⑦ アズゴとキペ





「それからわたしたちはメタローグたちに知恵を借り、第八人種の力を操る術を手にしたわ。

 そして・・・あなたも知っているんじゃないかしら?


 大きな戦が起こった。


 長かったわね。「敵」が増えただけでなく、アーフィヲに同調した《オールド・ハート》の古来種が自我を保持したまま獣化したから構図そのものが複雑になっていったのよ。

 それは時を経るごとにアーフィヲの思想からも離れて、己の欲を巡る戦いになっていったわ。


 長かった。・・・長かったの。」


 そう、伏せていた目をそっと開ける。

 そこにはリドミコと同じ黄金色と紺碧の瞳があり、


「それでもあなたは、その戦を終わらせた。


 ・・・流れ込んでくる情報が正しければ、魔法使いと掲げられたあなたは部族差別の廃絶も兼ねてその名を部族名で通すことにした。


 白者という魔法使いの系譜に目を付けられれば必ずその血筋を巡る争いが起こるから。

 だからそれを伏せて、ただ忘れるべきでない部族名で先頭に立った。


 ・・・そういうことですか、「台王ロクリエ」のアズゴさん。」


 金色の世界にひとり佇む気の弱そうな黒ヌイの青年を映している。


「ええ。・・・不思議ね。あなたにはかなり整った情報が共有されているみたいだわ。

 わたしの「子孫」と呼ばず、わたしの「系譜」と言葉を選んでいるところからももう分かっているようね。


 わたしの血をそのまま継いだ者はいないわ。でも白者の系譜は他にいたから調べて隠したの。あのリドミコという子がそうね。


 ふふ、それより気付いているかしら? ここにはあなたたちの記憶が漂っていること。


 仮構帯における序列は理解しているでしょう? 白者、古来種番格、番格、と上位にある者は下位にある者の記憶に触れることができるわ。番格であり、真然体に近付いているあなたなら語り部たちの記憶にも触れられるはず。

 ふふ、なら解るわね。


 赤目と呼ばれる男やカロという老人、〈契約〉により小出しにされた超然能力と・・・その劣化が。


 代を経るごとに弱まるエシドはわたしのいた時代よりずっと希薄になっているのよ。


 今では、あんなにも易々と行えた「獣化の覚醒」さえ深く潜って引き出さなければならないみたい。


 ええ。

 それは喜ばしいことなの。アーフィヲやそれに続いた古来種の蜂起のような惨事が大規模とならずに済むのだから。


 でもそうして覚醒できなくなることで、仮構帯の「最深部ユニローグ」へ潜ることができなくなっていくことで、伝えられなくなるものが出てきてしまうのよ。」


 無辺際に続く宙ぶらりんなそこで、ふたりは切なく向かい合う。

 足元に黒い影を括り付けて。


「ユニローグ、ですか。

 やっぱり僕にはまだ、どうしてそれがこうまでして守り伝えなければならないか判りません。


 だって時代を経た僕らが真然体へと先祖返りする可能性は減ったんですよね?

