第24話 探求者 その1

 聖竜の神山では、将来の司や使い手たちの教育のため学舎を設けている。それだけでなく、学舎は聖竜の神山にいるすべての子供たちの教育を担っている。


 当初、学舎は聖霊力があるとみなされている子供たちのための学校であった。神山学びの部の探索隊は赤の界全土を巡り、強い聖霊力を持つ子供を常に探している。また、不思議な夢を見る、癒しの力があると誰かから推薦されて神山へやってくる子供もいる。自薦、他薦によらず聖霊力の片鱗を見せる子供たちは、聖竜の神山では無償で教育が受けられる。最初は童子として、やがて訓練生、候補生と上がっていくのである。学舎に通う多くの子供たちにとって、神山で司になることが目標であり、夢である。しかし実際に竜を召喚し、司まで上り詰めていく者は多くはなかった。…(中略)…


 聖竜の神山では課程は単位制なので、個人差があるというものの概ね十二歳程度で訓練生となる。それ以前は童子と呼ばれる。訓練生の課程を修了するのは平均して十五歳程度であり、その後、候補生となる。候補生になる時に、訓練生は自分が所属する『部』を決めなければならない。候補生の課程は概ね十八歳で修了する。候補生を修了する時が、その後聖竜の神山に残れるかのひとつの分かれ目になる。この時点で聖竜の神山を去る者も多い。また候補生を修了後、五年以内に竜を召喚できないと、自動的に司への道は閉ざされることになる。 


                   『アエネイス 聖竜の神山の学舎』より 




 年に数回だけ担当している候補生向けの授業を終えて、学びの部第三の司で研究局のトップでもあるトキワは、大書庫内の隠れ家のような研究室に戻ってきた。学舎の喧騒けんそうから静寂の世界に戻り、ほっと一息ついた。


 にぎやかなことが嫌いなわけではなかったが、研究に集中するには静けさが必要だとトキワは常々考えていた。少しかび臭いような独特の匂いがするその部屋は、完璧にその条件を満たしていた。殆んど移動せずに大書庫内の書物を取りに行けること、それがすべて自分のものように錯覚できるところも彼女は気に入っていた。


 トキワがこの部屋の住人となったのは、司に昇進してしばらく経った頃だった。学びの候補生を修了したトキワは、学びの使い手を通り越して一気に学びの司に昇格した。同時に、自分の研究チームを立ち上げる権利も獲得したのだった。


 異例の速さで司に昇進したとはいえ、彼女が研究場所を確保するのは簡単ではなかった。神山の限られたスペースの中では、建物を簡単に立てたり増築したりできないのだから、新米の司が十分な広さの研究場所を確保できなくても致し方なかった。誰もが憧れる司になったとはいえ、彼女は自分の力で研究場所を獲得するしかなかった。


 そんなトキワが目をつけたのは、大書庫と宝物庫だった。それらは学びの部にとってもっとも重要な建造物であるにもかかわらず、当時、管理が十分に行き届いているとは言えなかった。トキワはその管理と整理を買って出た。内装に大幅に手を入れた結果、大量の資料や遺物はこれまでになく、わかりやすく配置・保管されることになった。資料を探し求めて広い大書庫や宝物庫をウロウロすることも無くなった。誰もがトキワの手腕を誉めそやした。それに乗じて、彼女は大書庫内に新たに生まれた空き部屋を自分と自分のチームの研究拠点とした。研究対象が太古の時代であるトキワにとって、赤の界屈指の古文書数を誇る大書庫内に研究室が置けることは、願ってもないことだった。


 その時以降、トキワは活発な研究活動を始めた。文献を調査するだけでなく、何か情報が得られれば自ら現地に乗り込むことも多々あった。調査隊を編成して発掘にも行ったし、神山以外の研究者との交流も積極的に行っていた。


