⑤ ユニローグとエシドの解析





 ばたん。


「ふぐ―――」


 ばたん。


「貴様ら何を―――」


 ばたん。


「卿をっ! キシ卿を呼んでこいっ!」


 累々と倒れた警護衆を見せつけてようやくお目通しが叶うようだ。


「はは、まさかあんたが強行突破とは思わなかったぜ?

 ・・・あのよ、性格は変わってないんだよなアズゴ?」


 急がなきゃ、そう駆り立てられたサヴラフは馬を借りてキシの屋敷までアズゴを連れてきたものの、門前払いを食らってはやりようがない。彼女としても苦肉の策だった。


「ふふ、ふぉふぉふぁふぉふぁんふぃんふぉ。・・・んぐ。それに干渉した彼らにはひと時の眠りに就いてもらっているだけだから。 


 問題はディーダがまだいてくれるかだけなの。まぁ、その他にも色々あるけれど。」


 アズゴが目を覚ましたのは屋敷に着くほんのちょっと前だった。

 何か腹の足しになる物でも、とサヴラフに渡された干し虫をむしゃむしゃ食べながら今はキシの邸内を直進している。


「なんの騒ぎ・・・・なんっ・・・・なん・・・誰?」


 何の用だこのやろうっ!みたいに出てきたキシにはすっかり変わったアズゴが日巡り幾つか前まで抱えていた研究者に見えなかったらしい。


「こんばんはキシさん。夜分に申し訳ありませんが、ディーダに会わせてください。

 そして食べ物をください。」


 ばーん、とアズゴは言い放つ。


「・・・はい?」


 キツネにつままれた上に突かれたような顔をするキシ。


「・・・おん?」


 とやや驚きながらも、そうだ、そうしろ、みたいな顔をするサヴラフ。


「早くしていただけませんか。」


 睨むアズゴ。お腹をさすっているあたりが彼女にとっての催促の合図なのだろう。


「・・・わ、かった。」


 え?どっちを?みたいに迷うキシも、闇夜にあって目を引く倒れた警護衆を見止めればそう返さざるをえなかった。


「とりあえずよかったなアズゴ。

 なぁキシさんっ、コトの経緯は必ず話すんで今は呑んでくんねーかい。」


 サヴラフはもとより、アズゴとてこんな乱暴なやり方は望んでいない。

 しかし急がねばならないという共通認識がキレイゴトを向こうに放り投げさせた。


「そうね。・・・それとキシさんっ! わたし、川魚はちょっと苦手なのでっ!」


 ぴしゃりとやるアズゴ。

 えー?となるキシ。

 そーだそこ配慮しろ、みたいになるサヴラフ。

 今宵のキシ邸は無駄に静かだ。



 もぐもぐもぐもぐ。


「――――ってのがまぁ事のあらましだ。オレが説明できんのはここまでだな。」


 もうずっと、ディーダが座敷にやってきてからもずっとアズゴは食べ続けている。

 だのでサヴラフがおおまかなところを伝えたようだ。


「待ってくれに。アーフィヲがなんでその・・・獣化? 真然体になっても自我を保ってるのかなや? それにアズゴも。」


 基本的な事実確認だったが、ディーダも表で目にした光景はもはや〔魔法〕としか言いようがない。

 そのカラクリというのか仕組みというのか、そういったものが理解できなければ対処も対策もないのだ。


「もぐもぐ・・・んぐ。はぁ、おいしかった。ごちそうさまでしたキシさん。


 えと、これは偶然だったの。でもね、はっきり言えるのはわたしが白者の系譜にあるから「真然体でもわたしであれる」ってこと。

 おそらくアーフィヲは古来種だからでしょうね。


 そもそもヒトと獣の間のような容姿というのか、そういう存在である古来種がなぜずっと残り続けたのか不思議だったもの。


 平時においてはいわゆる普通のヒトと異なる体質を持ってるわけでもないし、それに古来種は劣勢遺伝らしいのよ。普通のムシマ族との間に子をもうけても古来種にはなるのはとても稀だ、ってことね。

 でもこれで少し納得できたわ。


 なんて云えばいいのかしら、「真然体になることを拒んだ」のが普通の種で、「真然体にまだなりたがっている」というか、「なることを拒絶していない」のが古来種って考えればいいと思うの。


 エシドという本能は今までヒトの意志でどうにかなっていたでしょう?

