第5話 ≪迷宮 第1階層≫③
「ここ……匂いが変わったね」
第1階層の更に奥。
色濃く魔力が溜まった空間に、俺達は出た。人の喧騒は既に無く、その代わりに何かが影で這い回るような音が聞こえる。グァルは匂いが変わったというが、俺の鼻でも感じ取れた。
生臭く、獣臭い。
生き物の血にまみれた、獣の生皮のような臭いが、鼻先に着いて離れない。
「……誰か戦ってるみたい」
グァルの両耳が、俄に立つ。
音を集めるようにして、何度も耳の先が動いた。
「別の《パーティ》がいるっぽいね。鎧の金具の音かな……3つ聞こえる。……編成は……わかんないや。ただ、風切り音は大振りだから……不慣れなのかも」
人数が分かるだけでもありがたい。
向こうは3人で、第1階層にいる。
音に“切れ”が無い事を鑑みるに、俺達と同じ駆け出しの冒険者達だろう。
「ーーー……ーーー?」
音に変化は無いかと尋ねる。
冒険者達が優勢なら、通路を迂回して別の区画へ。もし手こずっているか劣勢なら、そのまま冒険者達がいる方へ向かう。
3人掛かりでも倒しきれない《モンスター》か何かがいるという事だ。
加勢して倒せば、俺達がその《モンスター》に襲われる可能性を減らせるだろう。
「……んー……なんか振る音が乱れて来てる。……なんだろう、押され気味なのかな」
なら、加勢しに行く。
グァルに合図をして、俺は《ワンハンド・ソード》を構えて音の方へ歩みを進める。グァルの方も、腰ベルトに下げた矢筒から、矢を一本取り出して番えた。
近付くにつれて、音は《ヒューマン》の俺の耳でもはっきりと分かる程に響く。
「……ごめん、ーーー! “聞き間違えた”……!」
音の主の姿を視認して、俺達は石壁の影に張り付く様にして身を潜める。どちらにしろ、グァルと組めたのは幸運だっただろう。
自分一人だったら、このまま音に気づけず鉢合わせていた。
「《コボルト》……だよね、あれ。冒険者たちに群がってる。やられたみたい」
壊れた胸当てや籠手を、紐と荒縄で括り纏った犬と人の交雑種のような姿の《モンスター》。
ーーー《コボルト》が、冒険者たちの死体を弄びながら喰らっている。
……だが必死に抵抗して刺し違えたようで、2匹分の《コボルト》の死体が近くには転がっていた。
冒険者たちの死体は5人分。
……同じ数で挑んで負けた、ということになる。正面から挑むのは愚策だろう。
(…………)
《コボルト》は《迷宮》の外でも見かける《モンスター》だ。
簡単な石器を造り、木の板を盾として扱うだけの知能がある。
主に群れを成して街道や荒野に隠れ潜み、旅人を襲い喰い荒らす“害獣”としても知られる。
……もっとも、個々の能力は低く臆病で、一匹でも倒せれば恐れをなして逃げ出していく。少し力の強い子供が、棒切れを振り回して追い払ったとの話もあるくらいだ。
俺自身、子供の頃に石をぶつけて追い払ったことがある。
『ーーー、ーーー!』
『ーーー、ーー! ーーー!』
『ーーーー! ーー!!』
《コボルト》は弱い。
決して強い《モンスター》ではない。その筈だ。
……だが、冒険者たちの血肉を喰らい弄ぶ目前の《コボルト》たちは、俺の知るモノとは大きく違っていた。
「《コボルト》って……剣とか斧、あんなに上手く扱えたっけ……?」
体付きは一回り大きく筋肉質だ。
鉄製の剣や手斧で武装し、粗雑な物とは言え鎧さえ纏っている。
本来、《コボルト》達には、《戦士》のように振る舞うだけの知能がないにも関わらずだ。
「ーーー……ーーー」
言うなれば、《ホブ・コボルト》。
《迷宮》の魔力によって変化したのか、それとも別要因によるのかは何とも言えないが、危険な《モンスター》であることには違いない。
下手に躍り出れば、今度は俺達が奴らの玩具にされる。
「ーーー……ねぇ、ーーー………!」
グァルが焦ったような口調で言う。
恐る恐ると指さすのは、まだ五体を保って転がされているローブ姿の死体。おそらくは、
「あの人……まだ生きてる。
……《フェロモン》がするんだ。死んだ人からはしない」
《ホブ・コボルト》たちは、未だ此方に気が付いていない。
愉しげに死体の四肢を千切っては、穢らしい咀嚼音と共に喰い散らかしている。
