ものがたり 最後

山井 

最終章 それぞれの未来 ① アズゴとディーダ





 それは初の試みだった。


「何かしら・・・妙な胸騒ぎがするの。」


 まだ若い女性でありながら古い時代を紐解く学問に携わるということも、ユクジモ人でありながらファウナ系人種の男たちと研究に従事するということも。


「どうしましたアズゴ、もうすぐ君の村ですよ? 


 なーに、胸を張って帰ればいいじゃないですか、はっはっは。僕たちはユニローグを突き止めたんですからねえ。まぁ、解明はまだですけど・・・」


 小柄なホニウ人コネ族の男は、左右で瞳の色の異なる女へ屈託のない笑みをくれて背を叩く。


 自分たちのようなファウナ系人種と共に村を出ること、なかんずく「研究者」などといった怪しい連中にアズゴを任せることには身内だけでなく村からの反対が根強かった。


「くく、確かになー。ニロの言うとおりオレたちは胸を張れる、そう思うぞアズゴ。


 まぁ採取した菌や鉱物の分析には時間が掛かるだろうがよ、くく、あんな不思議な体験してきたんだ。オレたちは近いうちに必ず辿り着くぜ。」


 大きな背負い袋をガタっと傾けて見せ、黒ヌイの男は目をきらきらとさせる。


「へーへー。ほいでもアタシはココいらで手を引かせてもらいますからなぃ。どーも金目のニオイがしなくなって敵わないんだに。


 ししし、ただオタクらと見知ったこと、経験したことは後世語り継いでいきたいモンだなや。」


 ひと回り小柄なチヨー人ラタガワスリ族の男はそう言って笑う。


「そうしてもらいたいものだ。・・・しかし・・・なんだ、この静けさは。」


 メンバー内で最も力持ちな古来種のムシマ族の男も、次第に見えてくるアズゴの村の不気味な沈黙が気になったようだ。


「・・・。おいニロ、アーフィヲ、ディーダ、荷物頼むっ!」


 何かを察したのか、突然黒ヌイの男はアズゴを振り切るように彼女の村へと走り出した。


「ちょ、サヴラフっ!・・・まったく、なんだってんでしょうねえ。」


 また勝手な行動を、と目を回すニロは投げられたサヴラフの背負い袋を拾い上げる。


「?・・・っ! すまん、おれも行く! ニロ、ディーダ・・・アズゴ、荷物を。」


 するとそこでアーフィヲまでもが大きな荷物を放りサヴラフの後を追いかけていってしまった。


「かーっ! ったく、自分の荷物くらい自分で持って・・・っくぅ、重いにぃ・・・こ、ちょ、アズゴも手伝ってほしいんだなや。」


 訳のわからないディーダはアーフィヲの大荷物に手を伸ばして助けを求める。


 だからだろう。


「・・・まさか」


 二人の研究仲間が大切な資料を投げ捨ててまで走り出した理由に心が気付く。


「・・・・・まさかっ!」


 そうして浅くなる呼吸に目をチカチカさせるアズゴは、どうにかなってしまいそうな胸を強く強く叩いてそして、村へと駆け出す。

 

 



 荷物を抱えたニロとディーダが村の中に入るともう、音を立てる者は誰もいなかった。


「・・・。」


 ひとり泣きむせぶアズゴから離れた四人に、選べる言葉は少ない。


「ヒドいに。・・・いくらなんでも、こんな、こんな欲望に・・・命が・・・」


 すぐそこを見遣ればハラワタが引き摺り出された死体がある。

 いくつも、いくつも。


 歳も性別もかまわず。

 いくつも、いくつも、いくつも。


「これでまたフロラとファウナの対立は深まりますねえ。

 たとえ別のユクジモ人種の仕業だったとしてもファウナ系が疑われる・・・


 同じ目的を持てば手を取り合えると証明したかったのですがねえ。」


 ユクジモ人「ロクリエ族」という、非常に珍しい臓器を持った部族がいた。


 いくつかの植物に微量に含まれる貴重な金属を体内に取り入れ、そして金臓と呼ばれる臓器に溜め込む構造を持っていた。


 そのため手で掻き集めるより簡単に金属塊を得ることができる、と彼らロクリエ族は古来からその臓器を狙われて生きてきたという。簡素な造りの家も矢継ぎ早に訪れる移住の時に備えたものだった。


