第9話 聖霊の力 その2
その日のカイルの話の大半は、ヴェルにとってどうでも良いことだったが、唯一引っかかったことは魔法の力だった。カイルはそれを聖霊の力と言っていたが、呼び名なんてどうでも良かった。ユズリハが魔法の力を持っているなんて、すごいことだとヴェルは考えた。エシュリンだって、その一人なのだ。そう考えると、神山にいる誰もがすごい人のように思えてきた。
次の日、いつも通りユズリハが手作りの菓子を持って訪ねて来てくれた時、ヴェルは思い切って尋ねてみた。「ユズリハ様は魔法が使えるのですか?」
「魔法?」ユズリハは驚いて、菓子を切り分けようとしていた手を止めた。「魔法なんて使えませんよ。誰がそんなことを言ったの?」
「カイ…、いえ、タツトがそう言いました」
「タツトが?」ユズリハは小首を傾げた。「魔法の力ではなく、聖霊の力って彼は言ってなかった?」
「あ、そうです。それです」
ユズリハは微笑んだ。「聖霊の力という事ならば、確かに私にもありますけどね。でもそんなに特別なことではありませんよ。あなたのお母様にもその力はあったし、あなたにだってあるのだから」
そういえば、カイルも前日にそんなことを言っていたなとヴェルは思い出した。ヴェルは恐る恐る尋ねた。「それって、赤い竜が私たちを助けてくれたからですか? 私が赤い竜を呼んだかもしれないからですか?」
「もちろん、それもあるけれど、そうでなくてもあなたを見ればわかりますよ」
「見ればわかる?」
「ええ。あなたの背後は赤く光っていますからね。そう見える人は、聖霊の力を持っているのですよ」
「あ!」
「どうしたの?」
「だからユズリハ様やエシュリン様の後ろも光って見えたのだわ。でも他の人たちは…」
「強い力を持つ人であればあるほど、明るく光ると言われているのよ。神山にも色々な人がいますからね。全員が強い聖霊力を持っているわけではありません。それに私やエシュリン様の背後が光って見えること自体が、あなたに聖霊力がある証拠なのですよ。普通の人にはそのようなものは見えないのですからね」
「でもユズリハ様。私、魔法は使えないのですけど?」
「魔法ではありません。聖霊の力です」ユズリハは優しく訂正した。「でも、まだあなたのお母様が生きていた頃、彼女から聞いたことがあるわ。あなたはとても不思議な夢を見るそうね。おそらく、あなたには夢見の力があるのだわ」
「夢見の力?」
「ええ。過去に起きたことを夢で見る力のことよ」
「それが聖霊の力なのですか?」
「そうよ。闇の聖霊力とも言われているわ。そして、光の聖霊力が癒しの力なのよ。例えば癒しの長のサダクは、現在の神山でもっとも強い光の聖霊力を持っている一人でしょう。彼は、今まであなたが知っている普通の医術師とは違う方法で、患者を治すこともできるのですよ」
「そうなんですか?」
「そうよ。だからこそ、彼はタツトを助けられたのかもしれません。名もなき神に感謝しなければなりませんね」
「でも、不思議な夢を見るからというだけで、自分に聖霊の力があるなんて信じられません。だって、私が見る夢はお芝居みたいなのです。それなのに、登場人物が何を言っているか、さっぱりわからないのです」
「どんな夢を見るの?」ユズリハはさりげなく尋ねた。
ヴェルは答えに
あの夜だけでなく、幼い頃からヴェルは不思議な夢を見た。自分ではそれを不思議とは思っていなかったが、見た夢の内容を人に話すと、返ってくる反応は微妙なものばかりだった。王女である彼女に、あからさまに変な夢だと評する人間はいなかったが、その表情をみれば自分の夢が普通でないということは彼女にもわかった。
「変な夢ばかりです」とヴェルは答えた。
「どうして変だと思うの?」
「出てくる人がおかしいんです。髪の色も赤ではないし…。私の夢の中では、黒や金、青い髪の人が出てきたりします。見たこともない奇妙な場所にその人たちはいて、聞いたこともない言葉を話しているのです。竜も出て来て、それと戦う人までいたりするのです」
ユズリハはヴェルの言葉を真剣に聞いていた。何か考えながらゆっくり言った。「そうね、確かに普通の夢ではないかもしれませんね。ひょっとしたら、あなたの夢には、あなたが考えている以上に深い意味があるのかもしれないわ」
