2 デレられないのには理由がある
イリーナは歩く最中、いろいろな話をカリスに振った。今日学校であったことが主な内容だ。カリスの反応はほとんどない。
返事は「うん」「ああ」「そう」。たまに「……別に」が混ざる程度だ。
それでもイリーナは胸がいっぱいになっていた。何せ、カリスとは学校でほとんど顔を合わせることがない。イリーナは「一般科」の生徒で、カリスは「魔術科」だ。授業科目がまったく異なるし、校舎も別だった。
学園から駅まで歩く10分。それがイリーナがカリスと話をすることができる、ほんのわずかな時間なのだ。その貴重な時間を無駄にしたくないと、イリーナは言葉と笑顔を絶やさない。
「リュビさんもお元気そうですね」
と、にこにこ笑顔で視線を下ろす。
カリスの足元を水色のふわふわとした生き物が歩いている。足が短いのでちょこちょこ走りだ。
カリスの使い魔――『カーバンクル』のリュビだ。魔術師は幻獣を使い魔として持つ。契約を結んで、魔術師は魔力を分け与え、使い魔は魔術師を助ける。そのような協力関係を築くのだという。
イリーナがほほ笑みかけると、リュビは尻尾を持ち上げて、イリーナの姿を仰いだ。が、すぐにつんとそっぽを向いてしまった。ペットは飼い主に似るというが、使い魔も魔術師に似るものなのだろうか、とイリーナは思った。つれない態度はカリスそっくりだ。
幸せな時間はあっという間に過ぎ去って、町はずれの駅に着く。街から街を飛び、人や物を送り届ける公共天空車の乗り場だ。
そこには数匹の飛竜がつながれていた。個人が所有する天空車と異なり、公共の車は大きく重いので、ペガサスではなく飛竜が運ぶのだ。
御者の男が声を張り上げている。イリーナが乗る車がもうすぐ出発するという知らせだった。
名残惜しいと思いながらも、イリーナはそちらへ足を踏み出した。
「それではカリス様。失礼いたします」
「……ああ」
しかし、カリスはすでにそっぽを向いていて、イリーナの方を見ていない。
イリーナの胸はちくりと痛んだ。
(私はカリス様とお会いできると、胸がドキドキして、とても嬉しいです。でも、カリス様はそうじゃないのでしょうね。カリス様はきっと……)
暗い気持ちで車に乗りこむ。
親同士が決めた婚約者とはいえ、イリーナはカリスのことが好きだった。
でも……きっとカリスはそうじゃない。それがわかっているから、胸が苦しくなる。
それでもイリーナは決めていた。カリスの前で憂鬱な顔や、悲しい顔は見せないと。だから、車の中からカリスに笑顔で手を振った。
飛竜が飛び立つ寸前、カリスが冷めた眼差しを一瞬だけこちらに向けたような気がした。
◇ ◇ ◇
「カリス様! お帰りなさいませ」
シュラール家の玄関口にて。
使用人たちがいっせいに頭を下げる。
カリスはその中を表情1つ変えずに進んでいく。執事のひとりが困ったような面差しで進言した。
「公共車では何かとご不便がございませんか。学園への通学には車をお出しいたしますのに」
「必要ない」
その言葉をにべもなく切り捨て、カリスは続けた。
「訓練室にこもる。誰も近づけるな」
「かしこまりました」
長い廊下を進んで、カリスがたどり着いたのは殺風景な部屋だった。
中は学園の体育館に似ている。何もない部屋だ。部屋の中央へと歩み寄り、カリスは鞄を下ろした。
そして、静かに目をつむる。その様子を見る者がこの場にいれば、瞬きも忘れて見惚れたことだろう。
静謐で神聖な空気が辺りに満ちる。
と、カリスは唐突にその目を開いた。
「今日も! イリーナがかわいい――!」
先程までの落ち着いた話し方とはまったくちがう。
それは感情をすべて乗せた魂の叫びだった。
ぴしっ、その声に合わせて空気がきしむ音が響く。冷気が湧き出て、床が一瞬で凍った。
「僕を見るなり、笑顔になって寄って来て……子犬か! いや、子犬より愛らしい! あの笑顔はまるで太陽! 反則すぎる! かわいすぎて、全然、目を合わせられなかった……!」
氷はカリスの足元から波状に伸びていき、あっという間に壁まで凍り始める。
カリスの肩に乗っているリュビが、寒そうに体を震わせた。
「……それ、本人に言ってやりなよ」
呆れた言葉がこぼれる。カーバンクルが耳を垂らして、口を開いていた。
使い魔であるリュビの言葉は、主人のカリスにのみ理解できるのだ。
「言えるわけがないだろ!」
カリスが言葉を紡ぐ度に、氷はどんどんと伸びていく。壁を這い上がり、天井にまで達しようとしていた。
そこでカリスは落ち着いたように、ため息を漏らした。目を細めて部屋の惨状を見渡す。
「街全体を氷漬けにするわけにはいかない」
「君の魔力はとっても美味しいけれど、濃すぎて異質だ。動きが感情につられちゃうんだもん」
「そうだ、それさえ……! それさえなければ、僕は……」
カリスは落ちこんだように肩を落とした。その手がわなわなと震え出す。
「もっとイリーナと話せる。目を合わせることができる。学園からの帰り道に……て、手をつなぐことだって……」
「わー!? カリス、魔力と妄想を抑えて! 屋敷がカチコチになっちゃうよ!?」
「僕は感情を抑えるのでせいいっぱいだ……そのせいでイリーナとまともに話すことさえできない……」
少年はそこで面差しを曇らせる。
「このままでいいのだろうか……? 僕はそのうち、イリーナに嫌われてしまうのでは……」
「かもね」
「う……っ」
「わー!? カリス、落ちこまないで! 屋敷がフローズンショコラみたいになっちゃうよ!?」
床の氷が盛り上がり、倍ほどの厚さになっていくのを見て、リュビは慌てて言葉を付け加えた。
「大丈夫、大丈夫。イリーナは君のこと、好きみたいだし」
「しかし……その好意に甘えるばかりというのも……」
「じゃあ、君も好意を何らかの方法で示さないとね」
「どうやって……?」
「知らない。ねえ、カリス。それよりもピーナッツバターをちょうだい?」
「ダメ。さっきも食べただろ」
「たくさん歩いたからお腹が好いたんだ。あーあ、君が『イリーナと通学したい!』という下心満載なせいで、僕は快適な車通学ができずに、歩かされてばっかりだ。そんなかわいそうな使い魔に主人はきちんと報いるべきだと思うよ」
「そんなにバターばかり食べていると、そのうち体がお月様みたいに真ん丸になると、僕は思う」
「むー、けちー」
リュビはほっぺたを丸くふくらませて、ふてくされた。
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