 だったらもう、いらないんだと思います。


 でもあなたはそれが必要だと言う・・・

 いや。えと、やっぱり聞かせてください。あなたが僕を求める理由。」


 この大陸を総べた王。

 それは「虐げられたロクリエ族の若者が復讐のために立ち上がりやがて全土を制覇したもの」だと習ってきた。


 だが事実は異なっていたのだ。

 信じがたい「真然体」という存在を前提にしたクーデターが理解できなければ、たとえアズゴたちの奮闘を伝え聞いても史実をそう歪曲するしかなかった。


 そして戦の平定に必要な「悪役」であるはずの、を歴史から抹消しなければならなかったために、後世では獣化した者たちを「奇病発症者」とでも銘打ち片付けてきたのだろう。


 間違ってもそれらが一人の男の意志で作り出された「兵」だったなどとは書き残せない。


 危険因子は封殺し、しかし対処法たるユニローグは継承せねば、そうアズゴたちは判断したようだ。


「知れば解る。・・・でも納得はまた別なのかしら。


 それと、あなたたちもやはり整理できていないようだからそこは教えてあげるわ。


 統一総記ユニローグとはこの共交層領域の最下層にある記憶のことよ。


 さすがにあなたでもまだそこまで潜ることはできないでしょうね。

 真然体となること、つまりは「あるべき本来の姿」となることを条件に初めて開かれる最古の記憶の扉なのだから。


 それほど緊密に「ユニローグ」と「エシド」は繋がっているの。

 エシドを沈めれば自動的にユニローグまで引き込んでしまうほどにね。


 でも、今なら理解できるんじゃないかしら? 

 ハウルド・ハート、「扉としての心器」というのはエシドからの視点よ。


 エシドにとって「壁」ではなく「ハウルド」である存在、という兆しが《オールド・ハート》なの。エシドを目覚めさせやすい、感受性の強い「種」ということになるかしら。


 ・・・ユニローグは、伝えなければならないわ。


 でもそのためには真然体となるか、わたしには思いつかない何か特別な方法で潜らなければ最深部へは辿り着けない。

 代を重ねる度に弱まるエシドへの感受性。薄れゆくそれを手にした者がこの場所へ到達できたとしても、もうその数は限られてしまうのよ。


 もう、選べなくなってきているの。・・・・ジラウのようにね。」


 影を足元に持つ者。

 それは仮構帯の虚ろになる感覚を取り払い、現実世界のままの感性を保持できる者。


 だから、


「父さんはっ?・・・・ジラウ父さんは母さんに何をしたんですかっ?」


 感情が爆発する。

 心のままに。


で・・・外の世界で彼が言っていたとおりよ。・・・・でもやはり聞きたいのね。


 ・・・いいわ。


 ジラウはナコハを連れてここへ来た。彼自身は古来種でもない上、《オールド・ハート》も持たず、わたしが遺した「準完全血聖子」への行程も経ず、ただナコハの血だけを信じてやってきたの。時期としてはあなたが「大きな音」を使ったことがあったでしょう? あの後、神霊祭を終えた頃かしら。


 頭も良く、勘も鋭かったから菌界発生の条件は理解していたようね。

 でもその後に拓かれるこの《封路》へ進む方法は知らなかったのよ。ナコハならなんとかしてくれる、そう信じただけだったから。


 ナコハはどこかで感じていたんじゃないかしら。自分ひとりの血では何もできないって。


 だけど彼は求めるしかなかったのよ。あなたの「力」をナコハの血に見出してしまったから。

 ・・・あなたはもう自分の出自を知っているわね? そして血が、というより資質が近親婚によって濃くなったあなたが一度だけ獣化しかけたことも。


 ナコハは悩んだわ。


 幸運にも五体満足に育った「罪の子フラウォルト」だったけれど、でも、取り返しのつかない新たな「たね」を抱えさせてしまったのだから。

 そんな彼女の隣にいたのがジラウだったわ。


 ・・・。


 ナコハは血が薄く、超然能力そのものは微弱だったの。それでも器用に扱う制御感覚は目を見張るものがあったわね。

 ええ、あなたを仮構帯へ呼んだ鉄箱のあの仕掛け。あんなもの、ただ超然能力を帯びただけの〈契約者〉では作りきれないでしょう。

 繊細な感覚。敏感な感性。それがなければ。


 だから。

 愛する者を間違えてしまった罪、そして最愛のあなたを不具ハルトとして産んでしまった罪。


 ・・・きっと限界だったはずよ。


 そんな抱えきれなくなるナコハを愛して、そして求めたのがジラウ。


 誤解のないよう説明してあげるとね、彼が「上」で、外であんな風に冷たい性格になったのはここへ来た時からではないわ。

 まぁ最終的にはわたしが自我を取り戻させてあげたのけれど、何かが壊れてしまったからなの。


 でもいま言ったとおり、ジラウはきちんとその時ナコハを愛していたわ。夫として、きちんと。


 ・・・壊れてしまったのはそれからよ。


 ジラウはこの「選別」のための菌界を発生させ、そしてナコハから血を分けてもらって飲み、進んだわ。


 わかるわね?


