⑫ 電脳領域と仮構帯
そして四人は、金色の世界に立つ。
四人が、四人の姿のままで。
「・・・あれ? あれっ? こ・・・どういうこと? どうなってるの?」
感覚もある。
「あたいも詳しかないけど・・・こりゃあ。」
会話もまるでその金色の世界で実際に交わしているような感触だ。
「なんだこりゃ・・・スカウター付けてるおれを・・・知覚できねーじゃねーか。」
だからなのか、現実の方の自分を、果たして今「自分の意思」で動かせているかどうかさえ怪しくなる。
「やられたに。・・・えと、簡単に言うと今はここから出られないんだなや。
スカウターでコネクトするからには監視モニターみたいな虹彩認証は危機感を持って対処すべきなのだがに、完全に目と耳を守る形でスカウターを外さないと・・・
こういう「錯誤暗示」をストライクで受けてしまうんだなや。」
スカウターでコネクトするからには監視モニターみたいな虹彩認証は危機感を持って対処すべきなのだがに、完全に目と耳を守る形でスカウターを外さないと・・・
こういう「錯誤暗示」をストライクで受けてしまうんだなや。」
画面から距離の置ける旧式のコンピュータと違って、機動性に優れたスカウターはその分だけ人の五感の大半を占める目と耳に密着する形状になっている。
外してしまえばどうとでもなる「錯誤暗示」とはいえ、言うに及ばず暗示である以上、忍び寄る形で感覚器官から直接脳へと錯誤させる周波、写像を送りつけることができた。
また暗示や錯覚は情報伝達の欠陥やその補完により生まれる抗いがたい現象であるため、トレーニングを積むなり心構えをしておかなければ全人類的に服従させられる宿命とも云える。
つまり、鉛筆の真ん中を持って揺らすと「曲がって見える」現象が「残像がそう見せているのだ」と頭でどれだけ冷静に反駁しようとも「曲がって見える」ことが翻らないように、「仮象体ではなく自分がそこにいる」という認識は「現実の自分が地下5階フロアにいる」という真実を覆い隠してしまうほどの誤認を引き起こせた。
それは夢の中でスカウターを外すことと、それを寝ている自分が実行できるということが必ずしもリンクしないように、この仮構帯の中から「現実の自分」を動かすことがとてつもなく困難であることを示唆している。
「ってこたーナニかいっ? あたいらはスカウター外すこともできないまんまココに閉じ込められたってことかいっ!」
腕を動かせば動く。ただし、それは仮象体としての自分が反応するだけだ。
「ったくよー。本気でこんなの使いこなせる世の中になったら洗脳だのマインドコントロールだのってのが可愛く見えてきちまうぞ?」
時間の推移から何から現実世界とはまるで勝手が違う。
現実の自分がスカウターを外さなければ抜け出せないにもかかわらず、この電脳世界に集中して耳目を開いておかなければ次に何が起こるか、その判断さえままならない。
言ってしまえば感覚を閉ざすことが許されない状況下で否応なく「錯誤暗示」を受け入れるしかないのだ。
そしてここで過ごした時間が現実世界と同じでなければ、敵は「永遠」とも呼べてしまえる。
「理論上は不可能じゃなかった配備機能なんだがに、まさかここまで完璧なモノが開発されていたとは・・・すまないに。あたしがいながら無様な失態で巻き込んでしまったんだなや。」
本来「理論的にできる」ものなら誰かが成し遂げていてもおかしくはない。
「かまいませんよ、台田さん。だってココは導かれた領域なんですから。
