第20話 作戦開始


 バイカル湖。深海???m。巨大生物の体内。


 喉の構造は、おおまかに分けて、三つに分類される。


・上咽頭。鼻腔に直結する喉の頂上。


・中咽頭。舌と口腔に直結する喉の中腹。


・下咽頭。気管と食道に枝分かれする喉の麓。


 川の流れとも類似し、上から下へと流動する構造。


 目下の障害となるのは、『白軍』が駐在している中咽頭。


 数百人規模の精鋭を崩せるか否かが、作戦の要となっている。


「……準備はいいかな?」


 ベズドナは腰の短剣を抜き、不敵な笑みを浮かべ、尋ねる。


 視線の先。反対側の肉壁には、刀を構えるアザミの姿があった。


「問題ありません」


 目を合わせることはないものの、意気は十分。

 

 身振りからは、経験に裏打ちされた自信を感じる。


 刀を抜く前と抜いた後では、まるで別の人間に見えた。


 恐らく、これまでに何度も死線を潜り抜けてきたんだろう。


 よっぽどの厄介事が起きない限り、しくじることはなさそうだ。


「……」


 次にベズドナは、沈黙したまま視線を横に向ける。


 他の四名は、上咽頭の鼻腔に近い位置で待機していた。


 数名がこくりと頷いて、心構えができたことを示している。

 

「さぁ、悲劇の幕開けと行こうか!!」


 短剣を肉壁に突き立て、ベズドナは作戦開始を告げる。


 切断面からは、青い血潮が溢れ出し、小さな流れを作った。


 ◇◇◇


 感じたのは、ほんの些細な異変だった。

 

 視界には、小便のような青い血が目に入る。


 それは、痛んだ屋根から雨漏れしたようなもの。


 いつもなら気にするまでもなく、見過ごした違和感。


 ――ただ。


「起きろ、ジーマ。何か様子が変だ」


 長い銀髪で、白の軍服を着ている長身の男性。


 アレクセイは、テントの中で就寝する相方を軽く蹴る。


「んあ……。もう交代か?」


 短い金髪で、同じ白の軍服を着ている男性。


 ジーマは目をこすりつつ、ゆっくり身を起こした。


 どちらも階級は下っ端。見張りが仕事の一般兵士だった。


 野営地の中では最上部に位置し、容易に切り捨てられる場所だ。


 ――侵入者がいれば、真っ先に被害に遭う。


 階級に見合った、理想的な捨て駒配置だと言える。


 だからこそ、体内の異常に関しては、誰よりも敏感だった。


「こいつを見て、どう思う?」


 テントの外に指を差して、アレクセイは尋ねる。


 危機察知能力は残念ながら、ジーマの方が上だった。


 事実、これまで片手で数えられないほど命を助けられた。


 最終判断を任せても良いと思うほど、こいつの感覚は優れる。


「…………」


 こちらの言葉に顔を引き締め、流れる青い血を手で触る。


 こねるように何度も感触を確かめて、最後に口の中に入れた。


 非合理的とも言える所業。現実的に考えれば無駄でしかない所作。


 ――だが。


「見つけた。上咽頭にいるぞ。あのろくでなしが」


 100%の確信をもって、ジーマは鋭い視線を上流に向ける。


 自信がある時のこいつの発言は、今まで外れたことがなかった。


 ◇◇◇


 上咽頭に迸る青い血液は、徐々に勢いを増している。


 喉の右側と左側が大きく切られ、中咽頭に流れ込んでいた。


 些細な異変に気付けない間抜けばかりなら、全滅は免れないだろう。


 ――ただ、目の前には察しのいい男がいた。


「思ったより早かったね。再開のハグでもしてあげようか?」


 ベズドナは現れた男に対し、素直に賞賛の言葉を送る。

 

「あぁ、望むところだ。勢い余って、背骨ごと折り砕いてやるよ!」


 短い金髪の男。ジーマは小銃の銃口を向け、威勢よく啖呵を切る。


 背後に増援の姿は見えず、たった一人で最終決戦に臨もうとしていた。

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