第11話 夢見 その1

 夢見のまとの立て方は、基本的に場所主体、人物主体、事象主体の三種類であり、単独あるいはこれらを組み合わせて使用する。


 場所主体とは、ある場所に限定して、そこで起きたことを夢で見ようとするものである。的を明示的に表現したものを『的詞まとことば』というが、場所主体において的詞は当然、その場所の名称になる。人物主体とは、ある人物に限定して、彼、彼女が体験した事柄を夢で見ることである。その場合も的詞はその人物の名前になる。人物を特定するために、付随的情報を的詞に含めることもある。


 一方、事象主体とは、歴史上の事件や出来事を調べる際に用いられる。対象は必ずしも大事件でなくても構わないが、そのような場合、場所や時代、関係する人物などの付随的な情報が必要であり、かつ強い聖霊力が要求されることが多い。


 場所主体と人物主体においては、知りたい事柄が起きた日時をある程度絞ることが重要である。それができない場合、この手法は効率の悪いものになる。逆にいえば、日時を絞ることができた場合は、この手法は非常に有効であり、夢見の聖霊力がそれほど強くない者でも、容易に的に当てることができる。組織力を用いて得られた情報を丹念に分析し、的の精度を少しずつ高める作業をいとわなければ、これはもっとも確実に目的の情報に近づく手段にもなる。問題は、それだけの人や時間をかけることが可能かどうかだけになる。


 事象主体で重要になることは、『的詞の選択』である。場所主体や人物主体と異なり、的詞の選び方によって、決定的な差が生じる。ちょっとした聖霊力の差より、的詞の選択の良し悪しのほうが、夢見の結果に重大な影響をもたらす。ひとつ言えることは、より具体的な的詞のほうが、抽象的なそれよりもよい結果をもたらす場合が多いということである。


                        『ザッペラス 夢見の的』より




 その日ユズリハが、カイルの見舞いの為に夢見の部の本部がある夢境堂を出たのは、いつもよりずっと遅かった。急ぎ足で診療所に向かうと、入り口で、中から出てきたエシュリンにばったり出くわした。


「ユズリハ、あなたもタツトを見舞いに来たのね」

「はい」

「毎日、ご苦労様。ところで、最近は忙しいの?」

「いいえ。それほどでもありません」

「ならば、後で私の部屋に来ない? オウニカ産の珍しいお茶をいただいたのよ。一緒にいただきましょう」


 それが単なるお茶の誘いでないことは、ユズリハにも何となく察しがついた。だが、どんな用件なのかは見当がつかなかった。「わかりました。後ほど伺います」


「では待っているわ。でも、急いでここを切り上げる必要はないからね」


 エシュリンは念を押してから去って行った。ユズリハはその後姿をしばらくぼんやりと見送ったが、自分の目的を思い出し慌てて診療所に入って行った。


 カイルの病室を訪ねると、そこには予想通りヴェルメリナもいた。ヴェルメリナは日中、かなりの時間をカイルの病室で過ごしていて、ユズリハがカイルを見舞う時、その場にいることが多かった。ユズリハはカイル同様ヴェルメリナのことも気にかけていたので、二人に同時に会えることは、ある意味好都合だった。たいていの場合、ヴェルメリナがひとりでしゃべっていて、カイルはそれを聞いていた。


 その時は珍しく二人は、それぞれ別のことをしていた。ヴェルメリナは小さな机の上に紙を拡げ、悪戦苦闘しながら何か書いている。それが夢日記だとすぐにユズリハにはわかった。一方のカイルは何か本を読んでいた。二、三日前から本を読んでも良いとサダクから許可をもらったカイルは、癒しの候補生に頼み込んで、神山の大書庫から本を何冊か借りて来てもらっていた。ユズリハが部屋に入ると、二人とも同時に彼女のほうを見た。すぐに笑顔になり、彼女の訪問を歓迎した。


