⓶ サヴラフとニロ





 ざざ。


「ふぅ。まったく、せっかく再訪してもこの扱いじゃやる気が削がれますねえ。」


 キシの屋敷のあった栄え街・レオンジから西に行った森にオウキィというニナイダ族の村はある。

 前回の調査で打ち解けたからといって臆病な彼らに変化はなかった。


「仕方のないこと。忌まれはせずとも彼らはファウナ系人種で最弱の部族だ。正しい反応だろう。」


 そうアーフィヲがぐるりを見渡してもやはり物音ひとつ響かない。

 つけ込んでくる野蛮な部族たちから逃れるためと山奥に居を構えたニナイダの民に、だからこそアーフィヲは胸を痛めてしまう。隣をゆくアズゴの横顔を盗み見ながら。


「そうね。・・・ふふ、でも今回は食料も機材も備品も自前で用意してきたもの。彼らの手を煩わせることもないでしょう。」


 今回はこれで二度目ということもあり、準備にしても何がどれくらい要かの見当はついた。


「だがよアズゴ。もし、もしこの先の洞窟のアレがユニローグだったとしたら・・・ここへは一体どれだけ欲にまみれた連中が集まってくんだろーな。

 いや、んなこと考えてる場合じゃねーか! 


 くくく、門外漢のオレとしちゃーあの金属みてーなヤツと妙な粘菌をもうすこし調べてみてーからな。ディーダに高値で売っぱらわねーとよ、くく、オレたちも明日のメシに事欠いちまうだろ? くっくっく。」


 この先に夢見る「それ」が発見されたのなら、このオウキィから歴史は変わるはずだ。

 しかしそれは伝説にほだされた者たちを引っぱり込むことでもある。


 およそ何も知らないニナイダ族がこの発見により、良くも悪くも変化の渦の中へ放り込まれることは頭に入れておかなければならかった。

 おそらく、そういう次元の調査になるから。


「はっはっは、確かに明日の我が身も考えておく必要はあるでしょうねえ。僕らのような研究者の場合、分析して報告できるまでが長いですから。

 はは、それに今ではツマハジキ。こうなるといよいよ資源としてあの鉱物に価値を見出してもらわねば。」


 研究である以上は説得できるレポートにまとめなければ今後の援助も受けられない。

 それはとどのつまり、この調査でサヴラフがどれだけ素早く例の鉱物に商品価値を見い出せるかで研究の存廃が決まるということでもある。


「ふふ、でもそれだって最後はディーダが頼みの綱になるんじゃないかしら? お金になる物を見つけてもお金に換えてくれるヒトがいて初めて成り立つものだもの。

 つくづく、サヴラフやディーダに頼ってばかりね。ごめんなさい。でもね、わたしはそれよりもありがとうが言いたいわ。ふふ、でもまだ早かったかしら?」


 包み隠さず言えば、アズゴのその美しくあたたかな微笑みに心底ホレていたサヴラフは何かがこぼれないよう上を向いていた。火燈りに照らされるだけの洞窟の天井を、ただひたすらに見つめていた。


 そして。


「・・・着いたな。」


 そこは長細く続いてきた洞穴の奥の行き止まり。

 ヒカリゴケと名も知らない粘菌がわずかにあるばかりで、目を引くものといえば不思議な物質でできたクチバシのある卵のようなモニュメントだけだった。


 管理するニナイダ族によればその金属像は信仰の対象としていた時代があったものの、今では気休めのお守り程度にしか思われていないらしい。

 だからこそ調査を受け入れてくれたのだが。


「ええ、そうね。

 さぁて手順は大丈夫かしら。・・・いえ、きっと大丈夫ね。」


 前回は偶然で仮構帯へゆけた。

 だがそこは知恵と知識の研究者たち。それぞれの記憶を頼りに、なぜ仮構帯へゆけたのか、どういう順序で何をしたのかを今まで幾度も突き合わせシュミュレーションして推測を立ててきたのだ。


