DAY4‐1 複合施設群『三千世界』の死闘 前編

「バブルの時に間違ったんだ。経済ヤクザが増えて、金のためなら何でもやるやつが偉いって雰囲気ができた。そのまま何十年も来たから、政治屋と警察に見限られたんだ」


 最高の赤身肉を食べさせてくれると言う老人が、私の顔を凝視しながらとうとうと語る。場所は俗に黒ホテルと呼ばれる、集合ビルだ。

 座敷の外からお高い肉の焼ける匂いが漂ってくる。私がメニューを睨んでいると、老人が「米か?」と訊く。うなずくと馬鹿でかい声で「ライス!」と叫んだ。すぐに笑顔の店員が茶碗に盛った白米を運んで来る。

 相変わらず嫌なジジイだな。

 思考を顔に出す私に、老人は構わず話を続ける。


「経済ヤクザの財布が軽くなりゃあ、当然、利用価値もなくなる。そのあげくの暴対法強化だと俺は思ってるよ。裏社会の千両箱の底が見えてきたんで、政治屋どもが裏切ったのさ。汚えやつらさ」


「お野菜も取らないといけないんですよね。水茄子の漬物とか良いなあ」


「おーい! 茄子の漬物!」


 笑顔の店員が漬物を置いて行ってから、老人は長いため息をついた。


「結局、極道の侠客が少数派になったのがいけなかったんだ。カタギを食い物にするヤクザなんざ、こうなって当たり前だったのかもなあ」


「あっ、肉来ましたよ、肉。脂がバチバチ言ってなくて、なんかオシャレですね」


「お前、俺の話聞いてないだろ」


「聞いてませんよ? 他人事なんで」


 黒い焼き物の皿に載った牛肉の赤身。目の前に置かれたそれを、私は即座に白米の上に引っ越す。

 店員の笑顔がほんの少しかげったけれど、何も言われなかった。

 老人が箸で肉をつまみながら、鼻息を噴く。


「もう三〇過ぎたろ。行儀のひとつも覚えねえと、下品なババアになるぞ」


「あんたに言われたかありません」


「情けねえ。目をかけてやった男はみんな組抜けて、半グレのパシリ。一緒に飯食ってくれるのは元居候の三十路女だけか」


 肉と米をかっ込みながら、私は老人を睨んだ。

 スーツの下の体はまだ昔の筋骨を保っている。私にドスで刺された右のわき腹だけがへこんでいるのも、おそらく変わっていない。

 水茄子をつまむと、汁と同時に老人の声が落ちた。


「お前がキャビアの木箱から出てきた時のことは、今でも忘れられねえよ。オヤジが慣れねえ密漁取り引きに手え出して、とんでもねえカスつかまされたって、大騒ぎになった。生きた赤ん坊の処分法に困って、俺に丸投げされたんだ」


「被害者みたいに言わないでくださいよ。言っときますけど、あんたを父親だなんて思ってませんよ」


「俺もお前を子なんて思ってねえよ。でも、まあ、お前は極道の『子』としちゃ、男どもよりよっぽど頑張った。獅子森ししもりのマダムに譲る時も、惜しかったんだぜ、俺は」


「八〇〇〇万もらったんだから涙も引っ込んだでしょ。ダメですよ、ムダ使いしちゃあ。老後に二〇〇〇万って言いますけど、根拠は怪しいもんなんですから」


「二〇〇〇万やるから、人、殺してくんねえかな」


 私は茶碗を置いて水を飲んだ。

 月島のオヤジが言葉を続ける。


枷垣かせがきの二代目が暴力団潰しに加担してたんだ。同業の情報を売ってサツに踏み込ませてた。いまやヤクザに人権はねえ。小さな法律違反が命取りになる。ヤツあ、死に体のヤクザを権力に売って生き残った、裏切り者だ。ケジメをつけさせてえ」


「やめましょうよ。そいつだってどうせ用が済めばポイですよ。二〇〇〇万持って隠居した方が賢いですよ」


「枷垣には民間アドバイザーだかコンサルタントだかの地位が確保されてる。ヤツは生き残って政界に入る。絶対に許せねえ。俺は海の見える老人ホームに席を取ってあるんだ。未夢。最後の頼みだ」


 枷垣をヤってくれ。

 そう言った月島が、初めて私に対して、頭を下げた。



 枷垣を殺りに行こうと、そういう話になった。言い出したのは私で、誰もが賛成してくれた。

 マリ奥様まで殺れ殺れと言うのは、枷垣を飼っている連中がマリ奥様の尻を嗅ぎ回っているかららしい。政財界の若手の間に、純国産の悪の権力者を除いて席を空けようという動きがあるようだった。

 マリ奥様は旦那様が変死して、いきなり権力を持ったから狙い目だと思われたのだろう。マリ奥様をマークしている最中に枷垣が死ねば、嗅ぎ回っている連中はマリ奥様をヤバい相手だと思い、小屋に逃げ込む。だから殺れ殺れなのだ。


