第11話 こんなに可愛いにゃんこが隠れていたなんて
ガレスのお勧めの宿屋は、商業地区の飲食店が軒を連ねる一角にあった。
ファンタジー小説に出てくるようなレンガ造りの建物で、店名の『猫泊亭』と書かれた看板横には、猫の肉球を模したイラストがデカデカと描かれていた。
それらが視界に入った瞬間に彼らも僕と同じ志を持っている、そんな確信に近いものを感じた。
窓や開かれた両扉からチラリと見える人影は、どれも楽しそうに食事をしているのが見て取れた。
大きな煙突からは料理の匂いが煙に包まれて空へ舞いあがる。その匂いだけでも茶碗いっぱいの白米が食べれそうだ。
そんな考えが頭をよぎった途端にぐう~と勢いよくお腹が鳴った。
食欲とは不思議なもので、さっきまで自分が空腹なことなど忘れていた。なのに、食べ物の存在を認知しただけで急激にお腹が空いた。
「そういえば、朝から何も食べてなかった……」
僕は自分のお腹をさすりながらそう呟くと、誘われるように扉をくぐった。
「これはすごいな……」
外から見て察してはいたが、宿屋は大繁盛していた。テーブルは全て埋まっていて、カウンターが数席空いているだけだった。
途切れることなく周りから聞こえてくる賑やかな声に、気圧されながら僕はカウンター席に腰を下ろした。
リンはというと僕が座っているイスとカウンター席の間に潜り込んでいた。
どうやらリンもこの店名や彼らから向けられる視線に対して何か思うことがあったのだろう。
彼らの気持ちもわからなくもない、愛猫家が集まる宿屋に美猫が入店してきたら誰だって、釘付けになってしまうのは仕方のないことだ。
その証拠に彼らの会話がウチの子に関連する内容へと徐々に侵食されていた。
いつも凛とした態度でいるリンとは思えない愛らしい姿が見れたので、決して口には出せないが……眼福の一言に尽きる。
僕は彼らが口にする言葉に目を瞑って頷き、リンの飼い主であるというステータスを堪能していると、背中を突くような感触があったと同時に「お客さん、ご注文は~?」と少女の声が聞こえた。
イスに座ったまま振り向いた先には、ペンと紙を手に持った少女が満面の笑みを浮かべ注文を待っていた。
僕は「うぉっとー!」と叫び身体をのけぞって緊急回避をした。なぜならあと数センチ近かったら、僕の唇は彼女と重なっていたかもしれないからだ。
僕の心境など露知らず、彼女は表情一つ変えずに真っすぐ僕の目を見ていた。それに比べて僕の目は左右に泳ぎまくっていたわけだが……。
胸元ざっくりなガレスでさえも、最初はともかく途中からは普通に会話ができていたのに、まさか年下の女の子にドキドキするとは思いもしなかった。
もっとも外見だけで判断しているだけなので、実際の年齢は分からない。だからといって、初見でいきなり『君は何歳ですか?』と尋ねるほど僕はノンデリではない。
それにしても声掛けついでのスキンシップに加えて、あのあどけない笑顔は卑怯だと思う。だが、この子からしてみれば、いつも通り接客しているだけでただの平常運転。それよりも純真無垢な女の子に欲情している怪しい冒険者として、傍から見えていないだろうか……。
負の思考で頭がいっぱいになった僕は、彼女を無視するかのように口を閉ざし俯いた。
「あのお客さん、注文は?」
「…………」
「あ、あのぅ~」
返事すらしない
「すまぬな、娘よ。主は緊張しているようでの、そちのお勧めを二つ頼むのじゃ。我の分は食べやすいように小さく切り分けてもらえると助かるのじゃ」
「えっ、はいご注文ありがとうございます? って、お客さんひとりだけですよね? でも、女の人の声だったような? あれどういうこと?」
視線を先には床に映る影によって、少女が困惑し右往左往している様子が手に取るように理解できた。
いきなり姿なき第三者の声が聞こえてきたら、誰だって驚愕し困惑するだろう。しかも、声色どころか喋り方まで異なるとなればなおさらだ。
その挙動のおかげで僕は平常心を取り戻すことができたわけなのだが、今度は申し訳ないことをしたという罪悪感が新たに芽生えた。
せめて物の償いとして、僕は「足元……」と声をかけカウンター席の影に隠れたリンを指差した。
僕のジェスチャーに気づいた少女は腰をかがめて、僕の足元に視線を向けた。
「な、な、なんてことなの⁉ こんなに可愛いにゃんこが隠れていたなんて……このあたしがそれを見落とすなんてえぇぇぇぇ‼」
彼女の魂震える言動はまさに同志と呼ぶにふさわしいものだった。許されるのであれば、今すぐにでも彼女の手を取りガッチリと握手を交わしたい。それほどまでに僕の心は打ち震えていた。
少女はリンに向かって手を伸ばし抱っこしようと試みていたらしいが、音速の猫パンチによって見事に失敗していた。
パシっという甲高い破裂音が聞こえなければ、僕は気づくことすらできなかっただろう。
抱っこを拒否された少女はというと、リンの注文を厨房に伝える様子もなく、僕の隣で屈みこんだまま弾かれた右手を恍惚の表情で眺めている。
その感情を我が身のように理解できてしまう……やっぱり彼女は同志。きっとそれは彼女だけではなくて、ここにいる全員がそうなのだろう。
彼女が感情の赴くままに言葉を発したことで、リンに向けられた視線はより熱いものとなった。まあウチの子を見て正常な人間などいるはずがない。
本当にリンは罪深い猫……もとい罪深い猫又だ。
それはそうと僕のご飯はまだですか……そろそろお腹と背中がくっつきそうなのですが……。
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