堕天

第36話 堕天の兆し

 カイたちが天威部テンウェイブを圧倒した戦いから数日。日本中は、かつてないほどの熱狂に包まれていた。


 SNSにはカイやリサ、メイの名前がトレンドとして並び、ダンジョンの危機を救った英雄たちを称える声が広がっている。街中の電光掲示板には、カイたちの姿が映し出され、ネットの世界もインフルエンサーによる考察番組や、切り抜きショート動画で溢れた。


「なんか、大ごとになってるな……」


 カイは教室の窓から見える外の風景を眺め、首をかしげた。学校に復学したカイの周囲にはひっきりなしに、クラスメイトたちがやってくる。


 常に一人っきりか、石田たちにイジメられていたカイの学園生活は、あの日からまったく違うものになっていた。


「カイくん、サインちょうだい!」

「次の戦いの予定とかあるの?」

「すごい!あの動画、家族で見てたよ!」


 彼らの熱気に押されつつ、カイは苦笑を浮かべながら答える。


「えーっと、ありがとう。どうも、あ、どうも」


 同級生たちの態度は明らかに変わった。

 しかし、もうひとつ大きく変わったことがある。

 

 学生服姿のメイが、常にぴたりとカイの隣に寄り添っていることだ。


「カイ様、次の授業は何ですか?私が教室までお供します」


 側から見れば超絶美少女にしか見えないメイは、美しい黒髪を揺らしながら、要人に付くSPのように周囲をつねに冷静に見回している。


 その非日常的な存在感に、クラスメイトたちは戸惑いを隠せなかった。


「なんだあの美少女!」

「カイくんの彼女なの?」

「メイちゃんだよ、ああ見えて怪力なんだぞ」

「いや、あの二人の距離感やばくない?」


 カイは微妙な空気を察し、頭を掻きながらメイに囁いた。


「メイ、そんなにくっつかなくても大丈夫だよ。ここ、学校だし」


「しかし、何が起こるかわかりません。カイ様をお守りするのが私の使命なので」


 そのやり取りに周囲がさらにざわつき、カイは困ったようにため息をついた。



 ◇ ◇ ◇



 一方、政府のダンジョン対策会議が行われてる議場では、新たなプロジェクトが進行していた。


「日本独自のやりかたで、超S級を育成する専属組織を作るべきです」


 神楽アヤメは、鋭い声で提案を投げかけた。議場に集まる政府関係者や公安の幹部たちは、一様に驚いた表情を浮かべた。


「我々は現在、攻略で入手したS級資源を適切に管理し、強化材として提供する予定です。これにより訓練参加者を効率的に超S級レベルへ強化できるはずです」


 さらに神楽アヤメが提唱したのは、他国とは違った日本ならではの強化方法だった。


「日本には古来より、陰陽、法力、信仰など、自然への畏敬を基とした様々な”異能”が研究されてきました。他国が行っているモンスターの特性を人へ移植する方法ではなく、日本独自の方法で、被験者への副作用が少ない強化プログラムを実施したいと考えます」


 その言葉には説得力があった。実際にアヤメが、リサに対して実施したテストプログラムの成果を提示したことで、会場には次第に賛同の声が広がった。


「たしかに、短時間でC級を超S級へ進化させたあの紅蓮の力には目を見張るものがある」


「これならば、倫理委員会も認めるのではないか?」


 すると天知ひかるが、映像カメラを構えながら口を挟んだ。


「はい、というわけで、この会議は政府だけの密談じゃなく、リスナーや国民にも伝えるべきだと思いますよ。みんなの応援が、きっと政策を後押しするでしょうしね〜!まあ……拒否しても公開するけどね」


 その後、政府の了承を得た上で公開された会議の内容は、瞬く間にネットを駆け巡り、多くの支持を集めた。


【日本政府もついにやる気になったか!】

【この育成プロジェクトすごすぎ】

【アヤメ先生に会えるなら俺も入隊したい!】

【天知ひかるが副長に就任するらしいぞ】

【これで日本のダンジョン攻略も安心だな】


 動画はリスナーの熱狂的なコメントで埋め尽くされた。

 そしてついには政府は、神楽アヤメを頂点とする新組織の設立を正式に決定するまでに至った。


 

