⑭ 被造子だけに許された世界とそれ故の混濁





 ばちんっ!


「うあっ!・・・あぁ、えと、何? あ、じゃないや、えとみんな無事?」


 スカウターを引っぺがされた吉平を覗き込むのは仁帆と日尾と台田。


 どうやら夢でも見ていたのかもしれない。


「フロア」に潜入していろいろあったのは憶えていたものの、先細りするように後半がおぼろげだった。


「無事? じゃないよ吉平っ! あんたあたいらが起きるまでずっとうなされてたからどーなっちゃったのかって心配してたんだよっ?


 まーあたいも寝ながら接続してたみたいだけどねえ、はっはっは。」


 どうやらみんなどこかのタイミングで「フロア」の錯誤暗示から解放され、スカウターを外して待っていたようだ。


 とにかくみんな無事でいたことは朗報だし、起きない自分を案じてくれたのはうれしかったのだが・・・


「キ、ペ?・・・あ、いやいや、それよりどうでした? 僕、なんかあんまり憶えてないみたいなんですよ。あ日尾さんは憶えてます?」


 失態といえば失態だった。これだけ大仰なスパイ大作戦を敢行しておきながら収穫がうろおぼえでは収支が合わない。


「たははは、だから名前呼ぶのにいちいち「あ」って付けるなよ。まぁ「A・日尾」ってんならスパイっぽいからワカるが・・・


 はー。残念ながらおれも序盤しか憶えてねーんだ。だがま、本部で退行催眠でも施しゃ出てくる情報もあるだろ。


 それよか吉平、どーやら年貢を納めるかどーかってハナシになってるぜ。見てみな、わざわざ警戒アラームも鳴らさないで警備会社に通報が行ってるみたいなんだよ。


 けけ、こっからは力技の出番ってトコだな。」


 なにか、どこか違和感を覚えながらも台田が開いたページの広角映写に目を向ける。

 そこには数分前に契約警備会社へ通達された通報記録が表示されていた。


「一応もう「これは誤報だ」と更新して通達しておいたがなや、カンのいい会社ならこれが塗り替えだとバレてしまうし、堅実な会社なら確認要員くらいは出してくるだろうなぃ。


 接続者記録の差し替えは後でもできるからとにかく今は逃げるんだにっ!」


 そんなふわふわした感覚も現実の危機が直面すれば吹っ飛ぶものだ。


「だってさ。いくよっ、吉平っ!」


 そうして四人は地下5階の研究室を抜け、最速でこの場を逃れられる場所まで来たものの。


「ちぇいっ! やっぱエレベーターはダメだったみたいだねっ! さぁどーする?

