでは、憎まれ口ばかり叩いてくるヤンチャなお兄ちゃんだった。
その頃からだ。
「また逃げ出してきたの?一緒に帰ろうか。」
一通り鈴の顔に深い傷がないか確認した後、晴男は鈴の手をギュッと握りしめ、鈴の自宅に向けて足を進めた。
地主の家系の自分と一緒なら鈴が怒られることはないからだ。
晴男の暖かく大きな手に、鈴は安心感を覚える。
一時だ。
晴男はもう立派な日本男児なのだ。
人前でこのような姿を見せる訳にはいかない。
この束の間。
山を降りるまで。
ほんの一時が、鈴の心を癒やし幸せで満たしていた。
山の上にある廃寺から、ゆっくり階段を降りていく。
二人の目の前に絶景が広がる。
「見て、晴ちゃん!綺麗!」
茜色に染まる空。
燃えるような夕日。
赤く染められた平和な村。
自分達の住む村。
草木の匂い。
頬を撫でる風。
この一瞬だけが切り取られたように二人の心に鮮明に焼き付いた。
「俺、この村が好きだ。皆が大好きだ。」
晴男が呟いた。
晴男は、村を守りたいからと軍人を目指したらしい鈴の父を想っていた。
カッコよくて穏やかで…地主の息子である晴男を決して特別扱いしなかった人。
「鈴ちゃん。鈴ちゃんのお父さんはきっとこの空から見守ってくれてるよ。だからなにかあったら空を見上げるんだよ。鈴ちゃんは絶対一人じゃないから。」
そう言って握った手に力がこもる。
「鈴には弟がいる。さっちゃんもいる。それに…晴ちゃんもいるから1人だと思わないよ。」
鈴が笑う。
夕日に染められ二重に赤くなる顔。
「そうだね。妹や俺がいる。俺が鈴ちゃんを守るから。」
そう言って晴男は夕日から顔をそらす。
サラリと口から出た言葉に、無性に恥ずかしくなった。
深い意味はない。
はずだった。
「うん。」
鈴は笑顔のままだった。
二人は幸せだった。
冷え切った冷たい手。
燃えるような夕焼け。
高鳴る鼓動。
二人は今日という日を絶対に忘れないだろうと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます