第8話 聖霊の力 その1

 世界は聖霊で満たされているとされている。しかし、聖霊を見た者は誰もいない。そのため、聖霊は存在しないと考えている人たちも少なくない。一方、聖霊の存在を信じている人々は、その証拠として聖霊の力を上げることが多い。聖霊の力 ― 聖霊力と呼ばれることもある ― は、ある種の超常現象を引き起こす力だが、聖霊が存在するからこそ、その力が使えるというのである。


 聖霊が実在するかはともかく、聖霊力は間違いなく存在している。その力を使える者が稀にしかいないとしても、確かに存在しているのである。聖霊力には二種類あり、慣習により光の力、闇の力と呼ばれることが多い。


 光の聖霊力を持つ者は人を癒すことが出来る。このことから、この力は『癒しの力』と呼ばれることもある。この力は、怪我よりも病に対して効力を発揮すると言われている。この聖霊力が強ければ強いほど、通常の医療では治すのが困難な病を治療することが出来る。


 闇の聖霊力を持つ者は、過去に起きた事象を夢として見ることが出来る。この力は『夢見の力』と呼ばれることもある。とはいえ、この力を持っていても、過去を自在に夢で見られるわけではない。数千年前のことを知ることは不可能に近いし、最近のことであっても、望む場面を夢で見ることは容易ではない。このため…(中略)…


 不思議なことに、『癒し』の力は男が持っていることが多く、『夢見』の力を持つ者は女に多い。ごく稀に両方の力を持っている者もいるが、そのような人物はまず間違いなく桁外れに強い聖霊の力を持っている。


                      『キメポロフ 聖霊の力とは』より




 聖竜の神山に来てからというもの、ヴェルの日課は、彼女が暮らしている客人用の宿舎からカイルが入院している診療所に通うことだった。初めのうちは、訪ねて行っても彼は眠っていることが多く、ヴェルはすぐに病室を追い出されていた。だが、カイルが目覚めている時間が長くなるにつれ、疲れさせないことを条件に、癒しの長は少しずつ長くヴェルの滞在を許してくれるようになった。


 これから先どうするか、ヴェルはカイルと相談したかったが、診療所の病室は薄い壁で仕切られているだけで、話声は隣室に筒抜けだった。日頃そういったことに無頓着なヴェルでさえ、自重して当たり障りのない会話しかできなかった。それでも彼と話せることはヴェルの大きな慰めだった。


 その日、ヴェルがカイルの病室の前まで来ると、カイルではない声が中から聞こえてきた。「ちゃんと食べないと元気になれない。いつまでも自分の体で血が作れないぞ」


 癒しの長サダクの声だった。ヴェルにとってサダクの第一印象はあまり良くなかったが、彼がユズリハの言う通りの人物であることはすぐに分かった。何よりも、他者と距離を置きがちなカイルが、どういうわけかサダクをとても気に入っているのだった。


 カイルの声が聞こえた。「ごめんなさい」


「私に謝ることは無いさ。でも、あまり竜の血ばかり体にいれていると、竜になってしまうぞ。そうなったら困るだろう?」

「竜になれるのだったら、そのほうがいいです」カイルはぽつりと答えた。


「本当にそうかな? 人としての楽しみもなくなるぞ。おいしいものも食べられない。可愛い女の子とも遊べない。それでもいいのかい?」

「でも、竜になったら空を飛べる。それに数千年も生きられる。ずっと赤の界を見守れる。可愛い女の子がいたら、その子に召喚してもらえばいいんです」

「やれやれ、そうきたか。だが、今のままじゃ竜になってもやせっぽちだ。そんなんじゃ、女の子を乗せて空を飛べないぞ。二人で真っ逆さまに地面に激突だ。さあ頑張ってもう一口食べるんだ」


 男二人が、女の子の話をしていることにカチンと来て、ヴェルは少し乱暴に戸を開けた。二人は同時に振り返った。


「やあ、クレナ」癒しの長はにっこりした。「ちょうど良いところへ来てくれた。君がいればタツトも食べてくれるからね。怪我は治ったのに診療所で餓死された、なんてことになったら、目も当てられないからな」


 癒しの長は椅子から立ち上がるとカイルに念を押した。「早く退院したければ、全部残さず食べるんだよ」


 癒しの長が出て行ったのを確認してから、ヴェルはカイルの横に腰を下ろした。寝台の上には小さな机が乗せられていて、その上には殆ど手を付けられていない食事が残されていた。


