⑪ 茶番と展開
「・・・。で、来てみたはいいけどねえ。まさかあたいがここまで下っ端だったとは。」
エレベーターで最下層5階へ降りるには特殊承認手続きが必要なので3-4階の共有エリアからパスで降りようと思っていたものの。
「仁帆、おまえさんよぉなんだコレ? 共有エリアに行くのに「ファタエシステム」ってハードル高過ぎじゃねーか? 管理職用のIDとか持ってねーよな?・・・はぁ、無茶だろ。おれワカんねーよ、専門じゃねーからよ。」
システムのフローチャートが常に書き換わる上、メンテナンス権限の証明すらも変異し口伝レベルでしか把握できないものだからクラッキングすらほぼ不可能とされるセキュリティが「ファタエシステム」だった。
「んん。えと、あの、僕、ほら、まだ残業があるから・・・・ふぎゃっ!」
隙あらば逃げようとする吉平。
逃げようとする者を捕獲する二人。
パスワードも知らない三人にはもはや包囲網でしかない。
「吉平おまえさんちゃんとデータ追跡したか? ないのか? ここのパスワードっ!」
古いパスワードなら既に無効だ。だがマスターキーとしてのそれなら希望も見える。
「ぬぉいっ! 早くしないとカウント決まっちまうよ吉平っ! カウントアウトで人生アウトってことあんた分かってんのかいっ?」
認証用の部屋に入った時から入力画面の端ではカウントダウンが始まっている。
同期デバイスを宛がうカード認識装置の横にあるのは電卓のような入力装置、3×4マスに数字と取り消しと決定しかない。それを使って時間内に入室できない場合は当然セキュリティが反応する。つまり、捕まるということだ。
「ええと、うんと・・・番号桁は・・・・なんだよ20ケタってっ! わかるわけないよっ! そんな長い桁なんて円周率でも覚えられたことないよっ!」
生年月日や記念日、設立年月日、日本語のゴロ合わせでもそのケタ数には追いつかない。無論、持ち運べる程度の暗号解読機器でこのケタ数を解析するにはタイムリミットが短かすぎる。
「どーすんだこのあほーっ! この認証ルームに入った時点でカウントが始まってんだぞっ! いや、もしかしたら研究室を抜けた時点で・・・あぁぁっ! 富子ぉぉぉぉっ!」
あまりに秀逸すぎた日尾なのでピンチに出会ったことがないらしい。
「ぬはっ、ちょ、落ち着きな合法っ! 大丈夫、えと、テキトーにやったらもしかしたら・・・」
ささやかなパニック状態に陥る仁帆。「機械は叩けば直る」式の田舎育ちなのだ。
「・・・待って。違う。」
そのどこか確信めいた言い回しに仁帆はもうきゅんきゅんする。どうでもいい。
「なーんのこっちゃー吉平先生っ! おれはぁー、おれはこんなトコで死ぬのはイヤでごじゃるよぉっ!」
日尾、崩壊。
「ちょ、まぁいいや。・・・・どーゆーこったい吉平?
じーさんから何か聞いてたってのかい?」
解かなければ通報。
時間切れでも通報。
三回間違えても通報。
正解を時間内に叩き出す以外、活路などありはしなかった。
「もし、これがおじいさんの構築したシステムだったら、って思って。
・・・おじいさんは用意周到な人だったから。だから逃げようとしてそっちのドアのボタンを押すような人も、偶然に賭けて数字を入力する人も信用しなかったと思うんだ。
じゃあ、だったら落ち着いた人はどう対処するか?