「ーーー……ーーー?」
俺は、グァルに小さく尋ねた。
ーーー匂いはどうだ、と。
「……優しい匂い、かな」
“分かった”、とだけ答えを返して、俺は《ホブ・コボルト》の1匹に狙いを定める。
3匹とも背中を此方に向けて、視線も意識も食事に向いている。
……互いに《バック・アタック》を叩き込めれば、2匹は確実だ。
あとは、1匹対2人に持っていけばいい。……見通しは甘いが、今できるのは此れだけだ。
「………ん! 大丈夫、必ず決める。信じてよ!」
俺が狙いを定めたのは、3匹の中でも大型の個体。鎧を装備してはいるが、胸元までしか覆えない《チェスト・アーマー》。
頭や首は狙わずに、面積の広い背中を狙い、背骨を避けてそのまま腸を刺し貫く。
……頭の中で、イメージを繰り返す。
「…………」
「………ん!」
目配せをした。
互いに呼吸を併せて。
ーーー躍り出る。
『ーーー………ーーー!?』
《戦士》の《武巧スキル》、《縮地撃Ⅰ》を発動させ一気に刺し通した。
魔力で空間を僅かに歪め、一息で距離を詰め刺し貫く《戦士》の基本スキル。速度を上乗せした刺突は、《バック・アタック》により致命の一撃になる。
「ーーー………ーー!!」
猿叫まがいな気合いの叫びと共に、俺は突き入れた《ワンハンド・ソード》を以て、力任せな横薙ぎで抉り斬る。肉と脂……臓物を掻き回す感触の後……《ワンハンド・ソード》は空を斬る。脇腹から刀身と共に、血と汚物とが噴き出した。
《ホブ・コボルト》は……動かない。
『ーーー………!!』
2匹目の《ホブ・コボルト》が、俺へと飛び掛かろうとする。
だが、奴の剣が振るわれるよりも早く。
「させないよ!!」
『ーー………ーーー……!?』
鋭い風切り音と共に、矢が飛ぶ。
右側頭部に深く鏃は突き刺さり、放たれた矢の衝撃で《ホブ・コボルト》の右眼が飛び落ちる。
仰け反る暇も与えず、続けて放たれた剛速の一矢が……《ホブ・コボルト》の頚椎と頭とを引き千切り絶命させた。《バック・アタック》補正による《首切り》。
……グァルの弓の腕前も合わさっていたのは、言うまでもない。
『ーーーーー!?………!!』
残り1匹。
仲間を殺された《ホブ・コボルト》は、手斧を盾のように構え後ずさる。……矢を警戒しているのだろう。普通の《コボルト》には見られない行動だ。背中を向けて逃げ出そうともしない。
『ーー…………ーーーー』
グァルが弓を番えながら出る。
両脇から《ホブ・コボルト》を囲む。
「えぇっ………!?」
グァルが驚きの声を上げた。
《ホブ・コボルト》は口角を吊り上げると、勝ち誇るような遠吠えを上げる。
「……人質のつもりって……こと? あ、あはは……賢いワンちゃん」
《ホブ・コボルト》は素早い動きで手を伸ばすと、《魔術師》を引き寄せる。手斧の先を《魔術師》の首筋に突きつけると、嘲笑するような遠吠えを上げた。
そうしてゆっくりと後退る。
……逃げる気か。
「………っ! ーーー、ちょっとマズイかも……遠くにだけど、足音が聞こえてきた!」
俺の耳には聞こえなかったが、グァルを信じるならこの《ホブ・コボルト》は。……遠吠えで仲間を呼び寄せたのだろう。
「………」
俺は《ホブ・コボルト》を見やる。
一か八か、賭けてみる価値はあるだろうか。打開策が一つだけ頭に浮かぶ。……いや、此れしか浮かばない。ヴンドルから貰ったアイテムを使うことも考えたが、《魔術師》を盾にされてはぶつけられない。
「……? ーーー、何をする気?」
深呼吸をする。
額に吹き出た汗が、鼻先を伝って落ちていく。
「……………!!」
少しでも狙いがズレれば……お終いだ。心臓の鼓動が速くなる。
乱れだした呼吸を抑えようと、俺は荒い呼吸を繰り返して。
ーーー覚悟を決めた。
『ーーー………ーーー!?』
《縮地撃Ⅰ》を再度繰り出し、俺は盾にされている《魔術師》もろともに《ワンハンド・ソード》で刺し通す。
狙ったのは鎖骨と肩の繋ぎ目。太い血管や急所のない部位とを狙い切っ先を突き入れて、後方で隠れる《ホブ・コボルト》を貫く。
ちょうど《魔術師》のその位置に、《ホブ・コボルト》の喉笛はあった。骨を力任せに砕く感触と共に、生温い血が噴き掛かる。