「アズゴには、見せたく・・・なかった。・・・・っく。・・・っくそ!」


 だから誰よりも早く、大切な採取資料さえほっぽり投げて走ったのだ。

 しかしそんなサヴラフの予感は最悪の形で広がっているだけだった。


「おれたちは・・・アズゴの傍にいてやるべきなのか。

 ・・・それとももう、会わない方がいいのだろうか。」


 人種を越え、部族を越えて成し遂げた成果がある。


 ディーダ・ニロ・サヴラフ・アーフィヲの四人にとって、アズゴというユクジモ人は大切な仲間でしかなかった。


 今すぐにでも共に涙を流して肩を抱いて慰めてあげたい。


 今すぐにでもその怒りを拳に任せて打たせてあげたい。


 今すぐに・・・・・力になりたい、支えになりたい。


 そう思う心とは裏腹に、

 彼らは金臓を刈る者たちと同じ、ファウナ系人種だった。


 その姿が、その血が、心を狂わせるアズゴにとってどう映るかなど知る由もなかった。


「ダンナさんも娘さんも、ってことでしょう?・・・僕たちにできること・・・」


 荷を下ろしたニロは辺りから枯れ枝や木材を集め始める。


「そうだなや。これくらいしかできないけど、アタシたちは少なくともアズゴの仲間なんだからなぃ。」


 うずくまったままぴくりとも動かないアズゴを遠く眺め、ディーダもそれを手伝う。


「だな。オレたちには・・・オレたちには悲しむ権利がある。弔う権利があるっ!」


 ぱしん、と顔を叩いて目を覚まし、サヴラフは倒れた者たちを抱き上げる。


「・・・この世界は・・・・・・変える必要がある、な。」


 ぼそりと呟くアーフィヲは飛び散ったハラワタを体の中へと押し込み、なるべくきれいにと服を整え暴れた手足を鎮めてやる。

 


