第10話 聖霊の力 その3
次の日、ヴェルが診療所にカイルを見舞うと、彼は仰向けになって本を読んでいた。彼女が病室に入って行くと、目だけ動かして彼女を見た。「やあ、姉さん」
ヴェルは窓の側にあった椅子をカイルの枕元近くに運び、それに腰を下ろした。
「その本どうしたの?」ヴェルは尋ねた。
水晶宮で暮らしていた頃のカイルは、時間があれば本を読んでいた。だが、聖竜の神山に来てからというもの、彼が本を読んでいる姿をヴェルは見たことが無かった。
「サダク先生がね、それほど長い時間じゃなければ、本を読んでもいいって。だから、癒しの部の候補生の人に頼んで、大書庫から借りてきてもらったんだ」
「何の本なの?」
「竜の生態について書かれた本だよ。さすがにここは、竜の本がたくさんあるね。当然と言えば当然だけど。ところで何か話があるんじゃない?」
実のところ、ヴェルは前日のユズリハとのやり取りを話したくて、うずうずしていた。すぐに話し始めた。「実はね、昨日、ユズリハ様と夢の話をしたの」
「夢の話? 夢見の話ではなくて?」
「夢の話よ。ユズリハ様はね、私の夢には、何か意味があるのかもしれないって、おっしゃるの。勉強すれば、その意味がわかるかもしれないって」
「夢の意味…」
「そうよ。私の夢って、とても変でしょう? でもね、変な夢でも、聖霊が何か伝えようとしているのかもしれないって。それが夢の意味なんですって。私はそこまで難しくは考えていないけど。でも、夢の中で何を言っているかぐらいは分かりたいかなと思って」
カイルはそれまでも決して彼女の夢を馬鹿にしたりはしなかったが、ヴェルは見た夢をすべて彼に話しているわけではなかった。特に、彼にそっくりな青年と金色の竜の夢については、まったく話していなかった。自分の心の内を明かしてしまいそうで、少し恥ずかしかったから。
「ふーん」
彼の表情からはヴェルは何も読み取れなかった。彼女は少し不安になった。「どう思う?」
彼は淡々と答えた。「ユズがそう言うのならば、その通りなんじゃないかな」
「でもタツト。あなたはそう思っていないみたい」ヴェルは感じたままを口にした。
カイルは苦笑した。「そんなことはないよ。ただね、少し意外だったんだ」
「意外って何が?」
「ユズが、そんな話を君にしたことが」
「どうして意外なの?」
カイルは起き上がろうとした。ヴェルは慌てて枕を彼の背に当ててやった。
「つまりね、君をいわゆる夢見に誘わなかったことが、少し意外だったんだよ」
「意味がさっぱりわからないわ」
カイルは少しゆっくりとヴェルに尋ねた。「ねえ、クレナ。どうしてここが、神山と呼ばれているのかわかる?」
カイルが突然話題を変えたので、ヴェルは戸惑った。「わからないわ」
「では、神山の神とは何を指すか、わかる?」
「もちろん、名もなき神でしょう?」
「そうだね。では、神の山と聞くと、どんなことを想像する?」
「神様がそこにいるような気がするわ。いなかったとしても、神様にとても近い場所」
「その通りだよ。それでは、どうして聖竜の神山を作った人たちは、自分たちのいる場所が、名もなき神に近い場所だと考えたのだろう?」
「そんなこと、わからないわ」
「その答えが、おそらく彼らが持っていた夢見の力なのだよ。今でこそ、その力は他の目的にばかり使われているけど、本来はね、大災厄が起きる前、名もなき神が名を持ち、この世界に存在していた時の姿を見るためのものだったのだよ」
「え、そうなの? でも、名もなき神の姿が見えるなんて、すごいじゃない?」
「そうだろう? 姿が見えるだけではなく、神が何を言ったかも聞くことができるんだ。だから神山を作った人たちは、自分たちが特別な存在だと思った。自分たちには神の言葉を人々に伝える役目があり、自分たちが神の代弁者だと考えたのだよ。今でも神山の、特に夢見の部の人たちは、そう考えているらしい。それもあるから、神山で一番力を持っているのは夢見の部なのだろう。大司はこのところ夢見の部からしか出ていないし、表向きはともかく、神山の実権は夢見の部が握っているのだからね」
