第2話 《迷宮都市》②

空の彼方で、幽かに輝いていた夕焼けは、今はもう青白い満月へと空をあけ渡していた。

東の空に輝く一等星は赤く光り、往来の真ん中で《星教徒》たちが跪き天へと祈る。


「ここが《迷宮都市》……でいいんだよね? いやぁー、人が馬鹿みたいに多いや」


《旧王都》……あるいは《花芽吹く麗しの都》と謳われた此の都市は、今はもう《迷宮都市》と呼ばれていた。綺羅びやかに着飾った貴族たちの通り道は最早なく、《魔力灯》の光が灯る街路には、薄汚れた衣装の人々が行き交う。


「南方輸入の品だよ! 《楽園草》1キロ束がたったの12テスタル!」

「さぁさぁ、冒険者方! 明日、迷宮に入る前の景気づけ! なめらかな肉肌の女神達が一晩120テスタル! 400テスタル級の女神が120テスタルだ!」

「訳あり品! 訳あり品! 《ドワーフ謹製武具》一式! 僅か800テスタルの破格品だ!  《迷宮》で死にたくなきゃ買っていけ!」


娼館街からの客引き。

“訳あり品”と称して、盗品か死体からの剥ぎ取り品を並べる商人。

……現≪王都≫では禁止されている植物の売り子。街の様子は、乱雑にぶち撒けた絵の具よりも混沌としていた。


「凄いとこだねー……モンスターの血……汗に汚泥、きつい女モノの香水の匂い。ごちゃ混ぜに漂ってる。なーんか街に呑まれちゃいそう」


馬車から降りた俺たちは、《冒険者ギルド》を目指して歩きだす。

同乗していた他の客は、仄暗い路地を通って消えるか……あるいは家々の並ぶ通りに向かって消えていく。


(………ーーーー)


都市全体に広がる街路は、かつての栄華を思い起こさせるかのように、高級な《エルフの瀝青》で舗装されている。とはいえ、専門の手入れをする者はもういないのか、街路にはヒビ割れと黒々とした汚れが目立つ。