 つまり古来種っていうのは白者とは別の形で「真然体の番格が自我を手に入れた種」って考えればいいと思うの。


 んー。少しここで整理しようかしら。

 まず干渉について。


 獣化した真然体なら誰でも、きっとニロでも仮構帯へ引っ張り込めるの。これが干渉。


 でも《オールド・ハート》もなく古来種・白者でもないニロのようなヒトの場合、獣化して干渉しても自我がないからあまり意味はないわ。・・・酷い言い方になるけど「獣」でしかないから仮構帯に招いても何も伝えられないのよ。


 ところがこの「獣」である真然体に指示を下せる上司がいるの。それが番格。《オールド・ハート》を持ったサヴラフみたいなヒトね。


 ただこの番格も真然体となれば「獣」みたいにはなってしまうので、せいぜい「あそこ行け」「私に従え」くらいの命令しか出せないはずだわ。


 で、問題なのが「古来種番格」なの。アーフィヲみたいなヒトね。


 古来種はいわば生まれた時から「少しだけ真然体」なのだと思って。

 もともと真然体になることを拒んでいない種だから獣化することが特別な変化じゃないのよ。だから知能も自我もそのままなんだろう、って。


 そう考えるとアーフィヲの危険性が理解できるでしょ?

 彼ならば他者に干渉して獣化させることもできるし、真然体にさせた後も意のままに支配することができるのよ。

 下位真然体(獣)へ指示を出せる番格(上司の獣)さえも操れるのだから。」


 あは、まったくその通りだぜ!みたいな顔をする。

 みんなで。


「・・・あ、あの、すまないが、確か「白者」というものは獣化? を鎮めることができたのではなかったか? あ、えと、違ったか?」


 もうすんごく自信なさげに発言するキシ。横にいるディーダとサヴラフは勇者でも見つけたように驚くだけだ。よく質問できたなアンタ、みたいに。


「ええ、できます。

 でも、えっと簡単に言うとですね、エシドというものは組み込まれた「本能」なわけです。誰にでもあってウズウズしているものです。


 だからそれを抑えつけるのは解放させるよりも難しいんです。・・・ニロにも試みましたがアーフィヲの方が勝っていて。そして正直に言うと、ものすごく疲れます。


 たぶんそれはアーフィヲ側にも云えるでしょう。


 いくら止めた川の堰を「外すこと」の方が堰を「設える」より容易くても、それは何の負担もないということではないから。


 とはいっても純粋な真然体と違って、白者はエシドを抑える力を持った代わりに真然体らしい能力が微弱なのです。


 えと、「叩く力」があるとしますね。

 で、えと、家を建てる時って、木槌を振う「叩く力」は必要ですよね? でも同様に組み立てたり設計したりする、いわば「作る」力も必要です。

 一方、同じ「叩く力」でも壊す方は強いだけでいいのです。

 脇目を振らずに純粋でいられるからこそ、「作る白者」より「壊す真然体」の方が「叩く力」が強いんです。・・・・わかります?」


 長く、とても長く続く空への階段をディーダとサヴラフはうふふと笑いながら駆け上がってゆく。不思議とその背中には純白の翼が見えたとか見えなかったとか。


「・・・ふむ。・・・ふむふむ。わたしの思ったとおりのアレだった。まさに思ったとおりのアレだった。ふむ。本当によかった。」


 最後の安堵はさておき、面目を無事保つことに成功したキシは脱落せずに済んだ模様。


「うぉ・・・・あ、あ、アズゴ、そんな所にいたのか。危なかったな。


 ・・・あいや、さておきだなアズゴ、アーフィヲを「止められる」って言ったよな? それについて説明してくれ。わかりやすくだ。いいなアズゴ。ディーダのためだ。わかるなアズゴ。・・・ああそうだその通りだ。オレのためだよアズゴ。」


 舞い戻ってきた敗北者。応援は随時募集中だそうだ。


「そうね。でもその前にユニローグとメタローグの話もしないといけないわ。・・・ええ。どうやらわたしも白者という真然体になったからでしょうね、記憶とは異なる情報が「拓かれた」みたいなの。


 わたしがやろうとしていることは可能性にすぎないわ。でも、信じて手を貸してもらわなければできない事だから聞き届けて。


 ・・・その昔、のちに白者と呼ばれる存在が現れたの。本当は何人も誕生したはずだわ。その中には生き延びられた者、別の生き方をした者、生き延びられなかった者もいる。

 とりあえず話はひとりの白者がメタローグ・大白樹ハイミンと言葉を交わしたところから始めるわね。


 神代種メタローグという存在は代を替えてもなお「卵」によって知識を継承することができるの。不思議よね。

 でもとりわけ群を抜いているのがハイミン。

 彼だけは代を替えることなく神代から歴史を見続けてきたから「卵」を産むこともなかった。・・・あの、どうやら「卵」を産むことはできるらしいのよ、どんなものかは知らないけれど。


