第8話 思惑


 トルクメニスタン。白教大聖堂内、最奥。


 身廊から一段高い位置にあるのは、白い椅子。


 そこに頬杖をついて、偉ぶるのは、教皇エリーゼ。


 白教の頂点に君臨する、金髪少女の審問は続いていた。


「反論しないってことは事実みたいだね。……だったら、提案がある」


 パチンと指を鳴らすと、天井から飛翔してきたのは黒い蝙蝠。


 エリーゼの肩に止まり、羽根を畳んで、こちらを睨みつけている。


「こいつはカマッソソ。忘却現象の元凶であり、音と記憶を操る聖遺物レリック


 最低限の情報で説明を済ませ、話を進める。


 言われなくても、知っていた。見覚えがあった。


 マランツァーノファミリーの元若頭が所持した武器。


 未来のジェノ・アンダーソンが遺していった、置き土産。


「この子に触れれば、記憶は元に戻る。だけど、タダってわけにもいかない」


 エリーゼは順序立てて、甘い条件を並べ続ける。


 嘘はついていない。見聞きした情報とも合致している。


 ただ、ここまでは足並みを揃える前置きで、ここからが本題。


「…………」


 当の本人であるリーチェは、沈黙を保っていた。


 異論を挟むことなく、続く言葉を静かに待ち受ける。


 何か言ったところで、何も変わらないことを知っていた。


「――白教に入ってよ。それ以上は何も望まないからさ」


 語られたのは、本題。ここに呼び寄せた、真の理由。


 首を縦に振れば、記憶は戻り、抱える問題の大半は解決する。


 『父親』の件、『地獄の門』の件、『ブラックスワン』の件、その他諸々。


 ――得られるメリットは計り知れない。


 少なくとも、組織から命を狙われるリスクが減る。


 白教の庇護下にあれば、夜もグッスリ寝られる時間が増える。


 考えれば考えるほど、良いこと尽くめ。あまりにも魅力的な提案だった。


「悪いけど、丁重にお断りさせてもらうわ」


 しかしリーチェは、首を横に振り、否定の意を示す。


 うやむやな言葉を使うことなく、ハッキリと言い切った。


「……理由は?」


 一方のエリーゼは折れることなく、話を掘り下げる。


 その内容如何によっては、押し通せると考えているはず。


 宗教勧誘を諦めさせるには、それ相応の理由が必要に思えた。


「私は私のままでいたいから。忘却経験のある師匠なら、分かってくれるでしょ」


 蝙蝠を見つめながら、リーチェは真意を告げる。


 エリーゼの記憶は一度忘却され、後に取り戻している。


 忘却時は、サーラと呼ばれる別人格が、行動権を持っていた。


 過去のしがらみも、兄のことも、白教のことも知らない新たな自分。


 ――記憶が戻れば、どうなるのか。


 共存するのか、それとも、片方の人格が消えるのか。


 それは彼女にしか知り得ない。経験しないと分からない。


 聞いたら教えてくれるだろうけど、それが真実とは限らない。


 どちらにしても、今の人格が消え去るリスクがあるのが嫌だった。


 ――考慮するのは、100%の場合のみ。


 善悪に頓着はなく、確実なら迷わず実行する。


 あの時もそうだったし、これからも変わらない価値観。


 少なくとも、白銀の鎧の正体を突き止めるまでは変えられない。


「精神的な死が怖いって感じか。まぁ、消された側なら当然の心理だよね」


 エリーゼは、知ったような口を叩き、上から目線で語る。


 だけど、不思議と苛立ったりはしなかった。むしろ、心地いい。


 ――彼女と自分は似て非なる存在。


 記憶を取り戻した側と、記憶を取り戻さない側。


 忘却されたのは同じで、選んだ結果が少し違うだけ。


 この世界の誰よりも当事者で、口を挟める権利があった。


「でもさ――」


「言わないで。その先は聞きたくない」


 説得しようとするエリーゼに、リーチェは言葉を被せた。


 耳に入れてしまえば、迷いと葛藤が生まれ、決断力が鈍る。


 今の人格を守るためにも、ここは聞かずに、自衛したかった。


「あー、はいはい。よっぽど今の自分が大事みたいだね。そこは尊重するよ」


 納得したのか、納得したフリをしているのか。


 どちらにせよ、エリーゼは理解を示したように見えた。


 問題は、この後。断ったらどうなるかが、明確にされていない。


「――ただ、『地獄の門』を開いた落とし前は、どうつけんの?」


 雰囲気が変わり、凄むような態度で、エリーゼは尋ねる。


 こちらの回答次第では、敵対することもあり得る展開だった。


 言葉を選ばなければ、彼女は弟子であろうと容赦なく切り捨てる。


 納得いく回答が用意できないなら、白教に入るか、敵対するかの二択。


 それだけは避けないといけない。今の自分の心は守り抜かないといけない。


 ――だから。


「降りかかる火の粉は払うけど、仕掛けてこなければ、私は何もしない」

 

