第4話 《迷宮 第1階層》②

喧騒で満ちた区画から、半歩外に出れば。《迷宮》……第1階層の空気は全く別のモノへと変わる。人の温かさは消え去り、冷たく無機質な石壁が続くばかりだ。

相変わらず玄室の前には看板が掲げられ、疎らだが冒険者たちや街人の姿は見える。


けれど……朗らかな雰囲気は、もう何処にも無かった。


「ぅ………うぅ………ぃっ……」


玄室の前で、男が一人蹲っているのが見えた。嗚咽を漏らしているのか、肩を震わせて項垂れている。

俺はグァルを庇うように前に出ながら、《ワンハンド・ソード》の柄を握りしめた。


「ーーー、あの人……」


「ーーー………ーーー」


関わらなくていい。

そう俺はグァルに言う。

早足で俺達は、蹲った男から離れる。……男の目の前を通り過ぎた、その瞬間だった。


「ぅっ……うぅぁ………か、神様ぁっ!! こ、ここにおられたのですねぇっ!! あ、ありがとうごぜぇます……ありがとうごぜぇます……!! こ、こんなに沢山の……おぉ……おぉ………!!」


焦点の定まらない、恍惚とした顔だった。口の周りは唾液に塗れ、頬や腕には自分で付けたのか切り傷がある。

虚空に向かって、何処かの教派の讃美歌を歌いながら、男は石畳を弄り何かを掻き集めるような動作を繰り返した。


「………あぁ、駄目だ、ーーー。あの人……還ってこられないよ、もう」


すんっ……とグァルが鼻を鳴らす。

還ってこれない。

……文字通りの意味だ。男はもう、正気には戻れないのだろう。


男の近くには、薄紙で巻かれた葉巻。あるいは、吸い殻が幾つも転がっていた。


(…………)


薬草の中には、乾燥させて特定の薬草や茸と混ぜることで幻覚効果や多幸感を生み出すものがある。

無論どの都市でも所持・調合ともに禁止されているし、使えば法に則り裁かへる。……けれど、ここは《迷宮》の内部。裁く者などいやしない。


「……!?」


玄室の影から、人影が躍り出る。

咄嗟に《ワンハンド・ソード》を引き抜こうとしたが、刀身を半分鞘から出した所で腕を止める。

人影たちの狙いは、俺とグァルではなかった。……蹲っていた男だ。


「ぅぇっ………」


グァルが小さく悲鳴を上げる。

人影は、酷く汚れた……服とも呼べないような襤褸切れを着た、人の群れだった。男に群がりながら、手にした石や瓦礫片を幾度も振り下ろす。数は4匹。

此方には気づいていない。


「……おい、こっちだこっち。そいつらは素早しっこいぞ、止めておけ」


嗄れた老人の声だった。

それと共に、扉の開く音が響く。

振り向くと、白髪の老人が手招きをしていた。


「ん……入ろう!」


急いで玄室に滑り込む。

俺達が入ると、老人は急いで扉を閉めた。


迷宮人ラビュリンス・ピープルの群れに会うとは運がなかったな、子らよ。……食事が終われば、何処へなりとも消えるだろう。……あれらはもはや、人とは呼べぬ」


(…………) 