「まずは火、でしたかねえ。ヒカリゴケを生焼けにして胞子を出させる、っと。そして。」


 明かりが足りない、と火を焚いたら薄い霧が発生したあの時の再現。


「それから・・・おっと。なるほど、やはり粘菌はコレに呼応していたか。・・・・」


 金色世界への段取りとは別に、サヴラフの研究のため「ヒカリゴケの霧」と「粘菌」の反応は見ておきたかったらしい。


「くくく、やっぱな。ほいで見てみろアーフィヲ、どんどん粘菌が凝集して形を作り始めてきたぞ。」


 そうして得意そうにサヴラフの指さす先を見遣ると、散らばっていた粘菌は信じがたい速度で「クチバシ卵」のモニュメントに凝集し、キノコのような、時にヒトのような形をとって大きく育っていく。


「不思議ね。でもやっぱりこの粘菌は無関係に思えない・・・と、ここ、まではあの時と、ほとんど同じ、かしら。」


 狭い洞穴の中で火を焚き、あまつさえ敷き詰められたヒトと生き物の呼吸で急速に薄まってゆく空気は次第に頭をぼんやりとさせてしまう。


 あるいはこれは胞子の霧のせいなのかもしれないが、とにかくアズゴとしてはうれしかった。再現させる実験が正確だった何よりの証明となるから。


「です、ねえ。・・・で、最後の仕上げ、ですけど。」


 火を置きヒカリゴケに霧を発生させ、何か反応するであろう粘菌の動きを見届ける。

 そこまでも前回は偶発的な出来事だったが。


「・・・っ? 寝るなサヴラフっ!」


 どかん、とアーフィヲにぶん殴られて起きるサヴラフ。

 あ、オレ全然寝てねーし、みたいにやるが誰もそれを受け入れようとはしてくれない。


「お、おう。分かってるよ、そらよぉ。

 ・・・で、シメはこれだぁっ!」


 

 きゅりりりりぃぃーん。


 あの時、慌てたディーダがたまたまぶつけてしまったシャベル。


「くぅぅ、ちと強く、鳴らしすぎたか、こりゃ?」


 鉄のシャベルと謎の物質の「クチバシ卵」がそこで痺れるように鳴り響いて、


 そして記憶が「向こう」へ続いたのだ。


「いえ、こんな、感じだったわ・・・あのサヴラフ、それ、ディーダに、ちゃんと言って、借りてきたの?」


 素材が違ったら結果も違う、では済ませたくないので。


「アズゴ、サヴラフがそんな、マトモなこと、するわけないじゃ、ないですかぁ。ははは。」


 笑うニロに笑い返すサヴラフ。

 調査のためと見事に拐帯してのけたらしい。


「・・・こんなにも古い物語で、かっぱらいオチか・・・」


 ちょ、やめてよアーフィヲ興ざめしちゃうわ、とか、バカ、オレの子孫はあんまり関係ねーだろ、とか、僕のところ・・・あれ、全般的にみんなの子孫がどこかでかっぱらいオチに?とかが聞こえたとか聞こえなかったとか。


 とまぁどうでもいい感じで四人は倒れていった。



「・・・。妙ね。成功したのに寝ざめが悪いわ。」


 まださっきの話を引き擦るアズゴが目を開けると、そこには金色の世界が広がっていた。


「・・・。どうやら上手くいったようですねえ。さすがに二度目となると落ち着いていられる気がしますよ。」


 初めて訪れた時のことはほとんど憶えていなかった。

 あまりの衝撃に思考はおろか感情や感覚も完全に音を上げていたから。


「・・・。慣れるってこたないが確かに以前よりはハッキリ考えられる気はするな。ただ冷静になった分だけ気になるのはココからの抜け出し方か。さっぱり憶えてねーぞ。」


 気を失うようにしてこの世界に現れ、気を失うようにしてこの世界から消えた。


 たった一人での体験だったら夢としか思えないそれも、ディーダを含めた五人全員が経験していたから現実と確信できたのだ。

 とはいえ今度はその現実というものと膝を突き合わせていかねばならない。


「・・・。あれは何だ?・・・・いや、これ、は?」


 あれ、と指したところにあった黒い影のようなものが、それを見止めた瞬間それぞれの足元にいる。


「あった」というより「いる」のだ。


「ぐるるる。」


 そして「それ」は唸る。

 まるで応えるように。


「うぉ、なんだ生きモンかっ? ん?・・・なんだ、それ。」


 びくっとしたサヴラフの足元から離れた黒い影は、そこで他の者たちの影とひとつに固まり揺れる焚火のようになる。


「前はこんな生き物いましたかねえ。まぁそれどころじゃなかった気がしますけど。はっはっは。」


 不思議と驚きや恐怖といった感情が緩やかになっている気がする。


「・・・タイヨウノ テオチ、か? 先祖が伝える「影」?