建ち並ぶ家々にも目を向ければ、都市の空気に呑まれたかのようで。

……何処か煤けているように思えた。


「見えたね、《冒険者ギルド》。なーんか《ギルド》ってよりは大きな酒場みたいだね。何坪あるんだろう?」


“酒場みたいだ”、と言ったグァルの言葉は、あながち間違いではない。

街路をさらに進み、広場を越えた先に《冒険者ギルド》はあった。

二階建てのその建物の周りには、空になった酒樽が幾つも転がり、酒瓶や残飯を求めた浮浪者が座り込む。

“ギルド”とはいえ、“商売相手”は冒険者たちだ。


「ははは、大量だったな!」

「おうよ! 次もこうだとありがてぇやな。まさか蜥蜴竜リザードランを仕留められるなんてよぉ!」

「飲み直すのいいかもなぁ! たまにゃぁ高ぇ酒を飲まねぇとよぉ!」


安酒の臭いを全身から発しながら、冒険者のパーティが出てくる。

三人組で、皆見た目は厳つく柄は良さそうと言えない。

《迷宮》で《モンスター》共を狩り殺して生計を立てている手合だ。

酒とバカ騒ぎとは、切っても切れないのだ。命の取り合いを終えた身体には、安酒の酔いが染みるだろう。

彼らとすれ違いに、俺はギルドの大扉に手を掛ける。


扉を開き、入ろうとしたところでグァルが鼻先を一度。

……すんっと鳴らして脚を止めた。

どうかしたのだろうか。


「あのーすみません! そこの冒険者さんたち!」


「………ーーー!?」


グァルが、今しがたギルドから出てきた冒険者たちに声を掛けた。

俺は驚いて、思わず彼女の名前を叫ぶ。


「んぁ? ……なんだぁ?」

「俺らに声掛けたのかよ、お嬢ちゃん」

「おいおい、ナンパかぁ? んー……悪ぃがもうちっと年食ってからにしてくれや《ワーキャット》の嬢ちゃん」


グァルがもう一度鼻先をすんっ……と鳴らすして、耳の先を動かす。

……俺はうなじに伝う冷や汗を感じながら、《ワンハンド・ソード》を何時でも引き抜けるように手を伸ばす。


「……私、《射弓士》のグァルっていいます。あのー……もし私そっくりな白い毛並みの《ワーキャット》を見かけたら、グァルが探してるって伝えてくれませんか!」


グァルの言葉に、冒険者たちは互いの顔を見合わせる。


「おう、いいぜ。お嬢ちゃんみてぇな真っ白な毛並みの《ワーキャット》だな?」

「構わねぇが……嬢ちゃん、ワケアリかい……?」

「何だ何だ。……お袋さんでも探してるのかよ。そっちの《戦士》は連れか?……見たところ、二人とも駆け出しに見えるがよぉ」


酔いの回った赤ら顔で、冒険者たちは此方を見やる。


「姉を探しているんです。昔、売られちゃって」


「売られたぁ? そいつぁ嬢ちゃん、お前ぇ……」

「よくある話だな。 ……けんども、胸糞ぁ悪い。……《迷宮都市》に若ぇ娘が売られたってこたぁ……なぁ……?」

「グァルの嬢ちゃんって言ったか? ……わかったぁ! 俺らも探しといてやらぁ! 任しとけぇ!」


浮かべる表情はそれぞれ違うが、冒険者たちの雰囲気は一致している。

……グァルの姉探しに協力してくれるようだ。


「俺ぁヴンドル。《ハーフ・ドワーフ》だ。《戦士》をやっちょる。こっち2人は《パーティメンバー》で弟の……」

「次男ハギール。しがねぇ《僧侶》だ」

「同じく、《盗賊》の三男ウブァウンっ!! ぐすっ……任しとけよぉ! 嬢ちゃんっ!!」


特に、ウブァウンと名乗った《盗賊》の男は、厳めしい顔を歪めて鼻をすする。目元が微かに光るが……まさか涙を堪らえているのか。


「ありがとうございます! あ! 此方は、ーーー! 連れの《戦士》です!」


グァルに促され、俺は少し慌てながらだが自己紹介をした。

……話の通じないゴロツキまがいと思っていたが、失礼な思い違いをしていたな。申し訳ない。


「おうっ! おめぇ、ーーーってのか!! ぐすっ……きっ……今日日よぉ!! 売られた姉探して冒険者になる優しい娘なんざそうはいねえぞっ!! おめぇ、嬢ちゃんを大切にしてやれよぉ!! うぉぉぉぉん………! ぐすっ……ひっぐ………!」


ウブァウンに肩を掴まれる。

そのままウブァウンは堰を切ったかのようにボロボロと泣き出した。


参ったな、“連れ”は“連れ”でも《パーティメンバー》ではなく、別の関係だと思われてしまったらしい。


「男なら幸せにしてやれよぉ!! 嬢ちゃん泣かしたらぶん殴るからなてめぇっ!!」


酔も完全に回っているらしい。

ここで違うと弁明したら、本当に殴られてしまうかもしれない。

……どうしよう、取り敢えず相槌でも打っておくか。


「おい、引っ付いてやるなってのウブァウン! 悪ぃな、コイツぁ酔うと絡み酒になっていけねぇや」

「そいじゃ、また会おうやグァルの嬢ちゃんにーーーの坊主。困ったらこの《三兄弟パーティ》を頼りな。じゃあな!」

「負けんなよぉ! 負けんなよ、おめぇらぁ!! うぉぉぉぉぉんっ!!」


……嵐のような一時だった。

まだ《迷宮》に潜ってすらいないのに、一戦交えたかのような疲労感がする。


「いやぁー、あっはは。知り合いになれてよかったねヴンドルさん達とー」


上機嫌な口振りで、グァルが言う。

結果的に親切な人たちであったから良かったが、本当にゴロツキまがいだったらどうするんだ。


「ふぇっ? あぁ、それは大丈夫。私達ワーキャットって鼻が利くの。……《フェロモン》って私達は呼んでいるんだけどね。良い人か悪い人は、その《フェロモン》でわかるわけ。ヴンドルさんたち、すっごく良い香りしてた!」