「深い意味? 夢に意味があるのですか? 見たままではないのですか?」
「確かに、普通の夢は見た通りのものでしかないわ。でも、夢見で見る夢、特に夢のほうからやってくる夢は、それにより聖霊が何かを私たちに伝えようとしているとも考えられているのよ」
「何を伝えるというのです?」
「それが夢の意味ということなのよ。探ろうとしても簡単にはわからないことのほうが多いし、そもそも色々な知識が無ければ、夢に現れた場面の状況もわかりませんからね」ユズリハは改めてヴェルに視線を向けると言葉を続けた。「ここにいる間だけでも、夢の勉強をしてみますか?」
「夢の勉強?」
「ええ。あなたの見た夢がいつの時代のどのような出来事の場面なのか。それにより聖霊は何をあなたに伝えようとしているのか。それを知るためには、色々な知識が必要です。それを勉強してみますか?」
「やってみます」ヴェルは反射的に答えていた。
自分の夢は、壮大な物語のようだとヴェルはいつも感じていた。その一場面が切り取られて、夢として現れるような気がしていた。それは野外劇場で芝居を見ているのと似ていた。だがその演目は、演じられる場面の順番も滅茶苦茶ならば、同じ内容が繰り返されたり、あるいは肝心な場面が抜け落ちていたりした。ユズリハの言う『夢の意味』をヴェルは正確には理解していなかったが、自分の夢がどのような物語なのかは知りたかった。それが無理でも、少なくとも登場人物の会話ぐらいは理解したかった。
ユズリハは微笑んだ。「短い時間では難しいかもしれませんが、出来る限り頑張ってみましょう」
ヴェルは少しドキッとした。「頑張らなければ…、駄目なのですか?」
「そうね。ひとことで夢の意味を知ると言っても、それがいつの時代のどこの国の出来事かということも、簡単にはわかりません。それを知るだけでも、多くの知識が必要なのですよ。たとえば、戸外ならば風景の特徴、見える建物。室内ならばどのような家具や装飾品があるのか。人物が出てくるのならば、どの地域、どの時代の服装なのか。またどの国の言語、あるいはどの時代の言語を話しているのか。こういったことすべてが分からないと、夢があなたに伝えようとしていることの意味はわからないのですよ」
ユズリハが何を言いたいのか、ヴェルにもわかってきた。「夢の中の人々が話す言葉がわからないということは…」
「もちろん、それがあなたの知らない外国の言葉だという可能性もあります。でも、そうではなく、既に使われなくなった古い時代の言葉の可能性もあるのですよ」
「使われなくなった古い時代の言葉…」
その響きはヴェルをワクワクさせた。(私が見ていた夢は、古い時代のものなのかもしれない…)
ユズリハは続けた。「そういった古い時代の言葉を知らないと、夢で語られている古い時代のことは理解できない。だから、古い時代の言葉を勉強する必要が出てくるのです。他にも、勉強しなければならないことはたくさんあるのですよ」
「勉強…」
カイルと違ってヴェルはコツコツ努力することは苦手だった。だが、その苦手意識以上に、自分の夢を理解したいという気持ちが強かった。しかも、聖竜の神山では舞踏会も晩餐会も園遊会も何もなく、ヴェルには持て余すほどの時間があった。
「わかりました。ここにいる間、やってみます」ヴェルは即決した。
ユズリハはにっこりした。「それがいいわ。それでは、まず手始めに、覚えている夢の記録を全部作ってみましょう」
「全部ですか?」ヴェルはぎょっとした。
「ええ、全部です。それから、毎日見た夢の詳細を記録しましょうね。結構時間がかかりますが、頑張ってやってくださいね。それができたら、これから何を勉強すれば良いか、決めて行きましょう。そうそう、紙や筆記用具を後で誰かに持ってこさせましょうね」 ユズリハはどことなく、嬉しそうだった。
なにやらたくさん作業がありそうで、ヴェルは少し不安になった。しかし、少しでも夢の意味がわかるのならば、努力する価値は十分あるだろう。ユズリハが勧める通りにしてみようと、ヴェルは心を決めた。
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