第35話 渦巻く野望
トルクメニスタン。首都アシガバート内。白教大聖堂。
その最奥で白い椅子に浅く腰かけるのは、エリーゼだった。
白のローブを身に纏い、顎に手を当て、視線は下を向けている。
威厳の象徴である白のビレッタ帽を膝上に置き、思考を重ねていた。
「何か見落としてる気がする。上手く行き過ぎなんだよね……」
悪魔との中立条約の交渉。首都の侵入者対策。リーチェとの約束。
どれも予定通りとはいかないものの、想定外というほどの問題はない。
それが無性に引っかかる。そろそろ面倒事が起こってもいい頃合いのはず。
「――――」
思考に耽っていると、目の前がわずかに揺らいだ気がした。
理論めいた根拠は何一つ存在せず、影や足音すらも生じていない。
「………………誰?」
それでもエリーゼは、誰もいない空間に声をかけた。
今まで培った直感と経験則が誰かがいるのを確信していた。
「さっすが、教皇。物理的には絶対、感知できないはずなんだけどなぁ」
軽口を叩きつつ、姿を現したのは緋色髪の女性だった。
黒のエージェントスーツに身を包み、前髪で左目が隠れる。
長い後ろ髪は赤いシュシュで結ばれ、活発そうな印象を見せた。
赤の他人というわけではなく、王位継承戦で見かけたことがあった。
直接的な絡みはなかったものの、立場も役職も名前も戦果も知っている。
「ソフィア・ヴァレンタイン。『ブラックスワン』のエリートが何の用?」
目を眇め、戦闘を視野に入れつつ、エリーゼは目的を問う。
「観光だよ。か・ん・こ・う。見て分かんないかな?」
エージェントスーツを見せびらかすように、ソフィアは語る。
左肩には、茶色毛のニワトリ。右手首には、紺碧の腕輪をつける。
(楽に侵入できた理由はアレか。確かベクターの所持品だったはず)
自ずとエリーゼが注目したのは、後者。厄介な腕輪の方だった。
単なる透明化ではなくて、目の前にいること自体が認識できなくなる性能。
「いや、観光にしてはガチ装備すぎるっしょ。単独で国家転覆でも企んでる?」
「否定はしないよ。ただ、出来るだけ穏便にいきたいから話を聞いてくれる?」
適度な圧をかけられながら、ソフィアは本腰を入れる。
さっきまでの軽々しい態度は消え、顔や声音は真剣そのもの。
対話がベースではあるものの、国家転覆をチラつかせた脅迫だった。
「いーよ、聞くだけ聞いてあげる。実行するかは内容次第だけど」
色々考えたところで答えが絞れるわけもなく、エリーゼはバトンを渡す。
相手の思惑がなんにせよ、内容を聞かなければ、どんな対処もできなかった。
「ある男の霊体を呼んで欲しい。やってくれるなら、色々と協力するよ」
そこでソフィアが提示したのは、こちらの能力を見越した条件。
組織の命令か。独断の行動か。この時点では、何も分からなかった。
◇◇◇
トルクメニスタン。アシガバート。和食レストラン内。
黒い羽根を羽ばたかせ、舞い降りてきたのは、一匹の悪魔。
金髪の坊主頭で、白のスーツを着て、壊れた天井から単独降下。
敵意はなく、堂々とした物腰で、見晴らしのいいテーブル席に座る。
赤の他人というわけではなく、この手で殺した元人間であり、元死刑囚。
「挨拶も自己紹介も省かせてもらうよ。なんせ時間がないからね」
クオリアは足を組んで、一方的に話を切り出した。
因縁もあるし、背景を知っているものの、目的は不明。
相手に戦う気がないのなら、選択肢は自ずと限られてくる。
「……だったら、早く言ったらどう?」
そこでリーチェは、刺々しい態度で話を促した。
話す気があるなら、聞き手に徹するのが手っ取り早い。
嘘だろうが事実だろうが、大元の情報がないと話にならない。
「エミリア・アーサーを……いや、姉さんを譲ってくれないか? そうすれば過去のことは水に流してやってもいい。むしろ、条件を呑んでくれるなら、結界内にいる悪魔共を裏切って、お前の味方になってやってもいいが、どうする?」
上から目線で語られるのは、欲にまみれた回答だった。
クオリアとエミリアが姉弟というのも、恐らく嘘じゃない。
『フォン』がない『アーサー』の姓は、イギリス王室の非嫡出子。
正式な王妃以外から生まれた子供で、王位継承権のない『落とし子』。
処遇は母の身分によって異なり、場合によっては人間以下の扱いを受ける。
――二人の扱いは対極にあった。
エミリアは継承戦まで大手航空会社に勤務していた。
一方クオリアは、死刑囚となって牢屋に幽閉されていた。
身分に差がありすぎる。何か絡繰りがあると考えた方が自然。
場合によっては、クオリアが犯した罪は濡れ衣の可能性すらある。
「…………」
彼の『謎』を紐解く鍵を握っているのは、エミリア。