 多忙な日々を過ごすトキワにとって、研究室での静かなひと時は貴重なものだった。新たに入手した古文書に目を通す前に、訓練生が運んできてくれたお茶で一服していると、部屋の外から、大書庫内には似つかわしくないパタパタと小走りの足音が聞こえた。その足音はトキワの部屋の前で止まった。


「トキワ先生、いらっしゃいますか?」


 戸の外から少女の声が聞こえた。それが誰だか、トキワにはすぐにわかった。


「クレナね。いるわよ。入ってらっしゃい」


 少しゆっくりと引き戸を開けてクレナは部屋に入ってきた。入ってすぐに、馬鹿丁寧にあいさつをした。「トキワ先生、こんにちは。お忙しいところ、突然お邪魔して申し訳ありません」


 クレナは教科書らしき本を数冊抱きかかえて立っていた。


 トキワは尋ねた。「クレナ。こんな時間にどうしたの? 学舎の授業があるのでは?」


 クレナはトキワのほうへ近づいてきた。「実は、オカガイ先生の授業がお休みになったのです。時間が空いたので、トキワ先生に夢のことをご報告したくって…」


 一年ほど前、トキワは友人のユズリハからクレナを紹介された。ユズリハはトキワに説明した。『クレナはとても古い時代の夢を見ることができるのよ。太古の言葉が使われているような古い時代のね。でも、彼女はまだ太古の言葉がわからないの。だから、夢で何が語られているか正確なことはわからないけど、それが分かるようになったら…。トキワ。きっと彼女はあなたの研究の役に立つわ。彼女もあなたに色々教えて貰うことで、不可解な夢の意味が分かるとしたら、双方に取って良いことだと思えるのだけど、どうかしら?』


 ユズリハが言う通りの能力をクレナが持っていれば、まさにその通りだろうとトキワは考えた。残念なことに、トキワ自身には夢見の力はなかった。癒しの力については、もし癒しの部へ行っていても、間違いなく司になれただろうと言われていたが、彼女にとって、それは宝の持ち腐れ以外の何物でもなかった。自分に夢見の力があったらと歯がゆい思いをしたこともあったが、夢見の司でも際立った聖霊の力を持つユズリハでさえ、トキワの研究対象である太古の時代どころか、千年程度昔に夢でさかのぼることも途轍とてつもなく難しいのだと諦めるしかなかった。


 かつてトキワより少し年上の夢見の司で、太古の時代を夢見る力を持った司がいた。だが彼女は、トキワが候補生の時に神山を去っていたし、トキワが司に昇進してそれほど経たないうちに亡くなっていた。その司とは何度か話をしたことがあったが、彼女がもっと生きていれば、どれほど自分を助けてくれただろうかと、トキワはいつも残念に思うのだった。


 夢見に対する自分自身の思いは別として、ユズリハからクレナの話を聞いた時、トキワは少し違和感を覚えた。彼女は正直にユズリハに言った。『もちろん、私に取っては好都合ともいえるけど…。でも、そんなに強い夢見の力を持っている子だったら、もっと他の事をあなたは…、あなたたち夢見の部は望んでいるのではないの? 現在のあなたたちの仕事に関することを教えたほうが良いのではないの?』


 ユズリハは寂しげに微笑んだ。『確かに夢見の部の司としては、そうするべきなのでしょうね。でも私は…。あのような夢がクレナに訪れるという事は、何か深い意味があるように思えるのよ。とても深い意味がね。夢見の部どころか神山の存在さえかすんでしまうような深い意味が…』


 その言葉がユズリハから発せられたものでなかったならば、トキワは大袈裟だと一笑に付しただろう。だが、ユズリハの思い詰めた表情に、トキワは何も言えなかった。その時以降、クレナは時々夢の話をしにトキワのもとを訪れるようになった。


 クレナの夢は一見荒唐無稽だったが、トキワはすぐにそれが、単なる夢ではなく『夢見』だと確信した。というのも、クレナの夢の中には、太古の時代を専門に研究しているような者しか知らないような事実がいくつも含まれていたからである。もちろん現状では、クレナの夢からトキワ自身が得るものは殆ど無かったが、それでもトキワは出来る限りクレナの話を聞き、夢の意味とまではいかなくても、夢で語られている言葉や事象の解明を手伝っているのだった。


