④ 真然体と野心





 ぐるる。


「うっ・・・覚めたのかこりゃ・・・

 んあっ? ニロがいないぞっ! おいあんたらも起きろアズゴ、アーフィヲっ!」


 一足先に目を覚ましたサヴラフが洞穴に倒れる二人を叩き起こす。


「あはん・・・あ、いや、えと、ニロはっ?」


 妙に色っぽく起きるアズゴ。それを眺めるサヴラフはだいぶ満たされた顔だったそうな。


「おうふっ・・・ニロ?・・・外へ急ぐぞ。」


 さすがタフガイだけあって目を覚ますなりアーフィヲは駆け出す。


「だな。さっき鳴き声も聞こえてたからまだ近くじゃねーか?」


 荷物を放り、サヴラフはアズゴに肩を貸して出口へと走る。

 仮構帯での整頓された理解は意識を取り戻した途端に散らかってしまったものの、辿るように組み立てればなんとなくは思い出せた。


「結局まだ謎ばかりだったけれどニロ以外に変化はないみたいね。

 ・・・あら? アーフィヲ、あなたまた髪が伸びたかしら?」


 明るい出口に近付くにつれ各々の顔が見えるようになったから気付いたのだろう。そしてなにより、「変化」というものに気を配らねばならない状況がそうさせたのかもしれない。


「お、そー言われりゃそうかもな。あ、じゃあオレはどーなって・・・

 っていやいやいやっ! アズゴあんたがどーしたってんだっ! 美白効果のお試し期間を経てきたのかっ? 髪まで真っ白だぞっ!」


 先をゆくアーフィヲの長い髪を見止めて隣に目を移すと陽の光に色を取り戻したアズゴの異変に気付く。

 それはまるで、ユニローグの中で見たあの「白者」のような姿だった。


「へ? あら、白髪になっちゃったみたいね。ふふ、でもツヤは失ってないのね。」


 あんたこの期に及んでなにキューティクルの心配してんだ、みたいな顔で見つめるサヴラフ。しかし「白い髪になってもあんた、べっぴんだぜ」みたいにキリリとしちゃうから始末が悪い。そして今そういう事態じゃないのにすぐみんな脇道に逸れるから緊迫感が長続きしやしない。


 そこへ。


「ニロっ!」


 ひと足先に洞穴を出たアーフィヲが案ずるように、でもどこか怒るように声を張る。

 その先に目をやると、


「おいニロっ! 戻って来いっ!」


 そこには背を丸めてこちらを睨むニロがいた。


「ニロっ?・・・どう、したの?」


 ただその異様な顔つき、そして体つきがかつてのニロを微塵も感じさせない。


「ぐるる・・・」


 それに気付き、ニロは喉を鳴らす。

 ヒトの喉の構造上、決して出ることのないそれは獣の唸り声だった。


「・・・あれが、エシドを解放した「真然体」ということかっ?」


 わからなかった。

 まだ頭の整理ができなくてわからなかったが、このままではいられないアーフィヲはニロの元へ駆け寄る。


「よせアーフィヲっ!・・・ジュウカ・・? カンショウ・・?

 くそっ! 頭ん中に次から次へと言葉が湧いてくんのに意味がワカりゃしねーっ!」


 他の二人も同じとはいえ「拒絶」を示したサヴラフはことのほか厄介だった。

 ユニローグへの導入という、本来「承認」を経て進める段階へ移行してしまったために知識がバラバラなままに流し込まれたようだ。


 状況を説明する単語が浮かんでもそれはもはや暗号と変わりないものに過ぎない。


「えと、えと、考えて。考えて。・・・「獣化による、干渉」・・・?