 たとえ順応しても希釈され続けたナコハの血なんてどれだけ飲んでもあの菌界では意味を持たないのよ。


 そしてジラウには覚醒させる何の素材も資格もなかったわ。さっきのヒナミのように獣化さえできず、ただただのたうち回るだけ。


 せめて獣化できれば痛みや苦しみを緩める防衛本能が働くはずだったのだけれど・・・。

 でもそれすらできない世代のジラウにとって、覚醒しない肉体を覚醒させようとし続ける時間のない時間は拷問でしかなかったはずよ。


 わたしの作った選別の菌界には獣化を促す働きを持たせたわ。

 本来はそこで獣化し、自我を保ったままこの二つめの《膜》である、わたしの仮構帯へいざなうものだった。


 だけどそうして狂い続けるジラウを助けようと、もう一人あの菌界に現れたわ。


 それがナコハなの。


 彼女でも無事にあの菌界を歩き通せはしなかった。それでも自我を失う覚悟があれば獣化を受け入れることもできたわ。

 それを予感したのかしら。


 ナコハは・・・ナコハらしい器用な方法であの菌界と、菌そのものを鎮めたのよ。」


 罪を抱えたナコハを、それでも愛し、求めたのがジラウ。

 例の鉄箱は昏睡するキペの見舞いの時にでも仕上げたようだ。


 しかしナコハでは手の施しようのない「大嵐の種」をキペに産み付けてしまった現実に、もはや抗する手段はジラウが求める可能性・ユニローグだけ、と信じたのだろう。あるいはジラウにそう諭されたのかもしれない。


 絶望の淵にある者は、弱く、そして強い。

 他の手立て、他の方策を模索する冷静さを失うほど弱りきっていながら、いざ希望たりえる光を見出すと命がけで手繰り求め歩く強さを手に入れてしまう。


 その果てにあったのが、この今なのだ。


「菌界を閉じる・・・体の中の菌みたいなちっちゃいのまで・・・破壊する衝撃・・・?


 破振効果の・・・音マネ?


 ・・・母さんはそれをやったっていうんですか。獣化を促す菌に苛まれながら、バファ鉄の破砕音を再現する・・・?


