第11話 くれ

 母親に対しての消えろ。

 そして戻ってこいという思い。

 性質上、対比は否定と捉えられる。


 それなのにどうして奈津美は戻ってこられたのだろうか。


「消えろと戻るは対義ではない?」


 よもやこれまでの流れで違いがあるとするのならば、消えるという行動に対して哲人への感情の関与がないことにある。


(なるほど。相手の行動を決める場合、他者への感情を取り除けば、重複の思いは叶えられるということか)


 哲人は幾人かの人間で無差別に実験を試みた。

 推測は確証に変わり、次第に己の力の癖を把握する。


 知ることにより、この力の恐怖心は薄らいでいく。

 ただ、やはり奈津美は依然として彼を無視し続けて不自然な関係性を貫いていた。

 これをどうにか解消したいと思うのであるが、今はまだ名案が思い付かなかった。



 非現実なことは叶わない。

 曖昧な定義であった故、彼はこの定義を明確にさせたかった。


 そこで、彼はある実験を繰り返す。

 例の1000円札と100万円の束の違い。

 無論、自宅に100万円の束が転げ落ちている確率なんてゼロに等しいわけで、ましてや哲人を中心とした生活の中で、100万円が世の中に落ちているという概念すら皆無なわけだ。


 本人がありえないと思っていることに対して必ずしも思いは叶わないのか。

 そういった疑問から始まった実験。

 どれだけ思いを駆使しても叶わないのであれば、それこそまさに非現実の証明となると彼は考えたのだ。


 その結果、彼は非現実的な出来事を現実的に変換する方法を得ることになる。

 それこそが“時間を置く”というシンプルな方法。

 本来ない物体を突然目の前に出すのは不可能であるが、時間を置くことによってその物体を指定した場所に現すことは可能である。

 つまりは時間を作ることによって本来ない場所に、対象となる物体を時間を作ってやればいいのだ。

 

 それを例の件に当てはめれば――。

 “今夜にでも、父親が100万円を持って帰ってくれればいいのに”



 正直、そんなに上手くいくとは思ってはいなかった。

 帰宅した修の足音がダダダと息を巻くようにしてやってくる。

 はぁはぁと息を荒くした彼は家族を前にニヤケ顔を露わにする。


「週末、久しぶりに旅行でも行かないか?」

「あら。随分と急ね。どうしちゃったの?」

「まぁまぁ。ほら、最近は母さんと哲人に溝みたいなものがあるだろ? ここは旅行の一つでもして仲直りといこうじゃないか」


 ていの良い理由を吹く父親に対して、哲人は心の中でしてやったりをかます。

 言うまでもなく父親は100万円を手にした。

 でなければ、突如として旅行に行こうだなんて提案はないはずだ。


「旅行って。随分と羽振りがいいじゃねぇか」

「まぁまぁ。早めのボーナスを貰ったんだ」

「そんな企業があるのかよ」

「ん、父さんはこれでも長年会社に貢献してきたからな。特別に早く貰う権利があるんだ」


 わかりやすい嘘。

 入手経路を知りたかった哲人であったが、どうにも修は頑なにそれについては語ろうとしない。

(いや、親父の言っていることが本当の可能性だってあるか)


 なんせ100万円という大きな金を一日で手に入れようものなら、日常では起こらないイベントが必須になってくる。

 そう考えれば、父親の言っていることもあながち間違いではないのかもしれないと思えた。


「俺はパス。明日からバイトが再開して、週末は忙しいんだ」

「……そうか。母さんは?」

「そうねぇ。週末は同窓会があるのよ。昨晩、言ったでしょ?」

「あちゃ~。そういえばそんなことを言っていたなぁ」


 何気に哲人は初耳だった。

 最近は母親と会話することもなくなって、彼女の周りに関する情報には疎くなってきている。強いて言えば、父親が唯一自分たちを繋げる存在で、彼が間に入ることで母親の様子を窺える状態なのだ。


 哲人が断りを入れた正当な理由はべつのところにある。

 今や生真面目にアルバイトで働くつもりなんざさらさない。

 この力を利用すれば金を簡単に手に入れることが可能とわかった今、次に行動を起こすは、会話が成立できない母との時間ではなかった。


 欲しいものはさっさと手に入れてしまいたい。

 なので彼は修が大金をした夜に早速とこう思う。


“誰か。俺に明日、1000万円をくれ”


 渋谷の一件から、主語となる人物を詳細に指定しなくても叶えられるということはわかった。ただ、仮に引っ掛かりがあるとすれば、そのときは不特定多数であり、今回はあくまでも“誰か”と単一人物を指している点である。


 これで事がなにもなければ、重い考え直すだけ。

 確実に手に入れたいという欲から、同じことを2度3度と連続して思う。

 それはまるで流れ星が落ちきる前に願いを3度口にするかのように。



 日付替わり、彼は今か今かと眠りにつけずに待ち続ける。

 午前が過ぎ、昼下がりは過ぎ、夕刻になってもその気配はない。

 失敗に終わってしまったか?

 ワクワクは一気に落胆へと変わり、彼が思いの内容を見直そうとしたときだった。


 結花からの電話が鳴る。

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