 で。えと、ハイミンにも自我はあるの。だから彼を訪ねてくれる大白鴉メル・大白狼サイウン・大白鯨ワイグが代替えの時期に差し掛かると話し相手がいなくなってしまうのね。メタローグの成長にはとても時間を要するみたい。


 だからそこに現れた、動物とも真然体とも異なる「ヒト」である白者に出会えてうれしかった。

 そこでハイミンはその白者を愛したの。大白狼サイウンもその時はいたっていうからふたりで育てたのかもしれないわ。

 そして成人した白者を彼らは仮構帯へいざない、共交層領域の最深部・ユニローグへ向かわせたのよ。


 ユニローグに関してはちょっと今は割愛させてもらうけれど、とにかく、えと、《緋の木伝説》以前のその悲劇を知り、真然体という厄介者をどうにかしよう、ってなったの。

 ・・・んー。ちょっと乱暴な文脈かしら。


 でも、そうなったの。

 それから幾つもの白者が永い時を掛けてメタローグたちと共に真然体を「ヒト」に変えてきたわ。

 そうね、簡単に言えば、彼らは「エシドと一緒にユニローグを括り付けて心の深い井戸の中へ閉じ込めてきた」のよ。」


 佃煮の虫を皿の縁に並べるサヴラフ。

 サラダの野菜を大きい順に揃えるディーダ。

 干し練りをうず高く積み上げるキシ。

 自我の崩壊は、近いぞアズゴ。


「うんにゃーっ。おうふ、こんな所にいたのかにアズゴ。危ないところだったなや。


 ・・・えと、あの、なんだったかなぃ、メタローグはなんで白者が現れる前に真然体を「ヒト」に変えなかったのかなや?

 真然体がそんなに危なっかしい存在なら、そいでできるんなら初めっからやっときゃよかったんだに。」


 虹を渡るととりあえずみんなアズゴを心配するらしい。


「・・・。してた、のかもしれないわね。ただしそれは「ヒト」に変えることではなくて、別の形で真然体というものを支配していたのよ。


 ・・・大白樹ハイミンはその大きな根よりずっと広い場所まで干渉する「領域」を持っていたわ。白者に出会うまではその力で「命令」して・・・

 殺し合わせていたの。


 大白狼サイウン・大白鴉メルはその巨躯で「狩って」いた。海へ浜辺へ逃げればそこには大波を起こす大白鯨ワイグがいる。


 ・・・アゲパン大陸に、隠れる場所なんてなかったのよ。」


 ランダムに錯綜する言葉やイメージがぴたりと合ったのだろう、アズゴにとっては思い出すことのできるその「写像」がサヴラフの脳裏から目に稲妻を走らせる。


「わ、かった。オレにも、いま見えたぜアズゴ。


 ・・・そうだ。そうなんだよディーダ。オレたちがメタローグを崇めるのはその神々しさや異形に畏れたからじゃない。


 恐れたからなんだ。


 メタローグは――あんたらはまだ見てないだろうが真然体ってのはバケモンなんだがよ―――そんなバケモンの、いわば「天敵」だったんだ。」


 ずっと、きっとヒトであれば誰もがずっと「このアゲパン大陸の支配者は自分たちだ」と信じてきたはずだ。

 言葉を持ち、知恵を持ち、文明を持ち、動植物を飼い馴らすことのできる自分たち「ヒト」こそが支配者なのだと。


 だが真実は違っていた。

 あるいはだからこそ、その真実は閉ざされてきたのかもしれない。


「待て! ということは何か? メタローグは我々にとっての捕食者だったというのか? 

