第5話② 真夏の夜の悪夢 後編
家を出てから一時間とちょっと。
私はやっと会社に辿り着いた。
カードキーをかざして会社の施錠を解除する。
誰も社内にはいないようだ。
会社の中はもわっとした外よりも熱気のある不快な空気が漂っていた。
社内に誰もいない場合は、エアコンを停止させることになっているからだ。
私はサーバールーム付近のエアコンのスイッチを入れた。
サーバールームのエアコンが故障していたとなると、サーバールーム内の室温は50℃近くまで上がっていることだろう。
そんな灼熱の中に飛び込むのはいただけない。せめて周囲の空気を冷やしておきたい。
「……あっついなぁ。」
蒸し暑い空気で額から汗が流れ落ちる。
サーバールームのドアをルームキーで開錠して開け放つと中からは尋常じゃないくらいの熱気が飛び出してきた。
急いで室温計を見ると、室温は49℃まで上昇しており、サーバーからは尋常じゃないくらいのファンの音が聞こえてくる。
通常はサーバールームのドアは締め切っているが、この状態でドアを締め切ることは得策ではないだろう。
ドアを開け放ち、サーバールームよりかは涼しいと思われる廊下の空気をサーキュレーターでサーバールーム内に送る。
「……社内の電気系統は生きているみたいだし、停電によって室温が上がったとは考えられないわね。……じゃあ、やっぱりエアコンの故障なのかしら。だとするとこの時間じゃ修理業者は呼べないし……。とりあえず応急処置として電源を落とせるサーバは落としてしまおう。」
稼働しているサーバーが多いから排熱される空気もサーバーの熱気で熱くなってしまう。
少しでも室温を下げるために、サーバーの電源を落とすことを考えた。
いくつかのサーバーは業務をおこなっていないこの時間に停止させても問題はない。
サーバーにアクセスし、一台一台サーバーの電源を落としていく。
空調が効いていないサーバールームの中はとても暑くまるでサウナにいるようだった。
汗だくになりながらもサーバーの電源を落とし終わったころ。
「麻生さん、大丈夫かい?」
と、安藤さんがやってきた。
電話口ではなにかあったら呼んでほしいと言っていたが、安藤さんもサーバーが心配になってやってきたようだ。
それもそのはずだ。室温は50℃近い異常事態だったのだから。
「とりあえず、サーバーを熱から守るためにシャットダウンしました。」
「そうかい。ありがとう。で、原因はわかったかい?」
「停電は発生していないようです。なので、エアコンの故障かと……。」
まだ出社したばかりで原因の特定までは至っていない。
「……停電での一時的なエアコンの稼働停止だったらよかったんだけどね。そうなるとエアコンの修理かなぁ。念のため、エアコンの再起動してみようか。」
「……はい。」
安藤さんは額の汗をハンカチで拭いながら、ネクタイを緩めた。
休日の夜だというのにわざわざスーツに着替えてきたらしい。真面目な安藤さんらしい。
「僕がエアコンを再起動させてくるから、麻生さんはいつからサーバールームの室温が上昇し始めたのか確認しておいてくれないかな?」
「はい。わかりました。」
私はパソコンを立ち上げると、サーバールームの室温管理システムに接続する。
そこには室温がグラフになって表示されていた。
グラフを確認すると室温が上がり始めたのは18時を回った頃からだった。それまで22℃で安定していたサーバールームの室温が徐々に上昇していき、19時には40℃近い室温になっていたのだ。
プルルルル。プルルルル。
と、そこに安藤さんからの着信が入る。
どうしたというのだろうか。
エアコンのスイッチがある場所までは歩いて2~3分のところにある。わざわざ電話をかけてこなくても良さそうなのだけれども。
それほど緊急事態が発生したということなのだろうか。
恐る恐る電話に出ると、
「……エアコンの電源が切れていたよ。」
という疲れたような安藤さんの声が耳元に届いた。