暗証番号が刻々と変わるファタエ突破にはマスターキーが必要になってくると思うんです。
でもそれはこの認証システムからは読み取れない。読み取れるようじゃマスターキーとして意味がないから。
なら、何が
ふふふ、簡単で、誰も思いつかないことだったんだよ。
そしてそれは僕じゃなくても、実は穴だらけで誰にでもできることだと思うんだ。」
先導者となるなら、迷うな。背筋を正せ。
それは幼心に刷り込まれた教え。
「なに言ってんだよおまえさんはよぉっ! 余裕ぶっこいてねぇでなんとかしろいっ! もうなんか鼻水出てきちったじゃねーかっ!」
それが、だから一つの答えになる。
「あ、ちょ、汚いねっ! それよか吉平、あたいにゃ意味がてんでさっぱりだよっ!」
さすがに吉平を信頼する仁帆も気が気じゃなくなる。
「いつも、おじいさんはウラをかいていたんだ。100と言われれば0をってね。だからわかるんだ。
簡単なことなんだよ。・・・・僕が、「主」なんだ。ふふ。だからこれでいいんだよ。」
そして吉平は脇目も振らず、ただ「決定」ボタンを4回押す。
「おまっ! ばかぁぁぁぁぁっ!」
「あんたっ! でもそんなとこがす・・・」
しゅ。ぷぅぅぅうん。
「ね? 誰も20ケタを要求されて0ケタのまま「OK」とは言わないでしょう?
もちろんびっくりしちゃって「決定」連打、ってのは起こりうると思う。でもちゃんとシステムに「きみは3回、そんなのじゃダメだよって、それは危ないよって言ってくれたね、でも、僕は主だから通るよ」って伝えることになるから4回かなって。」
悩む者はあらぬ数字を羅列する。
危機を感じた者は逃げる部屋のドアを連打する。
道具や力に任せた者は強引に扉をこじ開けようとする。
だが全ては、「主」足りえぬ卑小が招く所作にすぎない。
主であれば「うむ。」でよい。
臣下が疑るのも呑み、「よくやってくれてたね」で3度の問い直しさえ「うむ。」となる。
それでも、警報の発令される3度の「うむ。」で通報はされるだろう。
だがそれすらも呑んで、「よくやってくれたけど、通るよ」とやる4度目の「うむ。」はそれで支配者を形容できる。警備員が呼ばれても、支配者は困らないから。
そこで。
ぱちぱちぱちぱち。
「誰だっ!」
「拍手ってあんたっ!」
「登場が悪人っぽいなぁ・・・」
そんな三者三様のリアクションの中、いかがわしさ百点満点の人影が後ろから歩み寄る。
「まったく。・・・盲点だったなぃ。」
逆光に霞むその姿は簡潔に言うとずんぐりむっくりだった。
「うおおっ! まさか、その声はっ!」
「あはんっ、その幼児体型と三角巾はっ!」
「あーどうも、台田のおばちゃん。」
そこへ現れたのはなんと、清掃会社「ビューリホゥ台田」の常任取締役兼掃除婦・台田さんだった。
「おふおふおふ。そこにいるのはおや驚いたなや、産業スパイで名を馳せて今をときめく日尾さんじゃないかに?」
そんな答えに、えーっ?ってなる。
台田が知っていたことにではなく日尾が名を馳せて今をときめいていたことにだ。
「くっくっくっく。バレちゃー仕方がねぇな。だがなぁ台田さん。ある時は清掃員、他のゲンバでも清掃員。もっぱら清掃員だがその正体はビューリホゥ・台田でおなじみのあの諜報員・・・いや、スパイってんだから頭が下がるぜ。」
常任取締役という看過できない肩書きを無視するあたりに「とにかくスパイって単語をみんなに知ってもらいたいのだな」という気概は伝わる。ただ、あんまりスパイってことをあちこち言いふらすのはどうかなと吉平は思う。
「くっふっふ。スパイだなんてそう易々と口にしちゃあいけないなや、日尾のダンナ。いやっ! スパイシー・日尾っ!
・・・ふぅ、なんて危険な香りのするコードネームなんだなや。アタシなんざチャチな民間スパイだからほとんど数字かアルファベットなんだに。」
そこで吉平と仁帆は予見する。
「ふふふ。何をおっしゃる辣腕スパイ、おっといけね、敏腕情報収集屋さんこと、台田さんよぉ。いけねぇなぁ。はっはっはっは、おれたちはほれ、ヒ・ミ・ツ・でこうして生業が成り立っているんだからそんなヤボな話はしちゃいけねーぜ?