 安全コースならこっちの階段上った共有エリアだよ。ただ、使えるかわかんないあっちの非常階段は地上まで一直線。さーて。どうしよっか?」


 とにかく急げと向かったエレベーターは強制停止されていた。

 となればもう自力での突破しかない。


「よし、なら行こう! 安全コースでっ! いまは無事にここを出られる道を選ぼうっ!」


 そう切り出す吉平に従い、四人は地下5階エレベーター搭乗口から共有エリアの非常階段へ。

 迫力ある声でなくとも、吉平のそれにはいつもきりんと光る希望が見える。


 だから。


「とりあえずさっき入退設定はやっといたに。おふおふおふ、まさかこのツギハギスパイのチームリーダーが孫のにーさんになるとは思わなかったがなや。」


 信じられる。


「けっけっけ。だからおもしれぇーのよ場当たり人生の出たトコ勝負ってのはよっ!」


 といってそれもリーダーが皆を思って「進む」と決断できる者だからだ。

 投げやりでも人任せでもない決意は自信を呼び覚まし信頼を引き寄せることができる。


 それを人は先導者と呼ぶのだろう。


「ふふふ、安心するなぁ。さてと、あとは常駐警備員さんへの対応だけ、ってこ・・と・・・」


 高揚する胸。

 ハイになる頭。

 それとも緊張からくる疲労。


 理由が判然としない中、ツンと締め付ける「何か」に一瞬、意識を奪われる。


「おい大丈夫か吉平っ! おれは戦闘員にもならなきゃなんねーから背負っていけねーぞっ! 気をしっかり持てっ! 仁帆や台田さんに負担なんざ掛けんじゃねーぞっ!」


 そうだ。

 ここで気を失ったら拓かれゆく道も正しい速度で通過できない。


「ふふ、気合いが入りましたよ。大丈夫。・・・大、丈夫だか、ら。」


 そう改めて作戦続行の意思を示すも、体ではなく頭の、

 というより心の不調が吉平の何かを淀ませる。


「ちょ、やっぱ大丈夫ってこたないんじゃないのかい吉平っ?」


 これほど集中しなければならない事態で気掛かりなどあるはずもないのに、ないのに、体を止めてしまうほどのがあった。


「う、く。・・・平気。ごめんね心配させちゃって。」


 あの「世界」から帰ってきて以降、確実に何かのリズムを狂わされているような。


「・・・よしっ! 台田のおばちゃんっ、ココはスルーでいけるぞっ!」


 ひとまず退路のセキュリティチェックに手間は取られずに済んだようだ。


「なら後はどれだけ上に昇れるかだけなんだにっ!」


 となれば共有エリアから地下3階へひた走る四人の最後の不安は警備員の数だけ。


「きひひ。そこはほれ、あんたの出番じゃないのさロリコン大魔王。」


 そうして日尾に咬みつき平静を装うも、降りてくる複数の足音は聞こえていた。


「・・・うん。正念場だね。台田さんと仁帆は下がってて。

 僕に何ができるわけじゃないけど、日尾さんのやり方に従って事を鎮めなきゃ。」


 吉平たちは響かぬよう足音を忍ばせて上っていたものの、上る者と下る者があれば鉢合うのが宿命。こればかりは電脳領域も手助けは叶わなかった。


「おふおふおふ。ますます気に入ったんだなぃ。

 この台田、いや、いっそアイーダのようにダイーダとでも名乗ろうかに、このあたしを保護下に回すとは男だなや。


 だが孫にーさん、安心するといーに。あたしはこれでもスパイでメシを食ってる身。日尾のダンナとは違う形で逃げる術は持ってるんだなや。


 ・・・・さて。まずはええと、こんなんでも持っておくと使いようによっては使えるんだに。」


 たぶん四次元ポケットを持っている類のロボットと体型が似ているからだろう、台田は胸、太もも、お尻、なぜか背中、そして頭髪から工具と名の付く道具を片っ端から取り出して広げる。


「なん・・・もう異次元じゃないかおばちゃん。スパナとか四つ目錐とかは分かるけどあんたジャッキなんてドコにどーやって隠し持ってたんだい? ちょっとした筋トレじゃないのさっ1」


 その疑問にはアレだが、やはりスパイを稼業にしている台田なので万が一の「アレがあればよかった」を避けるべく備えられた装備はもはや万全としか評しようがない。


「あ、じゃあ僕この手槌・・・・・・・手、槌・・・?」


 手に取ったのは何の飾りもないトンカチだったのに。


「おん? なんだ、おまえさんの地元じゃトンカチのこと「手槌」って呼ぶのか? まぁいいや、おれはこの小刀もらっておくか。


 ・・・・いやいやいや、だから殺傷目的じゃねぇっての! 相手は警備員だから防具つけてんだろ? その留具切ったりまぁ首根につけりゃ脅しにもなるかなって


 ・・・なんだこの信用の欠落っぷりは。おれ別に殺人鬼じゃねーぞっ?」


 叩いて押し込めるT字の工具は材質や形状によって木槌、カナヅチ、玄能、ハンマーの呼称で知られている。


 日尾をはじめ、「手槌」という名称に違和感を持たない者はいなかった。

 そう発した吉平自身ですら初耳なのだから。



 しかしそこへ。



 どたどたどたどたっ!