 でもそんなことしたら母さんにもジラウ父さんにも破振効果が・・・」


〈音〉を操る能力にも種類がある。


 声を口や歯、唇や喉を用いて遠く彼方へ響かせる音の波を作るウィヨカ。

 手に持つバファ鉄製器が鳴らす破砕音を自身の肉体で増幅させるエレゼ。

 それすらも帳消しにできるウラオトが扱えるキペやカロ。


 発生すれば、強ければいいというエレゼ・キペ・カロのそれとは異なり、ウィヨカのように〈音〉の微調整を求められるのが音マネとなる。


 だがバファ鉄の響きは鳥のさえずりとは決定的に違い、ヒトの個体振動数を狂わせる「破壊音」だ。


 生きるものにダメージを与える音はしかし、自身で鳴らす時には抗えるウラオトも同時に調整しなければ体が痺れて続かない。

 だけでなく、ナコハはそれを「獣化の拒否」と共にやってのけたのだ。


 ただの「器用」で片付けられない所業にアズゴですらも目を見張ったことだろう。


「そうね。破振効果のバファ鉄音を続けられれば体内の「覚醒させる菌」も止められたかもしれない。でも、ジラウもナコハもその破振効果と負荷には耐えきれなかったの。


 だから。

 だから《膜》を消し飛ばせても、強制獣化の悪夢から覚めたジラウが元に戻ることはなかったわ。心はもう、砕け散ってしまっていたのよ。

 廃人となり狂人となったジラウはそして、もう満足に動くこともできないナコハを殺したわ。


「狂う」って、そういうことなのよ。

 殺す目的なんてないの。意味もないの。暴れ回る狂気に体を委ねただけだから。


 ジラウはナコハを殺して、

 そして食べたわ。

 荒れ狂って、動き回って、お腹が空いたから。

 ・・・ジラウがジラウじゃなくなったのはその時からよ。


 でも、それはさらなる変化への始まりだった。

 なんの素質もないヒト。それが「強制獣化」の闇を「強制的な閉鎖」でもって抜け出た。生き延びた。


 ナコハの〈音〉の破振効果でジラウはボロボロだったわ。血管があらぬところで破け内出血し、体じゅうに水疱ができ、あるべき振動数を狂わされた体は呼吸と血流を乱して脳をはじめ内臓のほとんどが機能しなくなった。


 でも、生きていた。

 わたしたちの意志は、そこで彼を取り込む決断をしたのよ。特別な検体として。


 そして半端な獣化から引き上げて人格を取り戻させたの。」


 その残虐が、その暴威が、霞みながらキペの目にも見えてくる。

 それはエシドの超然能力こそ持っていなかったものの、まさに獣だった。

 その出来事が、ジラウというあまりにイレギュラーな存在が、ひとつの可能性に映ったのだろう。


「わたし、、ですか。

 あなたが、というよりもあなたを取り込んだその粘菌という「生命」の意志が選んだことなんですね。


 だんだん、解ってきましたよ。・・・そういうことか。」


 バラバラだったものが、小気味好い音を立てて組み合わさっていく。


「おもしろいヒトね、キペ。もう気付いたのでしょう? あるいは知ったのかしら?


 ジラウの前にも上の菌界を通過できた者、そしてこの《封路》を訪れた者はいくらかいたわ。多くはないけれど。

 そしてわたしは彼らを取り込んだ。外の世界の肉体維持もあったし、新しい情報、それから新しい価値観、新しい人格を何より求めていたから。


 ええ。それはわたしではなく、わたしを取り込ませたあの粘菌の意志なのよ。

 彼らは第八人種ではないわ。だから人格は持っていないの。


 でも仮構帯における「ヒト」そのものの継承、といえばいいのか更新といえばいいのか判らないけれど、蓄積できる存在なのよ。

 だからここまで辿り着けた、自我を保持したまま真然体となった者たち、いわば「準白者」ね、それを取り込んでいったの。


 だからわたしたち、というのか、は今までとは全く異なる存在を「振り幅」として求めたわ。

 それが偶発的に生き延びたジラウだった。


 あなたが感じたとおりよキペ。


 ジラウはいわば新しい可能性だったの。今まで蓄積してきた中でジラウのような境遇を生き延びた者はいなかったから。


 だからよ。

 ジラウともわたしたちとも大きく異なる変遷を経て、そして無傷で通過できるあなたを求めるのは。


 歴史を積み重ねてきた者ユニローグにとって、あなたという「例外ハルト」は書き加え取り込まねばならない存在なの。」


 母と祖父の間に生まれた時点ですでに覚醒子の要件は満たしていた。


 しかしカロとエレゼによって押さえつけられ、そして再び覚醒子として目覚めてここまで来た「いれぐら」がキペだった。


「きっと・・・きっとカロさんやエレゼさん、そして僕を真然体にさせないよう目を掛けてくれていたスナロアさんやモクさんは「罪の子フラウォルト」としての「例外ハルト」って因子を取り除こうとしてくれていたんですね。


 でも、そこまではよかったけど・・・たぶん風の神殿での〈契約〉で僕はまた覚醒子として起き上がってしまったんでしょう? 