 そうしてひとところに集めた村の者たちを、四人は灰に還した。



 ぱち、ぱち、ぱち。


 爆ぜる火の粉に構うことなく男たちは村の空き地で食事を摂ることにした。


 死体のあった村で、と思うかもしれないが慣れてしまえば吐き気も覚えない。


 それにそれほどに疲れていたのだ。


 ここで病になっては診る者など誰もいないし、なにより他の者たちの足手まといになる。

 体調管理を含め、精神的にも常に万全であるよう努めることは遠出をする者にとって責任でもあったから。


 とそこへ。


「・・・。」


 じゃり。


「・・・。」


 四人の男が疲れた顔を上げた先に


「・・・。」


 きれいな服に着替えた女が現れ


「・・・。」


 ツクリモノの笑みを湛える。


「・・・ここでは、体を壊すわ。うちへ入って。」


 壊れてしまいそうな微笑みが美しくて


「・・・そーさせてもらうに。」


 壊してしまいたくなくて


「・・・だな。んでアズゴ、あんたもメシ食わねーとな。」


 ただただ襲い来るだけの現実から逃げさせたくて


「・・・ふぅ、サヴラフは飯のことばかりだな。」


 やさしい思い出の中へ閉じ込めてしまいたくて


「・・・はは、それにアズゴの家には資料がたんまりありますからねえ。」


 現実を思い出で塗り潰したかった。


 村へ来るほんの少し前の、五人で過ごした時の中に閉ざしてしまいたかった。


「みんな・・・・


 ありがとう。


 ・・・・・あり、・・とう・・・あ・・・が、とうね。」


 涙を流すことのできないユクジモ人。


 涙を流すことばかりのロクリエ族。


 だから。


「我慢なんかすることないんだにぃぃっ! アタシらが代わりに泣いてやるにぃぃぃっ!」


 気丈なアズゴにディーダは抱きつく。


「あん、ばか・・・オレはあんた・・そん・・・・アズゴぉぉぉぉっ!」


 続いて情にもろいサヴラフも抱きつく。


「は・・っは。・・・僕も、混ぜてもらいましょうかねえ。」


 笑ってしまいたいのに、やっぱり笑えなくて、でもどうしようもないニロも立ち上がる。


「・・・アズゴ。」


 そんな四人をまとめて抱き上げるアーフィヲは、ただ空を見上げるだけで何も言えなかった。


「うん。・・・ありがとう、みんな。・・・・」


 どうしてこんな――――


 そんな言葉がこぼれそうになるのを必死に怺えて、自分たちのためにわんわんと泣く仲間をアズゴは見る。その温度を感じる。

 




 それから幾つもの季節が巡った。


 世界では予想したとおりユクジモ人種保守強硬派がファウナ系の村々を襲い、各地で火花を散らす対立は時を経るごとに深まっていった。


 趣味のロマンと実益を求めた支援者もこのところの情勢不安に商売が滞ってしまったのだろう、結果を出せずにいたアズゴたちへの資金援助はまっさきに断たれてしまっている。


 今ではニタとキシという大地主から頼まれた商業ルートを介し、代々行商人として親交のあったディーダが経営のノウハウを教えて手伝う、という条件でやりくりしていた。


 しかしそうしたその日暮しの研究より深刻なのは、仮構帯突入という「不思議な体験」を信じる者がいない上、他の研究者たちから受ける迫害が新しい報告や情報の遮断を招いてしまっている現状だった。


 もはや頼れるのは、信頼して共に歩めるのはこの五人組しかなかったのだ。



 かちゃ。


「おかえりディーダ。・・・どうしたの、浮かない顔して。」


 あの事件から時を掻いくぐったアズゴに、その暗い影は隠れている。

 悲嘆に暮れる彼女を支えた仲間と、もう少しで届きそうな夢がうつむかせなかっただけかもしれない。


「ぬぅーん。」


 近隣商店による物流の一本化や情報交換、特産物開発にその販促、不作や経営難における互助的なバックアップ形態の構築など、いわゆる「商業組合」を各地に開設してきたものの、大きく成長してしまったためにディーダの必要性が薄れてきているらしい。


「なんでしょうねえ? もうお払い箱ってことですか? まったく、ディーダありきで組み上がったモンじゃありませんでしたかねえ? 君ナシでは今後が思いやられるでしょうに、はっはっは。」


 そうやつれたニロは笑う。


 ニロ・アズゴ・アーフィヲの解古学研究者は私財のすべてを売り払い、生物と鉱物に明るいサヴラフ、知識と機知に富んだディーダも人生最大の賭けとして「ユニローグ開拓」に協力していた。


「どーせ取り分がどーの、ってハナシだろ? ただまぁ、そーなると備品の調達はおろか今日のメシまで切り詰めることになるかもな。


 ・・・なぁディーダ、あんたは「組合」に軸足移した方がいーんじゃねーのか?

 今なら金しか出してねーニタやらキシやらよりイイ役職に就けるんじゃねーのか?」


 率直に言ってここまで研究できたのはディーダ一人の功績だ。

 データ解析は他の四人の成果とはいえ、蓄積した経験やアイデアを犠牲にしてまでインフラを提供してくれたのだから。そこには感謝と申し訳なさしかない。


「ふんっ、そんなコト言ってアタシを退け者にしようったってそうはいかないんだにっ!


