第9話 口をきけ

 相原結花と3度目のデート。

 もはやここに緊張感はなかった。

 他者を思い一つで思いのままに簡単に動かせることを知った哲人は、罪悪感よりも己の欲望に動く。


“俺と付き合いたいと言え”


 結花の口からそう言わせることは、彼自身の人生に反映している。

 今までモテたどころか告白の一つもされたことのなかった彼にとって、異性から「好き」だの「愛しているだの」ましてや「付き合いたい」と言わせることは憧れの一つであった。


「あの、私と付き合っていただけませんか?」


 予定調和で放たれた告白に対して、哲人はなおも遊ぶ。


「ん~、どうしよっかな?」

「私じゃダメですか?」


 ところでふと哲人は思う。

 心で操った彼女の気持ちというのは、本当に自分を愛しているのか。

 “付き合いたい”と言わせるまでは、ほんの些細な仲のよい友達感覚だったのではないだろうか。

 もし、自分の思いが転換のスイッチとなるのだとすれば、彼女の過去の心は突如として改ざんされたことになる。


 神の力。

 そう捉えないと説明のつかない出来事。


「俺は自分のいいなりになる女じゃないと嫌なんだ」

「……」


 人為的に作り出した愛がどれほどまでに深いものなのか。


「で、どうなんだい? それでも俺と付き合いたいと?」

「その……私は……うん。それでもお願いします」


 ほう。

 これはもしやすると、“付き合いたい”という想いの残痕がいつまでも残り続けるのではないかと仮定する。

 でなければ、幾度のデートだけで「いいなりになる女がいい」と言われてもなお付き合いたいと思う者は稀少である。



 哲人はその日の夜の内に彼女を抱いた。

 それも彼が望むような性行為の数々を繰り返し――。


 すべては許される。

 自分はこの世界を牛耳る存在となった。

 哲人は満たされて疲弊した裸体を仰向けに、顔をニヤつかせた。

 女を抱くという念願がかなったからではない。

 自分に備わった特殊の能力を使って、さてはて次は何をしようかと企みほくそ笑んでいるのだった。



――――――――――――――


 母親の奈津美から声を掛けてこないし、目も合わせてこない。

 一体どうしたというのだろうか?


 先日、彼が思ったこと。

 “もう俺について干渉しないでくれ”、という思い。

 が、このことについて哲人自身は覚えちゃいなかった。


(あれ? 俺、なにか思ったのかな)


 一日過ごしていれば、人は何十何百では済まない思いを無意識に抱く。

 それが本人にとって大したことでないことなら尚更、数多の思いなど一瞬として消去されていくものだ。


(ま、なにかわからないが、とりあえずは元の関係に戻しておくか)


“母親が俺と口をきく”


 これでよし。と、哲人は話のキッカケを奈津美に投げかける。


「今日の晩飯はなに?」

「……」


 目を合わすことすらしてこない。


(ちっ。めんどくせぇな)


、母親が俺と口をきく”


「今日の晩飯は?」

「……」


(は? ふざけんなよ)


 なにか伝達の仕方を間違えたのか。

 哲人は慌てて次の思いを考える。


“今すぐ、河村奈津美は俺と口をきけ”


「今日の晩飯は!」

「……」


 ヒヤリと血管が収縮する。

 

(おいおいおい、冗談じゃねぇぞ!)


“今すぐ、河村奈津美は河村哲人と喋りたがる!”


「お袋!」

「……」


 まるで幽霊になったような気分だ。

 どうして、どうしてこうなった?


(まさかに無視されるようなことを思ったわけじゃないよな)


 ダメだ。考えても答えを導き出せない……。

 哲人は一度、自分の部屋に籠る。

 冷静になってあーだこーだと考えた結果、この特殊能力の欠点と言える可能性を幾つか頭の中に捻り出す。



 一つ、どこかでというような時間制限のワードを出して思ったこと。そうして、その時間制限を迎えないと思いの重複は果たされない可能性。


 一つ、同じ人間に向けた思いの対象には回数制限がある可能性。


 一つ、そもそも自分の思いが叶えられる回数には限度があった可能性。


 一つ、思いが叶えられると同時に、自分に何か失うような副作用が発生している可能性。


 これらすべて今すぐに確かめようと思えば確かめられる。だが哲人は動かなかった。

 確かめてしまえば、己の持つ能力が有無がはっきりしてしまう不安。副作用が起こる恐怖。

 先2つの推測のどちらかであれば、まだ考えて行動することで自分の望みを叶えられるが。


 だがその2つの1つは違うだろうと哲人の中にはあった。記憶は曖昧だが、母親に対して嫌悪感を抱いたとしても時間をわざわざ制限して“関わるな”とは思わないし、ましてや“永遠”や“一生”をつけるだなんて……。


 しかし、自信はなかった。

 人の気持ちなど何も考えずに瞬間的に溢れてくるもの。

 そう。考えるのと思うのは違う。

 それがこの能力の本質的に怖いところである。と、哲人はここにきておぞましい能力を手にしたのだと理解するのだった。


「だとしたら、お袋とはもう二度と会話ができない……?」


 いろいろと頭の中で整理したのち辿り着いた可能性として、それは高い。

 しかし希望があるとすれば、副作用という大まかで曖昧な事象が必ずしも“一生”とは限らないということ。


「あーもう! 結局、時間が経たなきゃわかんねぇじゃねぇか!」


 哲人はくしゃくしゃと髪を掻きむしり、1人部屋で悶絶する。

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