 アーフィヲっ! 番格でなくとも干渉はできるわっ! 気を付け・・・もうっ!」


 共交層領域のさらに深部にあるユニローグへ導かれたためか、変容を遂げたアズゴはいち早く降り積もった言葉を理解し、そしてニロの元へと駆ける。


 ニロが《オールド・ハート》を持つ「番格」でない以上、仮構帯での占有権が奪われることはない。しかし「干渉」という形で引き込むことはできる。


 アズゴが危惧したのは仮構帯という「閉ざされた扉」が頻繁にこじ開けられることでエシドの覚醒を促してしまうのではないか、ということだ。


 だがそんな懸念に心を割く余裕などない。


「ぐるるっ!」


 跳ね回り吠える声に、感情はあれども言語はなかった。

 ユニローグの中で見たあの女のような今のニロはまるで、獣だった。


「目を覚ませニロっ!」


 錯綜し迷走する知識はただ、ニロを元に戻す方法だけを探る。

 しかし。


「ダメだ逃げろアーフィヲっ!」


 ぐるる、と勢いをつけて地面を蹴るニロ。

 その瞬間に舞い上げられた巨大な砂煙が異質な「力」をまざまざと見せつける。


「やめてニロっ! おねがいっ!」


 飛ぶようにアーフィヲ目がけて走りくるニロのスピードはさらに加速し


「おいちょ、アズゴも戻れってんだっ!・・・ったくっ!」


 駆け寄るアズゴより早くアーフィヲの懐へ滑り込むと


「ニロっ!・・・っくっ!」


 アーフィヲより太くなった腕を振りかぶり


「ぐるるっ!」


 叩きつける。


「うおおおっ!」

「きゃああっ!」

「アーフィヲっ!」


 その衝撃はもはやヒトの腕力では説明できない。


「ぐるるる・・・」


 振り下ろされた地面は抉れ


「おれは大丈夫だっ!」


 あたりは霧に覆われたように砂埃に霞む。


「くぉっ、なんだそのデタラメな腕力はっ! アーフィヲ、とにかく無事なら逃げろっ! ニロは・・・もうバケモンだぞっ!」


 まだ肉体がその能力に慣れていないのだろう、シルエットに陰るニロは体の具合を確かめ息を整えていた。


「ニロ・・・アーフィヲ、ここは退きましょう。狩人でもないわたしたちではもうどうすることも・・・・・・アー、フィヲ?」


 もはや絶体絶命でしかない。

 圧倒的な筋力と不可思議な能力を前に、武器も持たない研究者風情が太刀打ちできるはずがないのだ。


 なのに、


「・・・アズゴ。もしかするとおれは・・・」


 何かに気が付いたアーフィヲがそこで、不敵な笑みを浮かべる。


「おーいっ! 何やってんだあんたらーっ! いーからとっとと逃げるぞーっ!」


 砂の幕に覆われた二人を探すサヴラフは声を上げる。

 自我の放棄のためか、頭の回転が鈍くなったニロがモタモタしている今だけが逃げるチャンスだった。


「・・・始まってるって、そう感じているのね・・・あなたも。」


 すっくと立ち上がり見下ろすアーフィヲと、それを見上げるアズゴ。


 あの驚異的な速度のニロから無傷で身を退けたのは、どうやら偶然ではないらしい。


「・・・アズゴもか。どうなるか解らないが、やってみる。」


 二人は少しずつ今までの感覚とは異なる範囲や精度で世界を知覚し始めていた。


 時間をスローに見届け、離れたヒトの鼓動を聞き分け、怒りや恐れ、焦りや戸惑いを色で検知し、やがては筋肉をはじめ肉体を作り上げる成長を支配できる、そんな予感さえあった。