 ししし、確かにこのまま商業組合で安泰なカネを稼ぐのもいーんだけどなや、はっきり言ってもうつまんないんだに。


 ししし、それよりもまだ先が読めない、どうなるか分からないこの研究に賭ける方がずっと生きているって気がするんだに。


 カネより生き甲斐のある人生の方が、アタシを商売道具ではなくヒトとして求めてくれる道の方がずっと楽しいんだなや。


 それに、アタシはカネって力もあんまり好きじゃないんだに。

 ・・・・力ってものを、アタシは知恵で凌駕してみたいんだなぃ。」


 ディーダにとっては仮構帯という未知の解明や、心を分け合ったアズゴの村の悲劇の方が強く鼓舞する存在になっていたのだろう。


「・・・アズゴ、ニロちょっと・・・」


 とそこで、巨体の古来種・アーフィヲが向こうの机から二人を呼ぶ。

 そんな安易にヒトに頼らないアーフィヲが意見を求めるとなれば、それは。


「くぉおおお、待ってたにっ! 寡黙なアーフィヲの「発見」っ!」


 なので呼ばれもしないディーダ・サヴラフも続く。


 理解の範疇にあるものとはいわば過去の解析。


 だからこそ理解を越えたものはそのまま発見を意味していた。


「ふふ、ディーダはせっかちさんね。で、どうしたのアーフィヲ?

 ・・・ん? ここを訳すの? でも訳本ならそっちに・・・」


 そうアズゴに差し出された古い本は神代文字で書かれている。


 古代文字だけで手いっぱいのアーフィヲにとって辞書もない今ではアズゴとニロの記憶だけが頼りのようだ。


「ああ。訳はあるのだがこれは直訳。婉曲表現が華美であると文学扱いされていたのだが・・・

 見てくれ。


『ツキノアカリノ マトウトキ フシギハ ヨイヲ クルワセテ―――』


 ここなのだが。

 月明かりがきれいで宵も忘れる、といった訳になっている。


 ・・・もうみんなも気付いてるはずだ、おれたちの「成長」が異常に遅れていること。


 おれは神代文化に疎いからなんとも言えないのだが、髪も爪も背も、夜の闇が太陽に隠れて本来の姿、大人の姿へと導くモノ、と考えてた文化のはず。それに―――」


 金色の世界という不思議な光景を目にしてからの違和感には皆気付いていた。


 出た瞬間は髪が著しく伸びていたものの、その後の日々では体毛や爪などの伸び方が極端に遅くなったこと、流行病が蔓延した時もくしゃみ一つしなかったこと、空腹と睡魔がそれ以前より強くなって集中を乱すこと。


 だからこそその影響についてはサヴラフも色々と実験はしていた。己の体に傷をつけてその治る速度の測定や、採取した血液とカビの攻防など。


 結論から言えば「何かが変わっている」ということは明らかになった。


 しかしそれがどういう意味を持つかについては量的にも質的にもまとめられるだけの精度あるデータがないため宙ぶらりんだったのだ。


 だが考えてみれば仮構帯という不思議な世界は昔から存在している以上、自分たちよりも詳しく記している資料が残されていてもおかしくはない。


 今を生きる者が最も優れている、という不遜な自意識を捨てて実際にあった現象と文面を照らし合わせると、新たに見えてくる景色があるようだ。


「それに、ですねまさに。・・・はっはっは。アーフィヲ、君の思う通りですよこれは。


 神代は今と違って月を黄色、もしくは金色の代名詞にしていました。

 黄色といってもただの黄色じゃなく、崇高な色という位置づけでしたから。こと、月星信仰の地域では明るい空で輝く「白い」太陽よりも、闇を照らす月の方が神秘的に映っていたはずです。


 はっはっは。となれば例の詩文は「降る月明かりを浴びていた」ではなく「この世界の最上級の色に包まれた」と解釈することもできますねえ。


 してみるとこれは僕たちが見てきたあの金色の世界とも取れますか。


 下の句の「宵を狂わせて」を「成長の異常」と読み替えれば、はっは。


 で? それ以外にも符号しそうな直訳があったのでしょうアーフィヲ?


 ・・・ふーむ、確かにそうですねえ。

 まるで僕たちの経験を言い当てるような説明がありますよ、アズゴ。」


 あとココとココも、と指さすアーフィヲの示す部分を時代に即した価値観で差し替えてゆくとなんのことはない、それは文学的な詩文ではなくただの体験報告書だった。


 そして。


「だから原文を訳してってことなのね? ふふ、ニロ。あなたならどう訳す?


