第36話 煉獄の門


 深海???m。巨大生物体内。覚醒都市バイカルヴェイ。


 肺に位置する場所に広がるのは、無数の電線とビル群だった。


 殺風景ながら、都会と遜色ない場所をアザミたちは散策していた。


 紹介されたのは、居住区、宿営地、司令部、臓物庫、闇市、電力設備。


 赤軍と亡命者の約25万人。その大半が、ここで暮らしていると説明された。


「……以上がここの主要施設だ。そして、これから向かう場所は」


 電線の中心である鉄塔を背景に、ジーナは視線を遠くに向ける。


 見えるのは、何重にも張り巡らされた金網と、何層にも及ぶ結界。


 三つある検問を通り抜けた後、その最奥には巨大な門がそびえ立つ。


「――『煉獄の門』。重犯罪者が送られる、地獄の次に過酷な場所だ」


 行き先が告げられ、その場の全員の表情が引き締まる。


 門の先に行くわけでもないのに、異様な緊張感に満ちていた。


「い、行きは簡単だけど、帰りは難しいって、そういう……」


 道中での会話を思い出して、アザミは一人納得する。


 恐らく、『煉獄の門』の先は、手順を踏めば簡単に行ける。


 ただ帰りは『金網』『結界』『検問』『生還』の難題が襲い掛かる。


 『生還』以外は、都市側の問題で、門の先からでは対処のしようがない。


 ――外側から崩して、脱獄する。


 ベズドナのあらかじめ宣言した作戦は的確だった。


 非の打ち所がなく、他に方法がないとさえ思えてくる。


「確かに、外からの助力がないと厄介そうねぇ」


 顎下に指を置いたバグジーは、作戦への理解を示していた。


 服装は憲兵の軍服を借りたままで、ヘルメットを深く被っている。


「…………あの先には何があるのだ?」


 わずかな沈黙の末に、ボルドは有意義な質問をした。


 おおよその察しはついてるものの、口にしたくはない様子。


 彼もバグジーと同じ憲兵服を着込み、護送という名目で同行する。


「魔獣の巣窟。都市の機能の大半は、そこからの戦利品で成り立ってる」


 ジーナは目を細め、他人事のように語っていた。


 実際、犯罪者の対極にいる兵士の彼とは縁がなさそう。


 平和ボケすると戦争に関心がなくなるのと同じように思えた。


「独創世界ではない? もしや、建材や電力は全て人工物なのか?」


「人の手が入っているという意味ではそうだな。根っこは禍々しいが」


 掘り下げるボルドに対し、ジーナは淡々と答える。


 素材やエネルギーを出力できる『何か』があるらしい。


 恐らく、魔獣由来のもので、特殊な臓器が関係してるはず。


 闇市での光景を見る限り、嘘だと言い切ることはできなかった。


「あり得るのであろうな……。にわかには信じられんが」


 率直な感想をこぼし、ボルドは一定の納得を示す。


 そこでプツンと会話は途切れ、自然な沈黙に満ちていく。


「さて、こっちの懐は明かした。そろそろ後ろの二人を紹介してくれないか?」


 するとジーナは背後に振り向き、鉄塔に視線を送り、言った。


 位置も人数も完璧に正しい。最初から気付いてたようにさえ思える。


「「「……っ」」」


 アザミ、ボルド、バグジーの顔色には動揺が走り、剣呑な空気に満ちた。


 鉄塔の裏側に隠れる二人。広島とジェノは、こちらにとっての弱点だった。


 特にジェノは、行動不能中で、人質にでもされたら、立場は逆転してしまう。


(殺せば隠蔽はできる……。でも、案内してくれた恩もある……)


 腰の刀に手をやりながら、情による迷いが生まれる。


 口を封じるのが合理的だけど、感情的にはやりたくなかった。


「確かに、いい頃合いかもね。出てきなよ。ジーナの人柄は分かっただろ?」


 そこで声を発したのは、手錠で拘束されたベズドナだった。


 存在を明かす方に舵を切って、口を封じる選択肢を削っている。


 自ずと矛を収めて、ジェノを抱える広島の反応を待つ展開になった。

 

(駄目だな。時間をかければ同じ結論に至っただろうけど、判断が遅すぎる)


 ベズドナを頭脳で上回る。それが今回の旅の目標。


 でも、今のところ、成長の兆しがまるで見えなかった。


 常にベズドナの後手に回って、主導権を握られ続けている。


 目標を掲げるのは簡単だけど、突破するには大きな壁があった。


「……この子に何かあれば、責任は取ってもらうけぇな」


 すると、眉をひそめた広島が鉄塔の影から現れた。


 その背中には、気を失っているジェノを背負っている。


 二人とも憲兵服を着込み、広島の方は女性用でスカート姿。


 サイズもピッタリで、羨ましくもあり、少し妬ましくもあった。


「あぁ、もちろん。紹介するね。機嫌悪そうなのが広島で、眠ってる方がジェノだ。どうやら少年の方は、謎の奇病にかかったらしくて、治す術は『凍土の魔女』が握ってるらしいが、その道中で『ナロト様』に食われたようだよ」