導くには理由があって、そして目的がある。
ただ僕らを閉じ込めたいだけならこんな大袈裟なことをしなくても済んだはずです。
でも大掛かりなのはその先に連れていきたい「何か」があって、それを手渡したあと現実に戻らせるつもりなんだ、って思うんです。
僕はこのまま付き従っていいと思います。それが求められたことであって、僕らの求めた答えなんですから。」
不慮の失敗や予想外の顛末に戸惑うとまず保身を考える。
しかし決意と覚悟を持つ者は、すでに保身を捨てている。
守るを捨て、得るを選ぶ者に元より迷いもうろたえもありはしない。
単細胞並みの頭と心は、だからこそこういった窮地を窮地と識別しない。
そこへ。
「・・・接続者ニ告グ。我ハ、オシアン。コノ時ヨリ「オシアンプログラム」ヲ開始スル。」
なんだ?と目をやると先のファントム、魔法使い風の仮象体がこちらに向き直り言葉を発していた。
「けけけ、どーやらおもしれー幕が上がりそうじゃねぇか。吉平っ! おれはおまえさんに賭けるぜっ!」
吉平の、ある種正論の、ある種諦観の言葉に吹っ切れたのだろう。
日尾はいつものふてぶてしいスタンスを取り戻したようだ。
「確かになや。ここまで小細工が多いってことは相応の報酬がこの先に見込めるってことだに。あたしも孫のにーさんは信じるなぃ。」
いま必要なのは連帯。そして信頼。
欲も益もなくただ付託された役割をまっとうする吉平に、もはや難クセをつける方がずっと不正義だった。
「さっすがあたいの吉平だにゃんっ!
・・・・うお、いや、吉平はほらその、そういうところが・・・・あれだよ。うん。」
仮象体だからなのか、やや積極的になる仁帆。
だがここまで来ると吉平という不思議な存在に心惹かれた仁帆の気持ちもわかるのだろう、日尾と台田はあっちを向いて手を取り合う二人をそっとしておいたそうな。
「ふふ、ありがとうね仁帆。
でも・・・オシアン、きみは何を求めているの? 何を託されているの?」
プログラムとは往々にして寄り道も選択もない順路でできている。たとえ枝分かれの進展を見せたとしてもそれはあらかじめ備え付けられた舗装路にすぎない。
しかしどうやらこのオシアンプログラムは「質問」に対して情報を検索し「回答」を引き出す機能が書き込まれているらしく、
「・・・。理解ヲ促ス道程ヲ示ス。」
ちゃんと答えてくれる。
だから。
「おんにゃーっ! 自動解析検索仕様まで組まれてるってどんだけ電力使えば気が済むんだなやっ! サウスバーストのこの時期は夜間電力の供給に規制が掛かってるってのにこんなじゃそのうち電源が落ちてしまうんだにっ!」
世界地図が描き変えられた十数年前から法の規制及び供給側の締め付けは産業を逼迫させるほど厳しくなっていた。
電力需要分散に転じて夜間操業に主軸をシフトする中小零細企業が今では当たり前になっているため、昼間の勤務をメインにしているこの会社ではそもそも夜の供給が限られているのだ。といってその辺りの契約をいじくろうものなら警報解除やら何やらと煩雑な手続きをこなさなければならず、とてもじゃないが手持ちの道具と時間だけで対処できる話ではなかった。
「電力ナラ、イナズマ回路ヲ駆動サセテイル。オシアンプログラムノ開始トトモニ発動サセナケレバ「ファタエシステム」ガ開ケナイ。」
もう質問とかしてないのに答えてくれる。
親切なのだ。オシアンは。
「はん? テイフォ回路のことかい?
