第12話 夢見 その2

 カイルの病室を出た後も、ユズリハの心にはさざなみが立ち続けていた。漠然とした不安。ユズリハは診療所を出たところで、しばし立ち止まった。まるでその場で選んだ道が、自分の今後の人生を決めてしまうかのように、どこに行くか決めあぐねて、その場にぼんやりと立っていた。


 その時、診療所の前の道を歩いてくる女にユズリハは気がついた。その女はみるみる彼女に近づいてきた。ユズリハは軽く目礼した。その女は、すれ違いざまに冷ややかな視線をユズリハに投げつけただけで、その後は昂然こうぜんと彼女を無視して遠ざかっていた。ユズリハは視線を上げ、通り過ぎていった女を見つめた。それは夢見の第三の司トリンダだった。


 ユズリハとトリンダは、夢見の部の同僚であったが、お世辞にも仲が良いとは言えなかった。ユズリハのほうは、トリンダが好きではなかったものの、特に嫌っているわけでもなかった。だが、トリンダのほうは明らかに悪意に近い感情をユズリハに対して抱いていた。その理由はユズリハにはわからなかったが、候補生の頃はともかく、最近ではほとんど気にしていなかった。その時も、トリンダの態度を見て良い気持ちはしなかったものの、ユズリハの中で引っかかっていたのは別の事だった。


(なぜトリンダたちは、スオウミが攻撃されることを、事前に報告しなかったのだろう?)


 それはあの朝コウヤから、スオウミがキルドランに攻撃されたと聞かされて以来、ずっとユズリハが感じていた疑問だった。


 聖竜の神山の夢見の部の仕事の多く、最近はほとんどすべてが赤の界の国々の諜報活動に当てられていた。夢見の部の司から使い手、候補生にいたるまで班に分けられ、決められた地域の国々の動向を夢で探っているのだ。その目的は、大国が小国を一方的に侵略するのを防ぐためとされている。大国同士が争うのは、その国々の勝手かもしれないが、大国が小国に攻め込み、力で一方的に制圧するのは許されないことだと聖竜の神山では考えられていた。それを事前に察知して防ぐことが、夢見の部の重要な役目なのである。ユズリハはこのところずっと赤の界中央部の大国スラキアが担当でその責任者だった。一方トリンダはキルドラン担当の責任者だった。


 夢見の部では、突き止めた重要な出来事については、必ず司たちの会議で報告する決まりになっていた。緊急の場合でも必ず会議は招集される。しかしスオウミの件に関して、そのような会議も報告も一切なかった。


 それだけではなかった。その後もスオウミの件について、夢見の部の会議で取り上げられることはなかった。炎の部から抗議が来ても、大司も夢見の長も、その件でトリンダたちを追求することはなかった。それはあたかも、ちょっとした見落とし程度に扱われていた。


(でも、あれはちょっとした見落としなどではない…)


 候補生も含めて現在夢見の部に在籍している者は、千名ほどだった。その中で、有意な夢見ができる者は、五百名に満たない。だから、夢見の部では大国に絞って、夢見の対象にしているのだ。それらの国では、国王から主要な貴族、将軍などが夢見の対象とされていた。長年の情報の蓄積により、それらの人物が国内でどのような役割を果たしているか、いつどのような会議を行うかなど、ほぼ完全に把握されていた。そして、キルドランもこのような夢見の対象国だった。キルドランのスオウミ侵略の計画を相談する会議のすべてを夢見が見落とすことなど、考えられなかった。


 もちろん『時間差』も少しは考慮しなければならない。一般的に夢見では、直近に起きたことを夢で知ることはできない。最低でも十日程立った後でなければ、夢でそれを見ることはできない。それを夢見の時間差という。


(では、キルドランの計画は、夢見の時間差内に練られたのだろうか?)


 だが、そのような計画がそれほど短期間に企てられるということも、常識的には考えられなかった。


(やはり、トリンダたちはキルドランに便宜を図っている? 利益供与している?)

 そう考えれば、トリンダたちがキルドランによるスオウミ侵攻を報告しなかったことにも説明がついた。


 通常ならば、そのような侵略計画を夢見の部が察知した場合、それを双方の国に知らせる。攻撃側には、あなたたちの計画はばれていますよということを、攻撃の対象国には、あなたたちは狙われていますよということを事前に知らせるのだ。場合によっては聖竜部隊に出動を要請する。聖竜部隊が控えていることもあり、夢見の部の活動は大国の行動に対する相当の抑止力となっていた。


 それをしたからといって、夢見の部に何か利益があるわけではない。では、なぜそのようなことを、夢見の部はするのだろうか? それは名もなき神が赤の界から姿を消して以降、その代理となりうるのは、自分たちだけなのだという自負からだった。