《ホブ・コボルト》が口腔から赤黒い血を噴き出すと、やがて痙攣しながら倒れ伏した。
◯
「いやー、びっくしたよ。まさか諦めて楽にしてあげちゃうのかと」
グァルに《魔術師》の男を抱えて貰い、俺は縄で《ホブ・コボルト》達の死体を並べて縛って引きずっていた。《納品依頼》の《コボルトの牙5個》、《魔術師》を治療した後で剥ぎ取って納品する。
……かなり重いが、引き摺ればなんとかなる。
「この《魔術師》の治療、誰に頼む? やっぱり《寺院》……?」
《パーティ》に
普通、回復系のスキルが使える者は《迷宮》になど潜らず、《寺院》や《治療院》などの安全な場所で働く。
「うぉーい! 嬢ちゃんに坊主! こっちだ!」
第1階層の“喧騒区画”が見えてきた。それと同時に、此方に向かって腕を振る誰かの姿が見えた。
……《三兄弟パーティ》の《僧侶》ハギールだ。
腕をしきりにっては、ここに居ると俺達に向かって呼ばわっている。
「ハギールさーん!」
「戻ったか嬢ちゃんに坊主。……“拾い物”したみてぇだな。待っていて良かったぜ」
……俺達を待ってくれていたのか。
「なんか言いたそうな顔だな坊主。……兄貴に頼まれてな。お前ぇらの初陣を祝いに来てやったっつーわけよ。……ったく、人使いの荒ぇクソ兄貴よ」
そう言いつつ、ハギールはニヤリと笑ってみせる。
頭が上がらぬ思い、とはこのことを言うのだろう。……ヴンドルのいる方に足を向けては寝られないな。
「どぅら、貸してみろその《魔術師》。………おーおー、傷はヒデェが図太ぇ生命力していやがる。こいつ、簡単には死なねぇ星の下に生まれていやがるぜ」
ハギールに《魔術師》の治療をしてもらう傍ら、俺とグァルは引き摺って帰った
《ホブ・コボルト》の縄を解く。死後硬直が始り、奇妙な姿で固まっている。できるだけ早く解体したほうがいいだろう。
「《コボルトの牙》を5個だったよね。……えーっと……あ、これだね。解体は任せてよ!」
グァルが短剣を抜き、慣れた手つきで《ホブ・コボルト》に刃を充てがっていく。両頬を器用に切ると、上顎と下顎を掴み逆に折る。
そうして下顎を付け根ごと引き剥がして、顎のない《ホブ・コボルト》の死体が5つ出来上がる。
「これが《コボルトの牙》かな。ほら、この一本だけ長い犬歯」
剥いだ顎の歯茎に短剣を突き入れて、グァルは《コボルトの牙》を切り取った。どの《ホブ・コボルト》にも、一本だけ他の犬歯と比べて長い犬歯がある。この犬歯のことを、《コボルトの牙》と呼ぶようだ。
「ーーー………ーーー」
“お疲れ様”、とグァルに声を掛けて、俺は《ホブ・コボルト》たちの死体を見やった。牙を取った後の死体……捨て置くわけにもいかないだろう。
「あ……? この《魔術師》……あーぁ……俺ぁ知ーらね……ん? お、おぅ嬢ちゃんに坊主! 《魔術師》の治療が終わったぜ。……適当な宿に運んどくから、明日にでも合流しな」
《魔術師》への治療を終えて、ハギールが言う。何か不穏なことを言っていた気がするのだが……気のせいだろうか。
「ありがとうございました、ハギールさん! ……あのー……甘えついでに……《コボルト》の死体ってどうすればいいですかね……? あはは」
「あ? あぁ、それならほれ。あそこの看板見えるか?」
ハギールが指差す方には、骨の絵が描かれた木製の吊り看板。
それを掲げた玄室があった。
「あそこで《モンスター》の死体が売れるぜ。《素材加工屋》ってな。《モンスター》の血肉ってのぁ、加工次第で無駄なく全部使える。余裕があるなら今日みてぇに引き摺って持ち帰りな」
そう言って、ハギールは《ホブ・コボルト》たちの死体を順繰りに見やる。
「ふむ……《コボルト》どもなら……数打ちモンの武器の鞘か、防具の革紐の素材として売れるかもな。腐る前に売っちまえや」
俺とグァルは互いに顔を見合わせる。……見合わせて。
「やったぁ!! 臨時収入!!」
互いに手を合わせて歓喜する。
《迷宮》探索の初日、冒険者としての第一歩を……俺達は踏み出すことができた。
《迷宮都市》に、魔王はいない あつ犬 @Atuinu
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