第42話 強さの代償と石田の悲劇

 放課後、カイは鞄を手にして帰り支度を整えていた。

 日が傾き、教室の窓から差し込む光が床をオレンジ色に染めている。明日はダンジョン探索の打ち合わせもあるし、今日は早めに帰って休もう。そう思っていた矢先だった。


「カイくん、大変だ!」


 廊下の向こうから叫び声と共に、ひとりのクラスメートが駆け込んできた。息を切らしながら、カイの肩をつかんで言う。


「霧島シンジが、石田たちに連れて行かれたんだ!」


 その言葉にカイの胸がざわつく。シンジくんが——? 嫌な予感が頭をよぎった。


「どこへ連れて行かれたの?」


「学校の裏の河川敷だよ!大勢不良がいた、急いで!」


 カイはクラスメートに礼を言うと、すぐに教室を飛び出した。

 

 石田が仲間にしている不良には格闘のプロのような連中もいる。心臓が早鐘を打つ。シンジが危険な目に遭うのではないか——。



◇ ◇ ◇


 ——場面は学校裏の河川敷。


 夕日の赤い光が地平線を照らし、不穏な静けさが漂っている。


 その場には霧島シンジと、彼を取り囲む数十人の不良たち。中心に立つのは石田だった。


 しかし、シンジの様子がいつもと違う。おどおどしているどころか、不良たちの威圧にも動じない。むしろ、その落ち着いた態度が異様なまでの不気味さを醸し出していた。


「最近ダンジョンに行ってるらしいな」


 石田が肩越しに笑いながらシンジを睨む。


「お前、佐藤カイにでもなるつもりか?」


 その言葉に、周囲の不良たちが金属バットで地面を叩き始める。カン、カン、と無機質な音が響き、笑い声が混じる。


「それなら今のうちに反抗心を潰しておかないとな。お前、もうダンジョンは禁止だ」


 石田が命令口調で告げると、シンジは薄く笑みを浮かべた。

 その笑顔は挑発的でありながら、どこか別人のような冷たさを感じさせるものだった。


「なんでアンタに指図されなきゃいけないんだよ」


 シンジの声は低く落ち着いている。


「はあ?お前、痛い目に遭わないと、こんな簡単な命令も理解できない馬鹿なのかよ」


 石田が声を荒げ、威圧感を高める。しかし、シンジは空を見上げると小さく笑った。


「なるほど。馬鹿な人間は、痛い目に遭わせれば理解できるんだな」


「てめえ!」


 激昂する石田の後ろから、三人の大柄な男が現れた。


 彼らは明らかに不良の中でも格上の存在。体格も鍛えられた筋肉がわかるほど逞しく、金属バットを肩に担いでいる。


「俺たちもダンジョン配信者なんだよなぁ。ちなみにB級だ」


 一人がニヤリと笑いながらシンジを睨む。


「D級のゴミが調子乗ってるって聞いて来てみたら……とんでもねえ雑魚じゃねえか」


 石田はさらに笑みを深める。


「とりあえず二度とダンジョンに行きませんって言うまで、痛みでわからせてやってくれ」



◇ ◇ ◇



 その頃、カイは河川敷に向かって全力で駆けていた。

 途中、胸騒ぎが止まらない。


「シンジくん、無事でいてくれ……」


 自分に言い聞かせるように呟くカイの表情には、微かに影が差していた。


 シンジが新たにいじめのターゲットにされていることは知っていた。そして、その原因の一端が自分にあると感じていた。カイが強くなり、石田たちの横暴を圧倒的差で叩き伏せた——その結果、標的は自分から別の誰かへ移るかもしれないという不安はあった。


(やっぱり、石田は変わってない……)


 その後も石田の醜悪な性格が変わることはなかった。石田が自分より弱い相手に執拗に絡み、攻撃するその姿を幾度となく見てきた。いじめがどんどんエスカレートしていく様子も体験した。だからこそ、自分の身代わりでシンジが一人耐え続けてる状況に胸が締めつけられた。


(ボクが石田たちを抑えたせいで、次のターゲットにされてる……)


 いじめは、力関係を歪んだ形で利用しようとする醜い行為だ。


 自分が強さを示したことで、石田は別の弱い相手を探し、結果的にシンジがその標的になったのだ。カイにとって、強くなったことで守れるものがあると信じたかった。しかし、シンジに関しては逆に苦しめる結果を招いたのではないかという思いが離れなかった。


(あの時、もっと徹底的に叩き潰しておけばよかったのかな……いや、それでもボクには)