 いにしえの時代、夢見たちは夢の中で名もなき神の言葉を聞き、それを人々に伝えることができた。今はもう、そのようなことは出来ないが、それでも彼らは、誰よりも神に近い存在だった。なぜなら、誰も彼らに対して秘密を持てないから。彼らがその気になれば、天界の入り口に立つ裁きの神のように、すべての罪を暴けるのだから。その力を用いて、彼らは赤の界の平和に貢献できるのだから。


 そういった理由から、夢見の部は聖竜の神山で、他の部に比べ圧倒的な力を持っていた。大司はほとんど常に夢見の部から選出されていたが、それも当然のことと誰もが見做みなしていた。


 しかし、昨今の夢見の部はどうなのだろう? 本当に神の代理として、赤の界の平和に尽くしているのか? ユズリハにはそうは思えなかった。自分より上の立場の司たちの態度が何を意味するのか、彼女は測りかねていた。夢見の部の現状をどう捉えてよいのかわからず、ユズリハは悶々とするばかりだった。


 十年以上前にレイカが聖竜の神山を去った時のことを、ユズリハは考えた。正義感が強く、曲がったことが大嫌いだったレイカ。レイカが聖竜の神山を辞めると言い出した時、ユズリハはスオウミ国王グレンとの結婚がその理由だと思っていた。


『違うわ』レイカはきっぱりと否定した。『もしここでの仕事にやりがいがあるのならば、結婚はしなかったかもしれないし、あるいは結婚しても夢見の仕事をどうにか続けようと努力したと思うわ。はっきり言えばユズ、私は夢見の部に愛想をつかしたのよ』


『どうして?』ユズリハはおどおどしながら尋ねた。答えは想像がついていた。


『ねえ、ユズ、思い出してよ。私たちは何のために、ここの訓練生になったの? 少なくとも私は、間諜スパイごっこをするためにここに来たのではないわ。百歩譲ってたとえそうだったとしても、今の私たちは、名もなき神の代理人として赤の界の平和に貢献していると言える? 情報をちまちま流すことによって各国から金を吸い上げておのれのふところに入れている大司のアカヤや夢見の長ニカナのような惰眠派と、赤の界の平和と言いつつ、そのじつ、権謀術数で自分の支配欲を満たしたいだけのトリンダたち暴走派。そんな連中しかいない夢見の部のせいで、名もなき神の威光は地に落ちた。夢見の部は腐りきっている。これが今の夢見の部の実情よ』


 大司や長まで平然と切り捨てるレイカに、ユズリハはどぎまぎした。


 レイカはユズリハの思惑など気にせずに続けた。『ユズ、私がここに来たのは、名もなき神が名を持っていた時代、つまり大災厄以前の時代を夢で見たかったから。名もなき神の言葉を直接聞きたかったから。名もなき神がどうしてこの世界を作ったのか知りたかったから。英雄王も含めその時の神々や人々が、何を考え生きていたのか。そんなことが知りたかったからよ。それなのに今の夢見の部で、古い夢をみることはないがしろにされている。理由はただひとつ。そんな夢を見ても金にならないからよ。それにあの人たちにとっては、名もなき神なんてどうでもいいのよ。一番偉いのは自分たちであって、名もなき神はただの枕詞まくらことばにすぎないのよ。あの連中は自分たちの金儲けのために名もなき神を利用しているだけなのよ』


 レイカの怒りは収まることがなかったが、一方ではユズリハのことを心配していた。


『ユズ、私がいなくなった後、あなたひとりで大丈夫?』

『コウヤもいるから…』

『でも、コウヤは夢見の部じゃないから。おまけにあの超直情男に何か愚痴ったら、夢見の部に竜の攻撃をしかけかねないわよ』冗談交じりにレイカは言った。


 ユズリハはそれを否定することができず、ため息をついた。

 そして今、再びユズリハはため息をついていた。


(このことをコウヤに話すべきかしら?)


 彼女はすぐにそれを否定した。(駄目よ。そんなことをしたら、コウヤは激怒して、夢見の部と炎の部の全面対決にもなりかねない。聖竜の神山が分裂してしまうかもしれない)


(でも、このまま放置したら…)


『超直情男』

 コウヤを評したレイカの言葉を思い出して、思わず笑みがこぼれた。笑っている場合ではないのだが、言い得て妙だ。彼のそんなところをユズリハは愛していたが、愛があっても問題が解決するわけではなかった。


 ふとユズリハは思い出した。その『超直情男』の対極の人物のことを。しかもその人物を、ユズリハは聖竜の神山でもっとも信頼していた。彼女ならばなんとかできるかもしれない。それが無理でも、少なくともユズリハひとりで抱え込むより、あの大知恵者の助言を受けたほうが良い。それに、その日は偶然お茶に誘われていた。


(偶然? いや、偶然ではない。エシュリン様も…)

