第6話 付き合いたいな

 女の名前は相原結花。

 年齢は26歳で、アパレルショップで働いているという。

 容姿は哲人の好みとは些か違ってはいたが、美女とまでは言わないまでも綺麗な顔立ちに入る部類だった。


 女性と二人きりで食事をするなんていつぶりだろうか。


 哲人は落ち着かない心持で、酒を体に入れる。

 これで少しは酔って、気持ちの昂りが静められたらいいのだが。


「どうして俺なんかを?」


 思ったことが叶う。

 そのことを哲人は“思願しがん”と呼ぶことにした。

 思願で彼女が誘ってきたのは事実であるが、それは彼女のによってもたらされたものなのか、はたまた抗えぬ力――洗脳や催眠術といったものなのかを哲人は知りたがった。


「うん。本当は誰でもよかったんですけど……。河村さんが優しそうだったし、この人となら大丈夫かなって」


 実のところ先述のようなことを知るのは、難しいと知っていた。

 仮に洗脳されていたとしても、それもまた彼女の意志に相違ないからだ。


「彼氏にドタキャンされて辛かったですよね」


 どう話題を振っていけばもわからず、とにかく思い付いた言葉を並べてみる。


「上手くいっていないんですよ、私たち。もう3年半の付き合いなんですけどね。向こうはあまり私を構ってくれなくなって」

「可哀想に。別れないんですか?」

「……そうですよね」


 悪い心が哲人に芽生える。

 彼女が別れさえすれば、こんな冴えない男にでも彼女をモノにするチャンスは生まれてくる。


“今の彼氏と別れてほしい”


 これは彼が思願を利用しようとして故意にそう思ったことではない。

 単なる願望で思ったことであり、それは図らずも叶えられる。


「うん、そうですね。別れます、今すぐ!」


 潔い彼女の行動は哲人の前で行われた。

 携帯電話で彼氏へと電話をし出したのだ。


「お話があります。私は今日をもって、あなたと別れます。――うん、本気。前から思っていたことよ。うん……、うん。そうだよ。だから、さよなら」


 電話を切った結花は携帯電話をテーブルに放り投げて背伸びをしてみせる。


「くぅうう~。スッキリした~! こんなことなら早くに別れておくんだったなぁ」


 笑うしかなかった。

 彼女の行動に対して一部では面白いとも思うが、なによりも自分の展開になったことで笑みを隠せずにいる。


「河村さん、なんだか嬉しそうですね。人の失恋を愉しむタイプですか?」

「え。いや、べつに」

「本当ですかぁ?」


 これは悪い印象を与えてしまったか。

 焦る哲人はどうにかそれらしい言葉を探した。

(君が別れて俺にもチャンスが巡ってきたと思うと、笑みが自然に零れてしまったんだ)


 そんなキザな言葉を吐き捨てられるわけもない。

 恋愛経験なんてほぼほぼない彼にとって、素直な言葉を言えるほどハードルの高いものなんてなかった。


「河村さんは彼女さんいないんですかぁ?」

「ええ、まぁ」

「そうなんですね。出会いがないとか?」

「どうなんでしょうか。一応、女性のいる職場ですが、なんせ相手は大学生なもので」

「年齢とか気にしちゃうタイプですか?」

「まぁ……」

「私は気にしませんよ。お互いに愛があればですけど」


 哲人と結花はそれから互いのことについて語り合う。

 趣味や学歴、交友関係、家族構成など。とにかく相手の情報を得ようとした雑談である。

 彼女の軌跡を聞いていた哲人は、すっかり彼女を愛し始めていた。

 というよりは、最初から彼女の容姿だけでもう心は奪われていたのだ。


“あ~彼女と付き合いたいな”


 名残惜しいが、店の閉店時間を迎える。


「帰りは電車ですか?」

「はい。○×駅で……知っています?」

「ああ、それなら私の家の通り道ですね。よろしければ、私の車で送りましょうか?」

「あれ。車で来られていたんですか?」

「ええ。パーキングエリアに置いていて。だから、ほら。こうやってアルコールも飲んでいないじゃないでしょ」


 初対面の二人がやってきた飲食店は洒落たイタリアン。

 もともとは彼氏――元カレと来る手筈だった店である。

 自らの名で予約し、自ら店にキャンセルを入れるということに対して屈辱的だった結花は、たまたま通りかかった哲人に思わず食事の誘いを入れる。


 彼女自身、どうしてそんな大胆な行動が取れたのかはわからない。

 その場の勢いを止められなかった彼女であったが、この選択肢を後悔することはなかった。


 哲人と過ごす時間。

 それはなんとも愉しい時間であったからだ。


「あの、連絡先を交換しませんか?」


 愛車で○×駅に到着した二人。

 切り出したのは結花のほうだった。

 車中での会話も盛り上がり、お互いが心惹かれ合い、連絡先の交換はなるべくしてなる自然の流れであった。


「はい。もちろん」

「いつでもご飯に誘ってくださいね。私のほうから連絡するかもしれないけど……」

「喜んで!」


 はにかんだ結花は運転席から手を振って別れを告げる。

 彼女の車が離れていくのを見ながら、哲人は思わず顔を緩ませていた。

 恋に落ちる。

 これは紛れもなく恋であり、彼女の想いに手応えもあったため、ウキウキとした心は抑制できない。


 しかし、心の中で思った“彼女と付き合いたいな”という願いは、この日には叶えられなかった。


(思いが叶えられるのに、少しばかり時間を要するのだろうか)


 これもまた確認する必要があるなと哲人は思いながらも、今は愉しい一日を振り返って、浮足立って家への帰路を辿るのであった。

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