 ならば、ならばなぜ討たぬ? 我々を脅かす――――」


 そうなる。

 この真実を知れば知恵をつけた「ヒト」ならば必ずそう考え、そして行動に移す。


「いいえキシさん、早とちりですよ。


 よく考えてください、たとえ白者が「言葉を交わし合える存在」だったとしても、メタローグにしてみればいつ「獣化するかわからない種」のひとつなのです。


 白者が偶然現れたように、「ヒト」に変えてもやがてまた真然体になるかもしれないのですからその危険性は捨てきれない。

 彼らメタローグから見れば、大多数の真然体の候補たる「ヒト」は世界を脅かしかねない「可能性」となります。


 ええ。


「メタローグの天敵」が、「エシドに支配された真然体」なのです。」


 一部だけ切り取ればヒトは「被害者」になる。

 だがなぜメタローグの「被害者」になるかの所以をきちんと知れば破壊し、植物や動物たちを殺し、住みよい世界を奪っていくエシドの「業」を知れば、ヒトの中にこそ「悪」の源は見て取れる。


 ヒトを狩るメタローグが正義か、メタローグを含め大地の命を狩るヒトが正義か、それは誰にも断じることはできない。


 だから。


「なんなんだにそれ。なんか聞いてると悪者が誰なのかよく分かんなくなってきてしまったんだに。」


 そういう、何も断じないという不安定な均衡の先に今の世界が築かれたのだろう。


「だな。だがそれがメタローグの決断だったんだろ。

 破壊者だから根絶やしにするってコト自体、自然物の長・メタローグにしてみりゃ不自然なこったからな。


 さてと、話が逸れちまったが方向性は見えたか。

 アーフィヲもこの事実―――メタローグさえも脅かしかねない「真然体の破壊力」は知ってる、ってワケだろ? だから絶対的な「力」を手に入れたと理解し、動き出した。

 なぁディーダ憶えてるか? あんまし言いたかなかったがな、オウキィの傍にニナイダ族の村があったろ。


 あれ、もうもぬけの殻だったぜ。・・・察しは付くよな?

 アーフィヲは間違いなく「兵」を揃えてる。


 村民の中には一人二人くらい《オールド・ハート》を持ってる番格もいるだろ。となりゃ指示系統も統制できるいわば「軍」だ。

 自我を保ち操ることのできる将軍をアーフィヲとした、な。


 そしてたぶん、これからも数を増やしていくだろう。

 古来種の《オールド・ハート》保持者、あるいはアズゴのような白者以外はアーフィヲが獣化できるからな。」


 それは、開戦を意味していた。


 白者+メタローグと、知恵を持たない真然体におけるかつてのそれとは次元の違う、


 それは「戦」だった。


「そうなるわね。きっと黒影さんがあの菌界に留まったままニロの体を手に入れられなかったのなら、こんなにあっけなく多くのヒトのエシドを覚醒させることはできなかったはずよ。