 どことなく浮き浮きしているクレナの表情を見てトキワは尋ねた。「何か興味深い夢を見たのね? あるいは今まで分からなかった何かがわかったのかしら?」


 クレナは顔をほころばせた。「そうなんです。トキワ先生。今まで全然わからなかった会話が少しわかったのです」


「そう、それは良いことね。でも、クレナ。そこに腰を下ろして、落ち着いて話してくれないかしら? 順を追って話してくれないと、私には何が何だかさっぱりわからないわ」


 最近だいぶ他者に対して、夢をわかりやすく説明できるようになってきたクレナだったが、夢中になったり興奮したりすると、せっかく学んだことをきれいさっぱり忘れてしまうのだった。クレナは少し恥ずかしそうにしながら、トキワが示した椅子に腰を下ろした。


 トキワは改めて尋ねた。「それで、何の夢を見たの? 初めての夢? それとも私が聞いたことがある夢かしら?」


「あります! 先生。少し前にお話ししたことがありましたよね? 竜と戦っている黒髪の青年の夢です」

「ああ、竜と戦っている男の夢ね」


 竜は人と戦ったりしないものだが、仮に戦うことがあっても、竜の勝利という結果でその勝負は瞬時に終わるだろう。あの人並み外れた身体能力を持つナカルのコウヤでさえ、竜と戦ったらひとたまりもないだろう。だが、クレナのその夢では、竜と男は延々と戦い続けているのだった。同じ場面を何度も夢で見ているのではとトキワが指摘しても、クレナはそうではないと言い切った。なぜなら、周囲の景色が変わっているというのである。竜と男は移動しながら延々と戦っているらしい。それどころか、男は羽も無いのに竜が飛ぶ高さまで飛び上がったりするという。その夢は余りに荒唐無稽だったので、トキワは重きを置いていなかった。


 トキワの口調から何か感じ取ったのか、クレナは言った。「ええ、わかっています。先生があり得ないと思っていることは。私だってそう思います。あの人の動き…」


 クレナはその夢を思い出しているのか、遠くを見つめて呟いた。「ミケアルだって、あんな動きはしなかったわ…。あんなふうには動けなかった」


「ミケアルって?」


 クレナは我に返った。「あ、えっと…。子供の頃に、近所に武道の達人が住んでいたのです。後に王様の護衛になるぐらいすごい人が。でも、その人だってそんな動きはしなかったわ」


「あなたはその達人の動きを見慣れていたのね」

「時々、他の人と練習しているのを見ていましたから…」


 なぜかクレナは、悲しそうな表情を浮かべた。その知り合いについて何か悲しい思い出があるのかもしれない。


 クレナは気持ちを切り替えるように話を続けた。「とにかく、普通の人間ではありえないような動きをその人はしていて…。羽も生えていないのに、とても高い場所にいる竜に飛び乗ったり、高いところから落ちても、何度も宙返りして軽々と地面に着地したり。その人が持っている剣もとっても変で…。時々刃が見えなくなるのです。消えたのかと思うと、炎のような何かを吹き出したりして…。でも、それは炎じゃないのです。だって、それは炎の色ではなくて…」


 トキワはやんわりとさえぎった。「そこまでの話は何度も聞いているわ。でも、今日はそれ以外にも何かわかったことがあるから、ここに来たのでは?」


「あ、そうでした。この夢は、時々見るのですが、いつも戦っている場面しか見られなくって。でも、ついに違う場面が見られたのです」

「夢の中で経過する時間も現実と同じだと言われているからね。その人は長い時間戦っていたのかもしれないわね」

「そうだと思います。でも、今までは、どうして戦い始めたのかも分からないし、いつ終わったのかも…。何のためにそんなことをしているのかもわかりませんでした。でもようやく少しわかったのです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る