DAY3 ミルナの禁
ミルナの禁を見に行こうと、そういう話になった。言い出したのはニンギョで、マリ奥様が興味を示したのでみんなで行くことになった。
ミルナの禁はニンギョが外国人実習生だった頃、日本の悪い所を全部凝縮させた地獄のようなおっさんの下で、ソーラーパネルを設置してた頃に見つけたそうだ。
朝から晩まで自然を脅かすパネルを設置し、支払われる賃金は月五万円。そこから作業服や工具の使用料を一万円、食費を二万円引かれる。プレハブ小屋の宿泊料はサービス。
つまりニンギョの手には、月二万円しか残らない。
あげく現場には偽ブランド品を売りに来る業者が居て、何か買わないと怒鳴られる。
人並みに輝いていたニンギョの笑顔がうすら寒いものになったのは、この時の経験が原因だ。ニンギョは実習生の仲間と脱走を企て、山中の工事現場からふもとを目指した。
森の中を逃げているうちに一人また一人とはぐれ、ひとりぼっちになった時、森の中にいきなり望遠鏡が現れたという。
景色の良い展望台などに置いてある、観光用の望遠鏡。一〇〇円入れると数分間レンズのシャッターが開放されて使えるようになる、アレだ。地面から直接生えているそれを、ニンギョは覗こうと思った。夜の森を走り回って判断力が落ちていたせいだ。
はぐれた仲間か、追っ手を見つけられるかもと思った。
懐中電灯なしでは視界を確保できない、黒い闇の中で、ニンギョは望遠鏡に金を払った。コインの投入口に吸い込まれる一〇〇円玉。望遠鏡に目を近づけると、パーツの陰になっていた部分に何かで引っかいたような、ささくれがあった。光を当てると、文字が銀色に浮かび上がる。
ミルナ。そう書いてあった。
ニンギョは嫌な予感がしたが、月給の〇.五パーセントをドブに捨てるのはあまりに辛かった。覗き穴に目を当てる。暗闇の中に何かがボヤけて見えた。望遠鏡の度を調節するつまみをひねる。ピントがゆっくりと合い、ボヤけていた無数の線がはっきり姿を現した。それは、文字列だった。
ミルナ。
ニンギョが危険を察知できたのは、完全な偶然だった。自分が見ているものの正体を理解していたわけではない。
ただ、望遠鏡の内部から響いた、かすかなバネの音に、故郷の猟師が使っていたトラバサミを連想した。だから反射的に身を引いたのだ。
バチンと音がして、さっきまで目を密着させていた覗き穴からカッターの刃が飛び出た。ミルナと、カタカナの形に並んだ無数の刃。
ニンギョの目の前で、刃はゆっくりと元の場所に沈んでいく。
最後の最後でニンギョの心にとどめを刺したのは、わけの分からない、素性の知れない悪意だった。
ニンギョは森をさまよい、結局もとの工事現場に戻って来た。他の脱走仲間も全員帰還していて、それから筆舌に尽くしがたい折檻を受けて仕事に戻った。
ただ、望遠鏡のアイデアはニンギョに道を示した。一見無害そうなものに仕込んだ悪意が、最も人を殺し得るという発想だ。
ニンギョはもともと流暢な日本語を喋れたが、日本人が喜びそうな漫画的なアルアル言葉や変なイントネーションを多用するようになった。表情筋を鍛えて細目の笑顔を作り、昔の香港映画みたいなオーバーアクションの所作を身につけた。
馬鹿みたい。そう笑われるのが狙いだった。
人間は自分が知っている要素を多く持つ他人を信用する。背が高くて高学歴で日本語を完璧に話す外人女より、背が高くて肉まんやギョーザの話ばかりしてる変な日本語を話す外人女の方がモテる。屈辱で反吐が出そうでも、悪人達の差別心を満たしてやれば良い思いができた。
ふだんバカにできて、笑えて、安月給でこき使えて、その気になれば、たぶん、ヤレる奴隷。そう思わせておけば相手は簡単に隙を見せた。
地獄のようなおっさん社長と偽ブランド品の業者。二人まとめて背後からツルハシで穴だらけにして、地面に掘った穴に真っ逆さまに放り込んで埋めた。
もともと実習生が何人も行方不明になっていたので、元凶二人が同じことになっても大事にはならなかった。
ニンギョは山を降りて福祉の世話になろうとして、役人をピクルスにするハメになり、マリ奥様の網にかかった。そういうことらしかった。
■
「ぜえぇったい嘘だぜ~。賭けても良いよ。最初から最後までホラだってぇ」
どピンクの登山ウェアに身を包んだ片目のサエコが、きつい傾斜を登りながらわめく。
冬のアウトドアは骨身にこたえる。足腰の頑強なマリ奥様とニンギョははるか彼方だ。私は髪をなでる粉雪にうんざりしながらうなずいた。
「ニンギョ、嘘つきだもんね。前は惚れた彼氏が実は臓器密売組織のリーダーで、巻き添えで警察に捕まって拷問されてサイコパスになったって言ってた」
「その前はどこぞの民族闘争のハニートラップ要員だったって言ってたぞ。あいつの出自シナリオ何通りあんだよ。役人ピクルス事件以外信用ならねえ」
マリ奥様もたぶん私達と同意見だ。
悪魔のような望遠鏡探しではなく、ニンギョの表情とキャラクターを楽しみに来ただけだろう。森のオーラも肌に良い。馬鹿を見ているのは私と片目のサエコだけだ。
私達は一日中森を歩き回り、気持ち悪い鳥の声や動物の糞を楽しみ、焚き火を起こし損ねて持ってきたマシュマロを焼かずにむさぼった。
この森、ソーラーパネルの欠片もない。
くたくたになりながら何とか日没前に森を抜けて人里に戻り、温泉につかって布団でくたばった。
そう、それで、ミルナの禁だ。
旅館のテレビで何度も流れていたホラー映画のCMに望遠鏡が映っていたので、スマホで内容を調べてみた。
三対一の枕投げでデカい嘘つき女をボッコボコにしてやった。
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