『ホシノ ムツブ タイヨウノ テオチヲ ウタウヲ ダクノ カラカラハ

 クレルヨルノ アケルヒルノ コトワリニ ナラウ』


 ふふ、ちなみに直訳では


『星屑が集まり 太陽の残した影を照らす (それにより生まれた命の声が)歌う(生命賛歌の)声を抱きしめれば カラカラの教えは 夜が暮れ 昼が明ける(という矛盾すら超越して) 理さえも 従わせる』


 ですって。いくつかの部分はきちんと本意に沿ってるとは思うけれど、ちょっと強引な感じは受けるわね。」


 ふふ、訳し直すなんて考えたこともなかったわ、と微笑むアズゴの影で、ディーダとサヴラフは見覚えのある見慣れない世界にこんにちはをしていた。

 その通り。サヴラフに限っては「おまんじゅうは―――」などと口走っている。


 もちろん気になくていい現象だと思ってくれて構わない。


「訳ですかぁ、そうですねえ。


 まず「星」は月に準ずる対象ですからね、「偉大な人物」あるいは「先祖」を示してるのでしょう。そう比喩で表してる場面が他にもありましたし。


 で、「太陽の手落ち」は「影」でいいと思いますが「良くないこと・悪兆」もあり得るでしょう。それから「暮れる夜」と「明ける昼」は・・・矛盾律の強調でしょうかねえ? それとも月星信仰だから「夜」が「暮れて」去ることへの寂しさでも描いてるとか?


 んー、そうですねえ、とりあえず・・・あ、もう文字数とか無視でお願いしますよ?


『先祖たちが集まって示す悪い兆しを抱いたカラカラの教えは 終わってしまう夜、始まってしまう昼という理(こりゃ月星信仰の押しつけか?)に倣う』


 でしょうか? はっはっは、まだカタいですねえ。


 君はどう解釈します、アズゴ?」


 このいわゆる「仮構帯レポート」を書いたのはおそらく月星信仰者であろう、と推測するとこんな風になる。


 ただ、月星信仰にしても太陽信仰にしてもイモーハ教の源が「カラカラの教え」であるためウェイトの置き方が今一つ解らないのだ。著者の信仰によっては読み違える危険だってある。


 そんなことが頭をよぎったからこそ、アズゴは一度ニロに解釈させたようだ。


「ふふ、そうね。立場を変えればやはりニロの訳文も正解と考えなくちゃいけないわ。


 でもとりあえずわたしもわたしなりに訳してみるわね。


 そうね、まず「太陽の手落ち」をもう少しやわらかく「マズいこと・闇たりえるもの」としましょうか。「歌う・謳う」は「抱けないもの」だから具象物としてではなく、伝承や口伝か何かに置き換えて、「抱く」を「分かち合うこと・理解すること」にして、っと。


 それから「カラカラ」をその教えの根幹である「在るべく在れ」に従って「野性・本能」と考えてみて、「暮れる夜の~」は「矛盾」ではなく「反対のこと・あり得ないこと・あってはならないこと」にズラしてみようかしら。


 えっと、そうしてきれいにまとめると。


『先祖たちが手を取り伝えてきた闇(とか良くないことね)を刻み込んできた本能は

 条理を覆す理に倣っている』


 なんてどうかしら?


 ふふ。でもこうやって都合を押しつけて解釈すると・・・・ね?


 ちょっとはわたしたちが経験したことに近付くと思わない? 少なくともこの文書はを報告したもの、と考えていいと思うの。


 理解できない体の変化は「条理を覆す理」に支配されているし、〔ヒヱヰキ〕がどんなものかはまだ分からないけれど、伝えられてきたものではあるもの。


 ふふ、ただそれが「闇」に因むものかは不明ね。


 でもね、だから思うの。


 採取した不思議な鉱物や菌類の分析はある程度終えたわ。結論には至ってないけれどひとまず無害。


 そして帰ってきたわたしたちの体に変化はあったものの元気で健康。さらに過去にはわたしたちと同じ経験をしたヒトがいたと思われる事実。


 ふふ、そして最後は「わたしたちの研究が打ち切られそう」。


 ね? もう一度行ってみない?