 エシドという破壊衝動の本能に肉体を手渡したことが呼び水になったの。


 それはわたしたちの過ち、いえ、罪なのです。


 ただしその贖いはわたしたちだけでは賄いきれないわ。メタローグの知恵と力を借りなければ。そしてディーダ、キシさん、あなた方の理解と協力も必要なのよ。」


 能力はそれを使う肉体があって初めて発揮できる。

 だが今、気の遠くなるような歳月が鎮めた大火は復古の時を渇望していた。


「そーゆーこった。信じろってのは無茶かもしれねーがメタローグに会えばそれも納得してもらえるだろ。

 だがそれまで疑ったまんまで構わねえ、ってほどの猶予はねーんだ。周りを見渡して得心する頃には手遅れだからな。


 ディーダ、メタローグの居所は知ってるか?・・・そうか。とりあえず浮島シオンでハイミンに会ってから探してみるとしよう。ハイミンも手伝ってくれるだろうしな。」


 古い情報で「大白鴉メルの巣」とおぼしきものは知っていたディーダ。

 彼ら神代種との接触にはアズゴたちが向かわねばならない以上、商業組合などに構ってはいられない。


「ししし、ならアタシも行くに。キシさんもそれでいーなや? しし、もう力で脅すことはできないからなぃ。それにココで立ち上がらなければ未来がないんだに。


 アーフィヲがどこまで考えているのかはさっぱりだがなや、この先にあるのは真然体ばっかりの「ヒト」のいない世界なんだに。そんなモンお断りなんだなぃ。」


 罪の一掃。


 そうアーフィヲは残し、掲げて突き進んでいる。


 しかしそれを果たした暁に広がるのは知恵も言葉も持たない獣の真然体だけだ。

 彼の王国には文明など存在できないだろう。

 ただ飼い馴らされた野性があるだけなのだから。


「確かにそうだな。わかった、わたしもそなたらの話を信じ協力しよう。ふふ、目の当たりにしなければ荒唐無稽と一笑に付していたことだろうがな。

 して、当面は何から始めればよい? 急ぐ旅に馬を貸すのは構わぬ。あとは・・・」


 これからの「戦」の見通しはどうあれ、勝ち馬に乗りたい商人としては「メタローグと親交がある」という金看板が手に入るこの大博打に二の足を踏む理由はなかった。


「ふふ、ありがとうございますキシさん。

 えと、まずは組合に呼びかけてできるだけ広く《オールド・ハート》の所有者を探してください。彼らがやがて番格になりますからね。


 番格がいなければいくらアーフィヲでも末端まで面倒見きれません。そのため彼はまっさきに《オールド・ハート》を見つけようと躍起になるでしょう。


 それから次に「拒否する」ことを徹底して指示してください。


 おそらくニナイダ族をまるごと覚醒できたのはそのことを知らなかったから。そして知っていたとしてもアーフィヲなら弱みを握って「承認」するよう企てたでしょう。

 誰か一人を獣化させたあと「元に戻してほしいなら」とか「孤立したくなかったら」なんて言われたら従うしかないもの。


 でも仮構帯はあくまで「意志の世界」です。

 そして穴を穿てば決壊させるほどの勢いを持つエシドであっても、現在のわたしたちは封じることができる「壁」を持っているのです。


 この「壁」は侵入者に突き破ることはできません。

 気の緩みや気おくれからでも穴を穿てるのは本人だけなのです。・・・それと、これを。」


 空のまま伏せられていた陶杯を返し、


「ちょ、何するんだにっ!」


 きれいに拭ったナイフで手首を切る。


「何をっ、何をしておるのだっ!」


 勢いよく吹き出すそれをアズゴは陶杯に注ぎ、キシを見つめる。


「大丈夫・・・ほら、すぐに傷が塞がっていくわ。


 ・・・それよりこれを口に含むなどして体に取り入れてください。

 これは真然体との訣別の血。


 本来の血の運命に抗い「半」獣化できる、これは「血聖」。


 エシドに呑み込まれることなく、エシドの超然能力を一部だけ使いこなせる血です。

 人工的に白者を量産できなくとも、この方法を用いればそれに近い個体を生むことはできるのです。


 ただ心してください。

 適応するとこの血聖は完全な獣化を妨げる盾となりますが、半分は獣化するためエシドへの感受性は強まります。つまり、「壁」が薄くなるのです。


 そのため決然と拒絶を示さなければ獣化へ向かう道に変わりはありません。」


 にわかには信じがたい話だった。


 特別な白者の血ひとつで何ができるとは思えなかったのだ。

 手首を切るという決意はそこに見て取れても、それより血の授受がもたらす病気の伝染の方が身近な危険として気掛かりになってしまうからだろう。


「不安そうだなキシさんよ。ちょいとコレ見てみな。・・・な? 

 普通の血液はこんなにすぐ固まりゃしねーのよ。そいでアズゴの血ならすでにオレが飲み込んだ。


 わかるかい? 

 これぁ白者の血、以前にフロラの血なんだぜ?


 まー個体差はあるから無理強いはできないがな。だがオレは元気だし、この「血聖」も定着は仕上がったみたいでよ、オレの血も・・・うりゃっ・・・な? 

 不思議な性質を手にしたみたいなのよ。


 これから同化・順応を経た後どんな変化が出てくんのか、仮構帯ではどう影響するのかはこの身で試してみるけどな、実験結果を取りまとめて検証して発表する頃には手遅れになっちまう。


 わかってることは少ねーが、わかれば使える可能性はゴロゴロしてんだ。

 とりあえずアズゴの血は使ってほしい。でなくても保管して使えるようにしておいてくれねーか。このとおり赤沙を織り込んだ紙なら蒸発も防げるし外気中の雑菌も消毒できる。」


 しぱっと切り裂いた手から垂れる血をそのままにしておくと、不思議なことにプルプルとしたゼリー状に変容した。


 そしてディーダから何の断りもなくかっぱらった赤沙紙にそれを取り置いても赤沙が熱を帯びることはなかった。


 ゼリー状になる時その一番外側に、血液や菌類のタンパク質を膜のように展開することで水分を外に漏らさなくなるのかもしれない。


「・・・わかった。まずは急ぎ紙鳥にて報せを放つことにしよう。

 血は包んでおいてくれ、わたしもこの異様な理を目撃したのだ、協力はいとわぬ。

 それでは今夜は休むとよい。」


 そうして食事の間を出るキシも信じてはくれたようだ。今はそれだけでもありがたい。

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