 ユズリハはそのことに気づいて身震いした。





 ユズリハは一旦自宅に引き返した後、すぐに政の部本部にあるエシュリンの部屋を訪ねた。エシュリンは何事もないように微笑んでユズリハを迎えた。部屋の片隅にある来客用のテーブルの前に腰を下ろし、手ずからお茶を入れてくれる。ユズリハも持参した手作りの茶菓子をテーブルの上に並べた。


 一呼吸おいてから、エシュリンは静かに言った。「やはりスオウミのグレン国王は亡くなっていたみたいね」


「そうなのですか?」


 一国の王の死は、部全体で共有されなければならない重大な出来事なのに、夢見の部でそのような話をユズリハはまったく聞いていなかった。


 ユズリハの当惑ぶりを見つめながらエシュリンは続けた。「やはり聞いていないのね」


「でも、エシュリン様のところには報告があったのですね?」

「あったわ。政の部の情報局からね。夢見からではないわ」


 ユズリハは咄嗟とっさに何と言ってよいのかわからなかった。そのことを自分の非であるかのように感じた。「情報局で調べたのですか? でも、どうやって?」

「『夢』で調べたのよ」


「夢? でも…」


「ここだけの話だけどね、最近、情報局で夢見のできる者に夢見を担当させることにしたの。とはいえ残念なことに、神山で強い夢見の力を持っている者はほとんど全員夢見の部に属している。例外はコウヤぐらいかしら? でも、コウヤは炎の部だしね。だから、それほど多くのことができるわけではないけれど、何もしないで手をこまねいているより、はるかにましですからね」


 ユズリハは言葉に詰まった。例の話を切り出すべきだと思ったが、何から話すか迷っているうちにエシュリンは話題を変えた。


「ところで最近、クレナの様子はどう? 父親のことを話しても大丈夫かしら


「大丈夫だと思います。時折、グレン国王のことを思い出して泣いたりしていますが…。でも、覚悟はしていると思います。それに、私の家で一緒に暮らさないか勧めたのですが、ひとりで大丈夫だと言っていました。あの子は顔も性格もレイカにはまったく似ていませんけど、芯の強いところは、レイカに良く似ているように思います」


「似ているのは、それだけではないわね」


 ユズリハはエシュリンが何を言いたいのかわかっていた。「そうですね。レイカと同じぐらい強い聖霊力を持っています。どうやら夢見の力のようです」


「あの子は、この先どうするつもりか、何か言っている?」

「いいえ、タツトが良くなったら、二人で相談して決めるとは言っていますが。エシュリン様には何かお考えがあるのですか?」


 エシュリンはゆっくりお茶を飲みながら答えた。「常識的に考えれば、あの子たちはレイカの兄で北砂諸島イエエトの首長、タクト・ロウアンのところに身を寄せるべきでしょうね。北砂諸島ならばキルドランでも手も足も出ない上、国の規模でもイエエトはスオウミより格段に上。でも、こちらの都合を言うのならば、クレナにはここに残って欲しいわ。あれだけの力を持った子は滅多にいないから」


「そうですね。でも…」

「そう、わかっている。クレナはタツトとは離れない。そして、タツトはここには残らないでしょう。ということは、クレナもここには残らない」

「そうですね」


 エシュリンはユズリハを探るように見つめた。「ねえ、ユズリハ。奇妙だと思わない? レイカの息子でありながら、どうしてタツトには全然聖霊力がないのかしら? 母親があれほど強力な力を持っていれば、普通は子供も少しは聖霊力を持っているはず。でも、まったく聖霊力がないという話は、私は今まで聞いたことがないわ」


「そうですね…」とお茶をにごしたものの、ユズリハには心当たりがあった。レイカから以前聞いた秘密。ユズリハはエシュリンを信用していたが、だからといって、レイカが自分に打ち明けてくれた秘密をエシュリンに話すつもりはなかった。代わりに「タツトをここに引き留めることはできないのでしょうか」と言った。


「あの子が凡庸な子だったら、それもありかもしれないけど。でも、ユズリハ。あの子を見てどう思う? あの子は普通の十二歳ではないわ。あの子にレイカのような聖霊力があったら、将来間違いなく大司になるでしょう。でも、聖霊力がなければ、ここでは司にさえなれない。しかも、あの子はその意味を理解している。そんな場所に、あの子が留まると思う?」


「そうですね…」ユズリハには返す言葉がなかった。


「まあ、なるようにしかならないわね。それに長い目で見て、ここに残ることが良いことなのかもわからないわ。特に夢見にはね」エシュリンは視線をあげた。「ユズリハ、そうは思わない?」


 ユズリハはどきっとした。(やっぱり、あのことだ。エシュリン様も気づいている。だから私を呼んだのだわ)


 ユズリハは覚悟を決めた。「エシュリン様、ご相談したいことがあります」


「そう。話は長くなりそうね。お茶をもう一杯いただきましょうか」

 エシュリンはそう言って、二杯目の茶を器に注いだ。

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