「なんだい今のっ! 下の踊り場っ? じゃなくて共有エリアっ?」


 自分たちの他にも侵入者がいたのか、それとも逆手を衝いて使用可能にしたエレベーターで降りた警備員の一部が昇ってきたのか。 


 どちらにしても分が悪い。だがどちらにしても大人数ではない。

 しかし最悪の顛末「警備員による挟み打ち」を懸念するなら。


「手近な危機から片付けるのが正攻法ってモンなんだにっ! ちょいと戻るけど階下の方から処理しないと後で影踏まれる気がするんだなやっ!」


 音は近かった。

 下りてくる警備員とやり合うにおいて細い階段は囲まれないぶん利がある闘いにもなる。

 しかし全員が日尾のような戦闘要員ではない一味にとって後ろを取られれば勝機は皆無により迫ってしまう。


 二度手間でもここは台田の言うとおり懸案事項を処理してからでなければ後々面倒が背中に貼りつく事態となる。


「あ、なら僕が行ってきますっ! 大丈夫、手槌・・トンカチがあるから。」


 そこで先遣に仁帆や台田は向かわせられない、と吉平が動く。


「ちょ、吉平っ!」

「大丈夫っ!」


 引き返す道のりは長くなくとも、焦りと恐怖が体感時間を引き延ばしてゆく。

 率直に言って何ひとつ大丈夫ではなかった。


 それでも。


「まだ・・・まだ何も秘密を掴めてないってのにっ!」


 ひとり先に走る吉平は歯噛みする思いを漏らしながらもそして、


「誰だっ!」


 地下3-4F共有エリアの扉を開く。


「あ・・・ててて。・・・ほん?


 う、うあっ! ちぺぇっ! やっと会えたよちぺぇぇぇっ!」


 そんなこちらの引き千切れそうな緊張の糸も介さず十四、五の娘が突然抱きついてくる。


「うあああっ! え? え? あの・・・えと、どういうこと?」


 求めていた感動の対面でないため吉平から手を回すことはなかったが、敵たりえないその少女からはこの現状を一蹴するような何か、たとえば懐かしさのようなものが感ぜられて判断が鈍る。


「あん? このアタイを忘れたってのかこの三下ちぺぇぇっ!

 確かにちょっと体が大きくなって色っぽくなってクラクラきてるのはまぁ仕方がないというかアタイとちぺのアレだからまぁそのダメとは言わないがこらっ!


 そーゆー話じゃないだろがっ! アンタこんなトコで何やって・・・


 ほん? アンタ、ちぺじゃないのか?」


 もう最後の問いの部分がかすれてしまうほどにバンバン畳み掛けてくる子だから吉平もまずは放たれた言葉の収集と解析に手こずってしまう。


 ・・・相手が、だが。


「きみは・・・誰? 何?

 なんで・・・「アトロポス」で観た「ヒト」みたいなきみが・・・


 あっ! 仁帆っ? これ見てよっ!」


 そこへ追いついた仁帆たち三人が共有エリアへ滑り込む。


「・・・。ナニを、見ればいいんだい? 吉平?」


 見てよ!と示したのはまだ年端もいかない少女に抱きつかれながらも落っこちないように手を差し伸べている吉平の図。


 浮気相手がぐぅの音も出ない美女であれば身を翻すも選択肢とはいえ、寝不足のアンパイヤでもストライクを声高に叫ぶ犯罪レベルではもう閉口するより仕方がない。


「おまえさん・・・まさか。・・・そうか。ロリはもはや世界のスタンダードになりつつあるってことかっ!」


 見ちゃいけないかな、と思いながらもやや自分寄りの部下を見つけてしまったものだから批判するより取り込みたいなと下心を覗かせるのが日尾。


「おうふっ! 隠し子または生き別れの妹との再会なのかなやっ? これが太朗氏の思し召しなら感動ドキュメント大賞が狙えるにっ!」


 素敵な偶然を装った随喜の涙必須のドキュメント映画「こんな時にそんなバカな」の上映をしたたかに目論む台田だったが前方にそびえる黒い山のような炎に、あ、これはなんか違うな、と企画の終焉を見たそうな。