 ベズドナは手の内を包み隠さず、全てを明かした。


 しかも、こちらの知らなかった情報まで開示している。


 ――『ナロト様』。


 聞き覚えのないワードだったけど、巨大生物の名前らしい。


 語源を辿れば分かりそうだけど、調べる時間も余裕もなかった。


 それよりも解決しなければならない問題が、いくつも山積みだった。


「そういう事情か。人に感染はしないんだろうな?」


「さぁね。謎の奇病と言っただろ。どんな名医でも分からないよ」


 もっともなジーナの疑問に、ベズドナは軽口で返した。


 彼の見立ては正しい。ジェノの病気の原因は明確じゃない。


 白き神の影響に思えるけど、絶対と言い切れる自信はなかった。


 だから、『神』に関連する情報だけは、ベズドナとも共有していない。


 最悪、悪用される危険もあったし、隠すのが無難だと全会一致で決まった。


「……まぁいい。ひとまず事情は理解したが、やることは変わらん」


 清濁併せ呑み、ジーナはベズドナの背中を軽快に叩く。


 視線は再び、『煉獄の門』へと向けられ、その思惑が語られる。


「こいつを牢屋にぶち込む。邪魔する気がないなら、俺は味方だよ」


 ◇◇◇


 『金網』『結界』『検問』を健全に通り、着いたのは『煉獄の門』。


 面子はアザミ、バグジー、ボルド、ベズドナ、ジーナの計五名だった。


 広島とジェノは身バレの危険を考え、『金網』の外で待機する形になった。


「おっきい……。こ、これって、どうやって開けるんです?」


 見上げると首が疲れるほど高い門に、アザミは率直な意見を述べた。


 目算、数百メートルはある巨大建造物で、開ける労力は計り知れなかった。


「門番がいる。呼びに行くからそこで待ってろ」


 横柄な物言いで、ジーナは一人で移動を開始していく。

 

 彼が向かった先には、詰所のような簡易的な小屋があった。


 数十人がかりで開けるのかと思ったけど、規模から考えれば違う。


 ――多くても数名。


 ある程度の予想を絞りつつ、アザミは静かに待つ。


 他にやれることもないし、ここも後手に回るしかなかった。


「もし、ジーナが通報していたら、僕たちはどうなると思う?」


 するとベズドナは、不安を煽るように尋ねた。


 しかも、こちらにだけ聞こえる声量に抑えている。


 からかっているつもりなのか、警戒を促すためなのか。


 思惑は見えないけど、考えないといけない問題ではあった。


 言われた通り、最悪の事態に想像を巡らせ、予想を立ててみる。


 ――深く考えるまでもなく、答えは浮かんだ。


 ここに来た経緯からすれば、当然とも言える内容。


 口にするのも憚れる内容だったけど、思わず口にした。


「わ、わたしたち全員が、投獄される……」


 アザミは青冷めた顔で、最悪のシナリオを語る。


 憲兵たちを気絶させて、覚醒都市に潜入したのは事実。


 それを持ち出されたら言い逃れは出来ず、犯罪者と成り得る。


 ベズドナと揃って門の奥に行く展開も、ないとは言い切れなかった。


「そうだよね。困るよね。ワクワクするよね」


 訪れるかもしれない最悪を望むように、ベズドナは語る。


 狂っているようにも見えるけど、わりと正常な気がしていた。


 このままだと、ベズドナは単独で、魔獣の巣窟に進むことになる。


 怖いという表現が適切なのかは分からないけど、不安は絶対あるはず。


 ――全員来るなら、心理的問題は解決する。


 赤信号もみんなで渡れば怖くない、と同じ理屈。


 全員で地獄に落ちるのなら、怖くないと思い込める。


 人として正しい反応かは置いといて、心情は理解できた。


 ただ、そんなことよりも、もっと他に考えるべきことがある。


(もし、本当にそうなれば……)


