第5話 竜護国 その1

 現在竜護国ルーベルニアと呼ばれている国の起源は、五千年前の大災厄以前にまでさかのぼるとされる。竜を召喚した人々が、オゾ山のふもとに作った小さな集落がその始まりだった。


 大災厄と呼ばれる恐ろしい時代を経ても、その集落は存続していた。歴史上、唯一赤の界を統一していたエリュトニア王国が滅びても、まだその集落は存在していた。少しずつ大きくなっていき、いつの頃からか、竜の里と呼ばれるようになった。


 竜の里には、赤の界全土から聖霊の力を持つ人々が集まっていた。病をいやしたり、人の過去を言い当てたりする彼らの聖霊の力は、それを持たない人々から、時として怖れられ忌み嫌われた。場合によっては、大災厄そのものが彼らのせいにされることもあった。生まれ故郷で迫害にあい、行き場を失った人々の多くが、竜の里に逃れてきたのである。


 竜の里が竜護国ルーベルニアと呼ばれるようになった頃には、赤の界は多数の国々に分裂し、いたるところで戦争が起きていた。その戦乱の時代にあっても、ルーベルニアは平和を守り続けていた。彼らには竜がいたからである。竜は自ら攻撃をしかけることはないが、召喚者が襲われれば、その炎で敵から召喚者を守った。その事実が広く知られていなかった頃は、近隣の国がルーベルニアに攻め込もうとしたこともあったが、竜が守っているルーベルニアは無敵であり、侵略者たちは常に撤退を余儀なくされた。この竜による防御が、のちの聖竜部隊につながり、それと共にルーベルニアを攻撃するという無謀な企てをする国は無くなっていった。


 一方、ルーベルニアが周辺諸国を侵略することも、また他国から侵略されることもないと知った人々が、平和を求めてルーベルニアに集まって来るようになった。竜の召喚者たちは聖竜の神山と呼ぶ城郭都市を築き、自分たちだけではなく集まって来た人々も守った。そしてそれらの人々を統治する機構を少しずつ構築していった。頂点に『大司おおつかさ』がいるものの、それは基本的に竜の召喚者たちによる集団統治であった。ルーベルニアにいれば、圧政にしいたげられることはなく、重い税が課せられることもなかった。平和なだけでなく、豊かに暮らせるという評判もあり、ますます他の地域から人が集まってきた。ルーベルニアは着実に発展し、やがて聖竜の神山の外にも、次々と町ができていった。もちろん、それらの町も竜により守られていたのである。


                      『アエネイス 竜護国ルーベルニアの発展』より



 目を覚ました時、真っ先に目に入ったのは、見慣れない木の柱や白っぽい漆喰しっくいの壁だった。


(これは夢かしら? こんな場所の夢は初めてだわ…)


 ヴェルは、ぼんやり天上を見つめた。次の瞬間彼女は、がばと身を起こした。


(これは夢じゃない! 夢なんかじゃない!)


 すでに夜は明け、周囲は明るくなっていた。ヴェルは昨夜起きたことを思い出した。真っ暗な森の中を逃げ惑ったこと。大怪我をしたカイルを抱きかかえ、キルドラン兵が迫ってくる絶体絶命の時、赤い竜がやってきて助けてくれたこと。そしてその赤い竜は、ヴェルたちを奇妙な場所に連れてきたこと。乱暴そうな大男が、カイルを連れ去ったことも思い出した。その後、エシュリンと名乗った女がヴェルに繰り返し言った言葉も思い出した。『ここは安全です。何の心配もいりません。彼も大丈夫よ。でも怪我をしているから、診療所に連れて行って治療を受けなければね』


(そうだ。カイルは診療所で治療を受けているとエシュリンは言った。診療所があるということは、ここは町なの?)


 ヴェルは改めて室内を見回した。ベッドというにはあまりに粗末で堅い台の上にヴェルは寝ていた。そこにはごわごわした布団が敷かれていて、ヴェルの体の上にも重たく感じる掛け布団が乗っていた。エシュリンにこの部屋に連れてこられて、着替えをしたことも思い出した。


 ヴェルは寝台から降りようとして、自分が昨夜履いていたブーツが無くなっていることに気づいた。それだけでなく、身に着けていたものがすべて無くなっていた。残されていたのは、母からもらったお守りだけだった。エシュリンが着替えさせてくれた服は、ヴェルがそれまで見たことがないほど奇妙なものだった。それが服なのか寝巻なのか、それとも単に布を縫い合わせたものなのか、ヴェルにはわからなかった。


 靴は見当たらなかったものの、木の床はピカピカに磨き上げられていて、見るからに清潔そうだった。ヴェルは素足のまま窓のそばに行き、外の様子をうかがった。窓からは庭園のようなものが見えるだけで、今いる場所がどこなのか手がかりはまったく得られなかった。


(ここはどこなのかしら? これから、どうすればよいの?)


 ヴェルはカイルのことを考えた。(カイルは無事かしら? ああ、カイル。あんなに血が出て、大丈夫なのかしら?)