 ・・・あの一文は何を示していた?」


 結局新たな解釈を与えてなおよく解らなかった古文書の一節。

 それに関してはアーフィヲに限らずアズゴ、ニロも改めて頭を捻る。


 そこへ。


「ヨウヤク道ヲ拓イタカ、被造子。知レ。答エハ閉ザシタ意志ノ根ニアル。」


 おいしゃべんのかっ!と感情が緩やかになってもまだリアクションの大きいサヴラフはたまげる。

 素が感情豊かなのだろう。


「拓く? 閉ざした意志?

 ・・・それはまるで「わたしたちがあなたを覆い隠してきた」、そう聞こえるのだけど?」


 おいしゃべんのかっ!と得体の知れない影に話しかけるアズゴに声を張るサヴラフは気持ちよさそうに指を震わせる。

 専門家ではない自分の、それが役割なのだと自覚したのだろう。


「拓ケバ理解デキルハズ。根ニ目ヲ向ケ、種ニ還レ。

 メタローグノ呪縛、被造子ノ桎梏ヨリ解キ放テ。」


 オレハ家ニ帰ル。と黒い影のマネを始めるサヴラフ。

 言っていることが理解できてもつまらなくなってきたのだろう。


「メタローグの呪縛とは? いや、それよりもユニローグとはなんですかねえ? カラカラは? 君がなぜ答えることができるのかもできれば知りたいっ!」


 ニロ、欲張リ過ギダ、と性懲りもなくマネを続けるサヴラフ。

 だんだん楽しくなってきてしまったのだろう。


「カラカラトハ、メタローグニヨリ抑エツケラレタ、ユニローグダ。」


 カタカナバッカジャ、読ミヅライダロ、と向こうで大爆笑するサヴラフ。

 酔えば笑い上戸になるタイプなのだろう。


「カラカラの経典もそういえば比喩や婉曲ばかりよね。わかりにくいし説きにくいからイモーハ教という代替信教が興ったというのが俗説だけれど、でも、だとしたらわたしたちはユニローグというものを手放してきた、ということ? 


 それにメタローグが抑えつけたって?

 被造子・・・わたしたちの桎梏って、なに?


 ・・・いえ。わたしたちが・・・閉ざしてきた。抑えつけてきた?


 ・・・手放してきたのね、本当に。」


 アズゴハ本当ニ頭ガイイナ、とマネするつもりもないのにしゃべり方が似てきちゃったサヴラフ。

 そろそろ本題に加わりたくなったのだろう。


「放シテモ離レルコトハナイ。忘レテモ失ウコトハナイ。種カラ芽吹イタ幹モ枝モ葉モ実モ、根ヲ切リ離シテ、失クシテハ成リ立タナイ。新タナ種トテマタ同ジ。」


 黒い影の言いたいこと。


 それは地表に見える枝葉や木の実を今の自分たちに見立てた喩えなのだろう。そして生まれた源、育っていく中で見えなくなった根本は代を替えても続いていく、と。


 それはまさに「ホシノ(祖先たちが)ムツブ(手を取り繋いできた)」根源だった。


「・・・なぜメタローグはユニローグを封じた? それとも先におれたちがユニローグを追いやったのか?


 解き放てとはどういう意味だ。・・・どう、すればいい。」


 文脈は教える。

 解き放つことですべてに答えてくれると。

 すべてが理解できると。


「受ケ容レヨ。根ヲ知リ、種ニ還ルノダ。」


 ゆらり、と影は揺れてひとつ近付いてくる。

 ゆらり、と呼応するようにアーフィヲも踏み出す。


「ちょっと待てぇいアーフィヲっ! 

 あんたこんな得体の知れねーヤツを信用するってのか? これから何が始まるかもワカりゃしねーってのによぉ。ちったぁ落ちつけよ、らしくねーぞ?」


 呆けるように手を伸ばすアーフィヲの肩をむんずと掴むサヴラフ。


 そして「なぁ、そう思うよな?」と振り見た先に、怖気が走る。


「・・・へ?」

「・・・え?」


 ほんの一瞬、でも確かにニロもアズゴも影に近寄ろうと足を動かしていた。


 だから、


「大概にしとけよこの黒影野郎っ! あんたらもだっ!


