《迷宮都市》に、魔王はいない
あつ犬
第1話 《迷宮都市》①
石畳の道は、酷く荒れていた。
舗装し直す者もいなくなって久しいようで、亀裂の隙間からは見慣れぬ奇妙な草が乱雑に生え伸びる。
その石畳を行く馬車ウマたちは、苛立たしげな歩様で蹄鉄を鳴らす。
しかし、御者はそんな馬たちの様子などは意に返さず、手綱を握り走らせ続けた。
「…………」
屋根のない吹きザラシの安馬車だ。
相乗りしている連中も、何処か鄙びた顔で揺られている。
上を見上げれば。
……曇天の空を遮るような、歪に捻れ狂った枝葉が揺れるのが見える。
湿った《魔力》を帯びた夕風に揺られ、枝葉は食物を求めて腕伸ばす
「…………」
魔力は酷く湿っている。
季節によっては《魔蝕病》を街々に運び、子どもや老人が死んでいく。
……王都の
「…………」
目線を戻して、俺は自身の剣を見やる。手慰みに引き抜いて、鞄から取り出した荒布で拭いていく。
街で買った数打物の青銅の《ワンハンド・ソード》。
「…………!」
その刀身に、人の顔が浮かんだ。
俺の顔ではない、別の誰かの顔だ。
此方を覗き込んでいる。
顔を上げて隣を見ると、果たしてその“顔の主”はいた。
「やぁ、君! いい剣だね!」
人懐こい顔立ちの女性だった。
言葉尻には、少し訛がある。
歳は俺と同じくらいに思える。
18、19……あるいは20ちょうど。
傍らには矢筒と使い古した《ウッド・ボウ》。
「あっはは、驚かせちゃった?」
人懐こい、とは言っても酒場の看板娘を張れそうな程には可愛らしい顔をしている。身体つきは冒険者らしく健康的に引き締まってはいるが、何処か肉感的な雰囲気を漂わせた。
……胸部を圧迫するような袖無しのレザーシャツに、右胸だけを覆う少し錆びた
《ハーフ・チェストアーマー》。
きつく革のベルトポーチが巻かれた両の太ももとが、そう思わせるのかもしれない。
「いやぁー、急に剣を引き抜いた時は驚いたよ。思わず身構えちゃった」
だが、それよりも眼を引くのは、彼女の頭頂部に生える“獣耳”。ゴワゴワとした白い毛で覆われたそれは、猫のものによく似ていた。腰元まで伸びる白い髪の合間から覗く尻尾は、靭やかに揺れる。
……北方の
此の辺りで見るのは珍しい。
「察するに、君は《戦士》って所かな? 盾は持たない主義か……あるいは軍資金切れ」
「ーーー………ーーー」
俺は、彼女の言葉に頷きながら返事をする。
彼女の言う通り、俺の職業は
《レザー・アーマー》等の一式を買い揃えたら、盾を買うまでは回らなくなってしまった。
……中古の一式でコレだ。俺の金銭事情は全くと言っていい程によろしくない。
「ーーー……ーーー」
その事を彼女に伝える。
こうして声を掛けてくる手合いは、儲け話か何かに誘ってくるのが常だ。金はないし、出資もできない。
こんな素寒貧で“痩せこけたカモ”など、狙うのは止めておけ。
「……ふぇ?」
彼女が眼を丸くする。獣耳がピンっ……と立ち、少し間が空いたかと思うと。
「……ぷっ……あっはははは! なぁに? 私を詐欺師か何かと思ったの? あっははは!……はぁ……ふぅ……いやでも……そうか……ふふふ……自己紹介もしてなかったし、仕方ないか」
腹を抱えて笑い出す。
尻尾が激しく靭り、千切れそうなくらいに揺れた。
……別に、冗談を言ったつもりはないのだが。
呼吸を整えると、彼女が口を開く。
「ふぅ……ふふっ……じゃ、改めて! ……私はグァル。
見ての通りの《ワーキャット》。此の白い毛並みで分かるだろうけど、《雪豹の血族》の出身。
職業は
なるほど、と理解する。
《パーティ》を組もうという“お誘い”か。早とちりで詐欺紛いと決め付けたことを詫びて、彼女……グァルに倣い自己紹介をする。
「ーーー、か。よろしくね。……名前を教えてくれたって事は、組んでくれるってことかな?」
悪戯っぽく笑いながら片目を閉じて、グァルが言う。