《ワーキャット》にそんな能力がある、と言うのは初耳だ。

グァルを信じるとするなら、無策な思い付きでヴンドル達に話し掛けた訳ではなかったのか。……中々に強かだな。


「それにさ」


「………?」


小さくグァルが親指を突き出して、ひょい……っと後ろを指差す。

指差された方に目をやると。


「………ちっ」

「………ふん」

「……………」


別の冒険者パーティが、俺たちの方を見ていた。人を見る目があるとは言えない俺だが……明らかに良い眼つきではなかった。


「初心者パーティとか冒険者って、狙われやすいんだよねー……。お金は無いけど装備は奪える。……顔が良ければ臨時報酬!」 


グァルが言葉を続ける。


「……ヴンドルさんたち、《蜥蜴竜》を倒したって言ってたでしょ? 

あれ、レベル20の強力なモンスターだよ。そんなモンスターを倒せるくらい強い人たちと知り合えたらさ。……こわーい人たちへの牽制になるじゃん?……なんてね」


……強かだな、本当に。



「《冒険者ギルド》へようこそ。……冒険者登録でしたら、そちらの用紙に記入をお願い致します」


扉を開けて直ぐに感じたのは、濃密な酒と人汗の臭い。窓は全て閉め切られて、小さな換気窓だけが幾つか開いているだけだ。


ギルド内は、夜だというのに未だ喧騒で満ちていた。


長テーブルを囲んでジョッキを酌み交わす者達もいれば、戦利品を黙々と数えているパーティもある。

……ギルドの隅に目をやれば、鎮痛な面持ちで項垂れる冒険者達の姿が見えた。深追いをしたのか、それとも罠に嵌まってしまったのか。


理由は分からないが、一晩のうちに全てを失ったのだろう。


「ーーー………ーーー」


「えぇっと……ごめん、ーーー。代筆頼める? 私、《ヒューマン語》は話せるけど書けなくってさ……」


用紙に書く内容は、そう多くはない。自身の名前はもちろんだが、出身と種族、職業を書いて終わりだ。

後はギルドの免責事項に同意の署名を入れればいい。


自分の分とグァルのを書き終えて、俺はギルドの受付に用紙を渡す。

受付の女性は、愛想笑いを浮かべることもなく淡々とした手付きでそれを受け取った。


「《戦士》ーーーさんと、《射弓士》グァルさんですね。……何か信奉している神や宗派はありますか? 特に無いようでしたら、《消滅》した場合は《女神教》の手順で埋葬されますが」


宗派を聞かれるのは、珍しい事ではない。

《ヒューマン》・《エルフ》・《ワーキャット》・《ドワーフ》・《オーガホーン》。

《五大種族》は一括りで“人間”という分類ではあるものの、各種族や部族・血族ごとに信奉する宗派や神々、神話は違ってくる。不要な問題を避けるために、事前に聞いておくのはよくある事だ。


「《女神教》でいいですよ、別に」


「ーーー……ーーー」


俺もグァルも、特に信奉している神や宗派は無かった。

そもそも、《消滅》する気などない。《消滅》する時は、天寿を全うした時だけだと決めている。


「かしこまりました。……では、登録完了です。……《冒険者ギルド》は、貴方が《迷宮内》で被る如何なる被害や問題に関して一切の責任を負わず、援助もいたしません。その事をお忘れなきようお願い致します。……ようこそ、冒険者の世界へ」