「よしてアーフィヲっ! 番格として覚醒できても獣化には変わりないわっ! あなたまでニロのようになったらわたしたちは――――」


 背中の《オールド・ハート》により「番格」という、ニロを仮構帯で操れる優位性は手に入れられる。


 だがそれはあくまで獣化した者同士の序列でしかない。


 それでも。


「それでも、やるしかない。」


 番格となればアーフィヲならニロを従わせることができるかもしれない。

 しかしアーフィヲまでもが獣化した「真然体」となるかもしれない。


 でももう、賭けるしかなかった。


「おーい、お、そこかアズゴっ! あんたら早く逃げ――――」


 そこへ。


「ぐるるるるっ!」


 ニロの狂った顔が煙から飛び出す。


「サヴラフ危なっ・・・っく、おおおおおおっ!」


 それをすかさずアーフィヲが体で受け止める。・・・受け止め、られる。


「アーフィヲっ!・・・なら、なら、わたしだってっ!」


 暴れ狂うニロの両腕をがしりと掴んでアーフィヲが身動きを奪うと


「ちょとあんたらナニやらかしてんだぁーっ!」


 ぶんぶん振り回して咬みつこうとするニロの頭にアズゴが触れる。


「ぐるるる・・・・ぐぅ―――」


 そして


「うぅ――――。」


 気を失ったニロを抱くアーフィヲが膝をつき


「はふ――――。」


 崩れるようにアズゴも倒れる。


「ちょ・・・ちょ・・・なんだ? どうしちまった?」


 まるで何事もなかったかのような沈黙が、ひとときの静寂を連れてくる。


「おいみんなっ!・・・どう、なってんだこりゃ?」


 だがそれも


「・・・・・・ふふ、・・・ふふふ。」


 不気味なアーフィヲの漏れ声に掻き消される。


「お、よかったアーフィヲ、ニロは?・・・こりゃ無事ってコトでいーもんかな。」


 何かがうまく成功したのだろう、白目を剥くニロはそのままに、珍しくニタニタ笑うアーフィヲの目覚めにひと安心した――――


「・・・い、けないわ・・・アーフィヲ。」


 ―――のだが呻くアズゴの表情にサヴラフは一転、言い知れない不安を覚える。


「どーゆう・・・なん・・・何があった?・・・・何があったっ! アーフィヲっ!」


 わからない。

 わからない。

 わからないがとにかく、嫌な予感が体じゅうを駆け巡る。


「・・・。もういい、アズゴ。おれがやる。」


 ほんの一瞬。


 アズゴとアーフィヲ、ニロの三人が同時に気を失い仮構帯へ行ったのであろうその一瞬にやりとりがあったはず。


 ニロをただ諌めるだけではなく


 アズゴを困らせ


 アーフィヲの何かを変えたやりとりが。


「だ、めよ。・・・望んでない。それに、しちゃいけないのよ。

 だからこそのユニローグで、だからこそ白者たちは封じてきたのっ!


 ・・・お願いアーフィヲっ!」


 立ち上がるアーフィヲとは対照的に、へたり込んだまま困憊の色を隠せないアズゴ。

 その差が、その落差がそのまま二人の距離に思えてならない。


「おいアーフィヲ説明しろっ!・・・あんた、どーしたってんだよ? 何があった?

 頼むアーフィヲ、聞かせてくれ。・・・なぁ、仲間じゃなかったのかよっ!」


 胸から体を染めるように広がる不安はすでに、怯えとなって血の気を引かせていた。


 そんな心が、共に多くを分かち合ってきた仲間にそんな感情を覚える心が許せなくて声は太く強く鳴る。


「アーフィヲ、あなたも・・・獣化しても、真然体になってもあなたのままなのね。


 でもそれなら、あなたのままならわかるでしょう? あなたはやさしいヒトよアーフィヲ。お願い、妙な考えは捨ててっ!」


 とそこで、ぐるると喉を鳴らすニロが目を覚ます。


「うおっ! ちょ、やっぱりとりあえず逃げ――――」


 まだ晴れきらない砂の霧に、真然体への疑念は尽きない。


「・・・もう何もしない、アズゴ。ニロは・・・おれの支配下にある。」


 アズゴを引っ張り上げて立たせたサヴラフたちへアーフィヲは伝える。



 はじまりの、その序章を。



「ねえアーフィヲ。を使ってどうするの? 力が敷く支配をこの世界は望んでなんかいないのよ。」


 少しずつ、サヴラフにも見えてくる。


 アーフィヲがこれからが、ぼんやりと。


「忘れたのかアズゴ。おまえたちロクリエ族が辿ってきた運命を。


 ・・・力なき者は力を持つ者に屈する。しかし力を持つ者はより強大な力を持つ者で縛り上げることができる。」


 バケモノである真然体・ニロを配下に収めることができたアーフィヲ。


 それはつまり


「忘れるはずないじゃないっ!・・・だけど、だけどそんな獣の力でヒトを抑えつけたって本当の平和は訪れないわっ!


 もう・・・できるのでしょう? 自我を保ったまま、黒影さんと同じことが。」


 ニロのような真然体へ獣化させることが可能、ということになる。


「おい、・・・なんだそれ。ニロみたいなヤツを作り出すってことかアーフィヲっ?


 んなことしてどーすんだよっ! それにンなコト続けてたってしょーがねぇだろ?


