第10話 嫌いになれ
「なんだ、お前たち。喧嘩でもしているのか?」
父親の修は共に食事をする息子と妻を交互に視線を移して疑問を投げかける。
「べつにいつものことですよ」
あっけらかんと言い放つ母親に、哲人はモグモグと口を動かすしかなかった。
奈津美にとってはそれが普通のことだと本当に思っているのかもしれない。
過去の記憶が改ざんされているのだとすれば、それは紛れもなく哲人の能力によるものである。
「一体何をやらかしたんだ、哲人」
修の記憶までは改ざんされていなくて助かったと哲人は思う。
このまま母親側に合わせて都合よく彼の記憶までいじられてしまえば、それはきっと能力うんぬんの話ではなく、神の悪戯という影響下に絶望してしまいかねない。
「なにもやってねぇよ。なぁお袋」
第三者がいる目の前でもなお、彼女は無視をするのだろうか。
好奇心と切望の混じった感情で、哲人は奈津美に振る。
「……」
もはやここまでくると、怪奇現象のそれと同じだ。
さすがに二人の歪な空気感に修もたじたじとなる。
「本当にどうしちゃったんだよ」
父親に悪いが、本当のところを話すところはできない。
哲人は沈黙で食を進める。
(そもそも話したところで信じやしない話だ)
食事を終えた彼の行動は決まっていた。
嫌々と思っていても確認しなければ。
まずは自分の能力が回数制限で消えてしまったのかという点。
一日の回数制限があるとは思えない。
そう思えたのは、帰宅後には母親は自分と口もきかない状態になっており、それはつまり、彼が家を出る以前の思ったことを叶えたと推測できるからだ。
無論、外出中に“母親が自分と口をきかないようになればいい”といったことを思えば別の話であるが、大抵のことは自分の親に対して毒づく場合、喧嘩した後あるいは対面した際に思うことが普通だと哲人は思った。
そう考えれば、母親に自分が何か思うのであれば、午前中に会ったとき。
一日の制限がなされているのだとするのならば、その後の思いは叶えられるわけがないのだ。
であれば、この能力はトータル回数の制限が設けられていたか。
正直、それは哲人が一番に望まない結果である。
せっかく人生を大逆転できる武器を手にしたのだ。
それが泡のように消えるだなんて受け入れ難い話である。
――――――――――――――
翌朝、母の奈津美が元に戻らないことを確認した哲人は、またしても外の世界へと赴いた。
ターゲットは誰でもよかった。
とにかく些細なことでも、継続して思いが叶うことを試したい。その一心から、普段声さえかけないご近所さんの姿を見て、こう願う。
“俺にこんばんはって言え”
すると、60代の奥方は哲人の存在を確認するやいなや「こんばんは」と声を掛けてくるのだった。
これには思わず、哲人の頬も緩むってものだ。
「こんばんは」
「あら? おばさんったらおかしいわね。まだ寝ぼけているみたい。まだお昼前なのにね、うふふ」
「いえいえ。誰にでも間違いはあるものですよ」
回数制限はない。確信した瞬間、彼の心の靄はひどく晴れ渡った。
浮足立って目的もなく電車に乗る。
とりあえずは都心のほうへと流れる構え。
その間、彼は今一度頭の中で整理をする。
(であれば、思いを叶えた際に副作用が起こる?)
その副作用とは如何に。
今回の場合で言えば、母親の“干渉しない”という呪文が解けないという点である。
さてはて可能性は無きにしも非ずで、時間制限のワードを放り込んでしまったことを信じたいものだが……。
哲人はこのまま我が母と会話することが叶わないかと思うと寂しさに心が沈む。
なんだかんだ煩いときもあるが、母は母だ。結局のところ好きであったのだ。
副作用にしろ時間制限にしろ新たに一つの推測が立つ。
思いの力の対象者には、上書きすることは不可能だということだ。
いや、正確にはその思いの力によって変えられた事象を否定することはできないといったほうが正しいか。
たとえば結花には幾度と思いの力は通用している。
それは哲人に好意を寄せているという点で共通しているからだ。
仮にこれを否定するとすれば、彼女に“俺のことを嫌いになれ”といった場合。
これは彼女の好意を全面的に否定し上書きすることになる。
これを照らし合わせれば、奈津美への”干渉するな”に対して“俺に話しかけろ”というのは真っ向反対の思いであるのだ。
哲人は思い立った。
その推測を今すぐに立証するべきだ、と。
「ごめん、待たせちゃったかな?」
やってきた結花が手を振る。
髪が少し乱れてることから、急ぎ足でやって来たのだろう。
「こっちこそ急に呼び出してごめん」
「全然いいよ! 私も会いたかったし!」
回りくどいことは望まなかった。
哲人はこの甘い時間を犠牲にする覚悟で、例の思いを抱く。
“今すぐ彼女が俺のことを嫌いになれ”
もし叶えば残念。
叶わなければ、収穫は大きい。
さてどっちに転がる。
「なぁ、俺のことが好きか?」
「……」
結花は顔を伏せる。
その態度から嫌いになったのだと哲人は思う。
「やっぱり今日は解散しようか」
胸に痛いものを感じる。
所詮は相手の気持ちをいじって得た恋人。
それでも短い時間といえど、確かに彼女のことを愛し始めていたのだ。
何も言わぬ彼女に対して哲人は背を向けて帰路を辿ろうとする。
「私も! 私も好きだよ!」
「へ?」
驚きの勢いで振り返った彼の胸元に結花が飛び込んでくる。
「ごめん。気恥ずかしくなっちゃって、すぐに返事ができなかった」
己の胸の中で顔を真っ赤にする恋人の姿を見て、心底安堵と喜びに満ちた哲人。
(そうか。やっぱり否定の上塗りは叶わないんだな)
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