 シオンやコロナィで自分の感覚が薄れたのはたぶん、定着や同化が成立したから。〈時〉を操る〈契約〉をしたことも短期間での変化に拍車をかけたのかも。


 そして、母さんの導いた仮構帯で順応を果たしちゃった。


 本当は僕と二人だけで過ごすために母さんが遺したものだったんだろうけど、結果としてその刺激は眠らせたエシドに呼びかける「声」になってしまったんだ。


 そもそも覚醒子として生きるはずのものを無理やり押し込めた、ってだけでも普通じゃなかったんですよね。


 でもそれを〈色の契約〉もなく、〈音の契約〉のようなものを自前で抱えながら〈時の契約〉を刻みこんだ上に、自分の仮構帯でクロエシドと接触できるくらい覚醒子としての資格を呼び戻しちゃった。


 無意識とはいえ、触れもせずみんなを巻き込んでしまえたのも超然能力が目覚めた証だったんでしょうね。


 母さんの予期せぬ行動によって生じた「例外ハルト」がジラウ父さんだとしたら、僕はいくつものヒトの意志と偶然の重なりで生じた、さらなる「変則ハルト」ってことでしょう?


 四つの〈契約〉をきちんと揃えてもいない、一度抑え込んだエシドを増長させて足元においている僕は、それでも生きている僕は、自我を持っている僕はあなたたちにとって格好の「特別ハルト」ってことですよね。


 でも。


 だから、なに?


 僕は得体の知れないユニローグなんてものの供物になるつもりはない。


 僕の生き方は間違ってたかもしれないけどっ、そんな僕に関わっただけでみんなを巻き添えにするわけにはいかないっ!


 あなたのやり方は間違ってるっ! 僕の生き方よりずっとずっと間違ってるっ!」


 ぶわん、と揺れる。


 足元の、黒い黒い影が。


「まだわからないのっ! あなたは共交層領域の最下層に触れていないからそんな甘いことが言えるのよっ!


 そうでなくともアーフィヲたちの過ちが描き出した凄惨な歴史は「見た」はずよっ! 


 わたしたちヒトにはエシドが在り続けるのっ! それは弱まりこそすれ特異な状況や偶然が積み重なれば真然体を生み出す可能性があるのっ! 確かに途方もなく小さな可能性だけれど、あなた自覚はあるのっ?


 あなたがそうなのよっ!


 あなたがただ「白者に次ぐ素材を有しているから」ってだけじゃないのっ! それはそのまま「アーフィヲにもなり得る危険な可能性」だから言ってるのよっ!」


 ぶわん、と嗤う。


 足元の、黒い黒い獣が。


「だったら殺せばいいじゃないですかっ! 


 僕を殺して、みんなの記憶を押し込めてなかったことにすればいいっ! 僕を取り込んでみんなを殺すなんて間違いじゃないかっ! そんなの正しいはずないじゃないかっ!」


 染み込む。


 黒い獣が。


「問題を単純な構図にすげ替えて逃げるのはよしなさいっ! あなたは守るのっ! わたしたちと共にここへ残ってこれから起き得る危険に備えてっ!


 なんでわかろうとしないのっ! 

 わたしたちの時代から今まで真然体の反乱がなぜ起きなかったと思っているのっ? わたしたちが未然に防いできたからよっ!


 歴史に残らないからあなたたちは知らないでしょうけど過去に幾度かは確実に起こっていたはずの危機だったのよっ!


 それをわたしたちが鎮めてきたのっ! 平和な世の中がなんの努力も犠牲もなしに成り立っているとでも思っていたっ?


 冗談じゃないわっ!


 誰かを守ろう、未来を守ろうって決意も覚悟もなくノコノコ現れたあなたにわたしたちの果たしてきた役割を、その、罪にも匹敵する大きな努力を「間違い」呼ばわりされる筋合いなんてないのよっ!」


 ずっと、ずっと守り続けてきたのだ。


 誰に知られることも褒められることも讃えられることも感謝されることもなく、ただずっと「真然体による争乱」をここで監視し、時に訪れる風の神官を操って鎮めてきた。


 ジニの数代前ならば強制的に獣化させ、操ることもできた。それ以降は《オールド・ハート》を持つ者にのみ神官を許し、少しでもアズゴたちの意志が反映できる肉体で各地を回らせたのだ。獣化させてもここへ連れてくれば白者の力で元の人格に戻すことができたから。