受付から、《ギルド等級章》を受け取る。駆け出しを表す屑錆級ラスティ・クラス

その名の通り、錆だらけの鉄屑を引き伸ばした薄ぺらなモノだ。そこに、《魔筆》で名前が書かれている。


「《屑錆級》は《迷宮》の第3階層まで探索が許可されています。ご留意ください」


これで、俺達は晴れて冒険者だ。

《迷宮》に早速潜ることもできるが、今はもう夜だ。《迷宮》の《モンスター》たちは、夜間になると凶暴化すると聞く。夜明け手前には、凶暴性がピークに達するという。


《迷宮》探索は、明日の朝が良いかもしれない。……《パーティメンバー》探しも並行してやったほうがいいだろう。《戦士》と《射弓士》だけでは心許ない。


「明日からか。うん、それがいいね。……えーっと……ねぇ、ーーー?」


「………?」


「泊まるトコ、どうしよっか」


サイフ袋を取り出して、路銀を確認する。1週間分の宿代、飲み食いの費用として、180テスタル。

平民の1週間分の生活費よりも、少ないくらいだ。


「私は130テスタルだけだね。……そのー、さっき道すがら宿屋の看板とか見たんだけどさ。……30テスタル以下で泊まれそうなトコは、どこも満員の看板下げてたよ」


今夜は高い宿しか空いていない、ということか。路銀はまだあるとはいえ、あまり初日から多くは使いたくない。裏通りに行けばもっと格安の宿があるのだろうが……駆け出し二人、片方は女とくれば。

危険に巻き込まれるのは目に見えている。


「ーーー………ーーー?」


俺は、受付の女性に近づいて尋ねる。不躾な願いではあるが、ギルドの片隅で一晩だけ眠らせて貰いたい。それが駄目なら、諦めて高値の宿を取る。

駄目で元々だ。頼むだけ頼むことにした。


「……ギルド内での宿泊はご遠慮いただいております。……ギルド裏手にある提携宿にて、格安で御宿泊いただけます。そちらへどうぞ」


ギルド直営宿、という言葉に少し面食らう。実質的な都市の管理運営をギルドが担っているとはいえ、提携宿まであるのか。

ただ、受付の女性の口振りからして、駆け出しも駆け出し。

それこそ、今の俺たちのような冒険者向けの宿なのだろう。


「聞いてみるもんだね、ーーー! じゃあ、その直営宿ってやつに行こっか」


《冒険者ギルド》を出て、俺達はその直営宿へと向かうことにした。


「………?」


「どうしたの?」


大扉に手を掛けて、俺はふと後ろを振り返った。ギルドの二階へと視線を向けてみるが……何もない。


不自然なほどに、俺が目を向けた空間には誰も何もなかった。


「ーーー……ーーー」


「見られてるような気がしたって……うーん、私は特に感じなかったけどなぁ。……でもまぁ……用心はしておくね、私も」


誰かに見られている。

……ギルドを出るまで、そんな気がした。



「ふぇっ……ふぇっ……いらっしゃいませ、冒険者方」


裏手の宿は、直ぐに見つけられた。

ギルド提携との大看板を掲げたその宿は、酷く薄汚れていた。

《魔力灯》ではなく、今日日珍しい

ガス灯。手入れがされていないのは明白で、穢い煤が払われる事なく張り付いている。


「お好きな部屋をどうぞ。……料金は明日の朝頂戴いたします。5テスタルで朝食はございませんがね……ふぇっ……ふぇっ……」 


宿の中は、外観に違わず穢いものだった。木床を一歩踏みしめる度に、中が湿り腐っているのか厭に柔らかな感触が伝わる。換気窓は小さく、宿内に溜まった空気は生ぬるい。

窓辺の縁には濁り白い埃が積もり、ポツポツと転がる黒い粒はネズミかヤモリの糞だろう。


「お好きな部屋、か。これじゃ宿ってより家畜小屋だね」


宿の親父は“お好きな部屋”を……と言うが、目の前にあるのは寝藁を固めてシーツを被せたベッド擬きと。

……黴だらけの粗布で出来た、仕切り屏風があるだけだ。部屋のように四方をそれで囲う。

……果たして、これを本当に部屋と呼んでいいのだろうか。


「安さは正義! 寝ちゃえば大丈夫だよきっと。じゃ、私隣にいるから。何かあったら助けてねー」


返事も待たずに、グァルはベッド擬きに飛び込むと仕切り屏風を閉める。寝てしまえば何も感じないのはその通りではあるけれど、これで寝つける自信が俺にはない。


(………)


四の五の言ってはいられないか。

深く眠れないなら、それはそれで危険に気づきやすくなる。前向きに考えよう。


(……………)


ベッド擬きに寝転ぶ。

シーツは取り替えられていないようで、寝返りのたび生臭さが鼻につく。目を深く閉じて無理やりに意識を落としていった。

……冒険者として名を馳せる前に、まずはもっとマシな宿に泊まれるようになりたい。

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