「えっ?でも、エアコンのスイッチには情報システム部以外は電源を切らないようにって注意書きを貼ってあったはずじゃあ……。」
そう、サーバールームのエアコンのスイッチは他の部屋のエアコンのスイッチと同じ場所に設置されており、帰宅時に間違えてサーバールームのエアコンの電源まで落としていくことが何度か続いたことがあった。その時に、サーバールームのエアコンの電源は落とさないようにと、エアコンのスイッチのところに注意書きを貼ってあったのだ。
「そうだね。注意書きは貼ってあるね。でも電源が切れていたということは、誰かがサーバールームのエアコンの電源を落としたんだと思うよ。ねえ、麻生さん。何時頃にサーバールームの室温が上昇し始めていた?」
「えっと。18時頃からです。」
「そうか。誰かが休日出勤して、帰るときにエアコンの電源を落としていったのは十分考えられることだよね。」
「えっと、そうですね……。勝手に電源を落とすなんて信じられませんが……。」
「うん。そうだね。一応注意書きにはサーバールームのエアコンの電源を落とすときは、情報システム部に連絡するようにとも記載しているんだけどね。」
安藤さんの声は少し怒っているように聞こえた。
いつも温厚な安藤さんなのに。
「今からそっちに戻るけど、サーバールームの室温が安定してきてからサーバーの電源を入れてくれるかい?」
「はい。もちろんです。」
「よろしく頼むよ。」
安藤さんはそう言って電話を切った。
それと同時に安藤さんがサーバールームにやってきた。
どうやら電話しながら歩いてきたらしい。
「お疲れ様です。」
「……ああ。僕はこれから入退館システムの記録を確認するから。」
「あ、はい。」
どうやら誰がサーバールームのエアコンの電源を落としたのか確認するらしい。
まあ、確かに誰のせいか特定しないと注意もできないしね。
しばらくして、サーバールームの室温が安定してきたのを確認すると一台一台サーバーの電源を入れていく。
「……中途で半年前に入社してきた磯野君だねぇ。ちょっと磯野君の上司の御手洗さんに電話してみるね。」
「あ、はい。」
安藤さんの額に青筋が見えたような気がする。
磯野君というのは第二新卒で入社してきたまだ20代前半の社員だ。
営業職で入社してきたのだけれども、入社直後からいろいろとやらかしており社内で要注意人物として扱われている人物だ。
入社一週間もたたずにうっかり社用スマートフォンを紛失したのも彼だし、パソコンに砂糖がMAXに入っているという缶コーヒーを盛大にこぼしてパソコンを故障させたのも彼だ。
それ以外にも営業先の訪問日時を忘れて休みを取ったこともあった。もちろんお客様先からはクレームがきたとか。まあ、約束をすっぽかしたらそうなるけど。
「……磯野君。また客先とトラブルを起こしたらしくてね。今日、出社していたらしいんだ。御手洗さんが磯野君に電話で確認したらね、エアコンの注意書きは見たけど、情報システム部は休みだから連絡せずにエアコンの電源を切ったって言ってたらしいよ。」
「えっ……。」
「まったく、なんのための注意書きだろうね。エアコンのスイッチ勝手に切ることがないように、スイッチを囲って鍵でもかけておくほうがいいのかなぁ。」
磯野君の発言には驚きである。
サーバールームのエアコンの電源を切るには情報システム部に連絡するようにという注意書きをみていたのにも関わらず、情報システム部が出社しておらず連絡がとれなかったので、エアコンの電源を勝手に切ったらしい。
私は磯野君の言動に呆れてしまった。
「まあ、とりあえずサーバーも無事だったようだし……。帰ろうか。とんだ休日出勤になってしまったね。」
「そうですね……。」
こうして真夏の夜の休日出勤は終わった。
もちろん、夏休み明けに速攻でエアコンのスイッチを勝手に触れないように、囲いをつけて、さらにその囲いに鍵をつけて勝手に開けられないようにしたことは言うまでもない。
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