 なぁ、落ち着けよアーフィヲ。オレたちゃただの研究者だぜ? そりゃニロがこんなになっちまったのはアレだが・・・なぁ、落ち着いて、ほら茶でも沸かそ――――」


 ユニローグには触れたからだろう、散文的ながらもアズゴたちの思い至る「そこ」へとサヴラフも近付き始めていた。


 だから。


 でも。


「・・・この世界を変える。・・・罪の一掃は・・・おれたち古来種の悲願でもある。」


 わかってしまう。

 無残に狩り殺されたロクリエ族は金欲が見せた暴虐の果ての顛末だった。


 他方、各地で聞き及ぶ古来種の追放や差別は今に始まったことでもない。


 疎む心がやがて猜疑心や恐怖にすり替わったのなら、いつかは平和や正義の名の下にロクリエ族と同じ末路を迎えるだろう。


 古来種。

 その見てくれは野性を思わせ不気味に、時に奇怪に映る。


 憂き目を見てきたのはロクリエ族のアズゴだけではなかったのだ。


「アーフィヲ・・・ねえ、アーフィヲお願い。

 あなたはやさしいヒトなの。そんなことを選ばないあたたかな心を持ったヒトなのよ。わたしは知ってる。サヴラフも、ディーダも、かつての研究者仲間も。


 それを示すだけではいけないの? あなたの心を知ってもらう、あなたの学問への貢献を知ってもらう、そうして古来種への偏見を覆していく。・・・それでは、いけないの?」


 強制ではなく共生で、とアズゴは祈る。

 ただそれは途方もない時間と労力を要求される。


「・・・アズゴ。平行線に終わるな。

 間違いとは思わないが、それでは間に合わなかった。


 ロクリエ族は間に合わなかったっ!


 誰かがやるならこの役は譲りたい。だが誰も何もしてこなかった。その果てが今なのだ。


 罪の一掃・・・・。築くしかないのだ、新たな・・・・・・行くぞ、ニロ。」


 ずっと、おそらくずっと燻ぶり続けていたのだろう。


 幼少期における疎外の経験は勉学によって繋がった「仲間という居場所」の中でようやくいなすことができた。


 しかしアズゴの村での出来事はやわらかくあろうとする心にヒビを入れてしまった。


 あるいはただの研究者であり続けたならそのままでいられたのかもしれない。

 それでも「力」を手に入れた今、事を成し遂げることができるようになった今、選ぶ道は割れた心から流れ出る憎しみのまにまに委ねられるだけだった。


「待ってアーフィヲ・・・待って。・・・お願い。」


 振り返ることもないその背中に、遠ざかってゆく悲しみの背中に、アズゴは声を絞ることしかできない。


「もう・・・いい。もういいアズゴ。

 オレたちじゃもう、あいつは止められない。」


 築く、と、そう告げたのだ。


 世界の形を変え、新たな世界を築く、と。


 それがただの夢想なら。いま見たすべてが幻なら――――


 そう思う心はしかし、目の前の抉られた地面に打ち砕かれてしまう。


 できる力と叶える意志。

 それがあり、それが進み、それが止まらない。


 ニロひとりを押さえることすらできないサヴラフに、それを操るアーフィヲの行く手を阻む術などありはしない。


「・・・。違うのサヴラフ。・・・止められるの。」


 それは希望なのに


「・・・どういう、ことだアズゴ。」


 希望を見た者の表情からはずっと遠かった。


「サヴラフ、お願いがあるの。・・・実験に、なるのだけど・・・私の血を、飲んで。」


 そう言うとアズゴは、ガリっと唇を噛み切る。


 止めなければならないアーフィヲが止められる。

 それとどんな関係があるかなどサヴラフには頭が及ばなかったが、アズゴの願いなら拒む理由などどこにもない。


「・・・わかった。」


 たらりと顎に垂れる鮮血を舐めとり、そして傷口から吸い上げ呑み込む。


「ごめんなさいね、サヴラフ・・・でも、こうするしか・・・」


 考えがあってのその血の授受。それが奏功するかはもはや賭けなのだろう。


 だから。


「構うもんかよ。はっ! これでオレもあんたの力になれるんだよな?」


 ふふ、と笑い、ふふ、と返す。


 それでももう、疲弊は限界まできていたようだ。


「・・・ディーダは、メタローグの居場所を知ってるかしら。」


 そう謎めいた言葉を残し


「アズゴっ?・・・・・・・・・いいさ。あんたは休んでろ。」


 深い眠りについた。


「連れてってやるよアズゴ。・・・ついてってやる。どこまでだってな。」


 そう呟くサヴラフは荷物を捨て置いたままアズゴを背負い、一路キシ家を目指した。

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