「枷垣は同業者の報復を恐れて、三千世界にこもってる。だから襲撃しても、事情を知らない連中にはヤクザ同士の抗争にしか見えない。私達がしくじらない限りはね」


「三千世界って、何だっけ」


「外国企業が所有してる複合施設群ね。人工島にぶっ建てた、ブラックマーケットよ」


 島と本土をつなぐ海上道路を黄色い軽が走る。今回は目立つわけにはいかないので、三人とも地味な色のレディーススーツだ。色の識別がしにくい夕刻を狙って島入りする。

 島のゲートには企業の警備員が居て、全員人殺しの目をしていた。

 マリ奥様の用意してくれた偽IDで無事潜入する。

 島の外周には風力発電の風車とソーラーパネルが、いかにもクリーンなことをしていますというツラで並んでいた。今時クリーンエネルギー事業が環境破壊の元凶だってことは、子供でも知っている。島をデザインしたやつの脳みそが時代に取り残されている証拠だった。

 趣味の悪い軽をパーキングに停め、三人並んで歩き出す。

 今回は武器を持ち込めなかったので、ブラックマーケットで現地調達する。クリーンを偽装した空と海の世界を南下すると、真っ白な中身のないビルが壁のように隙間なく建っていた。

 外壁の塗装が特殊で、たぶん電波を跳ね返す対レーダー塗装だ。試しにスマホをいじってみると、電波が完全に死んでいてカメラも使えない。塗料以外にも情報遮断の装置が働いているらしい。

 ビル群を抜けると、自動清掃装置のついたスカイパネルが上空を覆っていた。つまりは、極めて高価な全蓋式アーケードだ。強化ガラスが空全体に張られている。


「ブラックマーケットって何売ってんだ?」


「何でも。銃器、兵器、細菌のサンプルに劇薬、文化財や国宝も。いろんな国の泥棒や売国奴が品を持ち込む。もちろん人間も売ってる」


「国内だよな、ここ?」


 片目のサエコが着慣れないスーツの襟をいじりながら、うんざりして言う。

 まだ二〇そこそこのサエコには、世界の馬鹿さ加減の深淵が分かっていない。拝金主義がはびこった国には程度の差はあれ、必ず闇の市場ができるのだ。

 まるで高級宝石店のような店構えの臓器屋を覗くと、完璧な肉体の若者達が壁際に座ってうつむいていた。

 殺意が制御できなくなるので、すぐに道に戻る。

 銃砲店を探そうとした時、不意にしくじりに気づいた。ニンギョも同じようで、似合わない髪留めを外して苦笑してみせる。


「バレてるね。遠巻きに五人、こっちを見張ってる」


 片目のサエコが周囲を見回す。人は多く、私達より目立つ風体の輩もたくさん居る。それでもやはり、誰かに注視されている。


「マジか。だったらこんな服で死ぬの、ヤダな」


「服屋はあるはずだよ」


 私達は五分ほど歩き、映画スターみたいな外人の男がやっている服飾店に入った。客は私達以外におらず、ひどく静かだった。

 私はマリ奥様が着るような、シックなナイトドレスと、保護動物の毛皮の襟巻きがついた白いコートを探して着た。靴はどうしても機能性が必要だと言うと、映画スターもどきがめちゃくちゃ高価なブーツを持ってきた。履き心地は良く、コートとの相性もギリギリ許せる。

 髪を自然なショートに整える。見れば片目のサエコはどピンクが見つからず、しぶしぶ赤のレザージャケットとスカートとスニーカーを履いていた。趣味は悪いが全部ブランド物だ。驚くべきことに眼帯もあったらしく、ワニ革のやつをつけている。

 ニンギョは青いチャイナドレスを着ていた。ふだんそんな趣味じゃないのに赤い口紅まで塗っている。映画スターもどきの口車に乗せられた感があった。死に際に自分を見失うやつはどうでもいい。

 当然あるはずだと武器を所望すると、店の奥から上品な凶器が出てきた。

 石器みたいな黒曜石のナイフと、骨が警棒になっている高級傘。黒とゴールドのルガー銃に、真っ赤なカーボンショットガン。全部買い上げて薔薇入りの箱に入れてもらった。

 資金のほとんどを支払って店を出ると、目の前に黒のスーツを着た双子が居た。

 ニンギョと同じタイプの笑顔を浮かべたマッシュルーム型の銀髪の女達で、どう見ても強敵だった。指に指紋を消した手術跡がある。私達よりも腕の悪い医者にかかったらしい。身長一六〇弱。なのにぶん殴られたら心臓が止まりそうな、威圧感がある。


「わたくしども、枷垣様の使いでございます」


「購入した武器をお渡し下さい。枷垣様の元に御案内いたします」


 交互に鳴る鈴のような声。私は少し考えてから、二挺のルガーの入った箱を差し出した。向かって左の女が受け取るや、片目のサエコとニンギョが自分達の箱を全部、左の女に押し付ける。


「おら!しっかり持てよ、荷物持ち!」


 攻撃的に笑う片目のサエコに、箱まみれになった左の女がエヘヘ、と棒読みの笑いを返す。弧にゆがんだまぶたの奥で、水色の瞳が(ぶっ殺すぞズベタが)と言っていた。

 予定していなかったタイプの敵。裏切りヤクザには過ぎた秘書だ。

 私達は返される双子の背に、いつでも襲いかかれるよう、隙なく視線を注いだ。

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