「へっ? あ、ちが、仁帆っ! えとこれは、えと、あの、きみもいつまでこんな・・・・

 ちがっ! 仁帆ぉっ! 違うんだぁぁぁぁっ!」


 そんな小さなドロボウ猫はそのままに、ダッシュによる加速、限界まで反らせねじった背中と腕が放つバネの力により


「このあたい相手に浮気が許されると思うな吉平ぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 最大出力の右ストレートが守る術もない吉平の顔面に打ち鳴らされる。


「うあぁぁぁぁぁっ・・・警備員は任せたよ仁帆ぉぉぉっ・・・」


 これからダウンすること、そして誰かをダウンさせることができる仁帆のいる現実に、戦線離脱のいわば「早退」を見込んで吉平は倒れる。


 だがまぁそれも束の間。気を失った次の瞬間には例の犬っぽい女の子が真空飛びヒザ蹴りを垂直にやってのけてくれたものだから「ただいま」もなく帰ってきてしまう。


「おー、寝て起きて忙しいな吉平。

 ・・・まーそれはそれでいーんだがよ、問題はお譲ちゃんだ。どっから出てきた? まさかこんな子どもが出入りできる隙なんてイマドキねーだろ?」


 どうやら同業者でも警備員でもないことはわかった。

 しかしそれは「何かがわかった」と言える状況でもない。


「なんだアンタらはぁっ! それにどこだココはぁっ!

 あれ・・・・オカ、シラ・・? 

 でもないのかっ! なんなんだコレはっ! 説明しろちぺっ!」


 といってこの降って湧いた犬少女も事情が吞めていないようなので見事めでたく全員五里霧中となる。


「・・・その犬っぽい嬢ちゃんも気になるがなや・・・もう、やるしかないみたいだに。」


 吉平たちが比較的楽しくやっていた間も警備員たちは地階への前進をやめなかった。

 当然この共有エリアに着いてしまうのも時間の問題だ。


「うぐ、おぉ・・・よし。ちょっと待っててね。僕らはこれからやらなきゃならないことがあるんだ。きみはどこかに身を隠していて。

 ・・・今は、言うことをきいて。いいね?」


 少女を背にして毅然と放つ青年はカッコよかったものの、戦闘前夜の顔はすでに腫れ上がっていた。

 理由については聞かないでいただきたい。


「きしし、やっぱ吉平だーね。この子はどーやら迷い込んできただけみたいだよっ! 

 ならあたいらオトナが守んないでどーすんのさこんにゃろうっ! 


 さ、ちょっと隠れてな犬っ子。あたいの吉平に惚れたのはアレだが見る目はあるんだ。

 ・・・その異形はどう考えたってこの研究の異質を疑わせちまう。


 あたいら以外に見つかったら自由はないと思いなっ! そしてあたいら以外が信用できるなんて思うんじゃないよっ!」


 けけけっとやってウィンクをひとつ。

 どこか「オカシラ」とは異なる仁帆に、しかし犬娘はあたたかなものを感じる。


「さ、時間だぜ吉平っ!

 いーか、警備員なんてのぁガタイだけが取り柄なんだ。武術に長けてるワケじゃない。警棒と防具を剥いじまえばハッタリしか残りゃしねーのよ。


 首絞めてオトすのがイヤならみぞおちを押し上げろ。殴られても蹴られても引っ付いて離れるなっ! それで上手くいけば気絶させられるっ!」


 道具の扱いに慣れていない者では力の加減もままならないだろう、そう思う日尾はあえて吉平が握りしめるトンカチの使用を求めなかった。


「あ・・・はいっ!」


 それでもどこかそうすることが、さっき手にしたばかりのトンカチを握ることが落ち着かせるのかもしれない。吉平はぎゅっと口を結びながらも手放すことはなかった。


 そして。 


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