「タツト、ずっと本を読んでいると、サダクに叱られますよ。クレナ、偉いわね。夢日記を書いているのね」


 ユズリハが褒めると、ヴェルメリナは嬉しそうな顔をした。「でもユズリハ様、あまり上手うまく書けないのです。書き直してばかりで、ちっとも進みません」


書く必要はありませんよ。覚えていることを、できるだけ正確に書くことだけ気をつければよいのです」


 カイルは、読んでいた本を閉じて、寝台の横にある小さな机の上に置いた。その表紙を見てユズリハは、おやと思った。本は『的詞まとことばの意味と選択』というタイトルで、神山の夢見の部の候補生になった者は、必ず読まなければならないものだった。


「タツト、あなたは夢見の勉強を始めたのですか? でも、その本は少し難しくない?」


「せっかく聖竜の神山にいるのだから、僕ももう少し夢見について知りたいと思って、大書庫から借りて来てもらったのです。この本は特に難しくはありません。ただ、明らかに著者は、夢見の力がある人を読者として想定していて、読者の感覚に訴えるような書き方をしているところが多いのです。夢見ができない僕としては、そういうところが少しわかりにくかったです」カイルは淡々と話した。


 カイルの指摘はその通りなので、ユズリハは思わず苦笑した。「それは、夢見をする人たちのために書かれた本なのよ」


「そうなのですか? ならば、クレナもいつかこの本を勉強するのかもしれませんね」


「え、何?」とヴェルメリナが二人の会話に割り込んできた。「まとことばのいみとせんたく? これのどこが夢見と関係あるの?」ヴェルメリナは本の表題をどうにか読んで、素っ頓狂な声を上げた。


 その無邪気な様子に、ユズリハは思わず微笑んだ。「的詞を理解する前に、まず夢見の的を知らなければなりませんね。クレナ、夢見の的というのは知っている?」


「的? いいえ」 ヴェルメリナはカイルを振り返った。「カイ…、タツト、あなたは知っている?」


「知っているよ。夢見をするとき、事前に何を夢で見たいか決めるんだ。決めたものを的というんだよ。望んだとおりの夢を見ることができれば的に当たったと言うし、そうでなければ、的を外したと言う」


「何か見たいと決めて夢を見るの? 私、そんなこと、したことないわ」ヴェルメリナは不安そうに言った。


「的を立てなくても、夢で過去を知ることはできるのですよ。だからクレナ、心配することはありません」


「だったら、なんでその的とかいうものを立てるのですか?」ヴェルメリナは真直ぐユズリハを見て尋ねた。


 ユズリハより先にカイルが答えた。「クレナ、夢見は遊びでするんじゃないのだよ。何か目的、つまり知りたいことがあるから夢見をすることが多いんだ。だったら、当然その知りたいことが的になるし、的に当てようとするだろう? 特に今の神山の夢見の部はそうなんだよ」


「そんなものなの?」ヴェルメリナは当惑していた。


 ユズリハ自身も、どこか居心地の悪さを感じていた。(何のために、名もなき神は私たちに夢見の力を与えたのかしら? 今のようなことをするため?)


 日常の忙しさにかまけ、ともすれば忘れがちな少女の時の理想や志が、ふと頭をもたげてきた。レイカの面影が脳裏に浮かんだ。


「ところでユズ、あなたに質問してよいですか?」


 カイルの声に、ユズリハは現実に引き戻された。「私に答えられることならば。でもあまり難しい質問はしないでね」


 カイルは大人びた笑みを浮かべた。「夢見第四のつかさであるあなたが、僕の質問に答えられないなんてことは絶対ありませんよ。秘密にしておきたいというのならば別ですけど、そんな類の質問でもありません。僕が訊きたいことは、つまり…、誰かのことを探ろうと思ったら、夢見ですべて知ることはできるのかということです。その的になった人物を丸裸に出来るのかということです」


「すべて知るというのは、あまりにも漠然としているわね」ユズリハは指摘した。


 再びカイルは微笑んだ。「この本と同じ指摘ですね。この本でも繰り返し著者は言っています。的はできるだけ具体的でなければならないと」


「もうひとつ付け加えるとね。夢で見られる場面の時間経過は現実の時間経過と同じなの。おまけに眠っている間、ずっと夢見ができるわけではない。そんなことをしたら、こちらの体が持たないわ。ひとりの人間が一日に多くのことを経験するのに、一晩の夢見で知ることができるのは、せいぜいその一場面。しかも人生は一日じゃない。多くの日々が積み重なってできたものだから、すべてを知るどころか、夢見ではほとんど何も知ることはできないというほうが正しいでしょうね」