差し出された右手を握り返して、俺は答える。……装備品を見るに、懐事情は俺と同じだろう。
「ーーー……ーーー?」
「あっはは、わかる? そう、古物市で掻き集めた装備なんだ。……買い揃えたらサイフに穴が開いちゃってさぁー。……《冒険者ギルド》に《紹介料》を払えそうになくてね」
それで、俺に声を掛けたというわけか。
《ワーキャット》は《五大種族》の中でも、気質が奔放な種族だ。
《紹介料》……その呼び方の通り、ギルドを通して他の冒険者を紹介してもらう為の費用。
その費用を賄うだけの金が無いから、初対面の行きずりに対して《パーティ》を組もうと。
……そう誘って来てもおかしくはない。俺にとっても、渡りに何とやらだ。
「暗くなってきたね。《迷宮都市》までは、後どれくらいだろう?」
荷台の四隅のランプに、蛍火を思わせる淡いエメラルドの光が灯る。《魔力灯》の光だ。
御者はこの光の色で、到着までの時間を知らせる。俺とグァルの話を盗み聞きしていたのかどうかは分からないが、丁度よく灯った光に思わず顔を見合わせた。
「あの色は………あと1時間くらいか。……ずーっと並樹が続くから、まだ遠いと思ってた」
この安馬車に揺られる者全員、目的地は《迷宮都市》。
住む場所を追われたか、職を求めてか。あるいは、俺たちのような《冒険者》が集う都市。
かつては麗しの都市と呼ばれたその場所は、今はもう見る影もないだろう。
「ーーーは、何で冒険になろうと思ったの? あ……言いづらかったら言わなくても良いよ。ただの暇つぶしに聞いただけだし」
退屈を隠すこともなく、全身で表すようにしてグァルは荷台の壁に凭れる。
……言おうかどうか少し迷って、俺は理由を話すことにした。
懐に入れておいた“ペンダント”を取り出し、グァルに見せる。
此のペンダントが、俺が冒険者を目指した理由の全てだった。
「それって……《ギルド等級章》?
首を振って、俺は違うとの意思を伝える。俺に家族はいない。
この名前も、街長に貰ったものだ。
覚えている中で一番古い記憶はと言えば……幼い頃、雪の降る日に街長に保護された……ということだけだ。この等級章は、その時に俺が握りしめていたモノだという。
その《ギルド等級章》の裏を、グァルに見せる。
「《迷宮都市に行け》……か。ふぅん、なーんかきな臭いもの背負ってそうだねー君!……私は……まぁ、うん。手っ取り早く大きなお金が欲しくてさ。買い戻したい人がいるんだよねぇ……」
努めて飄々とした声色で、グァルが言う。真面目な空気は嫌いなのだろう。あるいは、彼女なりの処世術か。
「5年くらい前かな。北の山岳で暮らしてたんだけど、《魔蝕病》が流行って着の身着のまま逃げてきて。
んで……父さんも母さんも、お金欲しさにお姉ちゃんを《迷宮都市》の娼館に売ったわけ。
……あっはは、売った次の年に別の流行り病に掛かって父さんも母さんも死んじゃってさ。……売り飛ばしておいて世話ないよ。バッカみたい」
そうか、と返して俺も凭れる。
互いによくある理由だ。
この世界では、脚先で転がされるくらいに有り触れた理由。
その姉とやらも、グァル自身も。
……親に煮て食われなかっただけマシだろう。……そう思う外ない。
「ーーー………ーーー?」
「うん? ……ううん。何処の館にいるのかは分かわない。《迷宮都市》にあるってだけ。まっ、虱潰しに探してみるよ。……お姉ちゃんの名前も、変えられてるだろうしなぁ」
ニタリ……という擬音がしそうな笑みを浮かべて、グァルが俺を見る。
あっけらかんとした口ぶりで。
「そーいう場所行く時はさぁー。私とそっくりな毛並みで……すっごい綺麗な
《ワーキャット》がいないか見ておいてよ。……なんてね」
馬車は、石畳の道をゆく。
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