第8話 助けるんだ

 40代後半ぐらいの男。

 瘦せ型で短い髪には白い毛髪が入り乱れている。

 目の下には大きなクマができており、血色も悪く肌が白い。それでいて浴びた赤い鮮血は余計に色濃く見えてしまう。


 哲人に向けて歩みを進めてくる男。

 獣に標的されたことを理解した哲人だったが、どうにも足が強張って言うことを聞かない。


(おいおい。マジかよ……)


 最悪だ。

 たしかに周囲の注目は男性と自分に集められている。


「早く逃げろ!」


 誰かが必死に哲人へと警鐘を投げかける。

 そんなこと本人が一番にわかっているのだが、やはり恐怖を前に足が揺るがない。


 男は早歩きで一直線に向かってくる。

 誰でもいいから殺したい。そんな残忍な思考は考えなくても透けて見えていた。


(くそったれ! こんな注目の集め方があるかよ!)


 ハッと哲人は冷静に判断する。


(そうか。これを回避するためには思えばいいんだ)


 なんだっていい。

 自分が助かるのであれば――。


“誰か今すぐ俺を助けるんだ!”


 瞬間、パァン!という乾いた音が鳴り響く。

 その音と共に周囲の人々は頭を抱えて膝を曲げ、すぐに慌てふためいた声が波紋する。


 何が起こったのか理解するのに時間はかからなかった。

 哲人は目の前の男が急に後方に吹き飛んだのを目撃し、さらにはその男が二度と起き上がってくることがないことも確認する。 


 横に目を流すと、まだ20代ぐらいの警察官が顔を真っ青にして拳銃を構えていた。

 彼としては通り魔に向けて威嚇射撃をするだけに留めたかったのだろうが、いざ本番を前に照準を見誤ってしまったようだ。


(た、たすかった……)


 内心、叶うかどうかわからなかった。ひょっとすれば、自分が刺された後に助けに入るという結末が待ち構えていた可能性もある。


「はは。すげぇけど、気を付けないとな」


 使い道によっては自ら破滅しかねない。

 強力な力を手に入れた一方で、諸刃の剣にもなりうる。

 この力との付き合い方をこの日、哲人は慎重に考えることとなった。



――――――――――――――


 死亡したのは根岸英明。

 普通の会社員であり、役職には就いていない。

 結婚をしており、一人娘を持つ三人家族。

 近所の聞き込みから特に喧嘩するような夫婦仲ではなかったようだが、どうにも秀明とその娘との間には確執があったとのこと。


 実際、娘に訊いてみる。

 彼女は高校三年生であり、大学受験を控える大事な時期。

 そんな折、父親が白昼堂々と人を殺害し、彼女の人生は一変する。

 父親が通り魔殺人鬼となれば、彼女を迎え入れる学校もほとんどない。

 美穂は父の死の哀しみよりも深く、憎しみに震えていた。


「ほんっとに最低な奴! 私の人生、ほんとうになんでこうならなきゃいけないのよ!」

「父親とはいつから仲が悪かったんですか?」

「思春期にはウザかったです。理由は特にないけど、話もしたくなかったかな」

「お父さんがあのような行動を取った理由になにか心当たりが?」

「知りません! 私が聞きたいぐらいです!」


 同じ質問は英明の妻にもされた。


「……わかりません。私にも何が何だか……」


 娘とは打って変わって、妻のほうは動揺で頭が真っ白な状態だった。

 そこには夫への愛を感じ取れたし、彼が凶行に及んだ理由が本当にわからないといった反応が窺えた。



 森正道まさみちは眉間にしわを寄せながら、ボールペンのノックカムを何度も押しては戻しを繰り返しながらメモ帳と向き合う。


「森さん。とりあえずは容疑者死亡というので無事に処理がなされました」

「無事?」


 正道は部下である山下を睨みつける。

 その恐い顔立ちから山下は委縮してすぐに謝る。


「す、すみません」

「まぁ。誰の目から見ても、無差別殺人を狙った容疑者が警察官に射殺された。というのが今回の事件のあらましだ。被害に遭ったのは一人だけだったのが不幸中の幸いと言いたいが、これは亡くなった女性に対する最低な発言だな」


 死亡した被害者は、英明と面識がないとされる40代女性。

 週5で入っているパートの仕事終わりで起こった悲劇。

 これには彼女の家族も悲しみと憎しみとやるせない想いに囚われることになる。


 英明の凶行にも疑問があるが、正道が一番に引っ掛かる点は別のところにある。


「河村哲人。また彼が関わっている」


 最近起こっている“くまんだもん”での失踪事件。

 ここで働いている1人に河村哲人の名がある。

 偶然にしては、短い期間に彼の周りで不可解なことが起こっていることは怪しむべきか。

 とはいえ、“くまんだもん”に限っては他の従業員もいるので、一概に河村哲人が関与しているとは言い難い。それに今回の事件も、そんな折にたまたま最悪な状況で見合った正にだったのかもしれない。


「考えるのはとりあえずやめるか。今は失踪した者たちの足取りを追うことに専念しよう」


 ボソボソと独り言を喋る正道に対し、山下は苦笑を浮かべて声をかけるのをやめるのだった。

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