 ◇ ◇ ◇



 しかし、そんな熱狂の裏で、静かに蠢く影があった。


 ダンジョン公安庁長官の本間総一郎は、執務室にリサを一人呼び出していた。


「リサ……今回は、本当にご苦労だった。まさか君たちが、ここまで強くなる、いや、活躍するとは思わなかった」


 その表情はいつもの余裕ある笑みではなく、わずかに硬かった。


「これで少しは、仕事を言い訳にする理由がなくなったんじゃない?……お父さん」


 本間は、実の娘であるリサの言葉に、気まずそうな表情を浮かべ目を逸らす。


「……言いたい事は分かるが、大人には色々事情があってな。それとこれとは——」


「そう言ってすぐ誤魔化すの悪い癖だよ。だからお母さんに別居されちゃうんだよ。まだわかんないの?」


 リサの激しい追求に、視線を落とす本間だったが、すぐに顔を上げて真剣な目でリサを見つめる。


「リサ……今日呼んだのは、君にだけに伝えておきたいことがあるからだ」


 その危機感を含む声に、リサは軽く頷き、父親である本間長官の話に耳を傾けた。


「リサ……カイくんに与えた0ゼロ級の、本当の意味を知っているか?」


「……世界の強国に数人いるらしい、S級の枠にはまらない強者……くらいの認識だけど」


 本間長官はリサの答えに深く頷き、続けた。


「それは正しい。しかし、その名称の起源はさらに深い場所にある。人類は、その長い歴史のなかで幾度も絶滅の危機に直面したが話を聞いたことがあるか?」


「それは……ノアの方舟とか、ラグナロクとか、天岩戸とか……神話のことだよね?」


 本間は静かに頷く。彼はリサが幼少の頃から、そういった神話のまつわる書籍を与え読ませていた。


「そうだ……しかしそれらは、神話ではなく、すべて実話だ」


「え?どういうことなの」


「それらを起こしたすべての元凶は『堕天』にあると言われている」


「『堕天』……天界から追放された天使の話?」


「ああ。そして、その『堕天』がもたらす災厄は、常に人類を絶滅の危機に追いやる規模だ。過去の文明は、その対策のために必死で戦いを挑み、どうにか生き延びてきたに過ぎない」


「堕天……厄災」リサは眉をひそめた。


「そして、『堕天』とダンジョンの発生は……関連している」


「もしかして、カイの存在も無関係じゃないとか?」


 本間はその言葉に深くうなずく。


「歴史の中には、『堕天』が原因で起きたとされる災厄が数多く記録されている。ノアの大洪水、バベルの塔の崩壊、果てはトロイ戦争すら……」


 本間長官の声が低く響く。


「ダンジョンの発生は、その『堕天』の影響の一つで

、前兆とも言われている。リサ、おまえが手にした紅蓮の炎にも『堕天』に纏わる力が宿っているんだ」


「私のこの力も『堕天』の一部なのね……」


「ああ、そしてついに、『堕天』の兆候が日本で確認された……」


 リサは鋭い眼差しを長官に向けた。


「つまり……カイの0ゼロ級も『堕天』と関連したものなのね」


 本間長官は静かに頷いた。


「お前も、カイくんも、これから、その渦中に巻き込まれるだろう。しかし――」


 そこで本間長官は言葉を区切り、娘に向けて微笑みを浮かべた。


0ゼロが生まれるところに『堕天』が現れるとされ、0ゼロこそが『堕天』から人類を救う希望とされているのだよ」


 その言葉に、リサは小さく息をつき、口元にいつもの笑みを取り戻した。


「……だったら、全力で戦うしかないわね。私たちが、守らないと」


 リサの心に決意が芽生えたその頃、ダンジョンの深部では異様な現象が発生していた。



 ◇ ◇ ◇



 調査中の最後のS級ダンジョンの深部では、不気味な光が漏れ出していた。

 

 壁の表面がひび割れ、その亀裂から、見たこともない色彩の光がじわじわと滲み出ている。その光は、何か生き物のように脈打ち、周囲の闇を支配していた。


「……これ、何だ……?」


 公安の調査隊員が一歩後ずさる。その場には説明のつかない異変が広がっていた。


 壁を覆うように黒い影が蠢き、低い音が響き渡る。それは風でも地鳴りでもない、不協和音のような音だった。


「隊長、壁だけじゃありません!床も、天井も、全部……動いてます!」


 別の隊員が声を上げる。その言葉の通り、ダンジョン全体がゆっくりと息をするように、形を変えつつあった。


「まるで……生きているみたいだ……」


 その瞬間、暗闇の奥から何かがこちらを見ているような感覚が襲い、隊員たちは一斉に身構えた。


「これは……S級ダンジョンのものじゃない……!」


 誰かが震える声で呟く。その背後で、影が急速に形を成し始めた。巨大な翼のようなものが現れ、それが不気味な音を立てて広がる。


「撤退だ!全員、今すぐ撤退しろ!」


 指示が飛び、隊員たちは慌てて撤収を始めた。


 しかし、その異様な気配だけはダンジョン全体に染みついて離れず、どこまでも追いかけてくるようだった。




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