 分析はもう充分だと思うの。それにこれ以上の成果はないわ。なにより猶予がないようだしね。

 準備は前回を上回るはず。経験も備品もある。そして今度は二度目の挑戦なのよ、不安や興奮、驚きや混乱を鎮めて冷静に向き合えると思うの。」


 ふふ、と笑うアズゴ。

 どこか遠いワンダーランドから戻ってきたディーダもサヴラフも、

 聞き惚れる解釈に心奪われていたニロもアーフィヲも、

 待っていたのだ。


「だな。くくくく。」


 探索とあの日の悲劇がリンクして言い出せなかった言葉を。


「はっはっは、ここを追い出された後では用意もままなりませんからねえ。」


 小さな部屋での作業に辟易していた者たちを片っ端から奮い立たせる言葉を。


「やはりおれたちは研究者だからな。」


 足りないサンプルと経験を、まるで取り戻すかのような熱い言葉を。


「ししし、そうこなくっちゃなぃ!」


 閉じ込めていた何かを解き放つ、待ち焦がれた言葉を。


 それが。


「よしっ、出発っ!」


 やはり現場に勝る資料はない、といった連中なのだ。


 でも。

 こんこんこん。


「失礼。立ち聞きは気が引けたのですが・・・

 ディーダさん。アナタの外出は看過できませんなぁ。」


 そこに現れたのは出資者にして商業組合創立者でもあるキシ。

 組合を拡大させ利益を生んだディーダを最も手放したくない存在となる。


「なんでだにっ! アタシはもう用済みじゃないのかなやっ? それにココを逃げ出すってんじゃなくて新たな成果を持ち帰るための旅なんだにっ!

 うまくいけばガッポガッポ稼げるってハナシなんだから行かせてほしいんだにっ!」


 ここまで深く携わってきたのだ、ハイライトである現地調査を諦めるなどできるはずもない。


「お気持ちは察します。しかし世間は不安定な情勢にあります。

 聞けば目的地はオウキィなどという山村になるとのこと。よからぬ輩が徘徊しているやもしれぬ場所へディーダさんを赴かせるわけにはいきませんなぁ。


 調査ならばそこの研究者さんたちに任せ、アナタはアナタの為すべきことをして下さればよいのです。くふふ、組合の連中が利権争いに欲を出してまとまりがつかなくなっているのですよ。ようやく地盤ができたという時に・・・

