第15話 辞退します
豊聖堂は世界中に支社を持っているメガカンパニーで、化粧品をはじめ、アパレル関係を主に展開している。
世界の豊聖堂と呼ばれるほど、世界各地の人々には浸透された超有名ブランドである。
大企業であるが故にホワイト企業としても名を馳せており、週3休を選択制に組み込み、それでもって給与は平均年収を軽く超えることが可能である。
四年制大学出身者が多く在籍する中で、もちろん中途採用の中には大学を卒業していない者もいる。が、それは優れた能力や実績を持ってこそ。
無論、哲人には受かるだけの材料が何一つとしてない。
不可能なことに挑戦するわけではない。
たとえば商品開発をする研究職のような、薬学に精通して身に付けた知識はないのでこれは非現実だと認識されるだろう。
現実的な見方でいけば、一番は店舗スタッフとして接客に励むことであるが、これは哲人自身が望む働き方ではない。
特に店舗スタッフともなれば、週3休という選択肢は消えることが前提であり、給与も低くなるからだ。
やはり働くのなら本社。
新宿の一等地にあるそれは、哲人には高々と眩しく映る存在であった。
総務部や人事部のような場所でなら、自分でも引っ掛かるかもしれない。
兎にも角にも、働きたい仕事内容といったものは彼自身持ち合わせていない。
その会社――豊聖堂の本社に入社できてしまえば構わないと思っていた。
「そうですか。特にこれといって希望する業務がないのですね」
面接。
ここに至るまでは容易だった。
それなりに履歴書を仕上げて送付しただけである。
肝心なことは“最終面接にいけるように”と思うだけ。
“豊聖堂への転職ができますように”という思いがある中で、わざわざ一つ一つの工程に対して思いを乗せる必要はなかった。
それでも、ふと彼は履歴書を送る際にそう思ってしまったのである。
「であれば、営業とかはどうでしょうか?」
その問いに対して、率直に嫌だという答えが脳裏をよぎる。
同時に彼にはある閃きに近い疑問が浮かび上がってくる。
(思って叶うことに対し、俺が全力で否定をすればどうなるのだろうか)
つまりは、
「すみません、営業は」
「そうですか。他に嫌な仕事というのは?」
「あーそうですねぇ。基本的に働きたくないんですよ」
「……それはそれは、随分と正直な意見ですね」
「はい。正直、御社を選んだのは休みも多いしお金もいいしで」
「まぁ、ウチはそれも売りではありますが……。ただ、それは従業員がしっかりと働いていて成り立っているわけで、そんな従業員のためにしっかりと還元しようって考え方なんです」
「なるほど。では、働かなければその権限はないと?」
「えっと、権限とかそういう話ではなく、常識?的な話ですね」
「そうすか。じゃ、俺は辞退させてもらいまーす」
「え?」
面接を担当した者は、直接会話した一人だけではない。
他に4人が肩を並べて長テーブルの上でペンを構えていた。
いずれも哲人の行動に驚きと焦りと怒りが交錯する。
当然であれば、彼が受かるはずもない。
哲人もそれがわかっているからこそ、あえて非礼な態度をとった。
会社を出た彼の表情はしめしめと綻ぶ。
こんな冷やかし行為も、自分に未来が明るく余裕があるからできる。
(さて、あとは合否だけだ)
母の奈津美のときは、すでに叶ってしまった後であり、それを打ち消すことはできなかった。
だが今回は叶う前のことであり、それを打ち消すことが可能なのかを確認するための実験。
本来の転職を成功させるという目的から切り替わったが、哲人にとってはむしろこっちを知るほうが明白に重要なことである。
数日後。
一本の電話が入る。
豊聖堂からである。
哲人の声はわずかに上ずる。
この結果はどう転んでも人生を左右するようなものではない。
結果次第で思いの力による特性が新たに判明することに多少なりとも興奮をしていたのだ。
『検討した結果、河村さんには是非弊社で一緒に働いてほしいと思います。辞退される意思はまだお持ちでしょうか?』
どういう話し合いがされれば、あんな非礼な面接者を合格にするのか。
「はぁ。まぁどっちでも」
『では、是非ともよろしくお願いいたします』
相手が嘘くさい声色で迎える。
「わかりました。――ええ、入社日は来月の頭で構いません」
通話を終えた哲人はふと新たな疑問を浮かばせる。
(ここで俺が断った場合、果たして思いの力は否定されるのか)
もはや自分で願いながらも自らその願いを捨てる愚行には、神様も怒り心頭になるのではないか。だけど、やらずにはいられなかった。
哲人はすぐに豊聖堂へと電話を折り返す。
「いや~、すみません。やっぱり辞退します」
『……左様ですか。残念ですが、そういうことであれば無理にお引止めするわけにはいきませんね』
そうして、見事に破談となる。
この先、新たな展開で豊聖堂への転職の道が切り拓かれるのか。
わずかに期待していたのだが、それからしばらく待っても豊聖堂と関係することはなかった。
面接時のみならず、二度の断りを入れたことで、本来可能だった豊聖堂への転職は不可能=非現実と覆ったことになる。
言い換えてしまえば、非現実になるまでは自ら否定し続けても、最初の願いは叶おうと流動し続けることがわかった。
「さて、次は何をしてあそぶか」
お気に入りの玩具を持った子供のように、彼は次の遊び場を探し求める。
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