「美味しくないの?」ヴェルは尋ねた。

「そういう訳じゃないのだけど…。あまり食べ慣れていない味だから…」

「食べさせてあげようか?」

「大丈夫。一人で食べられる」


 カイルは少しずつ食べ物を口に運んだ。その表情だけ見ていると、彼が砂を食べているのではと疑うほどだった。ヴェルには美味しく感じられる神山の食事が、カイルにはまったく口に合わないらしい。


「ユズリハ様に頼んで、何か作ってもらおうか? ユズリハ様は料理がとても上手だし、お願いすれば何でも作ってくださるのよ」ヴェルは提案した。


 それまでにヴェルは何度も、王宮で食べていた食事と似たものを、ユズリハに作ってもらっていた。


 カイルは驚いてヴェルを見た。「駄目だよ、そんなの」


「どうして? ユズリハ様はいつも言ってくださるのよ。母上に代って、私たちには出来ることは何でもしてあげたいって」


 カイルはため息交じりに言った。「クレナ。君は全然分かっていないね。彼女の地位も立場も」


「地位?」

「そうだよ。ユズは夢見第四の司だ。それが何を意味するか、わかっている?」


 少し考えてからヴェルは答えた。「ユズリハ様が偉いという事?」


「そうだよ」


 エシュリンが偉いということはヴェルにもわかっていたが、ユズリハが偉いという実感はまったく湧かなかった。


 カイルは眉間に少ししわを寄せてヴェルを見た。そういう時の彼は、彼女に呆れているのだった。「そもそも、君はここがどういう場所かわかっている?」


「聖竜の神山よ」ヴェルは最近ようやくすらすら言えるようになった名前を口にした。


「その通りだよ。でもそれは単なる名前だ。僕が聞いているのは、ここがどういう場所かという事だよ」

「えっとね。ここは竜護国ルーベルニアの都に当たるのよ。城塞が山の上に築かれているから、聖竜の神山と呼ばれているの」

「それも間違っていない。でも聖竜の神山には他の意味もあるんだよ。それはね、ルーベルニアの支配層を指しているんだ」


「支配層? 何それ?」

「支配層とは、文字通りその国を実質支配する人々のことだよ。多くの国では国王がその筆頭で貴族がそれに続く」

「つまり、ユズリハ様はルーベルニアの貴族という事?」

「厳密には違うけど、ここをスオウミと置き換えるならそう考えて問題ない」

「それなら、少し分かる気がする」


 カイルは満足したように頷くと説明を続けた。「これからのために少し説明しておくと、ルーベルニアの支配層は普通の国とはまったく違うんだ。何よりも、聖霊の力を持っていない者は支配層にはなれない」


「聖霊の力?」

「そう。夢見の力か癒しの力のどちらかを持っていなければならない」

「何それ?」

「それを詳しく説明していると話が長くなりすぎるから、またの機会にしよう。とにかく聖霊の力を持っていないと神山のつかさにはなれない。司だけでなく、神山にいる多くの人々が多かれ少なかれ聖霊の力を持っている」


「それって、魔法の力みたいなもの?」

 カイルは少し呆れながら答えた。「魔法ではないよ。でも全然違うとも言えない」

「ということはユズリハ様も魔法のような力が使えるの? ここには魔法使いがたくさんいるの?」ヴェルは少しワクワクしながら尋ねた。


「魔法ではなく聖霊の力だよ」カイルは訂正した。「ユズは夢見の力を持っているはずだ」

「夢見?」


「そう。そのことについては、時間がある時にユズに直接教えて貰えばいい。話を戻すと、聖竜の神山には五つの部があるんだ。一つはこの診療所も属している『癒しの部』、一つはユズが属している『夢見の部』、あとエシュリンが属している『まつりごと部』、それから学舎や研究部門を統括している『学びの部』、普通の国ならば軍にあたる『炎の部』、この五つの部から聖竜の神山は構成されている」


