第37話 終わりゆく普通の日常

 学校からの帰り道。カイとメイが並んで歩く姿は、周囲から見れば付き合っている高校生カップルのようだった。


 すれ違う人々がちらりと振り返る。特にメイの美貌には、多くの視線が吸い寄せられているが、彼女自身はそれを気にする素振りもなかった。


 カイは苦笑を浮かべながら、隣を歩く彼女に話しかけた。


「ねえ、メイ」

「はい、カイ様」


「その……ずっと思ってたんだけど、周りの視線とか気にならないの?」


 メイは一瞬だけカイを見たが、すぐに視線を戻し、きっぱりと言い切った。


「もちろん気にしてます。すべて把握してます。今のところ敵意はないようです」

「いや、そうじゃなくて……まあいいや」


 カイは頭を掻きながら歩き続ける。


「そもそも、ボクの家に……一緒に住まなくてもいいんだよ?アヤメさんのところにも君の部屋はあるんだから」


「離れてしまうとカイ様をお守りできません」

「いや、あの、高校生の男女が一緒に住むとか普通じゃないんだよ」


「普通?……それはどのような状態ですか?」


 メイは首を傾げた。


「普通……えーと、つまり同棲っていうのは、恋人同士とか結婚前のカップルとか、そういう特別な関係じゃないと――」


「なるほど」


 そこで言葉を切ると、メイは真剣な表情で頷いた。


「カイ様が望まれるなら、私は恋人にも、妻にもなります。よろこんで普通になります」


「えっ!?」


 カイは思わず声を上げた。周囲の人々が驚いて振り返る。カイは顔を赤くして俯きながら、早足で歩き始めた。


「違う違う!そういう意味じゃなくて!」


 しかしメイは小走りで追いつき、真剣な表情で続けた。


「私に何か至らぬ点があるなら、どうぞお申し付けください。改善しますので」


「もういいよ……」


 カイはため息をつき、肩を落とした。


「ボクはただ、普通に過ごしたいだけなんだけどな……」





 二人が自宅に戻ると、キッチンから母親、佐藤フブキの陽気な声が響いてきた。


「おかえり!メイちゃん、カイの世話いつもありがとね!」


 フブキはエプロン姿で手際よく包丁を動かしている。その明るい様子にカイは少しだけ肩の力を抜いたが、それも長くは続かなかった。


「メイちゃん、夕飯の準備を手伝ってくれる?」

「もちろんです、フブキお母様」


 メイはすぐさま応じ、台所へ向かう。


「……母さん、この状況、変だと思わないの?」


 カイが呆れたように尋ねると、フブキは振り返り、にっこりと笑った。


「どこが変なの?メイちゃん、家事もできるし、いい子じゃない」


「いや、女子高生が、男子の家に一緒に住むのが普通なわけが――」


 フブキは肩をすくめて言った。


「あの役立たずの男もどこかに蒸発しちゃったんだし、スペース的に問題ないでしょ?」


「あの男」という言葉に、カイは眉をひそめた。


 母フブキの内縁の夫だった飯田は、カイに働けと言われた翌日から姿を消し、それ以来一切の連絡がない。


「メイちゃんて器用なのよ、家事全般なんでも手伝ってくれるから大歓迎よ。あの男より何倍も役に立ってるわよ」


「やれやれ、聞くだけ無駄だったね」


 カイは呆れたように肩をすくめ、深いため息をついた。

 

「あとね!メイちゃん華奢に見えてすごく力が強いのよ!昨日なんか——」

「……知ってる」


 カイの母、佐藤フブキは有能なAIエンジニアで、仕事が立て込むと数ヶ月家に帰らないこともある。流行やダンジョン配信などにも興味がなく、カイとメイの活躍もまったく知らない様子だった。


 カイがリビングでぼんやりと座っていると、テーブルの上に置かれていたスマホが震えた。画面を見ると「リサ」という名前が表示されている。


「リサちゃん……?」


 カイが電話に出ると、リサの緊張した声が響いた。


「カイ、今、テレビ見られる?」

「テレビ?ああ、ちょっと待って」


 カイはリモコンを手に取り、テレビをつけた。画面に映し出されたのは、世界中で同時多発的に起きている怪現象を伝える報道だった。


「こちらは緊急速報です。各地のダンジョンで前例のない異常事態が確認されています――」


 映像には、ダンジョンから立ち上る異様な光景が映し出されてる。


 裂けた壁から漏れ出る奇妙な光。さらに様々ななダンジョンポータルから漏れ出た思われる魔素のようなガスが、空を漂い1箇所に集まって不気味な竜巻のような姿で、天高く渦巻いていた。


 カイは画面を凝視しながら呟いた。


「リサさん、なんなのこれ?」


「……『堕天』の兆候らしいの」

「堕天?」


 電話越しのリサが深く息をつき、重い声で答えた。


「そうよ。世界中で今、『堕天』が始まろうとしてる……それは人類を絶滅させる規模の厄災が起こる前兆なのよ」


 カイの胸に緊張が走る。


 メイは家事をこなしながら、真剣な表情でカイの会話に聞き耳をたてている。


「……堕天の厄災」カイは拳を握り締めた。


「……リサさん、状況をもっと詳しく教えてくる?」


 画面の中では、次々と映し出される各国の異変。ニュースキャスターの声が続く。


 「現在、ダンジョンみられる怪奇現象が確認された地域は日本をはじめ、USA、中国、欧州に及び、周辺の住民は自主的に避難を開始しています、ダンジョン公安庁の見解によると――……」


 ――いままさに始まろうとしてる『堕天』。それがどれほど暗澹たる未来をもたらすのか。


 その答えを、誰も知らないまま、夜は静かに更けていった。

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