 わかっているのだ、アズゴにも。

 ヒトをヒトとも思わぬ繰り人形として扱ってきたこと。


 それでも、それでもそうして平和は保たれてきた。

 差別もある、いざこざも絶えない、犯罪も消えない。


 それでも、アーフィヲたちとの地獄のような戦を一度も繰り返してはいなかった。


 その代償が命や人生を捧げる神官たち、そしてここを訪れる者たちなのだ。


 正しい、とは言えないかもしれない。

 だが、それを間違いだと質せる者がのほほんと平和に座して生きてきたキペであるはずがない。


 アズゴには決意も覚悟もある。


 だからこそ、死ぬこともできないこの粘菌の中に己を保存して生き続けてこれたのだ。


「そんなこと言われたって・・・


 でもっ! 僕にだって守りたいヒトはいるっ! あなたが連れ込んだみんなだっ! ここにはいないけどお世話になったたくさんのヒトたちだっ! そのヒトたちに連なるたくさんのみんなだっ! 僕だって、僕だって守りたいっ! 


 だけど僕の、僕たちの役割は本当にこれしかないのっ?


ヒトの未知なる可能性」を求めるあなたたちは「ヒトの未来を奪う可能性真然体」を殺し続けるだけなのっ?


 ・・・可能性に怯えて、リドミコと僕の村は焼かれました。


 可能性に怯えたヒトたちにエレゼさんの村も襲われました。


 古来種のヒトたち、異形ハルトと呼ばれるヒトたち、黒系人種のヒトたち、みんな怯えた心に取り殺されましたっ!


 真然体は危険だ。

 それはわかりますっ! だけど、本当にそれだけなんですかっ?


 ヒトにまだ見ぬ可能性があると知るあなたたちは、真然体の「危険ではない可能性」に目を向けないんですかっ?


 ヒトの可能性を信じる心が進化ですっ!


 なのになんで真然体に、そうなる覚醒子に未来の可能性を見つけられないんですかっ!


 僕らは代を経てエシドの影響を小さくしぼませてきたんですよっ? それは僕らが意図せずに積み重ねてきた努力で、明確な進化なんですっ!


 僕らは変われるんですっ! 良い方へっ!


 真然体の危ない可能性に怯えて消し去るあなたたちはっ、よくわからない理由に怯えて迫害してきた者たちと同じじゃないですかっ!


 対峙すべきは危険な可能性じゃないっ! 怯える心ですっ!」


 偶然にすぎなかった。

 今、ここにキペがいることは。


 あの日、村が焼かれたあの日、ハユが家出せずにいたのならキペもハユも死んでいた。

 覚醒子という危険な可能性を消し去るために。


 確かにキペは覚醒子だった。

 でも、ハユは違った。


《オールド・ハート》さえないハユはどう転んでも真然体にはなれず、〈契約〉すら結ぶことができなかった。村の者たちも皆そうだ。


 覚醒子たりえたのはせいぜいキペと血が繋がっている者だけ。

 あの一家だけだった。


 それでも村が丸ごと焼き払われたのだ。

 悪霊のような、怯える心を持つ者の手によって。


「詭弁ねっ! 怯えることは備えることよっ! どこまで物分かりが悪いのっ! 聞き分けなさいキペっ!


 あなたの村や他のヒトたちの悲劇はわたしも知っているわっ! でもそれによって取り払われた危険だってあったはずよっ!


 生き残ったエレゼはどうっ?

 彼は手にしていた〈音〉の力でもっと大きな力を手にしようとしていたじゃないっ! そしてこのアゲパン大陸を作り直そうとしてたわっ!


 わかるっ? またアーフィヲと同じ者を代を経た今でも生み出しているのよっ!


 それが業っ!


 エシドを行動原理に産み付けられたわたしたちヒトの業なのっ! 逃れられないのっ! でもなんとかして・・・・犠牲を払えば防げることなのよっ!


