第12話 セックスがしたい

 結花から会いたいと連絡が来る。

 もちろん哲人は了承し、むしろ彼から飛んで会いに行く。

 場所は新宿駅の西口。


 このタイミングで彼女から会いたいと言ってこれば、それはもう1000万円が手に入る算段がつくというもの。

 彼女が何をどうしてそんな大金を入手したのかは不明だし、これからどういう口実で自分に渡してくるのかというのもまだわからない。


 兎にも角にも哲人には1000万円しか見えていなかった。

 これが手に入れば、退屈で窮屈な生活から脱け出せる。

 それだけではない。

 この力を使えば、生涯金に困ることは二度とないことが確定する。



「おまたせ」

「ううん。会えて嬉しい」

「それで用ってのは?」


 無駄な会話をするつもりはない。

 会って早々、彼は彼女を急かす。

 結花の口は嬉しさで緩んでいた。

 彼女なりにサプライズとしてポーカーフェイスを貫こうとしていたようだが、結花は嘘のつけない女性であった。


「あのね。実はね――あ、これは哲人だから言うんだよ?」

「なに?」

「お父さんが亡くなって、遺産が入ってくることになったの」

「ほう。遺産って?」

「うん。私のところ父子家庭って言ったかな?」

「うーん。どうだったかな?」

「父子家庭なのね。で、一応、お父さんは自分で工務店を経営していて。それなりに?お金は持っていたみたいなの。恥ずかしい話、お父さんの仕事のことは私もあまり詳しいことはわからないんだけど……。で、祖父母はもう亡くなっているし、親戚付き合いもしてこなかったから、お父さんの遺産は丸々私に入ってくるの」


 経緯はわかった。

 だが、聞きたいのはそうじゃないと哲人は焦れったく感じる。


「それでえっと、えっと……」


 モジモジとする結花にさらにイライラを募らせていく。


「それを軍資金にさ、私と結婚をしてくれない?」


 イライラは一瞬にして消え、自分が何を聞かされたのか理解できなかった。

 てっきり、「分配をあげる」といったようなことを聞けると思ったのが、彼女から放たれた言葉は随分と予想外の角度から胸に突き刺さる。


「け、け、結婚だって?」

「うん……」

「なっ、どうしてそうなった? 俺たちまだ付き合って数日なんだぞ?」


 気が動転する哲人であったが、言っていることは真っ当だと冷静に考えても彼自身ちゃんとわかっていた。


「時間じゃないと思うの。長く付き合ったからって結婚の権利が与えられるわけじゃないし、愛の深さが今と大きく変わるわけじゃない。だったら短い付き合いだとしても、同じ愛情量なら早い内に結婚してもいいじゃない。って思ったの」


 これは思ったよりも愛という沼にどっぷりと浸かりこんでしまっている。

 元々こういう性格の持ち主なのか、あるいは“思いの力”による影響なのか。

 普通なら、こんなことを言い出す女に引いてしまうのかもしれない。

 だが今回は特例も特例である。


「それで、仮に結婚をしたら俺にもその遺産をくれるのか?」


 金目当てと思われようが、この発言で“思いの力”が打ち消されることはないはず。

 いずれにせよ、今日の内に1000万円が手に入らないのであれば、“思いの力”の効果は出ていないことになる。


「あっ。いきなり言われたら、そりゃ哲人だって嘘だって思っちゃうよね。うん、そんなこともあると思って、実は別のところに1000万円を用意しているの」

「1000万……」

「へへっ。すごいでしょ。私の本気を証明するためなんだから。もし、哲人が私と結婚してくれるって言うのなら、そのお金は哲人のものだよ?」


 きたきたきた!

 大物をヒットさせた釣り人のように、哲人の全身に力が入る。


「本当かよ……」

「嘘はつかないよ」

「……じゃ、本当かどうか確かめさせてくれ」

「もちろん」


 結花に案内されたのは、そこから徒歩10分と歩いたところの高級ホテル。

 まずそれだけでも、結花が大金を手にしたのだという事実は色濃くなる。


 当然ながらホテルは高級感漂い、清潔な制服でビシっと身を包むホテルマンの出迎える。結花はほくそ笑むが、哲人はそんな結花がこの場所に不釣り合いだと苦笑する。

 少し前まではただのアパレルショップ店員だった女性が、この日はまるでお嬢様気取りだ。

(金があれば人は変わるものだな)


 部屋に到着した二人。

 そこから見える綺麗な夜景には目もくれず、哲人はキョロキョロと部屋の中を確認する。無論、目的は1000万円の束である。


「ふふ。そんなに焦らなくても。ここに入っているよ」


 部屋の隅に置かれていた銀色のキャリーバッグの取っ手を持った結花は、静かにそれを寝かせる。

 ジッパーをジジジと引いて開ける彼女に対して、哲人はゴクリと大きなつばを飲み込む。


 ジッパーが角から角へと移動し終えると、いよいよと結花は開き口をパカッと大きく上げる。


 中からは見慣れた長方形の茶紙の束。

 日本人に馴染みのある肖像画が縦横に何列も並んでいた。


「見事に壮観だな」

「どう。信じてくれた?」

「ああ。もちろん」

「返事は?」

「する。するさ。当然だろ? 俺と結婚しよう」


 東京の夜を一望できる部屋は霞み、今は目の前の札束に心奪われる哲人。

 彼は大金を手にしたと同時に、少し前まで諦めていた結婚という大イベントを手にするのだった。


 だが、これで満足することはまずなかった。

 彼は欲望にまみれた次の願望を思うのである。

(なんでも手に入れたい放題じゃないか。だったら――)


“明日、絶世の美女とセックスがしたい”


 邪な思いはもはや止まらなくなってきていた。

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