第1話 本能寺は平和だった
2022年6月29日(旧暦6月1日)
「このあたりが本能寺か・・・」
京都市油小路にある本能老人ホームの前で、四人の高校生が石碑を眺めていた。そこには「本能寺跡」と刻まれており、1582年に信長と共に焼失したとある。
「まあ、解ってはいたがあの頃の面影は全く無いな」
先頭を歩く少年は、本能寺跡の石碑を見ながら嘆息を吐く。四人の中では最も堂々としていて、そのリーダーだということがすぐにわかった。目つきは鋭く、眼光には殺気のようなものを潜ませている。どこか近寄りがたい雰囲気をまとった、若武者のような少年だ。
「信長様。実際の本能寺はここから300mほど南にあったそうですよ。ここは本能寺の変のあと、秀吉によって再建された場所のようです」
色白で切れ長の目をした美少年が、信長と呼ばれる少年に話しかける。女物の服を着たら、すぐにでも美少女になれるほどの美しさを持っていて、まるで、腐った女子が好む薄い本から出てきたような少年だ。
「そうなのか。いずれにしてもこの辺りは明智の軍勢で埋め尽くされていたのだな。しかし、ここに来ればなにかあるかとも思ったが、特になにも起こらないか。蘭、この辺りを歩いてみるぞ」
四人の高校生は信長様と呼ばれた少年を先頭にして、油小路から四条堀川の方へ歩き出した。と、その時、
「ちょっと!信長くん!グループ行動を乱さないでよね!坊丸(ぼうまる)くんと力丸(りきまる)くんは別のグループでしょ!グループリーダーが困ってたわよ!」
白色のブレザーに紺色のスカートをはいた女子高校生が、信長達の前に立ちはだかる。彼女は腰に手を当ててふくれっ面をしていた。
「ちっ!うるさい女だな。蘭、この女を成敗しろ」
「信長様、成敗ですかぁ・・・?」
蘭と呼ばれた少年は、少し困った顔をしてその少女の方を見る。
「何が成敗よ!時代錯誤してんじゃないわよ!高校二年生にもなって中二病!?あんた達、頭大丈夫!?」
そこでわめき散らしている女は、なにかと信長に絡んでくる生徒会風紀委員の細川ガラシャだ。黒いストレートヘアを背中できれいに切りそろえた和風美人のガラシャは、成績も優秀で人望も有り一目置かれる存在だ。小学校からの腐れ縁で、校則を守らない信長をいつもしかりつけている。
「おまえ、そんなにギャーギャー騒いでばかりだと、ろくな死に方をせんぞ」
「な、なによ!ちゃんとまっとうな人生を歩んで幸せに死んでいくわよ!その為に勉強してるんでしょ!」
「もういい。あっちに行け!俺たちはこの辺りを調べる仕事があるんだよ」
ガラシャの両親は熱心なカトリック教徒で、教えに殉教した細川ガラシャにちなんで娘にガラシャと名付けたようだ。別に転生者というわけではないらしい。
「あれから440年か・・・」
1582年6月21日(天正10年6月2日)
京都本能寺
「上様!敵は明智日向守の軍勢と思われます!寺の外には数千!既に数百が寺の中になだれ込んでいます!」
※明智日向守 明智光秀のこと。当時は格上の人の下の名前を呼ぶことは無く、姓+役職名で呼ぶことが一般的だった
「そうか、日向守か。是非も無し。蘭(森成利・通称蘭丸)!鼓を持て!」
信長は寺の外の喧噪で目を覚ましていた。最初は下賤の者の喧嘩であろうと思っていたのだが、突如鬨の声が上がり鉄砲の発砲音が多数こだまする。ここに至って、信長とその近習の者は謀反であると認識したのだ。
そして、信長は小姓の蘭丸に、攻め手の様子を見てくるように指示を出す。すぐさま蘭丸は駆け出し、外の様子を伺った。そこには、松明を持った軍勢が怒声を上げながらなだれ込んでくる姿があった。
ここ京都四条では、明智光秀の軍勢1万3千が、織田信長の滞在する本能寺を取り囲んでいたのだ。
蘭丸に鼓を取りに行かせている間に、信長は手勢の者に火を放つよう指示を出した。
“もはや明智勢を撃退することや逃げることは叶うまい。ならば、我が首、明智などにくれてやるものか”
明智光秀ほどの智将であれば、退路も既に押さえられているだろう。手勢もほとんど居ないこの本能寺では、もう逃げることは不可能だと信長は考えた。そして、謀反を起こした光秀に、この首を取られるのはあまりにも不本意であったため、全てを灰にしてしまうことを決意する。
「~~人間(じんかん)五十年、下天(げてん)のうちを比べれば、夢幻のごとくなり~~」
蘭丸の鼓の音に合わせて、信長は「敦盛」を舞った。人生で最後に舞う「敦盛」だ。そして、信長は舞いながら、自らの人生を顧みる。
“光秀め、謀反などを起こしよって。しかし、なぜ謀反など。あの男に天下を獲るだけの器量はあるまいに。なれば、わしへの恨みか?しかし、あやつには何もしておらぬ。家康など嫡男の信康に切腹を命じたにもかかわらず臣従しているのだ。それに比べて光秀にした事と言えば・・・”
信長は徳川家康に対して、家康の長男の信康に切腹をさせるよう、3年前の1579年に命じていた。信康の正妻は信長の長女である徳姫であったのだが、信康はその徳姫と不仲になっていた。そして、徳川家康の正妻である築山が敵勢力である武田と内通し、息子の信康もそれに荷担していると疑われた為だ。この事件により、徳川家康は、自身の長男の信康に切腹を命じ、そして正妻の築山を処刑している。
“ヤツはいったい何を恨んだというのだ?「このハゲーーー!!」と言いながら皆の前ではげ頭をはたいたことか?光秀の文字を崩して光禿(ひかりはげ)と書状に書いたことか?饗宴の余興で、少しだけ残っていた髪の毛を無理矢理抜いたことか?”
信長の傍らで鼓を打っている蘭丸は、今まで織田信長が明智光秀にしてきた仕打ちを思い出し、“さもありなん・・・”と心の中でつぶやいた。
「上様!もはや防ぐに及ばず!どうかお逃げ下され!」
敦盛を舞っている信長の元に、蘭丸の弟二人、坊丸と力丸が駆け込んでくる。二人の体には矢が何本も刺さっており、刀傷もあった。何とか主君を守ろうと奮闘した若い二人は、手勢を全て失い信長の元に戻ってきたのだ。
「よい。もはや逃げることは叶わぬ。若いそなた達を死なせてしまうことだけがわしの心残りよ」
「上様・・・・、もったいなきお言葉・・・・ううううぅぅぅ・・・」
放たれた火が信長のいる部屋まで迫ってきた。傍らのふすまが一瞬にして燃え上がる。もはや明智の手勢からも、この火からも逃げる手段は無い。そして、その火は炎の渦となって4人を包み込んでしまった。
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