 ・・・ちっ! おい黒影っ、オレたちはもう戻るっ! どうすりゃいいっ?」


 何も根拠などない。

 ただ、自分たちより遙かに「何か」を知るこの黒影がアズゴたちをいざなおうとしていることは明白だった。


 目的もわからない、その先で何が起こるかもわからない、なによりこの状況そのものだってわかっていない。


 こんな不確かな土壌で根を張れという方が無茶なのに、それを三人とも知ってか知らずか押しのけて進もうとしている。それが、その軽率な判断がサヴラフには鼻についた。


「いや待ってくれ黒い影。・・・まだ、まだ・・・


 サヴラフ、おまえこそどうした? 怖気づいたのか?」


 すがるアーフィヲは滑り込むように黒影の元へ跪きサヴラフに毒の言葉を投げる。


 だがその挑発はむしろサヴラフを戸惑わせた。今まで見せたことのないアーフィヲの一面が、こんなところでこんな形であらわになるなど思いもしなかったから。


「そうですよサヴラフ、彼・・・彼でいいのかな? まぁとにかく彼だけが水先案内者であることは理解できるはず。ここで手をこまねいて機会を逸したら僕らはもう何も得ることはできないでしょうねえ。 


 ここまで来て二の足を踏む方が奇異に見えますよ、サヴラフ。」


 言わんとすることはわかる。自分のこの予感がただの勘でしかないことも。


 しかしそれでも。


「いやだから落ち着けって!・・・アズゴ、あんたもか。あんたも、死に急ぐのか?」


 説得が無理でもこの拭えない不信感が、未知や危険に備えようとする心構えがどうにも伝わらなくて、困る。


「死に急ぐだなんて。・・・サヴラフ、わたしたちもこうすることが最善なのか迷いはあるの。

 でも・・・でもねサヴラフ。わたしたちにとってこれは希望なの。何が生じるのかもわからないし、もしかしたら命を落としてしまうかもしれない。

 あまりに不可解で、あまりに不思議で、あまりに胡散臭いのはみんな感じていることよ。


 それでもわたしたちは求めてきたの。探してきたの、この先を。続きを。

 退くわけにはいかないのよサヴラフ。知るためにここを訪れたのだから。


 だからお願い、わたしたちの希望を奪わないで。」


 きちんと、そこにはきちんと、覚悟があった。


 どうなってもいい、という覚悟。

 なんとしてでも進む、という決意。


 だから、


「・・・そうか。わかった。なら好きにしてくれ。ジャマして悪かったな。」


 決意と覚悟は景色を変える。

 締まりのない我欲で歩くのとはワケが違う。


「・・・うん。ありがとうサヴラフ。


 ふふ、さて黒影さん、示して。それがあなたにはできるのでしょう?」


 ふふと微笑むアズゴは、それから今度はためらいなく黒影へと近寄り膝を折る。


「了解シタ。デハ我ヲ受ケ容レヨ。桎梏ヲ解キ、己ノ意志デ。」


 ぐるる、と黒影はどこか笑ったように揺れる。


 そして。


「はい。お任せします。」

「ええ、従いましょうかねえ。」

「ああ、受け容れる。」

「オレは断固として拒否だ。」


 もー、サヴラフの意地っ張り!などと小突かれる中、


「承認ヲ確認シタ。


 ・・・・ヨウコソ、ユニローグヘ。」


 ぶわりと黒影がそう放ち大きく揺れると


「きゃっ。」


 黒い影は瞬く間に広がり


「これは・・・僕らも、ですか。」


 空間すべて、そこにいるヒトもすべて黒に呑みこみ


「始まりなのか。それとも。」


 まるで芝居の幕間のように


「ちょっと待てっ! オレはだから拒否するっつったろーがよっ!」


 音までを閉ざして闇に沈む。


「・・・メンドクサイ。」


 そして「一人だけ区別するとかもうホント面倒臭い」と判断した黒影により次の場面へ世界は移る。


 サヴラフの「あんたそーゆーテキトーこいてんと後でもっとややこしくなるんだかんなっ!」とのクレームを孕んで。

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