第3話 鳴らない電話




鳴らない電話



「ふふふ~ん♪」


 鼻歌交じりでパソコンのキーボードを打つ。

 今日の私はすこぶる機嫌がいい。

 なんたって、いつもは始業開始直後から鳴り出す電話がまったく鳴らないのだ。

 とても平和な日である。

 思わず鼻歌を歌ってしまいたくもなるというものだ。

 この時の私はまさかトラブルに巻き込まれるなんて微塵も思ってもみなかった。

 平和な日などないのが情報システム部だということを私は忘れていたのだ。

 

 ドンドンドンッ!

 

 部屋のドアを思いっきりノックする音が聞こえる。

 こちらの返答も待たずにドアがガチャッと勢いよく開く。

 

「ちょっと!!電話が通じないんだけど!!なんとかして頂戴!」


 そう言って怒鳴り込んできたのは総務の数井さんだった。

 真っ赤なぷるるんとした唇が印象的な女性だ。

 

「え?電話??鳴ってませんよ?」


 電話になったら出る。これが基本。

 今日は全然電話が鳴らなかったので電話に出た覚えがない。だって、電話が鳴らないのだ。出る必要はないだろう。

 

「そうじゃないわよ!!電話がかけられないし、受けられないのよ!!早くなんとかしてちょうだい!!」


「え?電話は情報システム部では……。」


 電話が情報システム部の管轄だなんて一度も聞いたことが無い。

 私は困ったように安藤さんに視線を彷徨わせる。

 安藤さんも困ったように笑った。


「電話は、情報システム部の管轄ではありませんよ。数井さん。」


 困っている私の横から安藤さんが助け舟を出す。

 

「じゃあ、どこの部署が担当だっていうのよ!機械は全部情報システム部の管轄でしょ?責任逃れしないでくださるかしら?」


 数井さんはヒステリックに叫んだ。

 その甲高い声は耳に痛い。

 

「……責任逃れなんてしてませんよ。電話の請求書を受け取っているのはどの部署ですか?」


 機械全部が情報システム部の持ち物だと思われても困る。

 そう思った私はどこの部署が担当しているのか調べるために、まずは請求書を受け取る部署を確認する。

 請求書なら最終的に総務部が確認するから、数井さんも知っているはずだ。


「総務部に決まっているじゃないの。」


「じゃあ、電話は総務部の管轄なんじゃありませんか?」


「電話のことなんて何も知らないわよ。機械なんだからなんとかしなさいよ!業務に支障が出ているのよ!!重要な電話が取れなかったらどうしてくれるのかしら?」


 なおも数井さんは高圧的に伝えてくる。

 

「電話が故障した時のための電話番号をご存知ですか?」


「そんなの知るわけがないでしょう!総務部は管轄外なんだから!!」


「でも、請求書は総務部で処理しているんですよね?管轄は総務部だと思いますが……。」


「そんなわけないでしょう!!機械なんだから情報システム部でしょう!!」


 数井さんと話していても平行線で終わりそうだ。

 かと言って管轄外の仕事をするわけにもいかないし……。

 

「吉井さんに確認してみますね。」


 吉井さんというのは数井さんの上司で、総務部の部長である。

 吉井さんならば在職期間も長いし、電話のことも知っているだろう。

 だが……。

 

「吉井部長が言ったのよ!電話が通じないから対処するようにって!!だから、私はこうして情報システム部に来たのよ。早く対処して頂戴。じゃないと私が怒られるじゃないの!」


 吉井さんは数井さんに電話が通じないから対処するように言っただけなんじゃあ。情報システム部関係なくない……?

 そうは思うも、これ以上数井さんをヒートアップさせても平行線をたどるような気がする。

 私は席を立つ。

 

「数井さんの言いたいことはわかりました。ですが、情報システム部では電話のことはまったくわかりません。総務部に請求書があるということなので、一度総務部に顔を出させていただきます。」


「ふんっ。わかればいいのよ。わかれば!さっさとしてよね!!」


 数井さんはそう言って情報システム部の部屋を足早に出て行った。

 一秒たりとも長く情報システム部の部屋にいたくないようだ。

 

「麻生さん。大丈夫かい?電話は総務部の管轄のはずなんですけどねぇ。数井さんはまだ入社したばかりだから知らないのかな。大丈夫かい?僕がこの件、変わろうか?」


 安藤さんはそう言って困ったように首を傾げた。

 数井さん入社したばかりだというけれど、私よりも2年は早く入社しているはずだ。

 

「いいえ。まず吉井さんに話を聞いてみます。もし、それでも平行線をたどるようでしたら、大変申し訳ありませんが安藤さんにサポートいただいてもよろしいでしょうか。」


「ああ。もちろんだよ。無理しないでね。」


「はい。ありがとうございます。総務部に行ってきます。」


 私は情報システム部の部屋から出て総務部のあるフロアに向かった。

 情報システム部だけ社内の重要な情報を扱うため個室が割り当てられているのだ。


「吉井さん。今、お時間よろしいでしょうか。電話の件なんですけれども。」


 私は座ってパソコンとにらめっこをしていた吉井さんに声をかけた。

 

「あら。麻生さん。ごめんなさいね。今、電話がトラブっていて使えないのよ。数井さんに対応をお願いしているから、少し待っていてくれるかしら?」


 吉井さんは柔らかい笑顔でそう答えた。

 ……やっぱり電話は情報システム部の管轄じゃないじゃないの。

 私はそっと視線を数井さんに向ける。

 数井さんは私たちのやり取りを聞いていたようで、一瞬ビクッと肩を震わせた。

 

「そうなんですね。電話は総務の管轄になるんですか?」


「ええ。そうよ。電話は総務で管理しているから、電話のことでなにかあったら総務に連絡してちょうだいね。」


「ありがとうございます。例えば、情報システム部に内線をもう一本引きたいなって言ったらそれも総務にお願いすればいいんでしょうか?」


「そうよ。総務で手配するわ。」


「わかりました。ありがとうございます。その時はよろしくお願いします。」


「ええ。いつでも連絡待っているわね。」


「ありがとうございます。」


 私は吉井さんの席から離れて、数井さんの席に向かう。

 

「数井さん。電話が繋がらない件ですが、数井さんの方で対処をお願いしますね。」


「……わかったわよ。」


 にっこり笑ってお願いすると、数井さんはそっぽを向いて答えた。

 自分の仕事だとわかって、数井さんも罰が悪いらしい。

 でも、謝らないのは彼女らしい。


「電話の件、数井さんの方で対処してくださることになりました。」


 情報システム部の部屋に戻り、安藤さんに報告する。


「そう。よかった。数井さんの勘違いだったんだね。」


「ええ。そうだったみたいです。」


「多いんだよね。機械ものは全部情報システム部管轄だって思っている人って。実は麻生さんが席を外している間にも何人か、電話が繋がらないんだけどっていう問い合わせをねしてきた人がいるんだよ。困っちゃうよね。」


「そうですね……。」


 どうやら数井さんの他にも電話は情報システム部の管轄だと思っていた人がいたらしい。

 安藤さんの疲れた顔を見ながら私も小さくため息をついた。

 

 不要なトラブルに巻き込まれるのも情報システム部なのである。





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