玄室内には、厳かな空気が満ちていた。四方には《女神教》の不死者除けの聖法陣が刻まれ、床には血染みが着いた麻袋が転がっている。

……この玄室は、もしや。


「儂はオズワルド。……しがない《女神教》の《死体守り》じゃ。薄気味は悪かろうが、彼奴らが消えるまで此処で待つがよかろうて」


《死体預かり所》。

《迷宮》内で命を落とした者の亡骸を、一時預かるための場所だ。

死体の程度にもよるが、病死や老衰によらない死者は《寺院》で蘇生が可能だ。

預かり所は、蘇生費用が足らない《パーティ》などから死体を預かり、《不死者化》や《モンスター》に食い荒らされるのを防ぐ。


「……茶の一杯でもいれてやろう。………む? 客か」


扉が開くと、冒険者たちが入ってくる。……鎧や装備は無惨に引き裂かれ、傷だらけだった。


「うっ………くっ……な、仲間を……あ、預かってくれ……」


肩で息をしながら、《戦士》風の男が言う。その《戦士》の肩を支えるようにして立つのは、《魔術師》風の男だった。


「心得た。……検分室で装備と服を脱がせておやりなさい。後は麻袋に入れてくれ。腐らぬよう見守ろう」


《戦士》の腕の中で抱えられているのは、《僧侶》の女性だった。

フードの隙間から覗く耳は長く、《エルフ》なのだと分かる。

もう息を引き取っているようで、ダラリと腕を垂れて動かない。

……法衣の腹部に血が滲み、鋭利なモノで刺し貫かれて死んだことを告げていた。


「俺の……俺のせいだっ! 第3階層に行くのは……早すぎだんだっ……!!」

「やめろって! ……自分を責めるな……俺が魔法スキルで支援できていれば……くそぉっ!!」


そう言って、《戦士》は《僧侶》を一度強く抱き締めた。

……恋人……なのだろう。


「……! な、なぁ、君たち!! た、頼む!! か、金を少し貸してはくれないか!! 頼む、必ず返す……蘇生費用が………!」


《魔術師》が言う。

金を貸してくれと頼まれるが、俺達も金には余裕がない。

同情はするが、力になることはできそうもない。


「やめろ、みっともないっ!! ……やめてくれ………」


「でもよぉ!! ……畜生がぁっ………!!」


《戦士》の男が口を開く。


「……すまなかったな。連れが取り乱した。どうか忘れてくれ。

………《死体守り》殿、彼女をよろしくお願いいたします」


「……腐敗からは守ろう」


玄室の奥の扉を開くと、冒険者たちは中へと入っていった。


「子らよ、あの背中をよく覚えておくのじゃ。《迷宮》に安全な場所など無いとな」


俺もグァルも、立ち尽くすことしかできなかった。

……少しして、冒険者たちが出てくる。《戦士》の男は《僧侶》が入っているのだろう麻袋を、最後に一度抱き締めると、そぅっ……と床に横たえた。


「レベルは3か。ではその娘の亡骸、300テスタルと定めよう。

……良いかな?」


「さっ……300……テスタル……ですか……? ………くっ………! わかり……ました」


「よ、予備の装備やら売ればすぐだ! ……き、きっと買い戻せるさ! ……大丈夫だって……なっ? 大丈夫だ……大丈夫に……決まってる」


冒険者たちが、玄室から出ていく。

……300テスタル。

装備は既に破損して、傷だらけな冒険者たち。引き取るだけの金が貯まったとしても、蘇生費用も加えれば数ヶ月……下手をすれば一年近く掛かるのではないか。


「あのー……オズワルドのお爺さま」


「……いかがしたかな、娘よ」


「そのー………特別に安くしてあげたりとかって……あはは、駄目ですよね……」


グァルの言葉に、オズワルド爺は深く目を閉じて頷く。


「できることならば、無料で引き取らせてやりたいわい。……じゃが、《寺院》の定めじゃ。一つ例外を作れば次の例外を作らねばならなくなる。そうなれば……今度は何もかもが御破算になるだろう」


「ーーーおぅ、邪魔するぞオズワルドの爺さん」


入れ違うように、別の冒険者たちが入ってくる。その冒険者たちを観た瞬間に。


「………うっ………!?」


グァルが、鼻を抑えて後ずさった。


「……ようこそ、《死体預かり所》へ」


「新鮮な女の死体、何匹分かくれや! へへっ、亜人だとありがてぇんだがなぁ」


そう言って、冒険者の一人がオズワルド爺の前に麻袋を投げ置く。

頭一つ分背丈がある、大柄な男。……歳は40手前か。

浅黒く焼けた肌の男だった。袖無しの鎧は、隆々とした腕と入れ墨を見せつけるためだろう。赤い髑髏の入れ墨だった。


テスタル金貨の重なり合う軽妙な音がする。……麻袋の膨らみ方からして、1000テスタルは入っているか。


「………早く立ち去れ」


「へへへ、んだよぉ爺さん。俺等は上客だろぉ? お陰でこの《死体預かり所》は今日も使える! 運営費用ってなぁ! ……《寺院》も金が入って万歳っ! ……そんな顔すんなよ、爺さん! 金が足りてりゃ誰であろうと引き取れる! ……《寺院》がお定めになった決まりだろぉ? はははは!!」