けけ、だがまぁそのなんだ、スパイ同士、ここはなんつーかアレですなぁ、痛み分けってことで。・・・・かっはっはっはっはっは。」
やるんだろうな、二人でスパイ自慢をやってのけるんだろうな、と。
「とまぁ自己紹介はこれくらいだなや。さっさと入って多重ファタエをかいくぐらないとエライ目に会うんだに。」
ん?と思うも台田に背を押され共有スペースへ入る吉平たち。
「うあぁ・・・」
そんな嘆息をもカウントダウンを終えた扉は遮断する。
「はー。・・・やってくれるねえ研究室。時間内に認証と入室を済まさないと、って防護策かい。けっ、どんだけ秘密主義なんだろねえ。
けけけ。でもま、そんだけこの先には知られたくないことがてんやわんやってこったろ? ここまで来ちまったんだ、ナリの情報は持って帰んないと割に合わないからねえ。」
そうして仁帆は改めて目を向ける。
実験室中央にそびえる、地下3~4階を貫いて設計された大きく高い透明な容器に。
「・・・こりゃ、なんだ? 溶液が濁ってて中に何があるかよく見えないんだが・・・
なんか気泡のカンジからしてヤな予感がするんだがよぉ。法やら倫理やらに抵触しちまう生体実験ってんじゃあるめーな?」
ある意味で期待通り、青紫の、やや粘度のある液体上部からはポコポコと絶え間なく空気が上がっていた。「秘密」と「培養液」なら生体実験が定石、と考えるのは日尾に限ったことではない。
「ちょ、日尾さん、見惚れてる場合じゃないですよ! それよりもコレに関する資料とかの情報を探しに来たんでしょう?
だったら、目指すべきは最下層・地下5階のフロアですっ!」
さすがに実験室でカウントダウンはなかったが、おそらく先の認証「3回失敗」で通報され警備員くらいは回されるだろう。
一回こっきりで臨むスパイ活動なら目的成就の一点突破で邁進するのが正解となる。
「だやねえ。きしし、さすがウチの吉平はいざって時に頼りになるよ。あ、それよか台田のおばちゃん、さっき言ってた「多重ファタエ」ってのが気になるんだけどねえ?
けけ、もうあんたも運命共同体なんだ、洗いざらい吐いちまいなって。」
目を遣れば他にも照射実験に使う機器や、常温保存の対比データ集積に用いるのだろう剥き出しの鉱物やシャーレが所狭しと並んでいた。
とはいえ主眼はそれらを文字と数字で蓄積した情報庫。名残惜しそうに振り見たままの日尾の背を押して下階へ進むのが本来の目的だった。
しかしこの共有エリアから地下5階へ行くにも何かありそうだから肩が凝る。
「ま、見ての通りだなや。最下エリア管轄の研究員なら同調認識でファタエのコードもカードで対応できるのだがに、この先にもセキュリティが張ってあるんだなぃ。
ただ・・・おふおふおふ。こちらはおもしろいくらいに手薄だから外部侵入に手落ちがあるのだなぃ。
たぶんエレベータで5階に降りた先がさっきのと同じ強力な「殻」で管理されてるからなや、3~4階を抜けた先には認証だけの脆弱な「膜」だけだからソッチを狙うに。」
難攻不落のファタエシステムも、それが故に維持する手間は他のセキュリティに比べ群を抜いている。だからだろう、一度は抜けたこの先の認証システムは最低限の社員認識だけの安上がりなセキュリティで済ませているようだ。
「え・・・? じゃあ台田さんはもしかしたら?」
なんともキナ臭い台田の余裕の笑みから、吉平が「殻」を破った時にはこの「膜」への対処は終えていた、と考えられなくもない。
「勘がいいな吉平。ウチの組織にも優秀なのはいるが「国家レベルに縛られるのはイヤだなや」と勧誘を拒み続けたデジタル系列の逸材が台田さんなんだよ。
おれはコッチ系は苦手だからよく分からんがな、フローチャートの主要な部分にだけ細工を仕掛けられるよう「短縮路」を作り上げて解析するわ、追跡を巻く「マキビシ」を仕込むわ、って航路を拓いた人がこの台田さんってワケだ。
他社と手を組むなんざ本来やりたかないトコロなんだが・・・台田さんを敵に回したくねーってのが本音だな。
そもそもスパイは盗むことが第一義で他に漏らさない、ってのぁ二の次なんだよ。