・・・・んなぁっ! アレだっ! 共同研究室の紫のアレだっ! なんだよ、もう実用段階までいってたのかい。
あ、えと。あーもー面倒だねえ、とりあえず電力の心配はないよ。
理論通りなら安定した発電と超・低ロス配線で高効率の運用が可能なはずだからね。大方、常温超電導体の開発も終えてるんだろーさ。・・・あ、バファ鉄がそうだったか。
とにかく! このままなら外部供給の異常需要から探知されることもないし、テイフォ回路の無許可下起動も通達は明日の出勤者に届くだけだからね。」
光と空気を燃料に音波で内包生命体へ働きかけるのが〔コア〕。そして反応した溶液の励起により電気を作り出す発電機関が「テイフォ回路」となる。
また、熱ロスを含む消耗を排した常温超電導物質でもある「バファ鉄」が配電線に使われているからこそ発電量が少なくともこのくらいのプログラム駆動は賄えるらしい。
「なるほどな。よく分からんが、よくわかったぞ日干し出っ歯。
さてと。しかし気になることを言ってくれるなオシアン。ファタエシステムはセキュリティじゃないのか? なぜいま展開する必要がある?」
日干しってなんだ、レンガじゃないぞ!と日尾は仁帆に噛みつかれる。あ、僕も噛みついてもらいたいな、などと思っている者が一名ほどいるがそんなものは割愛だ。
「コレヨリ開示スル「アンローグ」ノ稼働ノタメ、製作サレタ機構ガ「ファタエシステム」ダ。
・・・デハ、発動サセル。」
「ねぇ仁帆、僕のことも噛んでよ」と「え、だって、でも・・・じゃあ一回だけだぞ」と、「おまえさんらのこれからがまるで読めねぇな」がそこら辺でゴチャゴチャやっている間にオシアンは一冊の本を何もない世界から取り出しこちらへ手渡す。
ただ、受け取ったのが台田というのはまぁ仕方のないことだと思ってもらいたい。
「・・・役回りってモンを痛感するに。で、これを? 開けばいいのかに?
ふもっ!
こ、これは・・・だから「ファタエ」なのかなや。
・・・あの、そろそろコッチに興味を示してくれないかに? あたし一人で驚いててもなんかこう、びっくり加減が風前の灯し火みたいになっちゃってるんだなぃ。」
え?あ、じゃあ僕も驚きます、みたいにして吉平が寄ってくると残りの二人も渋々ついてくる。
もうやる気のない人は帰ってもらいたい。
「ふげ? なんだいこりゃ、なんてーのか・・・こんなモンがあるのかい。」
分厚いその本「アンローグ」の中に、しかし書き込まれていた項目はただの三つ。
「どーいう意味だこりゃ?・・・ってかコレまるごと持って帰りたいんだが、ダメだろな。」
意味が分からないからとりあえず持って帰って後で調べようかなぁと調子のいいことを考えている日尾。
書かれた本も仮初めの「データ」でしかないため物理的に不可能となる。
「・・・「クロト」「ラケシス」「アトロポス」?
・・・「黒虎消しっス、あとロボっス」か・・・
なんだろう、この腰の低い感じが妙に好感を覚えるなぁ・・・痛てっ!」
逃げ延びて逃げ延びて現実から全力疾走していった吉平に天誅が下る。
下したのは仁帆だ。
「運命のハナシなんだなや。
紡ぐ「クロト」、割り当てる「ラケシス」、不可避を司る「アドロポス」、光り輝く「台田」・・・・。
光り輝く「台田」っ!・・・・・・うん。もう、いいに。
まぁ話を戻してこの三者を「過去」「現在」「未来」と解釈するのがおそらくは妥当なんだなぃ。ただこれが何の時間軸を示しているのかはよく分からないなや。」
一般に知られるようになった「ファタエセキュリティ」はこの本家のいわば廉価版みたようなものだ。
時間経過によりパスワードが変容するあたりに「ファタエ」をかこつけたのが由来なのだろうが、本来のシステムはまるで別の展望を孕んでいた。
「選択セヨ。アンローグハ開示サレタノダ。」
台田の投げかけには明確に答えず、オシアンはそれだけを告げる。