カイルの話の後半は、ヴェルにはどうでもよいことだった。ただ、大災厄の前にはいたとされる名もなき神の姿を見たり、声が聞けたりするのだとしたら、それはなんとすごいことなのだろうとだけ考えていた。「では、ユズリハ様も、名もなき神の声が聞けるの? 夢見の司という人たちは、みんなそうなの?」
カイルは少し考えた。「多分できないだろうね」
「どうして?」
カイルは少し意地悪な顔つきで答えた。「大災厄は今から五千年くらい前に起きたと言われているからね。そんな昔のことを夢で見るのは、とても難しいらしいよ」
「でも、以前はできたのでしょう?」
彼は噛んで含めるように説明した。「だって、クレナ。聖竜の神山が出来た頃は、大災厄自体がそれほど昔のことではなかったのだよ。百年前とか、長くてもせいぜい数百年前とか。それでも、それを夢で見るのは簡単ではないだろうけどね。でも数千年前のことを夢で見るよりは、はるかに簡単だろう?」
「それはそうかもしれないけど。でも、神の声が聞けないのならば、ここを神山というのはおかしいんじゃない?」
「それを言ってしまったら、身も
「では、もう名もなき神の声が聞けないのならば、夢見の部は何をしているの?」
「諜報活動かな?」
「何、それ?」
「赤の界の国々を、いろいろ調べるのさ。
「そんなこと、本当にできるの?」
「力がある夢見の司だったら、できるんじゃないかな。だって、秘密の会合を夢でのぞき見れば、悪巧みをしていることがわかるだろう?」
「そんなものまで夢で見ることが、できるの?」
「ある程度はできるんじゃないかな。でも、どこまでできるか、僕にはわからない。今度ユズに訊いてみるといいかもしれないね」
「でも、全部でないにしても、いろいろ見ることができたら、すごいわよね」
「見られる方は、たまったものじゃないけどね」
ヴェルはふと引っかかった。(悪巧みしている国があるか調べているのだったら、どうしてキルドランのことがわからなかったのかしら? 夢見の司たちは、気づかなかったのかしら?)
「どうしたの?」
カイルの声にヴェルは我に返った。「ううん、何でもない」
「それでね、話を最初に戻すと…」と彼は言った。最初に何を話していたか忘れてしまった頃に再びそこに戻ることは、彼と話しているとよくあった。ヴェルと違って彼は、意味なくだらだらと話すことは無かった。
カイルは続けた。「何が僕にとって意外だったかと言うと…、ユズが今の夢見の部で行っている夢見ではなく、本来の夢見を君に勧めたことなんだよ。古い時代に起きた何かについて、聖霊が今の僕たちに伝えようとしている。それを探求しようというのが、本来の夢見なんだよ。そして、ユズはそれを君に勧めた。でも、それは嬉しい驚きだった。やっぱり彼女も、母上と同じようなことを考えているんだと思ってね」
言っていることは殆ど理解できなかったが、カイルがユズリハを誉めているように思えてヴェルも大満足だった。「では、ユズリハ様の勧めるように色々勉強するのはどうかしら?」
「とっても良いことだと思うよ」
その答えにもヴェルは大満足だった。
一方、彼は少し疲れているようだった。「少し疲れたな。本を読み過ぎたのかもしれない」
「そうよ、あんまり読み過ぎると、サダク先生に取り上げられてしまうわよ」
「それは困るな。クレナ、僕は少し休もうと思う。いい?」
「もちろんよ。あなたが眠るまで私はここにいるわ」
彼は
(ということは、カイルには聖霊力がないのだわ)
そのことがヴェルには意外だった。(なんで姉弟なのに、カイルは聖霊力を持っていないの?)
だが、すぐに気がついた。(だって同じ母親から生まれたのに、カイルは母上にそっくりだけど、私は全然似ていないじゃない。それと同じことなのでは?)
(そうよ。この上カイルに聖霊力があったらどうなるの? 頭も良くて、美しくて、その上聖霊力もある? そんなのずるいわよ。いいところの独り占めじゃない。私にだって、ひとつぐらいカイルよりできることが、なくっちゃね)
いつの間にか、カイルは静かな寝息を立てていた。ヴェルはカイルの額にそっとキスをしてから病室を後にした。
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