「そういえば、エシュリン様は、自分が政のおさだと言っていたわ」

「彼女が政の部のトップということだよ。そして、五つの部にはすべて長がいる」

「長は五人いるというわけね。その中で誰が一番偉いの?」

「実際はともかく、表向きはそこに序列はない。代わりに大司おおつかさがいる。大司が聖竜の神山のトップという訳だ」

「その人が王様なの?」


 カイルは少し微笑んだ。「現状ではそう思って良いのだろうね」

「現状ではってことは、そうでない場合もあるの?」

「うん、大司は王ではない。聖竜の神山がみずからの王と認めるのは、唯一、竜王の召喚者だけだ」

「竜王の召喚者? それって竜王を呼んだ人ってこと?」

「そういうことだね。だが、竜は呼べば必ず来るというものではない。特に長い年月を生きている竜ほど召喚するのは難しいらしい」


 赤い竜をヴェルが呼んだのかとエシュリンにやたら尋ねられたことをヴェルは思い出してつぶやいた。「呼んだら竜が来たというだけのことが、そんなに意味があるの…」


「普通の人にとっては意味がないことかもしれない。でも、神山では竜を召喚できるかどうかはとても重要なんだよ。それにより、自分が上に行けるかどうか決まるのだからね。特に長い年月を生きている竜を召喚できればね、上に行けることが確実になる」


「竜王って長い年月を生きているの?」

「世界に一番初めに誕生した竜が竜王だと言われているからね」

「ということは、一番の長生きしている竜なのね」

「そういうことになるね」

「カイ…、いえタツト。さっきの言い方だと、今、竜王は召喚されていないということなのね?」


「その通りだよ。それどころか、『大災厄』以降五千年の間に竜王が召喚されたのはたったの一回らしい」

「五千年の間にたった一回?」

「そういうこと。だから、その召喚者を神山では真の王と呼ぶ」

「でも、どうして竜王は滅多に召喚されないの?」


「その理由を僕は知らない。きちんと根拠を示して説明できる人は、おそらくどこにもいないと思うよ」

「へええ」


「話を神山の組織に戻そう。現在の神山の最高位は『大司』で、その下の各部の長がいる。その下が司、使い手、候補生その他と続く。学舎を修了した訓練生が候補生となり、候補生を修了した者の中で竜を召喚している者が使い手と呼ばれ、さらに使い手の中で優秀な者が司になることができる。司は序列化されており、第一の司がその部の長となる。この序列化は基本的には聖霊力の強さで行われる。特に癒しの部と夢見の部でね」


「聖霊力が強い人が偉くなれるという事?」

「そういうことだね」

「では、大司は聖竜の神山の中で一番聖霊力が強い人なの?」


 カイルはニヤリとした。「不思議なことに、そこだけは違うんだ。大司は選挙で選ばれる。そして、すべての部の司たちが被選挙権と選挙権を持っている。だから歴史上何度も、長からではなく、それより序列が下の司が大司に選ばれているんだ」


 ヴェルはだんだん頭がこんがらがってきた。「何だか良くわからないわ。でも、私には関係ないから、どうでもいいけど」


 カイルはまっすぐヴェルを見た。「僕には関係ない。でも、君には関係あるかもしれないよ」


 ヴェルは驚いた。「私に関係ある? どうして?」


「だって、君には聖霊力があるから」

「え?」ヴェルはまじまじとカイルを見つめた。「私に魔法が使えないことは、あなただって知っているでしょう?」

「でも、君は竜を召喚したのだろう? それも、母上が召喚していた赤の七聖竜を。それがどれだけすごいことなのか、君にはわかっていないようだけど。君には間違いなく聖霊の力がある。母上と同じような強い聖霊の力が」


 カイルの瞳が、いつになくきらめいたようにヴェルには感じられた。「仮にそうだとしても、やっぱり私には関係ないわ。だって、私たちはいずれここを出て行くのだから…。ここがどんな場所であろうと全然関係ないわ」


 カイルは淡々と言った。「確かに僕たちには関係ないのかもしれない。でも、だからこそ、僕たちのつまらない用事でユズをわずらわせてはいけないということなんだよ。夢見の第四の司であるユズの地位がどれほど高いのか、君にも少しはわかっただろう? 彼女が次の選挙で大司に選ばれる可能性だって十分あるんだ」


 その説明はヴェルには理解しやすかった。(ユズリハ様は次の王様に選ばれる可能性があるぐらい偉いってカイルは言いたいんだ)


「それについては、とてもよく分かったわ」とヴェルは言った。「だから、ユズリハ様につまらないことを頼んだりしてはいけないということね。でも、それならば、あなたもサダク先生や私が心配しないぐらいきちんと食べなければ駄目よ」

 自分の言葉が最終的に自分に跳ね返って来て、カイルはしかめ面をしながら答えた。「うん、僕も頑張るよ」

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