「ありきたりに考えりゃ「クロト」から閲覧すんのが順序だがよ、「選択しろ」ってことはやっぱアレか? 選べるのは一コだけってことなのか?」
やはりそれにもオシアンは答えず、輝き始めた三つの文字の選択を待つだけだ。
「だろーに。「クロト」を選べば基礎や基盤が読み解けて、システムそのものの解析ができるようになって以下の二つも自力で作成できなくもないかもだなぃ。」
事の始まり、開闢の根本を紐解けばそこから「ラケシス」「アトロポス」も導けるかもしれない。とはいえやはりそれは生半な道のりではないだろう。
「太朗のじーさんがやってた研究についてだったらあたいらは既に大雑把なトコまでわかってる。
詳しく知りたいなら「クロト」だろうけど、現段階、要は何がいま実用可能でどこまでが近い将来に実現可能なのかを知りたきゃ「ラケシス」を求めるべきだーね。
遠い未来・「アトロポス」ってのは言っちまえば「できるかもしれないけど今は無理」って話なんだ、スパイなら新鮮で今を生きてる連中が飛びつきそうなモンを選ぶのが順当なんじゃないかい?」
出来上がっているもの、出来上がりそうなものこそ「情報としての鮮度」が最も高く、高値での取引を可能とさせるだろう。
でも。
「でも、僕らが手を伸ばすべきは根源より現状より、その目的だと思います。
目標としている顛末こそが僕に知らせたかったおじいさんの意思だと思うんです。
・・・ごめんなさい日尾さん、台田さん。本当は仁帆の言うとおり「ラケシス」を選んだ方が二人にとって望ましいっていうのは分かるんですけど。
でも、ここへ導かれたのはあくまで僕で、その背後にはおじいさんの意図があるから。
ふふ、でもおじいさんもこうして僕の他に仲間が一緒に来るなんて想像できなかったでしょうね。」
1階からのセルフメモリでの侵入だと、今いるオシアンを仮象体として吉平一人だけが「フロア」を展開し先に進むことができた。
だが本拠地である地下5階の研究室から直接コンタクトすれば、そして同時に歩調を合わせればこうして予想もしていなかった協力者が併存することも叶う。
「けっけっけ、かまわねぇって吉平。さっき言ったろ。おれはおまえさんに賭けてんだ。
収集した資料やら情報やらは懐にしまわせてもらうがよ、決断はおまえさんがやれ。
手に入るモンがつまんなくってもショボくっても文句はねぇぜ。」
それは諦めではなく、ひとつの期待だった。
この先にあるのは実利・実益に勝る、「好奇心」という財宝なのだから。
「あたしも同感だに。・・・正直、楽しいんだなや。今この時もだけどなぃ、これからのすべてが楽しみで仕方ないんだに。だから任せるなや。」
オロオロしてるような、緊張感が欠落しているような、頼りなさが特盛のような吉平なのに決然と「未来」を選ぶ姿には心動かされるものがあった。
根をきちんと下して立つ樹木とは、たとえ細くとも成長が遅くとも枯れることなく天を目指し続けることができる。
根無し草の台田にはそれが少し妬ける憧れに映ったのだろう。
「きひひ、無難な道ばっか選ぶようならあたいが惚れたりするもんかい。
さ、吉平。選んじまいな。あたいはどこまでだってついてくからさ。」
もちろん「クロト」「ラケシス」「アトロポス」のどれを選んでも間違いはないし、得られるものは小さくない。
ただ、どれを選ぶのかで吉平の値打ちは決まる。
「サア、選択セヨ。」
あ、けっこう悩んじゃってるな、と思ったのか気を遣って催促する。
お節介なのだ。オシアンは。
「うん。・・・じゃ、「アトロポス」をお願いしますっ!」
そして「アトロポス」の文字に手を当てると
「ほぎゃあっ! なんだにっ!」
放たれる強い光に
「富子っ! あっ、関係ないかっ!」
包み込む白に
「うにゃあっ! 夕飯食べてくればよかったよっ!」
すべてが蝕まれて
「うっ!・・・残業手当・・・付くかな。」
静寂へと四人をいざなう。
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