 昨夜のカイルの状態を考えると、心配の余りどうにかなりそうだった。ヴェルは懸命に自分に言い聞かせた。(悪いことを考えるのは、やめよう。なるようにしか、ならないのだから。それより、今、必要なことは何だろう? カイルがいる診療所の場所を突き止めることだわ。そして、そこへ行くことだわ)


 背後で戸が開く音が聞こえて、ヴェルは振り返った。ヴェルよりは少し年上の少女が二人、短い足がついた盆を持って室内に入って来た。


「朝食をお持ちしました」と、背が高いほうの少女が公用語でヴェルに話しかけた。


盆の上にいろいろな料理が並べられた小皿や鉢が並んでいて、美味しそうな匂いが漂ってきた。二人はてきぱき作業をした。ひとりがそれを低めの机に置き、もうひとりが持ってきていた小ぶりの釜から粥のようなものやスープのような汁ものを少し深めの器に盛ってくれた。


 突然現れた少女たちの手際よい動作をヴェルはまじろぎもせず見ていたが、我に返って尋ねた。「ここはどこですか? 弟はどこにいるのですか?」


 ヴェルに話しかけられて、年長に見える少女が答えた。「ここは聖竜の神山です。あなたの弟さんについては…、私は何も知りません」


 その少女はもうひとりの少女をちらと確認した。そちらの少女もうなずいた。「私もわかりません」


「じゃあ、診療所というのは、どこにあるのですか?」


 少女たちは再び顔を見合わせた。最初に答えたほうの少女が言った。「この宿舎のすぐそばにあります」


「では、そこに案内してください。弟はそこにいるはずです」


 少女は一瞬迷った様子だったが、すぐに落ち着いて答えた。「ごめんさない、私たちがあなたを診療所にご案内することはできません。でも、あなたのご希望は上に伝えますので、朝食を召し上がりながら、少しお待ちいただけますか?」


「上って誰ですか? エシュリン?」ヴェルはたたみ掛けた。

「あなたはエシュリン様をご存じなのですか?」少女たちは驚きを露わにした。


「良く知っているわけではありません。でも、彼女が私をここに連れて来てくれました」少女たちが驚いていることにヴェルは驚き、付け足した。「彼女は偉い人なのですか?」


「エシュリン様は神山のまつりごとおさです。エシュリン様より偉い方は、この神山では大司おおつかさのアカヤ様しかいません」


 ヴェルは昨夜のエシュリンを思い出した。その風体からは偉いようにはまったく見えなかったが、その態度は堂々としていて、どこか威厳があるように感じられた。少女たちが『神山』と呼んでいるこの場所で、エシュリンは二番目に偉いということか? ならば話す相手として不足はないとヴェルは考えた。


「では、エシュリン殿に伝えてください。私が弟に会いたがっていると」

「わかりました。お伝えします」


 少女たちはそう答えると、一礼して部屋を出て行った。二人が部屋を出た後、ヴェルは運ばれてきた朝食を眺めた。それはヴェルがそれまで見たことのない料理だった。


(こんな奇妙なものなんか、食べられないわ)


 その時、腹が鳴った。ヴェルは自分がひどく空腹なことに気づいた。


(そうよ、無理してでも食べなければ。この後、何が起きるかわからない。いつまた、食事ができるかわからないのだから)


 ヴェルは自分に言い訳しつつ、恐る恐る、一番食べやすそうな、芋の料理を口に運んだ。それまで食べたことがない味付けだったが、甘辛くて美味しかった。ヴェルは次の料理に手を出した。盆の上の料理は、どれも素朴な味付けだったが美味だった。最初はおっかなびっくりだったが、気がつけば彼女は夢中になって料理を平らげていた。釜からお代わりの粥と汁を自分でよそい、鉢も皿も舐めたようにきれいに食べつくした。デザートのオレンジに似た果物の皮を手でむき、食べた後は指までしゃぶった。


 自分の行儀の悪さを誰かに注意されそうな気がして、ヴェルは思わず手を止めた。だが、そこには誰もいなかった。ヴェルの立ち振る舞いをいつも注意する教育係のメイサだけでなく、誰一人その部屋にはいなかった。昨夜起きたことをヴェルは改めて思い出した。(メイサはどうしただろう? 他の人たちは? みんな無事に逃げられたのかしら? それとも…?)


 そして、一番大切な人のことを考えた。(父上…。父上はどうしておられるのだろう? ご無事なのかしら?)


 竜の言葉を思い出し、ヴェルは泣き出しそうになった。ヴェルは歯を食いしばって涙をこらえた。(今は考えない。考えてもどうしようもないのだから。泣いてはだめ。泣いても何も良くならないのだから。ああ、カイル。カイルに会いたい。カイルと一緒ならば、なんだって我慢できる)


 しばらくすると、先ほどの少女たちが再び現れた。ヴェルはほっとした。誰かと話していればあれこれ考えずにすんだから。少女はヴェルに尋ねた。「お食事はいかがでしたか? お代わりが必要ならばお持ちしますが」


「いえ、もう結構です。とてもおいしかったです」王女にあるまじき自らの食欲を少し恥ずかしく思いながら、ヴェルは礼を言った。


 少女たちはにっこりした。ひとりは片づけを、もうひとりは手早く熱い茶を入れてくれた。「あなたのご要望は、エシュリン様に伝えました。じきにエシュリン様が、ここにお見えになります。もう少しお待ちくださいね」てきぱきとやることを済ませると、少女たちは部屋を出て行った。


 エシュリンが来たら、まっさきにカイルのいるところに案内してもらおうとヴェルは考えていた。自分の思惑通りに事が運ぶのか、それだけが心配だった。

 

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