 リーチェは開き直るようにして、結論を告げる。


 『地獄の門』を開いた実行犯とは思えない横柄な態度。


「はぁ? そんな理屈、通るわけが……」

 

 当然、エリーゼは気に食わない。


 椅子から立ち上がり、白色の光を纏う。


 一触即発の空気が伝わり、激昂する一歩手前。


 言葉を間違えれば、戦闘に発展するのが肌で分かる。


「ここって、永世中立国なんでしょ。自国が出来ないことを他人に求めないで」


 リーチェは物怖じすることなく、自論を展開した。


 トルクメニスタンは他国間の戦争に関わらない、永世中立。


 国際法上で定められており、戦争行為は自衛のみに限定されている。


 ――悪魔に適用されるかは不明。


 法の解釈次第だけど、特例を抜きにして考えれば通用する理屈。


 エリーゼは国家権力の中枢だろうし、無視すれば、示しがつかない。


 少なくとも、悪魔が攻撃を仕掛けてくるまでは、効力があると見込んだ。


「……悪魔を世界に放つ狙いは?」


 エリーゼは席につき、話し合う姿勢を見せた。


 まだ気は抜けないけど、効いたのは一目で分かる。


「故郷の襲撃犯を炙り出すため。世界が危機に直面した方が出現確率が上がる」


「判別する手段は?」


「白銀の鎧を外見に纏っていること。中身がジェノとラウラ以外であること」


「出現地点を掴む方法は?」


「現れれば、類まれなセンスで分かる。世界の反対側にいても伝わる」


「そこへ移動したい場合は?」


「彼女の能力を使えば、すぐに移動できる」


 質疑応答を重ね、視線を向けた先にはエミリアがいた。


 移動系能力を保有し、かなり自由な解釈で移動が可能だった。


「……永世中立国を餌に、わたしが耳を傾けると思った理由は?」


 少し間を置きながら、エリーゼは真剣な表情で尋ねる。


 恐らく、最後の質問。気に入った回答が出れば、お咎めなし。


「悪魔を加えた世界でも、永世中立国を保つ予定だから。枢機卿には、悪魔の交渉に行かせ、トルクメニスタンを悪魔側でも永世中立扱いにするよう現在交渉中。拠点と情報を与え、他国の侵略は自由にさせるのが交渉材料。彼がタイミングよく現れたのは、『シビュラの書』で未来を知っていたから。『地獄の門』が開いたのも、悪魔が現れたのも、エリーゼが教皇に戻ったのも、全て予言通り。その後に何を望んでいるのかは不明だけど、今のところ……私たちの利害は一致している」


 リーチェは考えていたことを余すことなく全て伝える。


 ここで出し惜しむ必要はない。下手なブラフは死に繋がる。


 数で劣り、状況も悪く、手が限られるなら、頭を使うしかない。


 少なくとも、現状で重要なのは、戦闘力じゃなくて、政治力だった。


「………………はぁ」


 その決定権を持つエリーゼは、どちらとも言えない溜息をついている。


 最悪、戦闘になっても構わない。逃げる手段も戦う手段もないわけじゃない。

 

「私たちを中立とするか、中立としないか。答えは二択よ。ハッキリ言って」


 そこにリーチェは対等な立場として、率直な意見を申し立てる。


 以上も以下もなく、話し合いが成立している時点で肩書きは関係ない。


 後はエリーゼ自身が認めるかどうか。これも予言通りなのかは知る由もない。


「さすがはわたしの弟子だね。惚れ惚れするほど、鬱陶しい」


 顔に影を落とし、エリーゼは芳しくない反応を見せる。


 計画に支障が出るからか、彼女の機嫌を損ねたのかは不明。


(夜逃げの準備をした方が、良さそうね)


 リーチェは見切りをつけ、エミリアに視線を送る。


 二度ほど頷き、これで指示を飛ばせば、いつでも飛べる。


「我々白教は、リーチェ一行を中立とみなす」 


 鬼気迫る状況でエリーゼが口にしたのは、望んだ宣言。


 先ほどの反応が嘘のように、こちらを受け入れようとしていた。


「……但し書きがあるんでしょ」


 すんなりと諸手を上げるわけにはいかない。


 どう考えても、エリーゼの要望がないわけがない。


「ただし、自国領土内で国民及び悪魔を殺せば、白紙とするんでシクヨロ」


 そこで明かされたのは、条件付きの中立。


 妥当な処置であり、当面は雨風を凌げそうだった。


 予期しない第三の勢力が、面倒なことを企てていなければ。

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