奇しくもゴマンタレブーが言ったようにもうおれたちは運命共同体なんだ。この中の誰かがヘマしても台田さんに利はねぇのさ。だから守ってくれるし、おれたちも見限ったらタダじゃ済まない。・・・だろ?」
機械言語の解析を瞬時に行い、追跡機能を途中でマヒさせたり迂回させたりする「マキビシ」の技術を台田は持っているらしい。
ただ、「殻」を破った吉平、具体物の処理が得意な日尾、内部に精通している仁帆たちにはいずれ協力してもらわねばなくなるだろう。
だからこそ、「運命共同体」と名指しされても素直に吞めたようだ。
「おふん。こうもハナシが解ると気味が悪いけど小気味いいんだなや。アタシは情にモロい部分もあるんだがに、ここはビジネスライクでウィン=ウィンに幕を下ろしたいところだなぃ。
おふおふおふ。というわけで入ってみるに。・・・大丈夫。日尾のダンナが言った通り、ここで誰かが引っ掛かったらアタシだって廃業なんだからなや。」
目の前には扉もない通路があるだけだ。
しかしその通路が監視カメラで覆われていることは予想がつく。しかし台田は既にそのあたりの処理は終えているだろう。それでも彼女が先陣を切らないのはおそらく、自分を吉平たちが信じているか試す狙いがあるからだ。
「えと。・・・えと、僕ははっきり言ってよくわかりません。でも、僕が発端なんだっていう責任は理解しているつもりです。仁帆まで巻き込んじゃってごめんね。
だから。
だから僕が行きます。
疑うワケじゃないけど、台田さんがミスすることだってあるでしょう? その時はみんな逃げてください。
僕は・・・ふふ、僕はこういう重荷も負って進めとおじいさんに言われている気がするから進むだけなんですから。
僕には託されているんです。何かはわかりませんが。・・・じゃ、みんな下がってて。」
なんともこうしっくりこないキメ台詞で笑う吉平は階下へ繋がる通路へ歩き出す。
ピピ・・・ピピ・・・
「くっ! なんて解りやすいセキュリティチェックなんだっ! 吉平の無事よりこの得も言われぬレトロな懐古に心が揺らぐぞっ!」
「あー・・・あー。悔しいくらいにあんたとおんなじ感想だよ。・・・あたいこーゆーデジタルなくせにアナログなニオイが妙に好きなんだ。」
「おうふっ! 難なのかにこの「認証しているぞ」と言わんばかりの作動音っ! アタシはこーゆースパイにスパイの自覚を促すやり方って燃えるんだなぃ。やっぱ、急かされて脅かされてナンボだからなや。」
そう各々がもう本当に自由に感想を述べる中、一人歩く吉平は静かに思う。
捕まれば残業ってないよね、と。
拘束から逃れようとする者の意志はいろんなものを凌駕するのかもしれない。
ピピ・・・ピピ・・・
そして流暢な機械音声が上から降ってくる。
「・・・エシロ・ヨシヒラ・・・認証シマシタ。」
それは突破を許す響きだったが。
「えっ? あんたキッペイじゃなかったのかいっ?」
「うおっ、おまえさんもかよっ? おれずっとキッペイって呼んでたぞっ?」
「あ、でも一応架空名義の第三者に書き換えておくから痕跡は残らないので心配ないんだに。・・・まぁ調べれば分かるけど本人をまんま出すよりは時間が稼げるしなぃ。」
そんな話よりもうどっちかと言えば本名に喰いつく。
喰いつかれた方の吉平は早くも重傷だ。
「ま、とにかく台田さんの技術は定評どおりってこったな。なら、次はおれがいく。」
そして、ピピ・・・ピピ・・・
「・・・ヒオ・アシナ・・・認証シマシタ。」
うおおおっ、となる。
理由はどうでもいいものだ。
「うおっ、なに、あんたアシナって名前だったのかいっ!」
「えっ? 日尾さんって名前あったんですねっ!」
「・・・なんかこの展開の末路が怖いに。」
外野から名前に関するクレームは殺到したものの日尾も無事5階フロアの下り階段へ。
「じゃ、あたいの番だね。」
信じる吉平が信じた道だからこそ疑うことなくその後を追える。
ピピ・・・ピピ・・・
「・・・ニホ・レイカ・・・認証シマシタ。」
そしてまたブーブー始まる。
息抜きだと思って付き合っていただきたい。
「へっ? 仁帆って名前じゃなかったのっ?」