「つまり、テラコダイのアンジュの伝説などとは違って、ひとりの夢見が、ひとりの人物や国の動向を調べるには限界があるということですね。だから夢見の部では、担当を決めてチームで的を追うのですか? 長い時間をかけ、情報を少しずつ集め、徐々に的を具体的に絞っていく。それを積み重ねていった結果、重要な場面をとらえて夢で見ることができる。そうやって相手の秘密を暴いていく」


 ユズリハはため息をつきたくなるのをどうにかこらえた。カイルに悪気はないものの、ユズリハは痛いところを突かれているように感じた。


「そうね、テラコダイのアンジュは確かに伝説であって、彼女のような力を持った夢見はどこにもいないわ。現実の夢見は、ひとりではほとんど無力な存在なのよ。よほど具体的な的詞がない限り、望む場面を一回目で見ることなどできない。しかも、そんな的詞がわかるぐらいだったら、目的はすでにほとんど達成しているとも言えるぐらい。でも、タツト。心配しないで。一国の王や宰相などの重要人物でない限り、一般の人は夢見の的にはならないし、してはならないと決まっているの。それに王たちを夢見の的にするのも、赤の界の平和のためなのよ。自分たちの私欲のために力を使うのではないわ。夢見にもきちんとおきてがあるのよ」


「なるほど。では、我々は何の心配もする必要もないのですね。夢見の部はその力を正しいことにしか使わないのだから。ちゃんと掟まであるのだから。では、その掟に違反したら、どうなるのですか? 罰はあるのですか? 誰に裁かれるのですか? 大司おおつかさ? 他の部の誰か?」カイルは情け容赦なかった。


「それは…」ユズリハは口ごもった。「特に誰かに裁かれるわけではないわ…」


 カイルは何の感情も込めずに言った。「そうですか。でも、大丈夫でしょう。名もなき神から特別な力を与えられたあなたたちのことだから、十分に自分で自分を律することができるのでしょう」


「タツト。そんな言い方をしないで」ヴェルメリナが割って入って来た。「あなたって、本当に根性がねじ曲がっていて意地悪ね。どうして、ユズリハ様にそんな言い方をするの? ユズリハ様がどれほど私たちに良くしてくださっているか忘れたの?」


 二人のやりとりから、カイルがユズリハをいじめているとヴェルメリナは解釈したようだった。彼女はユズリハの味方をして、弟と徹底抗戦する構えだった。


「意地悪なんかじゃない。事実を言っただけだ。それにユズのことを責めているんじゃない。ユズは素晴らしい人だ。それは誰よりも僕がわかっている。でも、夢見の部の全員がみんなユズのような人だとはまったく思えない。それが少し気になっただけだよ」


「タツト、本当のところは、あなたは自分が探られたら嫌だと思っているだけなのでしょう? でも、大丈夫。誰もあなたになんか興味はないわ。あなたなんか、ただのちびで取るに足らない存在だもの」ヴェルメリナは、わざと憎々しげに弟に言い返した。


 兄弟げんかがはじまるのではとユズリハは一瞬不安になったが、それは杞憂だった。


 カイルはまったく動じることなく、あっさりヴェルメリナの言葉を受け流した。


「確かに僕は取るに足らない存在かもしれないけど、ちびじゃないよ。もうずっと以前に君より背も高くなっているしね。ただ君も知っているように、僕は少々心配症で考え過ぎなんだ。それだけのことだよ」それからユズリハのほうに向きなおった。


「ユズ、もし僕の言ったことを不愉快に感じたのならば、どうか許してください。僕は気になると、どうしても突き詰めなければ気が済まない性質たちなのです。あなたには言葉で表せない程、感謝しています。それは夢見の部とはまったく関係ありません」


「いいえ、不愉快になんか思っていないわ。あなたの言っていることは何も間違ってはいないわ…」ユズリハはどうにかそう答えた。「でもね、レイカを思い出したわ。レイカは曲がったことが大嫌いだった。あなたたちはそれぞれレイカにとてもよく似ている…」

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