第9話 暗躍


 トルクメニスタン。首都アシガバート近郊。コペトダク山脈。

 

 イランとの国境沿いに位置し、全長650km、標高は約3000mほど。


 斜面は半砂漠化しており、見通しを遮るような樹々は存在していない。


 約10kmほど先には、白亜の建造物が並ぶ首都の景色を眺めることができた。


 ――そこは、絶好の斥候地点。


 教皇の感知に引っかからず、動向を伺える場所。


 見張りを配置しているわけもなく、侵入は容易だった。


「…………」


 足を踏み入れたのは、黒い司祭服を着る、怪しげな初老の男。


 白い髪に、黒いサングラスをかけ、手には分厚い本を持っている。


 正体は超常現象対策局『ブラックスワン』、局長ダンテ・アリギエーリ。


 アメリカ合衆国に属し、主要国首脳会議まで秘匿されていた第七の軍隊の長。


「我々の活動は国外では認められていない。その意味が分かるか?」


 ダンテは本を閉じ、厳かな口調で語りかける。


 独り言ではなく、その背後には二人の男女がいた。


「正体が割れたら戦争に即発展。だからこその少数精鋭だよね。腕が鳴るなぁ」


 直属の上司にため口を叩くのは、緋色の髪の女性。


 黒のエージェントスーツに身を包み、指の骨を鳴らす。


 長い後ろ髪は赤いシュシュで結われ、前髪で左目は隠れる。


 意気軒高ながら、気配を完全に絶ち、蒼い右目で首都を捉える。


 ――ソフィア・ヴァレンタイン。


 『ブラックスワン』の諜報部門である代理者エージェントのトップ。


 黒級という最上位の階級に位置し、戦闘能力は極めて高い。


 戦闘に関する経験を初期化されたが、余りある知識は消えない。


 むしろ、真っ新な状態になったことで、さらなる成長が見込まれる。


「秘密裏に超常現象を止めること。組織の本懐とも言える任務でしょうね」


 対照的に丁寧な口調で答えるのは、蒼色の髪の男性。


 髪型は、針のように逆立っており、短く整えられている。


 黒のエージェントスーツを着て、右肩には銀色の梟が止まる。


 緋色の瞳は梟の方に向き、指先でその喉元を優しく撫でてていた。


 ――ダヴィデ・アンダーソン。


 ソフィアと同じ代理者エージェントであり、黒級に位置する。

 

 ただ、その高い地位についた割に、自己評価は低い。


 身近にいる最強と比較し、劣等感を抱いていたのが原因。

 

 そのせいで能力は戦闘補助に特化し、己の可能性に蓋をした。


 非凡なる潜在能力を内に秘めていたが、気付かないまま成熟した。


 宝の持ち腐れであり、一度育ってしまえば、やり直しは基本できない。


 ――しかし、ダヴィデの意思能力はリセットされた。


 戦闘経験の忘却を受け、メモリは新品の状態になっている。


 この任務で、能力が再開発されれば、化ける可能性は極めて高い。


「目下の問題は『地獄の門』と『悪魔』だ。他は後回しとする。いいな?」


 ダンテは密かな期待を胸にしまい、二人に指示を飛ばした。


 『白教』も『エリーゼ』も『リーチェ』も今は問題ではなかった。


 優先事項はリアルタイムで変動する。時世を見極められてこその組織。


 ――必要と判断すれば、現場にも出向く。


 組織を回す役割よりも、優先すべき事案。それが今だ。


 任務の失敗は、人類が共存できる世界の崩壊を意味している。


 戦争が起こるリスクを負ってでも、任務は遂行されなければならない。


「りょーかーい♪」


「承知いたしました」


 重い責任と使命感を一人で背負い込み、二人の声に支えられる。


 共通した目的を持つ三人は、砂漠地帯を覆う深い闇に紛れていった。


 ◇◇◇


 トルクメニスタン。タハル州ダルヴァザ。


 広大な砂漠に広がっているのは、黒色の結界。


 外から覗くことはできず、侵入するのも敵わない。


 その中で行われていたのは、人間と悪魔の交渉だった。


 人間側の代表を務めているのは、痩せこけた黒髪の中年男。


 白い司祭服に、赤いロゼッタ帽をかぶった、ひ弱そうな信奉者。


 その外見に反し、白教のナンバー2に位置し、大役を任されていた。


「……以上の条件で、お取引させていただければ幸いです」


 枢機卿は『地獄の門』が広がる穴の際に立ち、要望を伝え終わる。


 その虚ろな眼の先には、黒のミニワンピースを着た女性の悪魔がいた。


 一対の黒い羽根を使って、空中に留まり続け、長い黒髪をなびかせている。


 ――背後には大量の悪魔が控えている。


 交渉が失敗に終われば、一斉に押し寄せる。


 実力は玉石混交だろうが、捌き切るのは困難だ。


 修羅場になるかどうかは、交渉中の『女悪魔』次第。


「それなら乗ってあげてもいいケドネ、確認しておきたいことがアルヨ」


 独特の中国訛りで、『女悪魔』は口を開いた。


 反応は好感触。確認事項があるのも十分理解できる。


「……」


 こくりと頷き、続く言葉を待つ。


 恐らく、一部の条件の確認だと思われる。


「アタイの顔と身なりに覚えはナイカ?」


 『女悪魔』が尋ねたのは、至って単純な質問だった。


 様々な想定を重ねた中で、恐らく、最も楽な部類に入る。

 

 少し拍子抜けしつつも、気を抜かず相手を見つめ、言い放った。

 

「全く覚えがありませんね。どちら様でしょうか」


 その回答によって、交渉は成立する。


 気負っていた割には、あっけない結末だった。

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