「はっはっは、レイカっておまえさん冗談キツいぜホント。」
「・・・何かこう、トリはトリで、って流れになってないかなや。」
うっさいばかっ!と向こうでささやかな乱闘はあったがいよいよ最後の砦が動く。
決して仲間ではなかった者。
しかし目的のためこうして手配してくれた新たな仲間。
ピピ・・・ピピ・・・
「・・・ダイダノ・オバチャン・・・認証シマシタ。」
だが。
「ウソつくなーっ! 何が認証だこんにゃろうっ! あたいなんか本当はあんたみたいな機械じゃなくて吉平に最初に呼んでもらいたかったんだぞこんにゃろうっ!」
「ふざけんなバカヤローっ! 本名くらいちゃんと出せってんだバカヤローっ! あとおれを名前で呼んでいいのは富子だけなんだってんだバカヤローっ!」
「・・・台田さん。・・・・・・台田さん。」
とまぁ千差万別ありながらも、
「いいんだに。こんなのはただの茶番なんだなや。・・・問題はここからなんだなぃ。」
ごわっ、っと開けられた階段を降りると5階フロアが四人の前に立ち現れる。
吉平の祖父が遺した機密の心臓部。
そこに今、ようやく辿り着けたのだから。
かちゃ。
「うわー・・・って驚くほど何があるってわけでもないみたいだね。」
ドアを開けて入ってみるも部屋の構造は吉平の部署と大差はなく、こぢんまりとした机と椅子、それから具体接続機器が配置されているだけだった。
「まーそうだろうさ、別にココの部署の全員がその研究に関与してるワケじゃないんだ。多くは末端のテストだの検証に回されて全体像も目的地も知らされちゃいないはずだよ。」
すると仁帆はすたんすたんと進んで上席研究者のスカウターへ手を伸ばす。
「そーゆーこった。で? どうする吉平。おれがソレ使って中に入ってもいーんだが・・・あるいは台田さんの方が専門だから任せるってものテだけどよ?」
このフロアからならどこの端末でも吉平が持ち込んだセルフメモリを用いれば「この先」へと進むことはできるだろう。
問題はそこで何が起こるかだ。
当然、秘密裏に行われている研究の機密事項へ侵入すれば認証は必須となるだろう。となれば高度なクラッキングを施さなければ堅牢なセキュリティに阻まれるだけだ。
吉平に託すのも「可能性」という意味では間違いではない。とはいえ誰にも確証がないから判断は鈍ってしまう。
「・・・その反応じゃあ孫のにーさんも打つ手があるわけじゃないようだなや。
しゃーない、あたしが様子見でもして後からみんなが「フロア」に来れば――」
「いえ。僕が行きます。とりあえずトラップがあるかは見ておきたいし、それくらいなら僕にもできますから。
みんなは準備だけしておいてください。あ、監視モードが起動するかって接続者の僕じゃわからないから・・・台田さん、外からそれって確認できます? うん、ならそっちを先にやりましょう。」
目の近くにモニターを据えて運用するのがスカウターとなる。そのためコンピュータ側から禁止事項・禁止領域への干渉を認識されると即座に虹彩認証され接続者が特定される仕組みになっていた。
もちろん認証は気付かれないよう機能してしまうので接続者本人では確認できない。
「おふおふ。孫のにーさん、その依頼いったい誰に申し出ていると思っているのかなや。
ふふふ、ちょと待つに・・・・おふおふおふ。解析難度がやたらと高いファタエの開発社とは思えない初歩的な組み込みのようだなや。おおかた自前のセキュリティに自負があるぶん外付けのプログラムは保険程度にしか考えていないみたいだなぃ。
とりあえずザっと見たところ監視モードのトラップはなかったようだがに、追加入室制限の地雷は検出に時間が掛かるからもうみんな入っておいた方がいいなや。」
どんな着眼点から切り込んだのかさっぱりだったが個人を特定する監視モードは巧く書き換えられるらしい。
とはいえそこは名の知れた企業の機密管理室。一般に知られていない接続制限を瞬時に仕掛けられるトラップもあると聞けば総員入室で決まりだった。
「へー。心強いねえ台田のおばちゃん。宴会芸の手品と青少年育成条例違反しか取り柄のないウチのちょびヒゲとは大違いだよ。