さっきから一言も喋らず、会話に参加してこようとしない。
(発言を禁じられているか、どうしても言いたくないか……)
どちらにせよ、聞いても返答できない立場にいるのは明らか。
出された情報の中で、どうにか答えを導き出さないといけなかった。
「譲るというのは、つまりどういうこと?」
リーチェは一つのワードに着目し、話を掘り下げる。
発言を掘り下げる術は、何もエミリアだけじゃなかった。
当の本人への接触が禁じられていない以上、やりようはある。
「今は君が彼女の主導権を握っているけど、条件を呑むなら、僕が掌握する。能力を発動するタイミングも、彼女にどんな扱いをしようと、指図は許さない。僕たちに同行するのは構わないが、君は
淡々と語られるのは、束縛する気満々な発言だった。
今までの彼の印象からは、マイナスのイメージしかない。
善意を信じてもいいけど、決断するには情報不足だと言えた。
「仮に主導権を渡したとして、その先に何を見据えるの?」
リーチェは更に掘り下げる。念入りに確認する。
人一人の運命をアッサリと決めていいわけがなかった。
ここでのやり取りは、エミリアにとって大きな分岐点になる。
「『地獄の門』、『煉獄の門』、『天国の門』、それらを総称した、
明かされたのは、壮大な野望だった。
前世の実力を考えれば、身の丈に余る内容。
フィジカル面だけで言えば、無理としか思えない。
悪魔になって実力を磨こうとも、限界というものがある。
彼の才能の限界値を叩き出したとしても、厳しい印象があった。
「……その先は?」
それでもリーチェは、更に深掘りする。
飽くなき欲望の果てに残ったものが、本性。
それさえ把握できれば、『根本』の善悪が分かる。
彼の罪が濡れ衣かどうかを確かめるより、重要だった。
「異世界犯罪の取り締まり。認可なき侵略者を罰する組織を作る」
一切の曇りない眼でクオリアは、大きな夢を語る。
それは、今後の世界情勢を考えれば、絶対に必要なもの。
「そこに、あなたのリソースは、どれだけ割けるの?」
光る物を感じつつ、リーチェは別の側面から尋ねる。
最後に必要なのは、熱量。どれだけやる気があるかだった。
「――魂をかける。半永久的に動き続ける歯車と化したっていいね」
クオリアが告げるのは、熱量の中の最上級。
上辺だけの発言じゃなく、芯のある回答に思えた。
そう思うに至った経緯は不明だけど、やる気は十分ある。
勢い任せのように見えて、きちんと具体的な計画も用意してる。
――ただ一つだけ、彼だけでは補えない点があった。
「なるほど……。エミリアもシステムの一部ってわけね」
彼女の反応が芳しくない理由がようやく分かった。
クオリアの野望を実現するには、移動能力が必須事項。
そのためのエミリアだけど、野望のために心中したくない。
そう考えているとすれば、言動には辻褄が合うし、納得がいく。
「回答は差し控えさせてもらう。まだ君の立場はグレーだからね」
ただ、これ以上は、手の内を明かしたくないらしい。
彼は、もっともな発言を添え、口元に人差し指を当てている。
(サービスはここまでってわけね。あとは私の選択次第……)
出揃った情報を元に、リーチェは思考を回していく。
最終的に残る選択肢は単純明快。『はい』か『いいえ』か。
ここにいる全員の運命を変えるかもしれない判断を委ねられる。
熟考に熟考を重ねたいところだけど、不思議と答えは浮かんできた。
「乗ってあげるわ。あなたの計画に」
リーチェは、諸々の事情を踏まえ『はい』を選択する。
するとエミリアは、絶望を体現するような表情を浮かべていた。
「意外だね。君なら断ると思っていたが……」
「ただし、条件がある」
話が前向きに進もうとしたところに、リーチェは口を挟む。
「いいよ。聞かせてみな。ある程度の融通は利かせてやる」
想定内だったのか、クオリアは余裕あり気に反応する。
野望を受け入れられた以上、無碍にはできないという心情。
お互いの利害関係は一致しているし、建設的な会話だと言えた。
――でも、ここから先は分からない。
「エミリアの負担は、私が全て担当する。その代わり、
リーチェは身を捧げる覚悟で、提案する。
遠回りのようだけど、着実に真実へと近付ける道。
「……っ」
エミリアは声には出さないものの、晴れやかな顔をしている。
ただ問題は、クオリアの判断。乗るかどうかは、彼にかかっている。
「いいだろう。その程度なら、お安い御用さ」
反応は良好で、その場で握手を交わし、契約は成立。
トルクメニスタンでの目的が大きく変わった瞬間だった。
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