 わたしが・・・わたしが犠牲を強いることを楽しんでるとでも思ってるのっ!


 ふざけないでっ!


 いい加減に駄々をこねるのはよしなさいキペっ! あなたの役割を自覚して受け入れるのよっ!」


 最後まで、あの戦の最後まで、アーフィヲのエシドを鎮めることはできなかった。


 何百何千の死を生み出すこととなったあの戦いで、アズゴは救いたかった者ひとり救うことができなかった。


 白者といえども、万能ではないのだ。


 起こってしまったら取り返しがつかない。だから起こる前に手を打たねばならない。

 そのために不必要なヒトを犠牲にしなければならないこともあった。


 何度も呪った。

 何度も祟った。

 白者に生まれついた自分の運命を。


 それでもせっつくのだ。

 運命が、その背中を。


 白者だからできることを、しなければならない責務を、罪としかいいようがない行為を。

 けしかけて、押し付けて、刻み込んで。


 戦を再び起こさせない、ただそれだけが支えだった。救いだった。赦しだった。


 神々しいものじゃない。


 白者など。


「じゃあエレゼさんを、アーフィヲさんを追い込んだのは誰? 何?


 そもそもの発端はヒトの心じゃないかっ! エレゼさんたちが悪いわけじゃないっ! 


 それにサヴラフさんやディーダさんは獣化をうまく避けたじゃないかっ! カロさんや僕だってっ!


 なによりあなたが「真然体」じゃないかっ! 


 それでもこんなに・・・こんな、ところに・・・ずっと、ずっとっ!


 ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと閉じ込められたままっ! 


 閉じ込められたまま、それでもただみんなの幸せを祈って! 


 そのためにがんばってっ! 


 こんなに尽くしているあなただって、真然体じゃないかっ!


 白者は特殊な存在でしょうっ! でもっ、それもヒトの中から生まれてきたっ! 僕もカロさんも覚醒子はヒトの中から生まれてきたんですっ!


 可能性は捨てさせないっ!


 あなたのような力を得ることができなくても、覚醒子は真然体になることなく平和に生きることだってできるっ! 


 それを奪う権利なんてあなたにあるはずがないんだっ!


 自己犠牲も他者犠牲も許さないっ! 絶対に間違ってるよっ!」


 苦しかった。


 もう、もう、わかるから。


 アズゴの数奇な運命もこの仮構帯に流れているから。


 永遠とも呼べる桎梏の中でずっとヒトビトの平和を築き続けてきた守護者だから。


 それでも。


 それでもやり方に、手段に頷くことはできなかった。


 駄々と罵られても、呑み込むことはできなかった。


「・・・なら、なら、あなたならどうするというのキペ。


 獣化した真然体はヒトの手には負えないわよ。死ぬだけ。食われるか殺されるだけ。

《六星巡り》でできるのは獣化しても自我をほんのひととき保てる力を与えるだけ。

 唯一、真然体を鎮められるのは白者だけ。


 白者も自我を持つ真然体は鎮めることはできないし、普通のヒトを白者にする手立てもないのよ?


 仮にもし《六星巡り》で作り出される「カニヱギン」を薬のように配ることができるようになったとしても、それは世間に「真然体」というものを認識させるだけ。悪用しようと企む者が必ず現れるわ。


 そして獣化は本能。


 エシドそのものを完全に消滅させることはできないの。当然わたしだって試した。メタローグも知恵を絞った。


 でも、業っていうのは、本能っていうのはそういうものなのよ。


 ・・・・どうするっていうの。


 どうすればいいっていうのよっ! キペっ!」


 知恵で知識で解決できないもの。


 そんなものは探せばいくらでも出てくる。そこらじゅうにある。


 正しい答えは、でもいつも、どこにもない。


「・・・それは・・・その・・・」


 影の失せたキペに、言い淀み立ち止まるキペに、



「だったら、だったらアタイらが決めてけばいいじゃないのさっ!」



 あたたかな手が乗せられる。

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