しっかしクラッカーってのはそこまで詳しけりゃもっと人の役に立つプログラムとか作れそうなモンなのにねえ、あたいには宝の持ち腐れにしか思えないさな。」
そしてスカウターを持ち寄り吉平・台田の隣で接続する。
「お、待てっ、おれはこれっぽっちもヒゲ生やしてねーってんだタラコ唇っ! ただまぁ、似合うかもしれないがな。いや、似合うか。おれだから。くくく。
いやいや、わかってねーな仁帆。台田のおばちゃんなら勿論それくらい作れるがよ、イタチごっこが関の山なんだ。質の高い技術を公にすればそれを凌ぐモンをアングラ連中がすぐに構築しちまう。世に出回ってるモンのほとんどは台田のおばちゃんからすりゃ二周も三周も遅れてる製品だろーし、そうじゃなきゃ稼業が成り立たねぇのよ。
さ。とまぁおしゃべりもここまでだな。・・・吉平、自覚しろ。なんだかんだでおれと台田さんは商売仇だ。だがそれでも手を組むのは成果のためだけじゃない。おれたちにゃ無縁と思えた「信頼」がおまえさんにあるからなんだよ。
だから行け。おまえさんはおれたちが守るからな。」
電脳領域に秀でる台田とて、現実領域では日尾に手も足も出ない。また逆も然り。
ただそんな別々の関係もその中立点に無害で純朴な要素が据えられると構図は新たな展開を見せる。
日尾にせよ台田にせよ、どこか機械的な指令や依頼に応えるだけのコマだからこそ「人」として進み拓く歓びが湧き上がるのを禁じ得ないのだ。
普段であれば「甘さ」で切り捨てるはずその人間味はだから、命令では発生しえないモチベーションを与えてくれる。
「はい。・・・じゃ、セルフをセットして、っと。・・・「フロア」へ行きましょうっ!」
すちゃ、と日尾から返されたセルフメモリを起こし、そして同時に四人は5階用の電脳「フロア」へと侵入する。
「あれ?」
「なんだい?」
「どーゆーこった?」
「なんだに?」
疑問符を浮かべる彼らの後ろで退路が断たれたものの、気になったのはその先に「見える」一人の先客だった。
「あっ! あっちの接続切ってなかったんだ・・・あ、えとじゃあアレは1Fで接続したままのファントム?」
途中、日尾にセルフメモリの展開が阻まれたまま取り残されたファントムがそこにはいた。
「だろーね・・・でも、どーゆーこったい?」
1階の電源を切っていないのだからその電脳領域「フロア」に「いる」のは不思議ではない。
「誰かが操ってるってことか? いや、ウチの部署の連中はもう帰ったはずだ。」
しかしそのファントムが
「・・・違うに。セルフが再展開されて起動を始めたからなんだなや。」
こちらを「振り見る」。
「なん・・・意思が、まるであるみたいに・・・って、ねえちょっとっ! 何して――――」
いわゆるアバターが仮象体となる。
それは登録して設定したものでなければ複数の接続者と区別するため自動的にそれらしい姿でそれぞれに割り振られるものなのだが。
「おーなんだいっ! なんで仮象体が勝手に動くのさっ? セルフメモリにそんだけの小細工仕掛けるだけの容量なんてあったっけか?」
そこにあった偽装アバター「ファントム」は自動で割り振られる仮象体設定の「ビジネスマン」ではなく、どこか「魔法使い」を思わせる老翁の姿のまま
「知らねーよーっ! んでもま、これが水先案内人ってことじゃねーのかっ?
けけけ、こっからはどーやらエスカレーターで進むみたいだからな。ついてくだけだろ。」
すすす、と進み、そして「フロア」の壁に手をつく。
「容量を改良すれば詰め込めなくはないがなや。・・・いや、もしかしたらプログラムそのものはこの地下5階フロアのパソコンにあってそれを展開させる暗号だの信号だのだけが入っていたら説明ができるに。
・・・でも、でももしそれがそもそも会社側に設定してあったのなら―――――」
そして。
「うわぁーっ!」
「吉平ぇーっ! あたいを抱いてぇーっ!」
「富子ぉーっ! おれを抱いてぇーっ!」
「・・・これはたぶん、マズいなや。」
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