第4話 死ねよ
父親の
目の前に母、奈津美の姿。
「あら、アンタたちどこかに出かけるの?」
とんだ素っ頓狂な顔で言ってくる母に父親と息子は口を歪める。
「出かけるって……。お前が失踪したと思って、警察に行こうとしていたところなんだ」
「え、失踪って。私、置き手紙置いていたでしょ? 友達の家にお泊りしてくるって」
哲人は修に顔を向ける。
存ぜぬ顔で父は首を傾げる。
奈津美はヒールを脱ぎ捨てて上り框からスタスタとキッチンのほうへと向かう。
「ほら、あるじゃない。ご飯をよそったとき、普通気付かないかしら?」
彼女はキッチンに置いてある炊飯器の上を指差す。
「おい、親父。ちゃんと確認しとけよ」
「昨晩は軽く食べて帰ってきたから、おかずだけを食べたんだよ」
「哲人、アンタも食べてないの?」
「……仕事先で食べてきた」
はぁ。と、奈津美は呆れ果てた様子で大きな溜息を吐く。
「飯がいらないなら最初から言ってよ。無駄な労力じゃない」
男共は互いに顔を見て口を引き攣らせ、なにも言い返すことができなかった。
内心、彼らはホッとしていた。いつもの調子の妻・母の姿が変わる日常のように存在していることに。
「連絡は返してくれよ」
修がせめてもの思いで求める。
奈津美はポケットを弄って取り出したスマートフォンを確認する。
「あら、ごめんなさいね。今、気付いたわ」
彼女にも問題がある。
それだけで、今回の件は手打ちにできたような気持ちに男性陣はなるのだった。
哲人は思う。
ここ数日の間に周囲の人間が妙に自分の思い通りに動いているのではないかと。
ただの偶然が重なっているだけだとはわかっている。
しかし、吉川が姿をくらまし、エリア長が急遽来なくなったり、母親が消えて失踪疑惑になったり……。
(もしかして、俺の願いが叶って……いる?)
はは。そんな馬鹿な話があるわけない。
それでも、試してみないわけにはいかなかった。
なにしろ心で思うこと自体に労力もリスクもないからだ。
たとえば、どんなことを願えばいいのだろう。
“くまんだもんが火災によって焼失する”
「なんてな。そんなことあれば、仕事に行かなくていい致し方ない理由になるのにな」
哲人は部屋の中で自分の幼稚めいた考えにクスリと笑う。
その日の晩。
ダイニングテーブルで家族と食事をしていたときのこと。
会話はなく、料理を咀嚼しながら一同がTVから流れてくるニュースを見ていた。
《速報です。群馬県にあるチェーン居酒屋で、火災が発生しています。今、ご覧頂いているのは上空からの映像で、大きな黒煙が空を舞い上がっています。被害者の情報はまだ把握できておらず、周辺住民の緊急避難が促されている状況です》
モクモクと上がる黒煙の下では、紅の炎と青い炎が乱れおり、四方から消防団員が太いホースで懸命に消火活動を行っている。
その光景を見た哲人は、箸でつまんでいた唐揚げをポロリと落とす。
(うそだろ)
生憎、その“くまんだもん”は自身が働いている場所ではなかった。
そこに喜びや悔しさという感情はなく、ただただ驚きを超えて頭が真っ白になる。
「恐いわね。アンタも気をつけなさいよ、哲人」
「……」
「大変だな。店の損失もあるだろうが、被害に遭った人たちへの損害を考えると」
母の言葉も父の言葉も、まるで水中にいるように籠もって聞こえる。
「ごちそうさま」
「アンタ、まだ残っているじゃない」
「もしかして、あの店に知り合いでもいるのか?」
「いや、知り合いはいないけど……。一応、上司に確認を取ってくるよ」
端からそのつもりはなかったが、一刻も早く部屋で1人になって頭の整理をしたかった。
急ぎ足で部屋に飛び込んだ哲人の心臓はバクバクと強い脈を打っていた。
「まじかまじかまじか!」
いや、まだ偶然が偶然重なったということもある。
(冷静になれ、俺)
ふぅ~ふぅ~と深呼吸をしたものの、神経の昂りは収まらない。
(まだ確定なんかじゃない。別のことで確かめるんだ)
火災のような誰かを傷つけるようなことはダメだ。もっと小さなこと。
“1分以内に1000円札を拾う”
「これでどうだ」
急ぎ、哲人は時刻を確認する。
そこから1分、部屋の中を適当に漁ってみる。
「だよな。やっぱ、そんなことがあるわけねぇか」
1分が経過したものの、思い描いた理想の形にはならなかった。
気のせい。哲人はそう結論付ける。
翌日、仕事前に趣味のパチンコへと向かう。
(くっそ! ふざけんなよ!)
4万のストレート負け。
当たりを一度も引けぬまま、バイトの時間が差し迫っていたので泣く泣く止めることにする。
退出する前に一度トイレで用を済まし、ホールの台を1周してどこの台がよく出ているのかを確認する。
ふと、最後に自分が打っていた台の通路を通る。
ピカピカと光る、先程まで自分が座っていた台。
見間違いかと薄目をした彼であったが、間違いではなかった。
股を大きく開けた茶髪の男が、哲人の打っていた台に座って大当たりを当てていたのだ。恐らく座って500円程度の投資で当てたに違いなかった。
(はぁ! ふざけんなよ!)
それでも当たりやすいゾーンへの振り分けに入らなければ、まだ許せると思った彼は、遠目にその茶髪の男の様子を窺う。
ピカピカ。
次の当たりが確定する。
失望と怒り。
それでも早めの内に確率変動(大当たりがしやすいゾーン)から抜けてくれれば――。
ピカピカ。
ピカピカ。
ピカピカ。
割と早い当たりを持ってくる台。
玉はみるみる増え、哲人が座り続けていればとうに投資額を巻くっているほど放出されていた。
“キッモ! 死ねよ、アイツ! 今日、死ね!”
哲人の想いは叶う。
だが、その情報を哲人が知るのは、まだ幾日後のことである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。