 アザミが考えを巡らせるのは、最悪の想定のさらに先。


 実際、起こってしまった場合に、何をするのが適切なのか。


 ベズドナの専売特許であり、今の自分に足りてない明確な欠点。


 ここを克服できれば、目標達成にほんの少し近付くような気がした。


「何をヒソヒソ話してる。俺が裏切るとでも思ったか?」


 答えを思いつくよりも先に、ジーナは帰還する。


 その後ろには、見るからにひ弱そうな男性兵がいた。


 七三分けの金髪で、肉付きは少なくて、背も高くはない。


 軍服に徽章や腕章はなく、サイズもぶかぶかで不格好だった。


 ジーナと同じ一般兵か、上でも曹長ぐらいの階級にしか見えない。


「この人が噂の……。思ったよりも貧弱そうだ」


 金髪の男性兵は、ベズドナを見て、評価する。


 おまいう案件だったけど、言葉には発しなかった。


 男性というていで潜入してるし、声は極力出したくない。


 変に突っかかられても困るし、黙っておくのが安牌だった。


「こっちの台詞だよ。君一人でアレを開けられるのかい?」


 ベズドナは思っていたことを突っ込み、煽っている。


 言われて気付いたけど、現れたのは一人で、役割は門番。


 どういう行動が求められるのかは、容易に想像がついていた。


 ただ、その割には細過ぎる。力仕事には向いていなさそうだった。


「――何か言ったかな?」


 しかし、次の瞬間には、筋骨隆々の男が立っていた。


 別人と見紛うような変化。恐らく、肉体系の意思能力者。


 軍服のサイズが大きめだったのも、戦闘用に合わせるためだ。


 筋肉量だけで言うなら、肉体系の広島よりも確実に上回っている。


 彼が軍でも下の方なら、全体のレベルは、とんでもなく高い気がした。


「……冗談だよ。冗談。君の底は知れたから、さっさと済ませてくれないか?」


 賞賛してるのか、侮蔑してるのか。


 どちらとも取れる言葉をベズドナは選ぶ。


「言われずとも――っ!」


 屈強になった男性兵は、肉体を活かし、門を押した。


 ピクリとも動かなそうな門は、重々しい音を立てていく。


 確実に開いていき、人一人分が通れる隙間が出来た時のこと。


「あぁ、そうそう。そこにいる人、スパイだから。身体検査した方がいいよ」


 完全に気を抜いていたタイミングで、ベズドナは策を仕掛けた。

 

 視線の先には、ボルドがいる。全員を巻き込むつもりじゃなく、一人。


 戦力となる相棒を引き込むことで、門の先での生存率を高めようとする魂胆。


「あ……」


 思惑に理解が追いつくものの、思考が完全に停止する。


 止めるべきとも言えるし、行かせてもいいとも思ってしまう。


 ちょうど五分五分。だからこそ判断が致命的に遅れてしまっていた。


「本当か? どれどれ……って、なんだこの辮髪は!」


 その間にも時間が過ぎ、ジーナは偉そうな憲兵役に入り込む。


 一目でアウトだと分かる特徴を指摘し、ボルドを追い込んでいた。


「見抜かれたなら致し方ない。密偵した罪を受け止め、いざ煉獄へと参ろうか」


 当の本人の飲み込みは早く、かなりの乗り気な様子。


 口を差し挟む余地はなく、風向きはベズドナに味方していた。


「イゴール曹長。彼も投獄しますが、構いませんね?」


「構わないから、早く行かせてくれ。あんまり、余裕はないんでね」


 無茶をしていたのか、顔を真っ赤にしながら、イゴールは語る。


 門を支えることに精一杯で、深く考える余裕すらないように見える。


(ここまで織り込み済みか……。まだまだ及ばないな……)


 直接的なヒントが出されていたのに、気付けなかった。


 頭脳で完全に劣ってる自分が、ちんけな存在に思えてくる。


「例の件は君に一任したよ。やればできる子だって信じてるから」


 落ち込むメンタルを支えたのは、他でもないベズドナだった。


 例の件とは、『脱獄』のこと。具体的な計画は、ほぼ白紙の状態。


 無理難題を外側から解決できたなら、確実に成長を実感できるはず。


「ま、任せてください。締め切りには、間に合わせます」


 決まっているのは、タイムリミット。


 門が内側から開いた時が、作戦開始の合図。


 その時までに、脱獄計画を仕上げる必要があった。


「……」


 以降の返事はなく、ベズドナは片手を上げ、歩みを進める。


 門の奥には、異様な気配と、底が見えない暗闇が広がっていた。


「待て。一つだけ聞かせろ、ベズドナ」


 背中が見えなくなる間際で、ジーナは声をかけた。


 演技という印象は一切なく、素のトーンで接している。


「なんだい?」


 ベズドナは門の向こう側で振り返り、微笑を浮かべて接していた。


「お前が白軍をバイカル湖まで追い込んだのは、殺すためか……? それとも、生かすためか? どっちなんだ」


 ジーナの疑問は、至極真っ当であり本質的だった。


 ようは、悲劇を想定したか、喜劇を想定したかの二択。


 ベスドナの頭脳であれば、どちらも可。無策とは思えない。


 『ナロト様』という不確定要素を把握していたなら、実現は可能。


「それは……戻ってから答え合わせをしようか。それまでは、彼らを頼むよ」


 明言を避け、ベズドナは次を見据えて手を打った。


 これで彼は、脱獄計画を断るに断れない状況になった。


「食えない野郎だ……」


 その言葉と共に門は閉じ、ベズドナとボルドは煉獄界へと送られた。


 ジーナという、作戦に欠かすことができない強力無比な置き土産を残して。

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