 ですからアナタには専属として組合への力添えを願いたいのです。」


 どうやらお払い箱にしたかったのはディーダではなくこちらの研究班だったようだ。

 それどころかディーダはその商才を買われ目を付けられてしまっている。実に厄介な状況だった。


「ヒドいにっ! よからぬ連中がいるならみんなも危険な目に遭ってしまうんだにっ! けっこう稼いでるんだから護衛くらい雇ってくれてもいいのにだなやっ!」


 その歴然たる扱いの高低差は金になるかの判断基準でしか測られていない。

 研究を援助してきたのもディーダの機嫌を損ねないためだったのだろう。


「大丈夫ですよディーダ。はっはっは、お願いされてる身分なんですからねえ君は。

 ・・・キシさん、お世話になりました。しかしディーダは一緒に連れて行かせてもらいますよ。彼にも一緒に見てもらわないと気が済まないですからねえ。」


 ディーダの次に弱そうなニロが訣別を告げる。


「だな。ディーダも、ってんじゃねーと面白くねーだろ? くくく。」


 身の危険を百も承知で出かけるのが探検調査だ。

 そしてだからこそ得る体験とサンプルはそれだけで価値がある。


 指図で成り立つ商売より汗を流して手にするものを選んだディーダを置いていっては寝ざめが悪くてかなわない。


「わたしからもお願いしますキシさん。ディーダはわたしたちにとって大切な仲間なんです。そして彼の知恵や知識は浅い専門分野を埋めて余りある宝物なんです。

 ディーダは、わたしたちに不可欠な仲間なんです。」


 財宝が求められるならくれてやりたかった。

 そんな命の鼓動もないシロモノが欲しいのではなく、もちろん発見者の名誉でもなく、みんな揃って謎を解き明かすことこそがアズゴをはじめ皆の望みだったから。


「ディーダはただの行商人ではない。・・・それで終わらせていいヒトじゃない。」


 古い時代を見せてくれるのが埋蔵物や痕跡であり、解き明かすのが知識と想像力だ。

 その傍らにディーダがいてくれることほど心強いものはない。


「うぅぅ、みんなぁ。」


 しかし。


「ふーむ。おっしゃりたい旨は理解しました。ですがこちらの事情にも配慮ねがいたいものですな。夢や理想を追いかけることは美しい。そこはわたしも同感です。


 けれど商業組合の実利はただ一人、二人を潤すためのものではありません。加盟する店主に限らず携わる生産方、仲買方、運搬方をはじめ多くの民に利益をもたらし安定的な市民生活を支えることとなるのですよ。そこにはそれぞれの家庭もある。


 率直に申しましょう。

 ディーダさんをあなた方の中に埋もれさせるわけにはいかないのです。その才覚はあなた方四人よりもっと多くの民のために用いられるべきだとわたしは考えます。


 ・・・。

 力ずくで、というのは趣味ではないのですよ。


 どうかこの辺で納得していただけませんかな。」


 ふぅ、とついた嘆息の後ろから


「な・・そこまで・・・」


 ぞろりぞろりと


「おい、そりゃねーだろ。」


 ただの護衛とは思えぬ躯体の男たちが


「そんな・・・」


 きゃらりと銀に光る刃物を握り


「・・・。」


 部屋へと入ってくる。


「ちょ、そらやりすぎだにっ! あんたナニ考えてるんだなやっ! こんな・・・こと・・・」


 それが地団太で解決する話と思えるはずもない。

 キシたち組合にとって、ディーダはそこまでして囲わねばならない存在ということだ。


「・・・。行こうか、アズゴ、サヴラフ、ニロ。」


 だからディーダの横を、さっさと荷をまとめたアーフィヲが顔色一つ変えずに過ぎる。


「アーフィヲっ! 君は――――」


 食ってかかろうとするニロ。


「ディーダっ! あんたもなんか言ってやれ――――」


 その薄情に映る別離をサヴラフも容赦できない。


 でも、だから。


「・・・行きましょう、ニロ、サヴラフ。


 困らせないで。・・・ディーダを。」


 血の気の多い二人の肩をそっと叩いてアズゴも支度を整える。


 ディーダ確保のために屈強な男を三人も用意していたのだ、どんな説得にも応じることはないだろう。

 もちろん諦めたくはなかった。本当に大切な仲間だったから。


 しかしこれ以上の抵抗を続けてはこの研究小屋も取り壊されかねない。

 戻ってくればまた会える。ものすごい発見をしたのならまた一緒に研究もできる。

 そう思い、そう誓い踏み出すことこそが、いま示せる友情の形だった。


「・・・みんな・・・すまないに。」


 聞きたくなかった言葉だ。

「おいてくな」「薄情モン」などと言ってくれれば自責の念を四人だけで抱えられたというのに。


「あんたは謝るなよディーダ。くくく、らしくないぜぇ?」


 本当はわからない。

 戻る小屋が残っているかどうかも。


「ふー。ま、とにかく土産話でも期待しててくださいよディーダ。」


 悔しかったが、悔しいのはみんな同じなんだと思うとまた悔しくなる。

 だからせめて、笑って旅立ちたかった。


「おぉう、もう本気で楽しみにしてるにっ! アタシの分まで浮かれてくればいいにっ!」


 ししし、とディーダも笑う。

 もうこうなればやりきるしかないのだ。


 振り返ることなく歩き出す四人に、ディーダは再会を誓ってその無事を祈った。


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