 石田のような人間は、自分が制裁されてもすぐにまた別の相手を見つけて攻撃を続けるだろう。根本的に潰すか変えない限り、その連鎖は終わらない。


 カイは深い息をついた。


 カイはシンジを助けに行きたい衝動に駆られる一方で、彼自身の意思や成長を信じるべきだという思いも交錯していた。


 それでも——。


(今度は、ちゃんと石田にわからせる、君をひとりにしない)


 カイの瞳には静かな決意が宿っていた。

 


 ◇ ◇ ◇



 一方で河川敷では、緊張感が高まっていた。

 B級の配信者たちがシンジに近づき、不良たちが逃げ道を塞ぐ。


「さて、シンジ〜、覚悟はできてるんだろうな?」


 石田がそう言うと、シンジはまたあの冷たい笑みを浮かべた。


「弱者への加減がわからないから、もし死んだらごめんな」


 その言葉に場が一瞬静まり返る。


「ふざけやがってこのやろう……!やれ!」


 B級の配信者たちが一斉に動き出す。だが、次の瞬間——。


 衝撃音と共に、彼らの一人が吹き飛ばされた。シンジの動きは人間離れしており、圧倒的な速さと力で不良たちを次々に倒していく。




 その場に到着したカイが目にしたのは、凄惨な光景だった。


 地面には数十人の不良たちが血まみれで倒れている。

 特に大柄な三人は手足が不自然な方向に曲がり、動けなくなっていた。

 そしてその中央で、シンジが石田の首を片手で締め上げている。


「シンジくん!」


 カイは叫びながら駆け寄った。


「石田を離してくれ!死んでしまうよ!」


 シンジはカイの方に顔を向け、不気味な笑みを浮かべる。


「助けはいらないよ、カイくん。僕も強くなったからね」

「そんなことより、はやく離して!」


 カイの声に、シンジは面倒くさそうに石田を地面に落とした。

 石田は咳き込みながら、涎と鼻汁まみれの顔でシンジを睨みつける。


「おまえ……こんなことして、親父が黙ってないからな」


 その言葉に、シンジは冷たい目で石田を見下ろした。


「呆れた馬鹿だな。もういい、死ねよ」


 垂直に上げた足を振り下ろそうとした瞬間、カイが間に割って入った。

 その足を素手で受け止め、シンジを止める。


「やめろシンジくん!人殺しになりたいのか?!」


「おや、カイくん。それって六界の空間把握の能力だよね……」


 シンジの声は不気味な低音に変わり、まるで別人のようだった。


「へえ、君が『神託者』だったんだ。……じゃあ敵だね。——残念だよ」


「敵?シンジくん、君は一体どうしちゃったんだよ!」


 その瞬間、上空から黒い影が降下し、爆発音のような衝撃が地面に走った。


「ッ……!」


 カイの目の前で、激しい衝撃音と土煙が巻き上がり、視界が一瞬遮られる。続いて聞こえてきたのは、何かが砕けるような鋭い音——それは、メイの一撃が地面に叩き込まれた音だった。


 土煙の中から僅かに見える地面は、蜘蛛の巣状の亀裂が無数に走り、周囲の空気が押しつぶされたように重苦しい気配を放っていた。


「カイ様!」


 煙の中から現れたメイは、冷徹な瞳でシンジを見据え、鋭い声を放った。


「この男は危険です!早く距離を取ってください!」


 メイの一撃が届いたはずの地面には、誰かが立っている気配があった。土煙がわずかに晴れると、その中央に、シンジが悠然と立っていた。


(あの攻撃を……あのタイミングでかわしたのか?)


 カイは思わず目を見開いた。今のメイの一撃は、普通の人間であれば防ぐことも避けることも不可能なはず。それにもかかわらず、シンジは無傷だ。


「……なんなんだよ……この蜘蛛女は」


 肩にかかった埃を払いながら、低い声で呟くシンジの瞳には、やや戸惑いが入り混じっていたが、その背後に潜む何か——禍々しい影のような存在がはっきりと感じられた。


 メイはその気配を逃さず、再び攻撃態勢に入る。


「カイ様、この者は……普通の人間ではありません!」


 シンジはその場から瞬時に距離をとると、笑みを浮かべながらカイを見た。


「まあいい。僕にはまだやることがあるからね。近いうちに、ゆっくり楽しもうよ」


 そう言うと、シンジは空間を歪ませるようにして姿を消した。


 カイはその場に立ち尽くし、深い息を吐いた。


 シンジの身に何が起きたのか——その答えを知るための時間が、もう残されていない気がした。


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