「おっ! 兄貴! こいつぁツイていやすぜ! この麻袋、《エルフ》の女が入っていやした! ひひっ……顔も良けりゃ尻ざわりもいい! 300テスタルでこりゃ掘り出しモンだ! きっと稼いでくれやすよこの女ぁ! ひひひ……その前に俺が味見を……ひひひひひ!」


「兄貴、こっちの麻袋も中々ですよ。《ドワーフ》の女でさぁ! 値段も安いと来た!」


「こっちは《ヒューマン》! 

……雀斑の田舎娘って感じの顔ですがねぇ……そこそこの値で売れるとは思いやすぜ。……幸薄そうですし、甚振るのが趣味な旦那方にゃ愛されますよ、きっと」


麻袋を抱えて、男たちは笑う。

……なるほど、予想はつく。

《死体預かり所》はあくまで死体を預かり、腐敗や《不死化》から守るための場所だ。

引き取るに足るだけの金を積まれたのなら、引き渡さないわけにはいかないのだ。……例え相手が、人買いまがいな手合いだとしても。


「…………おぉ? ほほぉ? そっちの《ワーキャット》ちゃんも中々いいじゃねぇか。……へへ、どうだいそこの兄ちゃん。その子が死んだら売ってくれてもいいぜ? はっはっはっはっ!!」


「…………っ!!」


前に出る。

前に出て、俺は得物を引き抜いた。


「ちょっと、ーーー………!?」


「あ? 剣を抜いたってこたぁ……そういうことだよなぁ、兄ちゃん……」


「よさぬか二人とも!! ……子よ、剣を納めよ。……ゲラール、お主も早う立ち去れ」


「《迷宮》の中だぜここは。剣を抜いたら、誰であろうと殺されたって文句は言えねぇ。……どけ、ジジィ!」


「……この玄室は《迷宮》にあって《迷宮》に非ず。……《寺院》の一部と心得よ。それとも《寺院》より任命された《死体守り》、殺してみるか? ……貴様らの穢い商売と引き換えにな」


ゲラールと呼ばれた冒険者と、オズワルドの爺は暫し睨み合う。


「ふんっ。………引き上げだ。行くぞお前ら。ここには英雄気取りの餓鬼と死に損ないのジジィしかいやがらねぇ!」


先に睨み合いから降りたのは、ゲラールだった。そのまま、奴は踵を返す。


「よぉ、そこの餓鬼。テメェの顔は覚えた。……せいぜい夜道には気をつけな。この《都市》は俺の……俺達紅蓮の髑髏パーティの庭だぜ? ふふふ………!」


吐き捨てるように言うと、引き連れていた男たちと共に出ていった。


「ーーー………!! 庇ってくれたのは嬉しいけど、危ないって……!」


「まったく……子よ、剛毅なのは良いが蛮勇ではいかぬぞ。……特にゲラールのような輩にはな」


二人に謝って、俺は引き抜いていた得物を鞘へと戻す。

……短慮だったと反省はしている。

けれど、そうせずにはいられなかった。昨日今日出会ったばかりとは言え、グァルは俺の《パーティメンバー》だ。笑われたのが許せなかった。


「はぁー……あんな臭い人、初めて会ったよ。……あの臭い嗅ぐくらいなら、肥溜めに顔を埋める方がマシだよ」


「………うむ。……不愉快なモノを見せてしまったな、子らよ。しかしこれでわかったじゃろう? 《迷宮都市》は人を喰らい肥え太る魔都。《女神》の教えを説く《寺院》も……斯様な下劣な者らの落とす金に目が眩んでおる。……何処にいようと用心せよ」


「わかりました、オズワルドのお爺さま。お世話になりました」


「ーーー………ーーー」


「うむ。子らよ、また世話を焼くとすれば……死したお主らでなく、生きたお主らであればと思う。旅路に《女神》の加護があらんことを」


俺達はオズワルド爺と別れ、第1階層の更に奥を目指すことにした。

……目前に広がる石壁が、今は得体のしれぬ《モンスター》の体内に思えてならない。

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